この夜を越えて、静寂。

創音

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Turning the Historia Side:Yomi

星空アンダンテ。

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「ヨミちゃんさあ」

「……はい?」


 偉人の転生者として使命を果たす旅の途中。 不意にネフィリムが声をあげた。
 ……最もこの道中、主に彼がひたすらに喋っているだけだったのだが。

「もっとわがまま言ってもいいと思うな」

「……わがまま、ですか?」

 ヨミはひどく困惑した様子で、首を傾げた。

 この旅は決して楽なものではなく、ヨミくらいの年頃の子どもがするようなものでもない。 例外だっているだろうが、それでも普通はまだ親元にいて遊びたい甘えたい盛りだろうに。
 しかしヨミは旅の最中、これといったわがままも文句も泣き言すら言わず、ただ黙々とネフィリムの後を着いてくるだけだった。


「そうだよー。 だってヨミちゃん、全然文句とか言わないし。
 歩くペースが早いなら言ってくれて構わないし、野宿いやーとかは……対処できないけど、愚痴をこぼしてくれても構わないんだよ?」

 ヨミちゃん、まだ子どもなんだし。

 そう言って苦笑いを浮かべてみせたネフィリムに、ヨミはいつもの困ったような笑顔で首を振った。

「……いえ。 ぼくは、大丈夫です。 ネムさ……ネムくんこそ、その……ぼくの旅に付き合ってもらっちゃって、すみません……」

「や、だからさ、オレはいいんだよ! どうせ暇してたし、楽しいし! ヨミちゃんもっとオレのこと頼ってくれていいんだよ?」

「はあ……」

 すみません、と頭を下げたヨミに、ネフィリムはため息を必死に噛み殺した。 それを吐いてしまうと、目の前の彼はまた自分に謝るだけなのだ。

 ヨミの心を開くのは、思ったよりも難しくて。 何が彼の心を閉ざしているのか、なぜ頑なに他人と距離を取ろうとするのか、なぜ怯えたような仕草をするのか、なぜ、


「ネムくん?」


 背の低いヨミが、下からネフィリムを見上げていた。 その桃色と赤色が混じったような瞳は、不安に揺れている。

「……あー……っと、そうだな。 日が暮れてきたし、そろそろ夜営の準備しよっか」

「あ、はい」

 薪を拾ってきますね、と歩き出したヨミの小さな背中を見て、ネフィリムはぽつりと呟いた。


「なんで、一人で泣くの、ヨミちゃん……」



 ++++++


 蒼月 詠そうづき ヨミから見て、ネフィリム・ジュゼという人間は理解不能だった。
 出会ってすぐに「ネムくんと呼べ」と命令をしてきたし、何かと自分を頼れと年上ぶるし、ヨミのことをいつも子ども扱いをしてくる。
 自分が子どもなのは事実なので仕方がないとしても、ネフィリムの言動のいちいちが、ヨミは苦手だった。

 薪を拾いながら、ヨミは深くため息を吐いた。
 野宿が嫌だと思ったことはない。 むしろ、幼いころを思い出してわくわくするのだ。
 昔……まだ、兄が生きていたころ。 家族四人で、よくキャンプへ行った。 父と兄が釣ってきた魚を、母が手際よく捌いて焼いてくれて。 自分は、そう……ひたすらに、兄に引っ付いていたのだ。

「……なつかしい、な」

 戻れるのであれば、兄が生きていた優しい時間に戻りたかった。
 どうせ異世界なんていう非現実的な場所に来るくらいなら、それを望みたかった。
 じわり。 滲んだ瞳から、雫がぽつりと地面に吸い込まれた。



 ++++++


 ネフィリムが作った夕飯を食べ終え、二人で雑談をしていたとき。
 不意にヨミは頭上にきらめく夜空を見上げた。
 地球とは違う星の並びに、本当に異世界なんだな、と今更ながらに実感する。


「きれいだね」


 ネフィリムの声に釣られて彼の方を見やると、彼も同じように星空を眺めていた。

「ヨミちゃん、知ってる? 昔から人は、星を見て未来を占ったり、神様を星に見立てたり、道しるべにしていたんだよ」

 楽しげに語るネフィリムに、ヨミは思わず目を見開いた。
 地球と違う星空でも、この世界の人々も同じように星を扱っていたからだ。
 地球には良い思い出が少ないヨミではあるが、その共通点は少しだけ嬉しかった。

「……おにいちゃんが、」

 だからだろうか。 そっと、亡き兄のことを口に乗せたのは。

「おにいちゃんが……星、好きだったんです。 星座のこととか、星の名前とか、たくさん教えてもらいました」

「お兄さん、いたんだ」

「……もう、いないですけど」

 星を見上げながら答えれば、ネフィリムはひゅっと息を吸い込んだようだった。
 ごめん、と呟くように謝罪した彼に、ヨミは静かに首を振った。 彼が謝る必要はないのだ。

 兄の死は、ヨミ自身に非があるのだから。


「……よく家族でキャンプに行きました。
 おにいちゃんとふたりで、原っぱに寝ころんで、こうしてたくさんの星を見てましたし……」

 じっと黙ったまま、ネフィリムはヨミの話を聞いてくれている。
 そういえば、彼はよく喋りはするが、ヨミの話を遮ったりせず、いつもこうして静かに耳を傾けてくれていた。

「……だから、野宿もイヤじゃないですよ」

 ふわり、と微笑んでそう締め括ると、ネフィリムは驚いたような顔をしたあと……満面の笑みを見せてくれたのだった。



 ++++++


「ヨミちゃん、疲れてない? 大丈夫?」

「あ、はい。 大丈夫です」


 二人は道を歩く。 ネフィリムは隣を歩くヨミの歩調に合わせながら、ヨミはそんな彼に気が付いて感謝を述べながら。
 他愛のない話をたくさんした。 ネフィリムのことがほとんどだったが、知らない世界の話はヨミの心を明るく照らしてくれた。
 楽しげなネフィリムの笑い声と、困ったようなヨミの声が、辺りにふわふわと響いていた。


「ほら、この先。 もうすぐ次の街だから、もうちょっと頑張ろうな!」

「はい」


 二人は道を歩く。 次の街を目指して、朝陽を、夕陽を背負いながら。
 ヨミは元いた世界のことについて、ほとんど話せることはなかった。 問われても、苦笑いを返すのが精一杯だった。
 ネフィリムはそれだけで何か事情があるらしいと悟ったようで、それ以上は尋ねなかった。
 それに心底感謝しつつ、ヨミは罪悪感にも苛まれていた。 大丈夫だよ、と安心させるように笑うその人に、返せるものが欲しかった。


 二人は道を歩く。 ゆっくりと、その心の距離を詰めながら。
 触れた手のぬくもりに、これが現実なのだと理解した。
 過去の傷は言えない、癒えないけれど……それでも、隣を歩くネフィリムがいてくれてよかったと、ヨミはその日、初めて思ったのだった。


 どこまでも続くその道は、あの日の夜空のように、二人を繋いでくれるものだった。




 
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