この夜を越えて、静寂。

創音

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Turning the Historia Side:Yomi

絶望少年のプレリュード

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「卒業おめでとう、詠」

 母親はそう言って、心底嬉しそうに笑っていた。


 ……蒼月 詠そうづき ヨミはこの日、小学校を無事に卒業した。

 ヨミにとって、小学校生活は苦痛でしかなかった。
 低学年の頃はまだ、同級生たちとそれなりにうまくやっていたのに、高学年になったある日から突然いじめの標的にされてしまったのだ。
 始めは仲間外れにされ、次は教科書を隠され、上履きに画鋲を入れられ、ノートに落書きをされ……。
 エスカレートしていくそれの中に、暴力行為もなかったわけではない。
 理由など何もない、ただ身体が小さく大人しかったというだけで標的に選ばれてしまったヨミは、親にも教師にも告げることが出来ずに、いつの間にか他者の顔色を伺って生きることしか出来なくなってしまった。


 式典のあと、仕事の都合で先に帰宅するという両親を校門から見送り、ヨミは何気ない足取りで校舎へと戻っていった。
 人気の少ない廊下、ゴミが落ちている階段、「卒業おめでとう!」と嬉しそうな文字が踊る黒板が佇む教室を通りすぎて、やがて屋上へと辿り着いた。
 鍵のかかっていないドアを開ければ、澄み渡る青い空がヨミを迎えた。
 式典が行われた体育館の周囲には、未だに騒ぐ生徒たちが見える。


「……ばかみたい」


 泣き出しそうな声音で、ヨミは呟く。
 彼らはどうせ、大半が同じ校区にある同じ中学校へと進学するのだ。
 他の小学校から合流するかのように進学してくる生徒たちもいるが、ほとんどが今と変わりのない面子である。
 彼らにとってはそれは幸福なことであり、ヨミにとっては絶望そのものであった。
 成績も良くないヨミは中学受験など受かるはずもなく、結局は彼らと同じ中学校へ進むことになってしまった。
 ……そう、ヨミをいじめた彼らと、あと三年間も学舎を共にしなければならないのだ。

 ……だからこそヨミは、ここへ来た。
 自分の背よりも高い柵を懸命に乗り越えて、下を見る。 眼下には中庭が広がっている。 即死は無理でも、誰にも見つからなければ大丈夫だろう。
 そう考えて、ヨミは空を見上げた。 涙が次から次へと溢れてくるのを乱暴に拭って、「おとうさん、おかあさん、ごめんなさい」、そう呟いた。

「……おにいちゃん、いま、そっちに行くね」

 そうしてヨミは、空へと一歩足を進めた。
 からだが宙に浮く。 落下する。 その感覚にヨミは瞳を閉じる。



 ……さいごに、遠い昔に亡くなった兄が、困ったように笑っているような……そんな幻覚が、見えた。



***

 夏の陽射しが肌を焼く。 自然に囲まれた田舎町。
 二人で手を繋いで歩く、夕焼けの畦道。
 遠くから風鈴の音と、夕飯の匂いが風に乗って二人を誘う。
 どちらが先に家に着くか競争だ。 そう言って走り出した彼を、子どもは必死に追いかける。
 待って、いかないで。 置いていかないで!!

 ……それは幼い二人の最期の記憶。


***

 ――目を開けて、詠――


 深い水底にいるような、くぐもった声が響き渡る。 けれどヨミは、眠くて眠くて仕方がないのか、瞳を頑なに閉ざしたままだった。


 ――……目を開けて。 きみを必要としている人が、きみを待っているよ――


(ぼくなんかを必要としている人なんて、いるわけない)

 咄嗟に返したコトバに、声の主は苦笑いを浮かべたようだった。

(……それより、あなたはだれ? なんでぼくに話しかけるの。 ぼくはもう、死んだはずなのに)

 そう告げてから、ヨミはふと気付く。
 ……そう、自分は死んだはず。 それなのに、なぜ意識があるのか? これは死後の世界なのか?


 ――……オレは、世界の諦観者。 きみのモノガタリを見届ける者。 何者でもない……ただの語り手――


 《彼》はゆるりと笑う。 訳がわからない、とヨミがぼやいたそのとき、ぐるりと世界が揺らいだ。

(な、に……!?)


 ――……ああ……時間みたいだね。 目を覚ます時間――


(……ッいやだ、嫌だ嫌だ!! 起きたくない!! 現実なんてうんざりだ!!)

 水中で泣き叫び始めたヨミを見て、《彼》はそうだね、と相づちを打つ。


 ――わかるよ、その気持ちは。 ……だけど、これは……きみの、「過去と闘うモノガタリ」だから――


(……なに、それ……意味わかんない)

 《彼》の台詞に、ヨミは首を傾げる。 しかしそれに答えが返ってくる前に、ヨミの意識は遠退いていく。

 まるで眠りから目覚めるそのときのように。


 ――きみは、この世界で……どんな答えを見つけるの……?―― 





+++++


「……あら。 気が付きましたか?」


 重たい瞼をこじ開ければ、目の前には長く薄茶色の髪と翡翠色の瞳を持つ女性がいた。

「…………だれ、です……?」

 かろうじてそう尋ねれば、女性はにこりと微笑んで答えてくれた。

「私はジュリエッタ・レントリヒ。 この村の領主です。
 あなた、村の外れで倒れていたのですが……覚えています?」

「……むら?」

 彼女の自己紹介に疑問を覚え、ヨミは覚醒しきっていない体を無理矢理起こす。 貧血に似た軽いめまいを感じるが、気にせず辺りを見回した。

 どうやらヨミは、真っ白なシーツが敷かれたベッドに寝かされていたようだ。 窓の外は夕焼けの赤に染まっている。 夕陽が沈む地平線とこの窓の間には、ぽつぽつと質素な造りの家らしき建物と、オレンジに染まる海が見える。

「…………どこ、ここ……?」

 明らかに、自分が今までいた現代日本ではない。 では、死後の世界だろうか?

「ここはレントリヒ。 ……遠い昔に、とある偉人がその短い生涯を終えたとされる、田舎町です」

「……いじん? って……なんです……か?」

 わからないことだらけのヨミは、目の前の人物を怒らせないようにと一つ一つ言葉を選びながら問いかける。 彼女を怒らせてしまえば、きっと酷いことをされる……ヨミは根拠もなくそう思っていたからだ。

「そうですね……。 分かりやすく言えば、立派なことを為し遂げたすごい人、でしょうか。
 ……例えば、この地で生涯を終えた偉人は、世界を廻って怪我人や病人を治した、と伝え聞いております」

「はあ……」

 幼いヨミにも分かりやすく、噛み砕いて説明をしてくれるジュリエッタに、ヨミは少しだけ好感を持つ。
 ……しかしそれも、ほんの僅かなことだったのだが。

「偉人たちはみな、体のどこかに刻印が刻まれているといいます。
 ……ちょうど、あなたのその右手のように」

「ッ!?」

 にっこりと満面の笑みで指差されたその右手の甲には、くっきりと赤い刻印が刻まれていた。
 ヨミは慌ててそれを消そうとするが、消えるどころか強く擦りすぎて痛みを感じただけだった。
 それはその刻印が自身の手に文字どおり刻まれているということを示すと同時に、これが夢ではないのだと告げていた。

「え、え、え……? なんで? なにこれ……え……?」

 途端にパニックに陥ったヨミの手を、ジュリエッタが優しく握りしめる。 ……陽だまりのようにあたたかなその温度が、ヨミの頭を少しだけ落ち着かせた。

「落ち着いてください、転生者さん。 ……ああ、“転生者”についても説明をしなければなりませんね。
 長くなりますし、お夕飯でも食べながら説明いたしましょう。
 ……そうそう、あなたのお名前は?」

「…………え。 あ……よ、よみ、です。 ……蒼月 詠……」

「では、ヨミくん。 ご飯を食べましょうか」


+++++

 進められるがままに着いた食卓の席で、ヨミはジュリエッタから説明を受けながら夕飯を食べていた。
 この村の名産らしい名前のわからない魚が大皿に盛られているメインディッシュ、一見するとレタスやトマトに見える野菜をふんだんに使ったサラダ、とうもろこしらしき香りのするスープ、などなど。
 ヨミはとうてい食欲などわかなかったが、食べなければ酷いことをされる、という思い込みで、スープだけを飲んでいる。
 ジュリエッタはそれを気にすることもなく、にこにこと微笑んでいるだけだった。


「……そういうわけですので、ヨミくんにはこれから偉人・クレイオ様の生まれ変わりとして旅に出ていただきます」

「……旅……って、ひとりで、ですか……?」

 説明を終えて一息吐いたらしいジュリエッタに、ヨミは首を傾げる。
 だが彼女は「まさか」と困ったような笑みを口元に湛えた。

「ヨミくんのような小さな子を、一人で旅立たせるわけにはいきません。 他の転生者の方々とすぐに出会えたらそれでいいのですが、恐らく難しいでしょうし……。
 私の知り合いを、あなたの護衛に就かせますね」

「他の転生者……? 護衛?」

 さらりと言い放つジュリエッタに、ヨミは困惑した表情で問う。 彼女は笑みを浮かべたまま、律儀に一つ一つ返してくれた。

「“転生者”はヨミくんだけではありません。 具体的な人数は私にもわかりませんが……多くはありませんよ。
 ヨミくんは、まずは彼らとの合流を目的としてください」

「はあ……」

「護衛に関しては、彼が来たときに紹介させていただきますね。
 彼もまあ、暇でしょうし大丈夫でしょう」

「あ、あの、護衛とか急に言われても困るでしょうし……ぼく、別にひとりでも……」

 事も無げに説明する彼女に、驚いたヨミがバタバタと両手を振って拒否を示す。 だがジュリエッタは真面目な顔になって、「だめです」と首を振った。

「……あまり、ご自身の価値を下げないでください。 あなたはあなたが思っている以上に、大事な方なのですよ。
 そんなあなたを、異世界から来たばかりで戦闘もままならないであろうあなたを、魔物たちが彷徨く村の外へと放り出せば……怪我どころでは済みませんよ?」

「…………べつに、ぼくは……」

 示された「死」という可能性に、ヨミは俯く。 それは恐怖などではなく、諦めであったわけだが。

「……まあ、今すぐに出発するわけではありませんよ。
 今日はもう、お休みなさい」




 促されるままに部屋へ戻ったヨミは、ベッドに転がり天井を見つめていた。
 情報を整理する。 ヨミは何故か連れてこられたこの異世界で、前世であるという《クレイオ》なる人物と同じ旅……すなわち、奇跡を起こして人々の怪我や病気を治さなければならないらしい。
 ヨミは深くため息を吐いた。
 あのとき死んだはずの自分がなぜ生きているのか……なぜここに連れてこられたのか。
 それを知りたいと思った。 しかしそれ以上に、「また生きなければいけないのか」と絶望していた。

「……人々を救うって……なに? なんでぼくがそんなことしなくちゃいけないの……?
 だれか……ぼくをたすけて……たすけてよぉ……!」

 ヨミは顔を腕で覆って、涙をこぼし続ける。 やがて泣き疲れて眠ってしまう、そのときまで。

「……こわいよぉ……たすけて……おにいちゃん……」




+++++

 ――翌朝。
 昨日と変わらずにこにこと微笑むジュリエッタの隣には、朱鷺色の髪と真っ黒な服を纏った見知らぬ青年が立っていた。

「ではヨミくん、紹介しますね。 こちらが貴方の護衛となる、ネフィリム・ジュゼです」

「へー、君がクレイオ様の生まれ変わりかぁ。
 オレはネフィリム。 ネムって呼んでくれよな! よろしく!」

 屈託なく笑う青年……ネフィリムに、ヨミは戸惑った表情でこくりと頷くのが精一杯だった。

「とりあえず、まずは大きな街へ向かってください。 馬車でだいたい半日くらいの距離ですね。
 ……そこに他の転生者さんもいるといいのですが」

「んー、さすがにそれは……行ってみないとわからないッスねー」

「……あのぅ……」

 進路を決める二人に、おずおずとヨミが声をかける。 ジュリエッタとネフィリムは首を傾げて、彼の言葉を待った。

「……これ……なんですか……?」

 そう言ってヨミは両手を広げる。 白を基調とした服に、黄色い外套。 しかし何よりヨミを困惑させているのは、その下半身を包むプリーツがしっかりと入った黒いスカートであった。

「よく似合ってるよ?」

「えっ……いえ、あの……ぼく男ですし……?」

 当然のように誉めるネフィリムに、ヨミは涙目で訴える。 男なのに男性から女装が似合っていると誉められても嬉しくはない、と。

「ああ、それはですね。 あなたの前世であるクレイオ様がお召しになっていたという衣装のレプリカです!
 いわば正装です。 本当に可愛いですねえ」

 なぜか心底嬉しそうなジュリエッタからそう説明されて、ヨミはがっくりと肩を落とした。 もはやなるようになれ、の心境である。
 そのままネフィリムに手を引かれ、街へ向かうという馬車に押し込まれる。

「さあ、ヨミくん。 あなたの冒険の始まりですよ! いってらっしゃいませ!」

「おー! 行ってきまーす!」

 なぜだか楽しげなジュリエッタとネフィリムを見て、ヨミはまた深く深く、ため息を吐いたのだった。




 ――……こうして詠は旅立った。 痛みを抱えたまま、その身に絶望を携えたまま……。

 深い海の底で、《オレ》は光差す海面を見上げる。 幼い彼が、どんな道を歩むのか……それをただ、観ているしか出来ない。
 《オレ》はただの諦観者。 それでも、願うのは。


 ――きみの旅路に、幸多からんことを――





 絶望少年のプレリュード。


 
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