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王国篇
第十九話③
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鈴木芽亜理が死んで三週間が経っただろうか。羽鳥英梨沙と友達になってまだ一週間ほど。つい最近まで自分がブタだったことが信じられないほど、穏やかな日々が続いた。
いつか羽鳥英梨沙が本性を現すのではないかと、再び私はブタにされるのではないかと恐れていたけれど、彼女は相変わらずの様子だった。何をするにも一緒、どこに行くにも一緒で、常に手をつないだり密着してくるだけだった。図書室で本を読むときも、わざわざ隣に座って席を寄せて、私の肩にもたれてくる。そんな姿勢で読みにくくないのだろうかと疑問だった。
授業の区切りごとにある休み時間は、そのうち二回、二十分間の長めのものがある。それは二時間目と三時間目の間と、給食のあとにあった。私たちはその時間を図書室で過ごすことが多い。彼女は自己紹介でも言っていたとおり、本を読むことが好きなようだった。図書室では静かにしないといけないので、彼女の口数が少なくなる。彼女への相槌に気を遣わなくていいので、それは私にとって少しだけ気が楽だった。それでもやはり彼女は話したくて仕方がないようで、時折小声で話しかけてくる。
不意に羽鳥英梨沙が、私の肩から、耳元に顔を寄せてきた。そして私にだけ聞こえる声でささやく。
「ダリアちゃん、面白そうなの見てるね」
私が見ていたのは星座の図鑑だった。
私は文字を読んでいると頭が痛くなってくるので、あまり本を読むのが好きではなかった。ただ彼女と趣味が合わないことや、彼女に私が退屈していることを知られてしまうのが怖くて、絵本や図鑑を読んで誤魔化していた。
「好きなの?」
答えようと彼女の方を向こうとして、このままだと唇が触れてしまうかもしれないことに気づいた。私は少しだけ彼女の方を向いて、小さな声で返す。
「なんとなく、気になったから」
そこまで興味があったわけでもない。
「あと、土曜日。一緒に行くでしょ?」
「うん」
私の耳元で、彼女が甘く笑う。なぜかそれがくすぐったくて、胸の奥がむずむずした。
私たちは今度の土曜日、一緒にプラネタリウムに行く約束をしていた。彼女は引っ越してきたばかりなので、この地域に何があるか教えてあげたとき、一緒に行こうという話になった。
私は休みの日に友達と普通に遊ぶのが嬉しかった。ただ浮かれつつも、どこかに罠があるのではないかという疑いも消しきれず、気が休まることがなかった。
「ダリアちゃん、何座?」
彼女の吐息とささやき声に混じって、口の中で舌の鳴る音に、私は心をかき乱された。なぜかその音がエッチに感じた。
「山羊座……」
声が震えそうになるのをなんとか堪えた。
そんな苦労を知ってか知らずか、彼女は容赦なく続ける。
「それじゃ十二月? 一月生まれ?」
「十二月……」
「待って、当てるね。二十六日?」
「ううん、二十七……」
「あー、惜しかったなぁ」
そう私の肩に頭を押しつけながら、小さく笑った。
「エリザちゃんは?」
「獅子座」
彼女は私の肩に顎を乗せて、顔を傾けて、私の横顔をのぞき込んでくる。その琥珀色の瞳がいたずらっぽく細められた。そんな彼女は獅子というよりも、人懐っこい猫のようだった。それにしても獅子座で寅年というのはかなり強そうだった。
私は図鑑のページをめくって獅子座のところを開く。
特に何月生まれとかの情報は書かれていなかった。
「あと少しで乙女座だったのになぁ」
彼女は残念そうに言った。その儚げな少女の姿から乙女座が似合いそうな気もするけれど、私は獅子座も彼女に似合っている気がした。
「エリザちゃんの誕生日はいつなの?」
「八月二十一日」
夏休みだった。私は夏休み、誰かと遊んだことがない。母が騙している家に行くときに、私も誘われたけれど、行きたいとは少しも思えないので断ってきた。母はいろいろなことを私に強制してくるけれど、一緒に出かけたりすることはほとんどない。私に愛想がなく、母の関係者に対する態度が悪いことから、体面を気にする母は私を連れ歩くことを疎んじていた。
「お誕生日会、するの?」
「前の学校のときの友達にはしてもらった」
前の学校の友達──という言葉に、なぜか胸が痛んだ。もともとクラスに友達ができ始めていたし、私と友達にならなければ、もっと大勢の人たちと交流していただろう。私が彼女の友達になれたのは、ただの彼女の気まぐれで、飽きたら同じぐらい簡単に捨てられてしまうかもしれない。
もし私が彼女の友達でいたいのなら、いじめられたり捨てられないためには、一番の友達と思わせないといけない。
「それじゃその日、お誕生日会、する?」
「本当?」
「うん」
「嬉しい。ダリアちゃん、大好き」
羽鳥英梨沙が私の首元に顔を埋めて、抱きついてくる。彼女の黒髪が頬に、唇に触れた。
それに私は怖いことなんて忘れて、自分の唇がほころぶのを感じた。
* * *
昼休みがおわり、五時間目の授業が始まった。
今日は六時間目がないので、これが最後の授業だった。帰りは、彼女とどこに寄ろうかと考えていた。
放課後は夕飯の時間まで、一緒にいるようになった。二人で学校を探検したり、ごっこ遊びをする。ごっこ遊びは彼女の考えた物語だった。
今日は時間があるので、地域を案内しようと思った。大きな公園や、小高い山に神社がある。彼女は自転車を持っているだろうか、あとで聞いてみよう。
「先生、教科書が誰かに破られていました!」
突然、英梨沙の声がして、私は驚いて彼女の方を見た。
彼女は立ち上がって、先生に教科書を開いて向けていた。ページが破られていて、何枚か紙片が舞い落ちる。
その彼女の顔はいつもの笑顔ではなく、じっと先生を見て、真剣な顔をしていた。ただそこから怒りや恐れは少しも感じられなかった。堂々と、毅然としていた。
「警察を呼んでください!」
はっきりと彼女は言った。
「羽鳥さん、落ち着いて。そんな大げさな……」
私たちのクラスの担任は、学年があがった際に替わった。四十代後半か五十代の女の先生だった。
私は嫌な予感がした。この先生も、去年私へのいじめを黙認した先生と同じだった。休み時間だけでなく授業中、給食の時間に私がされていることを、鈴木芽亜理たちの「遊び」だという話を信じ、見て見ぬふりをした。私自身も「遊び」と答えなければ、彼女たちに殺されると思っていたので、そう答えさせられたけれど。
羽鳥英梨沙は続ける。
「ほかの人の所有物を傷つけたり、壊したりするのは犯罪ですよね? 教科書に、私以外の人の、犯人の指紋が残っているかもしれません。警察に調べてもらえば、犯人が誰かわかるんじゃないですか?」
「そんなクラスの仲間を疑うようなこと……」
「べつにクラスの誰かがやったとは言ってませんよ。もしかしたら不審者が侵入して、私の教科書を破ったのかも。だとしたらもっと大変なことになりますよね? ほかの子も狙われるかもしれない。それにもしかしたら私じゃなくて、鷲尾さんを狙ったのかも。だって私、転校してきたばかりでしょ? 鷲尾さんの机と間違えたのかもしれないですよね。本当は鷲尾さんが狙われていたのかも。私と鷲尾さんを間違えたんじゃないですか?」
なぜか彼女はやたらと鷲尾麻亜紗の名字を連呼した。それに鷲尾麻亜紗は振り返り、横顔で羽鳥英梨沙をにらんでいた。その目は怒りに見開かれ、下唇を噛んで堪えているようだった。
「とにかく、今は隣の子に見せてもらって……」
「私は犯人に対して謝罪と弁償を求めます。先生は法やルールを曲げて、犯人を擁護するんですか?」
「その話は授業のあとでしましょう……」
「わかりました。納得がいかない場合、先生が隠蔽しようとしたと、教育委員会に訴えますから」
羽鳥英梨沙はそう言うと、音を立てず、それでいて威圧するように、勢いよく席に座った。
いつもの儚げな彼女と、その堂々とした様子はまるで別人のようだった。
* * *
私は羽鳥英梨沙の教科書が破かれたのは、私のせいではないかと心配だった。彼女が私と友達になったから。鷲尾麻亜紗から私を庇ったから、彼女が次のいじめのターゲットにされたのかもしれない。
もしそうだとしたら、私はどうすればいいのだろうか。羽鳥英梨沙のことはまだ完全に信用していないけれど、少なくとも今は私のたった一人の友達だ。その友達がいじめに遭っているのなら、私は彼女を守るために何ができて、何をすべきなのだろうか。
帰りの会で羽鳥英梨沙が手を挙げ、指名されると席を立ち、堂々と簡潔に言った。
「昼休みの間に私の教科書が汚損されました。犯人を見た人、何か知っている人は、放課後一緒に残って先生に報告してください」
それに教室は静かだった。昼休み、教室が無人だったとは思えない。誰かしら目撃者がいるはずだった。
帰りの会がおわると、誰も残る様子はなく、次々と教室から去っていく。彼女やもめごとに関わりたくない、という態度が感じられた。
私は羽鳥英梨沙の方を見ると、彼女はいつもの微笑みを浮かべて私を見ていた。
私は席を立って彼女のもとに向かおうとした。彼女も教科書の束を抱えて私の方へ向かってくる。私たちはお互いの中間地点で落ち合った。
「エリザちゃん、平気?」
「うん。平気だよ」
もし私がこんなことをされたら、そんな平然と、堂々としていられないだろう。
「一緒に来てくれる?」
「うん!」
私にできることは一緒にいることだけだった。役に立つとは思えないけれど、私は少しでも彼女の力になりたかった。
それに私は少しでも彼女に有用性を示さなければならない。もしこれがいじめで、私が原因だとしたら、彼女に捨てられてしまうかもしれない。そうなればまた私はブタに戻ってしまうかもしれない。それだけではなく、私は彼女を、たった一人の友達を失いたくない。それが保身なのか、心からの友情なのか、初めてのことだからわからないけれど。
私たちは先生の前に立つ。先生は机の上の教材を座って片付けていた。そして私たちのことを面倒くさそうな顔で見る。
「羽鳥さん、教科書のことだけど……」
「教科書は先生に預けるので、そちらで調査をお願いします」
そう言って彼女は教科書を、先生の机の上に置く。閉じた状態で中身がどうなっているかわからないけれど、五冊ほどあった。
「あと席替えをお願いします」
「席替え?」
「はい。汚損された教科書が弁償されるまで、砂村さんに教科書を見せてもらいます」
「それは、隣の子に見せてもらえば……」
「私が信頼できるのは彼女だけです。昼休み、私が図書室に行っている間に、誰かに教科書を汚損されました。砂村さんはそのとき私と一緒にいたので、彼女だけ唯一アリバイがあります。それに教室に誰かしらはいたはずなのに、目撃者がいないのはおかしいと思いませんか? クラスの全員が共謀して、私に対していじめを行なっている可能性があります」
「いじめだなんて……そんな大げさな……」
「私は先生と現実的で妥協的なラインで話しているつもりですけど。席替えの要望を受け入れてもらえるなら、今回の件は先生にお任せします。私から教育委員会や警察に訴えることはありません」
私は彼女がめちゃくちゃなことを言っているのか、それとも筋のとおったことを言っているのか、よくわからなかった。とにかく頭の回転が速く、口が回るなと感心した。それと信頼できるのは私だけ、と言ってくれたのが嬉しかった。
「それにうちのクラス、席が二つも空いているじゃないですか。蕪木さんの席を詰めて、それで砂村さんの隣を空ければ、簡単に席替えできますよね」
そう羽鳥英梨沙はなんでもないことのように言った。
「あ、あなた……なんてことを言うの……」
さすがに私も、彼女のその発言には唖然とした。鈴木芽亜理や蕪木笑愛のことは今でも嫌いで許せない気持ちがある。けれど彼女たちの死体を引きずり出して八つ裂きにしたい、とまで思ったことはない。教室にある彼女たちの机をさっさと片付けるべき、と思ったことも。
先生も見開いた目を揺らして、驚きのあまり言うべき言葉が見つからない様子だった。
羽鳥英梨沙、彼女はいつもどおり、あの微笑みを浮かべていた。
いつか羽鳥英梨沙が本性を現すのではないかと、再び私はブタにされるのではないかと恐れていたけれど、彼女は相変わらずの様子だった。何をするにも一緒、どこに行くにも一緒で、常に手をつないだり密着してくるだけだった。図書室で本を読むときも、わざわざ隣に座って席を寄せて、私の肩にもたれてくる。そんな姿勢で読みにくくないのだろうかと疑問だった。
授業の区切りごとにある休み時間は、そのうち二回、二十分間の長めのものがある。それは二時間目と三時間目の間と、給食のあとにあった。私たちはその時間を図書室で過ごすことが多い。彼女は自己紹介でも言っていたとおり、本を読むことが好きなようだった。図書室では静かにしないといけないので、彼女の口数が少なくなる。彼女への相槌に気を遣わなくていいので、それは私にとって少しだけ気が楽だった。それでもやはり彼女は話したくて仕方がないようで、時折小声で話しかけてくる。
不意に羽鳥英梨沙が、私の肩から、耳元に顔を寄せてきた。そして私にだけ聞こえる声でささやく。
「ダリアちゃん、面白そうなの見てるね」
私が見ていたのは星座の図鑑だった。
私は文字を読んでいると頭が痛くなってくるので、あまり本を読むのが好きではなかった。ただ彼女と趣味が合わないことや、彼女に私が退屈していることを知られてしまうのが怖くて、絵本や図鑑を読んで誤魔化していた。
「好きなの?」
答えようと彼女の方を向こうとして、このままだと唇が触れてしまうかもしれないことに気づいた。私は少しだけ彼女の方を向いて、小さな声で返す。
「なんとなく、気になったから」
そこまで興味があったわけでもない。
「あと、土曜日。一緒に行くでしょ?」
「うん」
私の耳元で、彼女が甘く笑う。なぜかそれがくすぐったくて、胸の奥がむずむずした。
私たちは今度の土曜日、一緒にプラネタリウムに行く約束をしていた。彼女は引っ越してきたばかりなので、この地域に何があるか教えてあげたとき、一緒に行こうという話になった。
私は休みの日に友達と普通に遊ぶのが嬉しかった。ただ浮かれつつも、どこかに罠があるのではないかという疑いも消しきれず、気が休まることがなかった。
「ダリアちゃん、何座?」
彼女の吐息とささやき声に混じって、口の中で舌の鳴る音に、私は心をかき乱された。なぜかその音がエッチに感じた。
「山羊座……」
声が震えそうになるのをなんとか堪えた。
そんな苦労を知ってか知らずか、彼女は容赦なく続ける。
「それじゃ十二月? 一月生まれ?」
「十二月……」
「待って、当てるね。二十六日?」
「ううん、二十七……」
「あー、惜しかったなぁ」
そう私の肩に頭を押しつけながら、小さく笑った。
「エリザちゃんは?」
「獅子座」
彼女は私の肩に顎を乗せて、顔を傾けて、私の横顔をのぞき込んでくる。その琥珀色の瞳がいたずらっぽく細められた。そんな彼女は獅子というよりも、人懐っこい猫のようだった。それにしても獅子座で寅年というのはかなり強そうだった。
私は図鑑のページをめくって獅子座のところを開く。
特に何月生まれとかの情報は書かれていなかった。
「あと少しで乙女座だったのになぁ」
彼女は残念そうに言った。その儚げな少女の姿から乙女座が似合いそうな気もするけれど、私は獅子座も彼女に似合っている気がした。
「エリザちゃんの誕生日はいつなの?」
「八月二十一日」
夏休みだった。私は夏休み、誰かと遊んだことがない。母が騙している家に行くときに、私も誘われたけれど、行きたいとは少しも思えないので断ってきた。母はいろいろなことを私に強制してくるけれど、一緒に出かけたりすることはほとんどない。私に愛想がなく、母の関係者に対する態度が悪いことから、体面を気にする母は私を連れ歩くことを疎んじていた。
「お誕生日会、するの?」
「前の学校のときの友達にはしてもらった」
前の学校の友達──という言葉に、なぜか胸が痛んだ。もともとクラスに友達ができ始めていたし、私と友達にならなければ、もっと大勢の人たちと交流していただろう。私が彼女の友達になれたのは、ただの彼女の気まぐれで、飽きたら同じぐらい簡単に捨てられてしまうかもしれない。
もし私が彼女の友達でいたいのなら、いじめられたり捨てられないためには、一番の友達と思わせないといけない。
「それじゃその日、お誕生日会、する?」
「本当?」
「うん」
「嬉しい。ダリアちゃん、大好き」
羽鳥英梨沙が私の首元に顔を埋めて、抱きついてくる。彼女の黒髪が頬に、唇に触れた。
それに私は怖いことなんて忘れて、自分の唇がほころぶのを感じた。
* * *
昼休みがおわり、五時間目の授業が始まった。
今日は六時間目がないので、これが最後の授業だった。帰りは、彼女とどこに寄ろうかと考えていた。
放課後は夕飯の時間まで、一緒にいるようになった。二人で学校を探検したり、ごっこ遊びをする。ごっこ遊びは彼女の考えた物語だった。
今日は時間があるので、地域を案内しようと思った。大きな公園や、小高い山に神社がある。彼女は自転車を持っているだろうか、あとで聞いてみよう。
「先生、教科書が誰かに破られていました!」
突然、英梨沙の声がして、私は驚いて彼女の方を見た。
彼女は立ち上がって、先生に教科書を開いて向けていた。ページが破られていて、何枚か紙片が舞い落ちる。
その彼女の顔はいつもの笑顔ではなく、じっと先生を見て、真剣な顔をしていた。ただそこから怒りや恐れは少しも感じられなかった。堂々と、毅然としていた。
「警察を呼んでください!」
はっきりと彼女は言った。
「羽鳥さん、落ち着いて。そんな大げさな……」
私たちのクラスの担任は、学年があがった際に替わった。四十代後半か五十代の女の先生だった。
私は嫌な予感がした。この先生も、去年私へのいじめを黙認した先生と同じだった。休み時間だけでなく授業中、給食の時間に私がされていることを、鈴木芽亜理たちの「遊び」だという話を信じ、見て見ぬふりをした。私自身も「遊び」と答えなければ、彼女たちに殺されると思っていたので、そう答えさせられたけれど。
羽鳥英梨沙は続ける。
「ほかの人の所有物を傷つけたり、壊したりするのは犯罪ですよね? 教科書に、私以外の人の、犯人の指紋が残っているかもしれません。警察に調べてもらえば、犯人が誰かわかるんじゃないですか?」
「そんなクラスの仲間を疑うようなこと……」
「べつにクラスの誰かがやったとは言ってませんよ。もしかしたら不審者が侵入して、私の教科書を破ったのかも。だとしたらもっと大変なことになりますよね? ほかの子も狙われるかもしれない。それにもしかしたら私じゃなくて、鷲尾さんを狙ったのかも。だって私、転校してきたばかりでしょ? 鷲尾さんの机と間違えたのかもしれないですよね。本当は鷲尾さんが狙われていたのかも。私と鷲尾さんを間違えたんじゃないですか?」
なぜか彼女はやたらと鷲尾麻亜紗の名字を連呼した。それに鷲尾麻亜紗は振り返り、横顔で羽鳥英梨沙をにらんでいた。その目は怒りに見開かれ、下唇を噛んで堪えているようだった。
「とにかく、今は隣の子に見せてもらって……」
「私は犯人に対して謝罪と弁償を求めます。先生は法やルールを曲げて、犯人を擁護するんですか?」
「その話は授業のあとでしましょう……」
「わかりました。納得がいかない場合、先生が隠蔽しようとしたと、教育委員会に訴えますから」
羽鳥英梨沙はそう言うと、音を立てず、それでいて威圧するように、勢いよく席に座った。
いつもの儚げな彼女と、その堂々とした様子はまるで別人のようだった。
* * *
私は羽鳥英梨沙の教科書が破かれたのは、私のせいではないかと心配だった。彼女が私と友達になったから。鷲尾麻亜紗から私を庇ったから、彼女が次のいじめのターゲットにされたのかもしれない。
もしそうだとしたら、私はどうすればいいのだろうか。羽鳥英梨沙のことはまだ完全に信用していないけれど、少なくとも今は私のたった一人の友達だ。その友達がいじめに遭っているのなら、私は彼女を守るために何ができて、何をすべきなのだろうか。
帰りの会で羽鳥英梨沙が手を挙げ、指名されると席を立ち、堂々と簡潔に言った。
「昼休みの間に私の教科書が汚損されました。犯人を見た人、何か知っている人は、放課後一緒に残って先生に報告してください」
それに教室は静かだった。昼休み、教室が無人だったとは思えない。誰かしら目撃者がいるはずだった。
帰りの会がおわると、誰も残る様子はなく、次々と教室から去っていく。彼女やもめごとに関わりたくない、という態度が感じられた。
私は羽鳥英梨沙の方を見ると、彼女はいつもの微笑みを浮かべて私を見ていた。
私は席を立って彼女のもとに向かおうとした。彼女も教科書の束を抱えて私の方へ向かってくる。私たちはお互いの中間地点で落ち合った。
「エリザちゃん、平気?」
「うん。平気だよ」
もし私がこんなことをされたら、そんな平然と、堂々としていられないだろう。
「一緒に来てくれる?」
「うん!」
私にできることは一緒にいることだけだった。役に立つとは思えないけれど、私は少しでも彼女の力になりたかった。
それに私は少しでも彼女に有用性を示さなければならない。もしこれがいじめで、私が原因だとしたら、彼女に捨てられてしまうかもしれない。そうなればまた私はブタに戻ってしまうかもしれない。それだけではなく、私は彼女を、たった一人の友達を失いたくない。それが保身なのか、心からの友情なのか、初めてのことだからわからないけれど。
私たちは先生の前に立つ。先生は机の上の教材を座って片付けていた。そして私たちのことを面倒くさそうな顔で見る。
「羽鳥さん、教科書のことだけど……」
「教科書は先生に預けるので、そちらで調査をお願いします」
そう言って彼女は教科書を、先生の机の上に置く。閉じた状態で中身がどうなっているかわからないけれど、五冊ほどあった。
「あと席替えをお願いします」
「席替え?」
「はい。汚損された教科書が弁償されるまで、砂村さんに教科書を見せてもらいます」
「それは、隣の子に見せてもらえば……」
「私が信頼できるのは彼女だけです。昼休み、私が図書室に行っている間に、誰かに教科書を汚損されました。砂村さんはそのとき私と一緒にいたので、彼女だけ唯一アリバイがあります。それに教室に誰かしらはいたはずなのに、目撃者がいないのはおかしいと思いませんか? クラスの全員が共謀して、私に対していじめを行なっている可能性があります」
「いじめだなんて……そんな大げさな……」
「私は先生と現実的で妥協的なラインで話しているつもりですけど。席替えの要望を受け入れてもらえるなら、今回の件は先生にお任せします。私から教育委員会や警察に訴えることはありません」
私は彼女がめちゃくちゃなことを言っているのか、それとも筋のとおったことを言っているのか、よくわからなかった。とにかく頭の回転が速く、口が回るなと感心した。それと信頼できるのは私だけ、と言ってくれたのが嬉しかった。
「それにうちのクラス、席が二つも空いているじゃないですか。蕪木さんの席を詰めて、それで砂村さんの隣を空ければ、簡単に席替えできますよね」
そう羽鳥英梨沙はなんでもないことのように言った。
「あ、あなた……なんてことを言うの……」
さすがに私も、彼女のその発言には唖然とした。鈴木芽亜理や蕪木笑愛のことは今でも嫌いで許せない気持ちがある。けれど彼女たちの死体を引きずり出して八つ裂きにしたい、とまで思ったことはない。教室にある彼女たちの机をさっさと片付けるべき、と思ったことも。
先生も見開いた目を揺らして、驚きのあまり言うべき言葉が見つからない様子だった。
羽鳥英梨沙、彼女はいつもどおり、あの微笑みを浮かべていた。
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