白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-46 最期のお願い

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 狐珱は黙って珀蓮を見据えた。
 彼の黄金色の瞳は冷静だが、怒りを孕んでいた。

「本気で申しておるのか?」
「もちろんです」
 即答だった。
 珀蓮の目には迷いが無い。その真っ直ぐな視線に、狐珱は目を逸らす。

「封印は専門外じゃ」
「とぼけないでください」
 珀蓮は狐珱を逃がさない。彼は目を細め、透明な指先で狐珱の襟元をトントンと叩いた。

「私が子供の頃、預けた札がありましたね? それを使って封印するのです」
「……っ」
 催眠術を掛けられたかのような感覚。
 狐珱の手は自然と懐の中へと入り、何かを探り出す。

 彼の手が見つけ出したのは、一枚の古びた札であった。ところどころ煤け、先程の戦闘で付着したと思われる血痕もある。

「そうです、それですよ。捨てないでくださったのですね」
「……ちっ」
 嬉しそうに笑う珀蓮。
 それが気に入らないのか、狐珱は舌打ちだけする。彼は札を潰さんばかりに強く握り締めていた。

「狐珱……」
 珀蓮は悲しげに目を伏せると、静かに語り出した。

「これは、人を殺めてしまった私なりのけじめです。私のような怨霊が二度と外に出られないように、閉じ込める必要があります」
 狐珱は何も答えない。

「今は正気を保っておりますが、また鬼と化してもおかしくはありません。鬼は私の中に根深く巣食っておりますから……」
 狐珱は何も答えない。

「また化けて出てくるかもしれませんよ? 大変なことになります」
 狐珱は何も答えない。

「狐珱……」
 小さな子供を諭すように、珀蓮は優しくこう言う。

「今度は死に方を選ばせてくださいな」

 狐珱の瞳が微かに動く。
 思い出したのは、人の姿を留めていない珀蓮の死体。あまりにも惨く、哀れな姿であった。

 本当は、あんな死に方などしたくはなかったのではないか。だからこそ、あのような台詞が出てきたのだろうか。

 ——いや、違う。彼は死に方なんて特に気にしていない。狐珱を説得する為にわざと言っているのだ。

 珀蓮の無惨な死に一番納得していないのは、誰よりも傍にいたはずの狐珱だった。
 死に方を選ばせてあげたいと考えていたのも、狐珱だった。

 それを全て見抜いた上で、珀蓮は残酷なお願いをするのだ。

「……お主はずるい奴じゃ」
「ええ、ずるい奴ですよ」
 狐珱はツンと吐き捨てると、珀蓮は袖で口元を隠して上品に笑って見せた。

「最期のわがまま、聞き入れてくださいますね?」
「……」
 狐珱はくしゃくしゃにした札を黙って広げ、人差し指と中指で挟んだ。『これで良いか?』と問うような視線は、珀蓮の願いを承諾した証拠だ。

「ありがとうございます。貴方なら引き受けてくださると思っていました」
 珀蓮はにこりと笑って礼を言うと、地に伏せている真に目をやった。

 彼女を眠らせたのは、珀蓮の意志を突き通すため。もし起きていたら、全力で止められていたかもしれないからだ。

 彼は腰を降ろした。
 真の頭を愛おしそうに撫で、キュッと口を結ぶ。その姿は何かを堪えているようで、彼の心中が穏やかではないことを示していた。

「——」
 珀蓮は真の耳元で何かを囁く。そして立ち上がり、狐珱に視線を合わせた。

「では、お願いします」
「本当に良いのか?」
 狐珱は念を押すように聞くが、珀蓮は頷き、意志を一貫させる。

「ええ。もう時間がありませんので、ひと思いにやってしまってください」
 珀蓮の姿は目をこらさなければ判らない程まで薄れていた。
 彼の言う通り、もう時間が無いのだ。

「そうかの」
 狐珱は短く返し、札を構えた。この札を珀蓮に投げつければ全てが終わる。

「このような役目を押し付けて申し訳ございません」
 これが本心なのだろう。珀蓮は済まなそうに肩を竦めた。

「あぁ。恨むぞ、珀蓮」
 狐珱は冗談めかしてそう言うと、珀蓮に封印の札を投げつけた。

 札が珀蓮に接触し、白い稲妻が走る。
 狐珱の手のひら程の大きさだった札は、長く伸びて広がった。

 札は珀蓮の腕、胴、脚に次々と巻き付き、珀蓮を捕らえる。それは桜の根へと伸び、彼を巻き込みつつ地面へと沈み始めた。

「くっ……」
 珀蓮は一度呻く。だが、無理やり笑顔を作り、顔を歪めている狐珱に『大丈夫』と伝えた。
 狐珱は何か言いたげに口を開き掛けたが、彼もまた黙って無理やり笑顔を作った。

「これは高くつくからの」
「ふふ、わかりました」
 珀蓮の身体は半分まで沈む。

「左様ならば、また相見えるその時まで」
 いつの日か、誰かが誰かに伝えた言葉。珀蓮はこの言葉を狐珱と真に捧げる。

 狐珱はギョッとしているが、珀蓮はただ笑っているだけ。

 そして、ついに桜の下へと還ってしまった。桜の花を散らすように、呆気なく、儚げに。
 白き鬼と優しい青年は、再び永い眠りについたのだった。

 珀蓮が封印され、景色は元の結界のものへと変化した。先程の景色は、彼が望んだ風景だったのだろうか。

 程なくして、真が目を覚ます。

「……珀蓮……?」
 起き上がり、周りを見渡しても望む人が居ない。
 ただ、呆然と立ち尽くしている狐珱がそこに居るだけだ。

 彼はぼろぼろになっているものの、その脚はしっかりと身体を支えている。一度気絶したが、大事には至らなかったのだろう。

 真は狐珱の横に立ち、彼の着物の裾を引っ張る。

「ねぇ、珀蓮は?」
 彼なら何かを知っているのではないか。そう思って、珀蓮について問う。

「奴は然るべき処へと還った」
 狐珱は桜が立っていた場所を見ながら、一言だけ述べて口を閉ざした。

 珀蓮はもう居ない。手の届かない場所へと還ってしまった。
 真は言葉を失い、泣き崩れる。

「馬鹿……馬鹿ぁ……!」
 狐珱の背中を叩きながら、馬鹿と繰り返す。
 珀蓮はまた何も言わずに彼女を置いて逝った。それが悔しい。

「私にだって……別れの言葉くらい、言わせてよ……!」
 自分の我が儘が通用しないというのは薄々わかっていた。
 だからこそ、別れるならちゃんと別れたかったのだ。

「奴は別れの言葉など申しておらんかったぞ」
 ぽつり、と狐珱が呟く。

「……え?」
 聞き返す真に、狐珱は淡々と続けた。

「左様ならば、また相見えるその時まで——仕方ない、またいつか会おう。……そう申しておったのじゃ」

 珀蓮が言ったのは決別ではなく、再会を願う言葉。
 封印されては二度と会うことなど出来ないが、それでもまた会おうと言ったのだ。

 狐珱は最期の嘘だと認識していたが、真は珀蓮が封印されたことを知らない。

「……そっか」
 その為か、彼女は穏やかに返事をしたのだった。

「器用なのか、不器用なのか、わからん奴じゃ」
 狐珱は微笑んだ。

* * * * * * * *

 小百合はひたすら祈り続けていた。
 どうか、先生を助けて欲しい。そして、みんな無事でありますように、と。

 そんな時だ。空間に亀裂が入った。

「あっ!」
 小百合は声を上げる。亀裂から出てきたのは、傷だらけの狐珱と、やつれた姿の真であった。

 真は狐珱に支えられてやっと立っている。

「狐珱! 真さん!!」
 小百合は二人の許へと駆け寄る。
 彼女の表情には二人が戻ってきたことの喜びと、悪いことがあったのではないかという不安が入り交じっていた。

「あ、あの……」
 大丈夫かとは聞けない。見た目だけで大丈夫ではないことが把握できるからだ。

「大丈夫よ、ちょっと疲れちゃっただけだから」
 真は顔を蒼くしながらも、にっこりと笑って見せた。そして、小百合が聞きたいであろうことを付け加える。

「鬼は珀蓮に戻って……還ったわ」
 真は一瞬だけ目が潤んだが、耐えて見せた。

 小百合は真の言葉の意味を整理する。
 珀蓮は正気を戻した。そして、あるべきところへと還ったのだろう。

「そう、ですか……」
 最後に会えなかったのが心残りだったが、珀蓮が元に戻って良かったと安堵した。

「ありがとうございました……!」
 小百合は真と狐珱に頭を下げる。
 二人は軽く笑うと、大したことはしていないと首を振ったのだった。
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