文字の大きさ
大
中
小
4 / 4
4.二人の間にしゃぶしゃぶを
久しぶりに重い荷物を抱えて歩いた。
昨夜、翠玉から伝えられたリクエストのための買い物だが、食材だけならばネット注文で充分だった。
しかしながら、カセットコンロや土鍋に関しては、どのくらいのサイズなのかを画面で見るだけではさっぱりわからない。
レシピを確認しながら大きさを見ていたが、カセットコンロの大きさがどれくらい必要なのかを書いているレシピなど無いのだ。
仕方なく、歩いて二十分ほどのホームセンターへと出向き、実際の大きさを確認しながらカセットコンロと土鍋。そしてガスボンベや取り皿としてとんすいなども買い込んだ。意外と鍋料理じゃないと使わない食器や道具もある。
肉や野菜を盛るための大皿まで買ってしまった。野菜は調理用のボウルとざるで、肉に至ってはパックそのままテーブルに出せば良いだけだと気づいたのは、帰り道を半分以上過ぎたときだった。
時すでに遅し。
「こうなったら、僕にできる範囲で見た目もご馳走にしてやろうじゃないか」
鍋の準備はそんなに大変でもない。スープは市販のものをそのまま鍋にそそぐだけで終わりだし、野菜は洗って切るだけ。肉に至ってはパックから出すだけ。
調理は食べるときにやるわけだし、並べ方さえ気にしなければ順番と火加減を管理すれば良い。
ただ、料理によっては肉や野菜を入れるための箸やトング、豆腐など崩れやすいものを掬うための大き目のレンゲなど、食器類の準備が意外と大変だったりする。
正直、初めて鍋の準備をしたものだから、ご飯を炊く以外のことはできなかった。
できれば何か副菜を用意しておきたかったところだけれど、野菜がたっぷりで、ちゃんとご希望通りに糸こんにゃくも用意したのだから勘弁してほしい。
「そろそろ来るかな」
先に火を点けておく。
カセットコンロはシンプルな構造で、がちゃりとガスボンベを取り付ければ、あとはスイッチをひねるだけだ。電子調理器もあったけれど、こちらの方がずっと安かった。
それに、なんとなくIHなどよりも実際に火が点いているのを見る方が、料理をしている気分に浸れて好きなのだ。
「そうか、僕は好きなんだな」
「おや、来るなり愛の告白とは。驚いた」
「……いつの間に」
「お主がいつになく真剣に火を見つめておる間に、だとも。しかしいかんぞ、火に魅入られてしまうのは。人間はどうも抑えがきかなくなるときがあるゆえ」
「火加減を見ていただけだし、好きなのは料理の話で、翠玉のことじゃない」
「そうか、そうか。では、そういうことにしておこう」
上機嫌で席に着いた翠玉は、自分の前に並んだ皿を一通り確認すると、少し迷ってゴマだれをとんすいに注いだ。
僕はポン酢を使う。途中でゴマだれに変えてみよう。
「牛も豚もあるのか。ずいぶんと奮発したのう。いやはや、愛されておる」
「はいはい」
「つれないのう」
「少し待って、野菜を先に煮てしまおう。それから、好きに肉をとって野菜を包んで食べる。こういうしゃぶしゃぶで良かったか?」
「良いとも、良いとも。糸こんにゃくは、どうしたかえ?」
「そっち側の底の方にあるよ」
蓋を開けてみせると、翠玉はまっ白な糸こんにゃくを一本だけ掬い取った。
湯気を上げるそれをゴマダレにつけて、ちゅるりと吸い込む。
「ふむ、美味い」
「野菜も煮えたから、肉もどうぞ」
「うむ。苦しゅうない」
豚肉をひらりと鍋の上に広げると、すぐに白く煮えていく。そう高くないバラ肉だが、ほんのりと桜色になって脂がてらてらと光ってくると、想像以上に食欲を刺激されるものだ。
箸で野菜ごとくるりと巻き取って食べると、甘い肉汁と出汁をたっぷり吸った野菜が、口の中をやけどするほどに熱しながら一体となって旨味を広げていく。
見れば、翠玉も僕と全く同じことを目の前でやっていた。
同時に持ち上げた二人の間に、架け橋のように細い白葱がつながっているのを見て、翠玉がひょいと橋を持ち上げて自分の方に寄せた。
「ふふ、頂くぞ」
「子供みたいな真似を……」
「良いではないか。楽しい、楽しい」
言葉通り、喜色満面で箸を動かしている翠玉を見て、僕も負けじと食べていく。
肉を似て、野菜やこんにゃくと一緒に食べる。ご飯を食べる。熱さにふうふうと息を吹きかけ、暑さに浮かぶ額の汗を拭く。
鍋でも、やはりいつものように鏡写しの食卓だった。
翠玉は左手で箸を操り、僕と同じように鍋をつついていた。違うのは、彼女は一切汗をかいていないところか。
「人心地というやつであるな」
「それは良かったよ。少し多めに食材を用意したつもりだったけれど、結局ぜんぶ食べちゃったな」
「ふふ、お主もいつも以上の食欲であったな」
今日は冷たい麦茶を用意しておいた。
鍋の後に身体を冷ますためだったのだけれど、いつも通りなら熱いお茶を飲む翠玉も「気が利くではないか」と喜んでいる。
「蒟蒻というのは不思議なものでな」
翠玉はふと口を開いた。
「材料の芋はそのままでは人間には食えぬのだ。それを灰汁を抜くために煮て、混ぜ物を入れて、また固めることで毒を抜いて食えるようにする」
随分と手間がかかるであろう、と翠玉は感心するように頷いた。
僕も詳しくはないが、蒟蒻芋がそのままでは食用に適さないという話は聞いたことがある。
「大昔からの人間の知恵よな。食えぬ魚を食えるようにしたりも。どうも食い意地が張っているようでもあるが、人は生きるためだけでなく生を楽しむために色々な真似をする」
そういう人類の知恵を示している食材として、蒟蒻が好きなのだと翠玉は言う。
「もちろん、歯応えやら味も気に入っておるぞ」
「はあ、狐の妖怪だから油揚げが好きかと思っていた」
「特にそういうわけでは……む、しばしば油揚げや厚揚げが料理に使われておったのは、もしや……」
僕が目をそらすと、翠玉はふん、と鼻を鳴らした。
「まったく、お主の妖怪知識はどうも偏りがあるようだの」
「仕方ないだろう。飯を食わせろと言われて、こっちも色々気を遣っていんだ。サービスだと思ってくれよ」
「もてなし、か。そういうことにしておこう。そう考えると悪い気もせぬ」
落ち着いたところで、僕は昨日からの考えを話してみることにした。
そう、もしかして翠玉たち妖怪は、人間と仲良くなりたいのかも知れない、と。
「翠玉は……いや、妖怪たちは人間と仲良く暮らしたいと思っているのかな」
「そうだのう……大概の連中はそうであろうよ。でなければ、人の前に本当の姿を見せるような真似はせぬ」
「じゃあ、僕の考えは正解ってこと?」
「半分正解、といったところかの」
翠玉が細く白い手で包み込んだ湯呑の中で、氷がからりと音を立てる。
しばらくの沈黙。
僕は翠玉を見ていたけれど、なんだか気恥ずかしくなって視線をそらした。翠玉と同じように、手元の湯呑へと視線を落とす。
汗をかいた湯呑が指先を濡らしていたけれど、それも心地よかった。
「鍋は良い文化よな」
「ん?」
話が変わったかと思ったけれど、話の続きを聞くことにする。返事をする代わりに、麦茶を啜った。
「うま味を詰め込んだ出汁で、野菜も肉も魚も、好きなものを好きなように切って煮る。それを仲間どうしや家族で突く。ある意味粗野な料理ではあるし、鍋で煮てみんなで突くなど、それこそ文明の始まりから繰り返されたことでもある」
これも、妖怪を生み出した日本人の文化の一部で、長く長く繰り返されてきた、人間の生活の中に溶け込んだ習慣でもある。
「そこには団らんがある。人と人のつながりがある。家庭がある。団結がある。苦労を分かち合う絆が、喜びを祝いあう歓声が」
論じているわけではないのだ、と僕は気づいた。
また翠玉の瞳が、思い出に浸るそれになっていたから。
彼女が語る団らんの風景は、歴史の事実を語っているのではない。実際に目にしてきた風景を言葉にしているだけなのだ。
語りたいのは文化論じゃない。思い出なのだ。
「わたしは、わたしたちは、そういう光景をずっと見ていた」
翠玉はひっそりと人間の世の中の外側から。
付喪神たちは人間のすぐ傍。もしくは鍋や釜そのものとして。
屋根に潜んでいた者、床下で耳をそばだてていた者。
誰もが、団らんの中やすぐ近くにいて、しかしそこには存在しない。
「わたしたち妖怪がどうして人の世に出てきて、人間たちと言葉を交わすことにしたのか、知りたいのであったな」
「無理強いはしないけれど」
「そうか……いや、やはり聞かせておこう。いやいや、聞いてくれぬか」
麦茶から、僕の顔へと視線が移る。
艶やかな色香漂う翠玉の蠱惑的なほほ笑みが、少し寂し気に見えた。
「わたしたちは、ただうらやましかったのさ」
人間の文化の中で、漫画やアニメといった創作を経て妖怪たちが好意的に見られるようになったのはずいぶん昔からの話だが、そのころから膨らみ始めた希望があったらしい。
それは、人間のように「生きる」ことへの憧れ。
「長く考えた。人の世に出ていくことの利益と不利益。賛同する者拒否する者。それぞれの意見も立場もある。しかしな、わたしたちはとうとう我慢できなくなったのさ」
「うらやましい、か。僕たちはただ、仕事で疲れて余暇でどうにか回復して、年齢を重ねながら、翠玉たちに比べればとても短い生涯をどうにか生き延びているに過ぎないと思うんだけれど?」
「その生涯の中で、お主たちは食事や遊戯を進歩させ、生活をより良いものにして、疲れたと言いながら楽しいことを沢山作り出したではないか」
だから、妖怪たちはそれを「真似したい」と思ったのだ。
「人間の真似を、できる部分だけ、少しずつではあるが、真似てみているのさ。隣の芝は青いというが、本当に隣だからそう見えているのかは実際にやってみねばわからぬ」
人のように会社で働いてみたり、商売をしてみたり、スポーツをしてみたり。
僕が思いつくだけでも、確かに人間がやっていることを真似していることばかりだ。なるほど人間社会に交じるんじゃなくて、人間と同じことをやってみたいのだ。
「……じゃあ、僕のところにご飯を食べにくるのは、どういう理由なんだ?」
「食事を楽しむことを、お主の目の前で真似してみようと思ったのがひとつ」
だから僕の鏡写しのように、左手で箸を持って僕の食べ方を真似ていたのだ。だが、それだけではあえて僕のところを選んだ理由にはならない。
「僕なら食事をたかっても問題なさそうだって話かな?」
「それもある。あるが……ひょっとして、お主は自分で気づいておらぬのか?」
「何を」
「食事をしているとき、お主はとても良い表情をしているのだ。こんなふうに」
翠玉が、にっこりと笑う。
それは食事中に彼女が美味いと言いながらよく見せる表情だ。
「……マジか」
僕は日々の食事をもそもそと片付けていたつもりでいたけれど、実際はそんな風に嬉しそうに楽しそうに、そして美味そうに食べていたらしい。
鏡を見ながら食事をするような習慣はないし、人から指摘されたこともないから、初めて人から……いや、妖怪から指摘された。
耳が熱くなる。
「偶然であった。窓の外からお主の食事を見かけてな。羨ましいと思ったのさ。そんな風に飯を食うというのは、どういう気持ちなのか」
「真似したくなった、と」
「うむ」
「……それで、今まで何か月も食べてきた感想は?」
翠玉は笑みを絶やさず、断言する。
「とても満ち足りていたとも。生きている、と感じる。これからもよろしく頼むぞ」
疑問は解けたけれど、僕の料理生活はこれからも続くらしい。
小憎らしいような気もするけれど、不思議と悪い気はしなかった。僕はこれからも幸せな生活を送らねばならないらしいから。
終わり
昨夜、翠玉から伝えられたリクエストのための買い物だが、食材だけならばネット注文で充分だった。
しかしながら、カセットコンロや土鍋に関しては、どのくらいのサイズなのかを画面で見るだけではさっぱりわからない。
レシピを確認しながら大きさを見ていたが、カセットコンロの大きさがどれくらい必要なのかを書いているレシピなど無いのだ。
仕方なく、歩いて二十分ほどのホームセンターへと出向き、実際の大きさを確認しながらカセットコンロと土鍋。そしてガスボンベや取り皿としてとんすいなども買い込んだ。意外と鍋料理じゃないと使わない食器や道具もある。
肉や野菜を盛るための大皿まで買ってしまった。野菜は調理用のボウルとざるで、肉に至ってはパックそのままテーブルに出せば良いだけだと気づいたのは、帰り道を半分以上過ぎたときだった。
時すでに遅し。
「こうなったら、僕にできる範囲で見た目もご馳走にしてやろうじゃないか」
鍋の準備はそんなに大変でもない。スープは市販のものをそのまま鍋にそそぐだけで終わりだし、野菜は洗って切るだけ。肉に至ってはパックから出すだけ。
調理は食べるときにやるわけだし、並べ方さえ気にしなければ順番と火加減を管理すれば良い。
ただ、料理によっては肉や野菜を入れるための箸やトング、豆腐など崩れやすいものを掬うための大き目のレンゲなど、食器類の準備が意外と大変だったりする。
正直、初めて鍋の準備をしたものだから、ご飯を炊く以外のことはできなかった。
できれば何か副菜を用意しておきたかったところだけれど、野菜がたっぷりで、ちゃんとご希望通りに糸こんにゃくも用意したのだから勘弁してほしい。
「そろそろ来るかな」
先に火を点けておく。
カセットコンロはシンプルな構造で、がちゃりとガスボンベを取り付ければ、あとはスイッチをひねるだけだ。電子調理器もあったけれど、こちらの方がずっと安かった。
それに、なんとなくIHなどよりも実際に火が点いているのを見る方が、料理をしている気分に浸れて好きなのだ。
「そうか、僕は好きなんだな」
「おや、来るなり愛の告白とは。驚いた」
「……いつの間に」
「お主がいつになく真剣に火を見つめておる間に、だとも。しかしいかんぞ、火に魅入られてしまうのは。人間はどうも抑えがきかなくなるときがあるゆえ」
「火加減を見ていただけだし、好きなのは料理の話で、翠玉のことじゃない」
「そうか、そうか。では、そういうことにしておこう」
上機嫌で席に着いた翠玉は、自分の前に並んだ皿を一通り確認すると、少し迷ってゴマだれをとんすいに注いだ。
僕はポン酢を使う。途中でゴマだれに変えてみよう。
「牛も豚もあるのか。ずいぶんと奮発したのう。いやはや、愛されておる」
「はいはい」
「つれないのう」
「少し待って、野菜を先に煮てしまおう。それから、好きに肉をとって野菜を包んで食べる。こういうしゃぶしゃぶで良かったか?」
「良いとも、良いとも。糸こんにゃくは、どうしたかえ?」
「そっち側の底の方にあるよ」
蓋を開けてみせると、翠玉はまっ白な糸こんにゃくを一本だけ掬い取った。
湯気を上げるそれをゴマダレにつけて、ちゅるりと吸い込む。
「ふむ、美味い」
「野菜も煮えたから、肉もどうぞ」
「うむ。苦しゅうない」
豚肉をひらりと鍋の上に広げると、すぐに白く煮えていく。そう高くないバラ肉だが、ほんのりと桜色になって脂がてらてらと光ってくると、想像以上に食欲を刺激されるものだ。
箸で野菜ごとくるりと巻き取って食べると、甘い肉汁と出汁をたっぷり吸った野菜が、口の中をやけどするほどに熱しながら一体となって旨味を広げていく。
見れば、翠玉も僕と全く同じことを目の前でやっていた。
同時に持ち上げた二人の間に、架け橋のように細い白葱がつながっているのを見て、翠玉がひょいと橋を持ち上げて自分の方に寄せた。
「ふふ、頂くぞ」
「子供みたいな真似を……」
「良いではないか。楽しい、楽しい」
言葉通り、喜色満面で箸を動かしている翠玉を見て、僕も負けじと食べていく。
肉を似て、野菜やこんにゃくと一緒に食べる。ご飯を食べる。熱さにふうふうと息を吹きかけ、暑さに浮かぶ額の汗を拭く。
鍋でも、やはりいつものように鏡写しの食卓だった。
翠玉は左手で箸を操り、僕と同じように鍋をつついていた。違うのは、彼女は一切汗をかいていないところか。
「人心地というやつであるな」
「それは良かったよ。少し多めに食材を用意したつもりだったけれど、結局ぜんぶ食べちゃったな」
「ふふ、お主もいつも以上の食欲であったな」
今日は冷たい麦茶を用意しておいた。
鍋の後に身体を冷ますためだったのだけれど、いつも通りなら熱いお茶を飲む翠玉も「気が利くではないか」と喜んでいる。
「蒟蒻というのは不思議なものでな」
翠玉はふと口を開いた。
「材料の芋はそのままでは人間には食えぬのだ。それを灰汁を抜くために煮て、混ぜ物を入れて、また固めることで毒を抜いて食えるようにする」
随分と手間がかかるであろう、と翠玉は感心するように頷いた。
僕も詳しくはないが、蒟蒻芋がそのままでは食用に適さないという話は聞いたことがある。
「大昔からの人間の知恵よな。食えぬ魚を食えるようにしたりも。どうも食い意地が張っているようでもあるが、人は生きるためだけでなく生を楽しむために色々な真似をする」
そういう人類の知恵を示している食材として、蒟蒻が好きなのだと翠玉は言う。
「もちろん、歯応えやら味も気に入っておるぞ」
「はあ、狐の妖怪だから油揚げが好きかと思っていた」
「特にそういうわけでは……む、しばしば油揚げや厚揚げが料理に使われておったのは、もしや……」
僕が目をそらすと、翠玉はふん、と鼻を鳴らした。
「まったく、お主の妖怪知識はどうも偏りがあるようだの」
「仕方ないだろう。飯を食わせろと言われて、こっちも色々気を遣っていんだ。サービスだと思ってくれよ」
「もてなし、か。そういうことにしておこう。そう考えると悪い気もせぬ」
落ち着いたところで、僕は昨日からの考えを話してみることにした。
そう、もしかして翠玉たち妖怪は、人間と仲良くなりたいのかも知れない、と。
「翠玉は……いや、妖怪たちは人間と仲良く暮らしたいと思っているのかな」
「そうだのう……大概の連中はそうであろうよ。でなければ、人の前に本当の姿を見せるような真似はせぬ」
「じゃあ、僕の考えは正解ってこと?」
「半分正解、といったところかの」
翠玉が細く白い手で包み込んだ湯呑の中で、氷がからりと音を立てる。
しばらくの沈黙。
僕は翠玉を見ていたけれど、なんだか気恥ずかしくなって視線をそらした。翠玉と同じように、手元の湯呑へと視線を落とす。
汗をかいた湯呑が指先を濡らしていたけれど、それも心地よかった。
「鍋は良い文化よな」
「ん?」
話が変わったかと思ったけれど、話の続きを聞くことにする。返事をする代わりに、麦茶を啜った。
「うま味を詰め込んだ出汁で、野菜も肉も魚も、好きなものを好きなように切って煮る。それを仲間どうしや家族で突く。ある意味粗野な料理ではあるし、鍋で煮てみんなで突くなど、それこそ文明の始まりから繰り返されたことでもある」
これも、妖怪を生み出した日本人の文化の一部で、長く長く繰り返されてきた、人間の生活の中に溶け込んだ習慣でもある。
「そこには団らんがある。人と人のつながりがある。家庭がある。団結がある。苦労を分かち合う絆が、喜びを祝いあう歓声が」
論じているわけではないのだ、と僕は気づいた。
また翠玉の瞳が、思い出に浸るそれになっていたから。
彼女が語る団らんの風景は、歴史の事実を語っているのではない。実際に目にしてきた風景を言葉にしているだけなのだ。
語りたいのは文化論じゃない。思い出なのだ。
「わたしは、わたしたちは、そういう光景をずっと見ていた」
翠玉はひっそりと人間の世の中の外側から。
付喪神たちは人間のすぐ傍。もしくは鍋や釜そのものとして。
屋根に潜んでいた者、床下で耳をそばだてていた者。
誰もが、団らんの中やすぐ近くにいて、しかしそこには存在しない。
「わたしたち妖怪がどうして人の世に出てきて、人間たちと言葉を交わすことにしたのか、知りたいのであったな」
「無理強いはしないけれど」
「そうか……いや、やはり聞かせておこう。いやいや、聞いてくれぬか」
麦茶から、僕の顔へと視線が移る。
艶やかな色香漂う翠玉の蠱惑的なほほ笑みが、少し寂し気に見えた。
「わたしたちは、ただうらやましかったのさ」
人間の文化の中で、漫画やアニメといった創作を経て妖怪たちが好意的に見られるようになったのはずいぶん昔からの話だが、そのころから膨らみ始めた希望があったらしい。
それは、人間のように「生きる」ことへの憧れ。
「長く考えた。人の世に出ていくことの利益と不利益。賛同する者拒否する者。それぞれの意見も立場もある。しかしな、わたしたちはとうとう我慢できなくなったのさ」
「うらやましい、か。僕たちはただ、仕事で疲れて余暇でどうにか回復して、年齢を重ねながら、翠玉たちに比べればとても短い生涯をどうにか生き延びているに過ぎないと思うんだけれど?」
「その生涯の中で、お主たちは食事や遊戯を進歩させ、生活をより良いものにして、疲れたと言いながら楽しいことを沢山作り出したではないか」
だから、妖怪たちはそれを「真似したい」と思ったのだ。
「人間の真似を、できる部分だけ、少しずつではあるが、真似てみているのさ。隣の芝は青いというが、本当に隣だからそう見えているのかは実際にやってみねばわからぬ」
人のように会社で働いてみたり、商売をしてみたり、スポーツをしてみたり。
僕が思いつくだけでも、確かに人間がやっていることを真似していることばかりだ。なるほど人間社会に交じるんじゃなくて、人間と同じことをやってみたいのだ。
「……じゃあ、僕のところにご飯を食べにくるのは、どういう理由なんだ?」
「食事を楽しむことを、お主の目の前で真似してみようと思ったのがひとつ」
だから僕の鏡写しのように、左手で箸を持って僕の食べ方を真似ていたのだ。だが、それだけではあえて僕のところを選んだ理由にはならない。
「僕なら食事をたかっても問題なさそうだって話かな?」
「それもある。あるが……ひょっとして、お主は自分で気づいておらぬのか?」
「何を」
「食事をしているとき、お主はとても良い表情をしているのだ。こんなふうに」
翠玉が、にっこりと笑う。
それは食事中に彼女が美味いと言いながらよく見せる表情だ。
「……マジか」
僕は日々の食事をもそもそと片付けていたつもりでいたけれど、実際はそんな風に嬉しそうに楽しそうに、そして美味そうに食べていたらしい。
鏡を見ながら食事をするような習慣はないし、人から指摘されたこともないから、初めて人から……いや、妖怪から指摘された。
耳が熱くなる。
「偶然であった。窓の外からお主の食事を見かけてな。羨ましいと思ったのさ。そんな風に飯を食うというのは、どういう気持ちなのか」
「真似したくなった、と」
「うむ」
「……それで、今まで何か月も食べてきた感想は?」
翠玉は笑みを絶やさず、断言する。
「とても満ち足りていたとも。生きている、と感じる。これからもよろしく頼むぞ」
疑問は解けたけれど、僕の料理生活はこれからも続くらしい。
小憎らしいような気もするけれど、不思議と悪い気はしなかった。僕はこれからも幸せな生活を送らねばならないらしいから。
終わり
感想 0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
旦那様には好きな人がいる
えくれあ私の旦那様である、テオドール・セルヴァン侯爵様には好きな人がいる。
それは、幼馴染であり、王太子妃でもあるマチルダ様だ。
お二人は、いつもとても仲睦まじいご様子で、そんな叶わぬお二人の恋をそっと見守るのが私の日常だった。
そんなある日、夜会にめったに顔を出さない王太子殿下に、ダンスに誘われて。それがきっかけで、私の日常は少しずつ変化し始めた。
「子を産めない妻はいらない」と離縁されたので、七人の孤児がいる辺境伯家に嫁ぎます~なぜか全員に懐かれました
ゆぷしろん「子を産めない妻はいらない」
七年尽くした夫にそう告げられ、伯爵夫人アメリアは若い愛人にすべてを奪われた。
手元に残ったのは、わずかな生活費と母の形見だけ。居場所を失った彼女のもとへ届いたのは、北の辺境伯グレンからの求婚状だった。
そこに記されていたのは、前夫が一度も見ようとしなかったアメリアの功績。求められたのは跡継ぎを産む妻ではなく、戦争で荒れた領地と屋敷を共に守る伴侶だった。
だが、嫁ぎ先で待っていたのは、親を失い心に傷を抱えた七人の孤児たち。
反発する少年、言葉を閉ざした幼子、飢えを恐れる少女。アメリアは叱るのではなく、一人ずつ寄り添っていく。
やがて子どもたちは彼女を「かあさま」と呼び始める。
そんな幸せを取り戻しかけたある日、彼女を捨てた前夫が再び現れて――。
雪嶺後宮と、狼王の花嫁
由香後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。
巫女として献上された少女セツナは、封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。
人と妖、政と信仰の狭間で、彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。
雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。
辺境食堂の隠れΩなのに、拾った皇帝陛下が嫁になれと迫ってくる
月夜 闇花元宮廷料理人で隠れΩの青年レオは、帝国の辺境で小さな食堂兼農園を営みながら、誰にも縛られない平穏なスローライフを送っていた。
ある日、レオは裏庭の不思議な洞窟で、血まみれになって倒れていた大柄な青年アレクを拾う。
彼の正体は、お忍びで辺境を訪れていた帝国最強のα皇帝だった。
身分を隠してレオの家に居候することになったアレクは、レオの作る絶品の手料理と、彼から漂う穏やかな香りに冷え切った心を溶かされていく。
一緒に土を耕し、美味しいご飯を分け合ううちに、相反するはずの二人のフェロモンは心地よく調和していくが、やがて帝都からの追手が迫り……。
手料理が繋ぐ心と体。身分差を越えた、最強α皇帝と隠れΩ料理人の美味しくて甘い辺境スローライフが幕を開ける!
※本作にはボーイズラブ要素およびオメガバース設定(α、β、Ωの概念やフェロモンに関する描写)が含まれています。苦手な方は閲覧にご注意ください。
触れられないはずの私が、ただ一人の彼にだけ心も体も許してしまいました
由香男性に触れられると体調を崩す令嬢リリア。
そんな彼女にとって唯一“触れられる”存在は――幼なじみの公爵令息レオンだけだった。
手を取られ、抱き寄せられ、当たり前のように触れられる日々。
それがどれほど特別なことなのか、彼女はまだ知らない。
やがて政略結婚の話が持ち上がり、“触れられない相手との結婚”か、“彼に触れられる人生”かを選ぶことに。
「お前に触れていいのは俺だけだ」
逃げ場のない独占と、甘すぎる溺愛。
これは、触れられないはずの少女が、ただ一人にだけすべてを許していく物語。
後宮薬師は名を持たない
由香後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました
由香没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。
ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。
遠い存在になったはずの彼。
けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。
冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。