白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 中編

0-21 紫幻鏡

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「お母さんは死んでない、死んでないの……」
 小百合は頭を抱え込み、顔を青くする。耳を塞ぎ、現実を受け入れまいと必死だった。

「そうですか」
 珀蓮震え声で同じことを繰り返す少女を一瞥し、鏡を掴み上げた。

「いやああああ! やめて!」
 小百合は身を乗り出して鏡を奪い返そうとするが、立ち上がって手を掲げた長身の男性に届くはずもない。
 珀蓮の胸を拳で叩くが、彼はびくともしなかった。

「貴女には何が見えますか? 私がお母様の首を締め上げているように見えますか?」
 彼は声の調子を落とし、鏡をぎゅっと握り締める。

「やめてよお兄さん! お母さんが苦しんでるの!!」
「鏡は苦しみません」
「何言ってるの! 鏡なんてどこにも無いよ!!」
 少女の悲痛な叫びに対し、珀蓮はあくまでも心を鬼にした。

「いい加減、目を覚ましなさい」
 珀蓮は表情を変えず、大声を出した。
 決して怒鳴り声という訳ではなく、冷静な口調のまま音量が大きくなっただけのものだ。

 彼は固まってしまった小百合の目の前に鏡面を突きつけ、再度口を開く。

「これに映っているのは小百合さん、貴女の顔です」
「……っ」
 小百合は声を詰まらせ、手で口を塞いだ。ようやく、現実がのだろう。

「貴女はお母様によく似ていると伺いました。お母様の幻影を、ご自分の中に映していたのですね」
 珀蓮は引き締めていた表情を緩め、慈愛の籠もった眼差しで小百合に笑いかけた。

 小百合は口をわなわなと歪めると、膝から崩れ落ちた。呆然としながら、目からは涙が零れ落ちる。

「お母さん……」
 ぽたり、ぽたりと畳に水分が染み込んでゆく。

「お母さんが……っ、死んじゃったよぉ……!」
 小百合の嗚咽は激しくなり、珀蓮は彼女の背中をさすってやった。

「よく、頑張りましたね」
「う、う……わぁあああああ!」
 泣きじゃくる少女の小さな身体を、珀蓮は優しく包み込むように抱き締めた。
 小百合も珀蓮にしがみつき、顔を彼の胸に押し当てる。

「……ったく、手こずりよって」
 珀蓮の陰から、仔狐の姿の狐珱が姿を現した。彼の悪態に苦笑いしつつ、珀蓮は目配せをする。

「わかっておる。どれ、総仕上げと行くかのぅ」
 妖狐は不敵な笑みを手鏡に向けた。
 狐珱の瞳が妖しく光輝き、世界は暗転する。

 今までそこに存在していた筈の部屋は、家具も何もないただの暗闇となった。そして間を置き、九つの狐火が点々と灯る。

「……えっ?」
 いきなり部屋が無くなってしまい、激しく泣いていた小百合も涙を止めてしまった。
 ただただ、今の状況に困惑しているだけだ。

「小百合さん、今は少しお休みください」
「お兄さ——」

 小百合は質問をする間も与えられず、身体から力が抜け、そのまま珀蓮にもたれ掛かった。
 彼女は小さな寝息を立て、すやすやと眠っている。

 珀蓮は小百合の意識が無いことを確認し、彼女に手鏡を握らせた。

「さて、ご登場願いましょうか?」
 術士はスゥっと目を細め、手鏡の縁に指を這わせる。

 その瞬間、鏡と小百合から紫色の光が放たれ、空中に人型の像を浮かび上がらせた。
 轟々と雷撃が鳴り響き、珀蓮は小百合を抱えてその場から距離を取る。

「お主の読みは当たったのう」
 珀蓮の傍に付いていた狐珱はくつくつと笑い、彼もまたにこりと笑った。

「えぇ、誰かさんのお陰で憑き物は慣れていますから」
「ほう、その誰かさんに感謝せんとな」
 白々しく口元を釣り上げる化け狐。
 珀蓮は目の下を一回ピクりと動かすと、小百合を片腕に抱え直して一方の手を空かせた。

「全く、その通りですね」

*******

紫幻鏡しげんきょうとは?』
 左兵衛は珀蓮が呟いた単語を繰り返した。

『憑き物の一瞬です。心に傷を負った人に付け入り、その人の望む物を幻覚として見せる厄介なものですよ』

『小百合はそれに憑かれていると?』
『えぇ、恐らく。このままでは、いずれ小百合さんの魂が喰らわれるでしょう』
 鏡は宿主に束の間の幸せを与え、死に至らしめる。

 宿主は幸せなまま生を終えるが、その代償は魂の完全な消失だ。

『そんな! 何とか、何とかなりませんか!? 私にはもう小百合しか残されていないのです……!』
 左兵衛は珀蓮の服を掴んで懇願する。
 愛する妻を失い、その忘れ形見の小百合を失くすことは堪えられなかった。

『助ける方法はあります。ただ、紫幻鏡は奥様の遺品を媒体として、小百合さんに取り憑いている可能性があります。その際は——』

 珀蓮は気まずそうに言葉を濁らせる。だが、左兵衛は快く首を縦に振った。

『必要があれば壊してください。妻も、娘を守れるなら本望でしょう』
『……承知しました。必ず、小百合さんを救います』

 珀蓮も力強く頷き、その場を後にした。

* * * * * * * *

「あれ? わたし、どうして……」
 小百合は見慣れた天井を見上げ、疑問の声を呟いた。彼女は母の部屋に居たはず。
 だが、今は何故か自室で横になっているのだ。

「小百合! 大丈夫か!?」
 目を覚ました娘に気付いたのか、左兵衛は必死の形相で小百合の手を握った。
 彼の後ろには珀蓮と狐珱が控えている。

「お父さん……? わたしは大丈夫だよ」
「あぁ、良かった。良かった……!」
 父は娘の小さな手を頬に寄せ、目に涙を溜めた。そして、安心したように肩から力を抜く。

「ねぇ、何があったの?」
 いつの間にか自室で寝ており、そのきっかけとなる記憶が無い上に、この父の取り乱し方は尋常ではない。
 何かがあったのだろうと、すぐに察しがついた。

「小百合さんは、今まで夢を見ていたのです。そして、やっと目覚めることが出来たのですよ」

「んー? よくわかんないよ」
「えぇ、そうでしょうね」
 この言い回しは伝わらないのが当たり前だと、珀蓮は苦笑いした。彼は瞼を閉じ、自分の懐を探った。

「小百合さんにお渡ししなければならないものがあります」
 懐から取り出したのは、漆塗りの朱い手鏡だ。これは小百合が肌身離さず持っていたものであり、母の形見であった。

「お母さんの、鏡……」
「申し訳ございません、割れてしまいました」

 珀蓮が申し訳なさそうに差し出した手鏡の鏡面。それは中心から亀裂が入っており、とても鏡としては機能しない程までボロボロになっていた。

「あっ……」
 小百合は鏡を受け取ると、声を一つ上げるだけで他に反応は示さなかった。

 縁から、鏡面のひびを指でなぞる。
 とても大切なものが、どうやらお兄さんに壊されてしまったらしい。だが、不思議と怒りは沸いてこなかった。

 むしろ、気分がすっきりとしているのだ。

「お母さん、死んじゃったんだね」
 今となってはのことを確認するように口にする。
 それは、母の死を受け入れずに幻想へと逃げた自分への無意識のけじめであった。

「……はい」
「そっか」
 小百合は安らかな顔で静かに涙を流し、鏡を抱き締めた。
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