それでも私は彼女を愛していた

弘前 天海

文字の大きさ
4 / 8
第一章

第三話 「アリス」

しおりを挟む
 「あっ。崇文さん。いらっしゃい。今日も来てくれたのね」
 婇は私の事を「崇文さん」と呼ぶようになりました。それは、私をただの客ではなく、友達として認識してくれた証拠でした。
「ヤァ。婇ちゃん。又来たよ」
 私はいつも通りに返しますが、どれだけ嬉しく思った事でしょう。私と彼女の距離が一気に縮まった心地がしました。
 とある土曜の夜の事です。扨、夕飯の支度でもするかと思った矢先、食材が足りない事に気がついた私は、外食に行こうと考え、「アリス」に向かいました。
「アラ。崇文さん。随分と遅いお昼 だこと」
 遅い時間に来るのを珍しくに思ったのか、婇は冗談めかしてそう云いました。
「イヤァ。夕飯の支度をしようと思ったら、食材が足りなくてね」
「マァ。それは大変だったわねェ。さ。早くお座りなさいな。何時ものでいいかしら?」
「アア。頼むよ」
「オカアサン。何時ものシチウお願い」
 オカアサンと云うのは「アリス」の店主で、年四五〇歳くらいの中年の女性です。
 私はいつも座っている席に座ると、カウンターの奥にいるオカアサンが手招きしました。
「お客が居ないんだ。こっちに来な」
 私はお言葉に甘えてカウンターの席へ移りました。
「婇。お皿を持って来な」
「はい。オカアサン」
 そう云われると、婇は奥へ皿を取りに行きました。
「岡崎さん。最近婇はアンタがお気に入りの様だ」
「そうなんですか?」
「婇は地方からの上京娘でね。ウチに住み込みで働いてンだが、アンタに逢ってから随分と明るくなったもんさ。ネェ。葉月」
 そう云ってオカアサンは、店内の掃除をしていた葉月と呼ばれる女給仕に声をかけた。
「エエ。婇ちゃんはああ見えて、こっちに来た時はとっても怯えてたわ。何せ田舎から女一人で上京するなんて、とてもじゃないけど勇気が要るもの」
 定めし、婇より一つか二つ上に見える彼女も田舎から上京してきた身なのでしょう。
「アノ子は都会に憧れて上京して来たんだけど、来たは良いが、何処も行く宛が無くてね。この店の前でウロウロしていた所を、ウチの店で引き取ったのさ」
 この店の給仕は殆どが上京娘達で、それを引き取って、面倒を見てくれるので「オカアサン」と云う訳です。
「マァ。そう云う訳だ。これからも婇を宜しく頼むよ」
「こちらこそ。宜しくお願いします」
 何時も何気に通っている喫茶店が、何処か居心地の良い場所の様に感じました。私も一人暮らしに寂しさを感じていたのかもしれません。それは、他にお客が居ない事もあるでしょう。いっそのこと、昼休みに通うのを止めてしまって、毎晩通う事にしようか。と、思った程です。
 婇はようやく皿を持って来ました。もしかしたら、先程の話を立ち聞きしていたのかもしれませんが、私にそれを確かめる術はありませんし、ましてや、立ち聞きを咎める事も出来ませんし、咎める必要もありません。
「崇文さんはいつもシチウなのね。たまには他のメニューを頼んでみたら如何?」
 婇はそう私に訊きました。
「そうだねェ。そろそろ春だしなァ。婇ちゃん。何かお勧めはあるかい?」
「そうねェ。ビーフコロッケーなんて如何?」
「それじゃァ、今度からそうしよかな」
 私の「アリス」へ通う頻度はこの日を境に増えて行きました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

元平民の義妹は私の婚約者を狙っている

カレイ
恋愛
 伯爵令嬢エミーヌは父親の再婚によって義母とその娘、つまり義妹であるヴィヴィと暮らすこととなった。  最初のうちは仲良く暮らしていたはずなのに、気づけばエミーヌの居場所はなくなっていた。その理由は単純。 「エミーヌお嬢様は平民がお嫌い」だから。  そんな噂が広まったのは、おそらく義母が陰で「あの子が私を母親だと認めてくれないの!やっぱり平民の私じゃ……」とか、義妹が「時々エミーヌに睨まれてる気がするの。私は仲良くしたいのに……」とか言っているからだろう。  そして学園に入学すると義妹はエミーヌの婚約者ロバートへと近づいていくのだった……。

【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ

月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていた男女の恋の物語。 (謝罪)以前のあらすじは初稿のでした。申し訳ございませんでした。

【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~

黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~

絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

処理中です...