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第十九章 手折られた彼岸花
19-57 『家族』の揃った団欒と
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「おっかねー顔すんなよ。気楽にいこうぜ?」
「お前、この状況で……」
翼君は鬼の形相の一真をたしなめるように、チッチッチッと人差し指を横に振った。鬼に睨まれても怯まない辺り、肝が据わっているというか。チャラさの中に年長者の余裕を感じる。
「得体の知れないモノこそ最も恐ろしい。その点、敵が判ってるだけ大分マシだろ?」
「常に命を狙われてるやつは言うことが違うわね」
彼の剣呑な言葉に対し、なっちゃんは平然と頷く。
全然知らなかったんですけど! 一章丸々使ったスピンオフが作れちゃうような設定なんですけど……!
「えっ! 翼君って命狙われるほど大物なんだ!?」
「うん? オレの凄さ全然伝わってなかったっぽいな?」
「わんっ!」
重い空気に満たされた空間で、どっと笑い声が溢れた。笑ったことで、ちょっとだけ気分が楽になった気がする。
一真は呆れ気味に息を吐いたが、纏う雰囲気は穏やかになっているのを見逃さなかった。
* * * * * * * *
「お咎め無し……ということですか?」
母様に呼び出された私は、昨日の尋問の結果を聞かされていた。私も皆も——そしてあの子にも、特に処罰は無いと言うのだ。
母様は私の言葉に笑顔で頷いた。
「『現状維持』をお咎め無しと捉えるなら、そうなるわね。お互いに『誤解』があったようだから、痛み分けということにしておいてくれないかしら?」
「は、はい。異論はない、です。ありがとうございます……」
あんな大仰に尋問を行ったのに、随分とあっさりした幕引きだ。少し引っかかるところはあるが、皆に害が及ばないならそれが一番良い。
「良かったぁ! では、お部屋を変えましょう。お客様をいつまでも座敷牢というわけには参りませんから」
母様は安心したようにふわりと笑い、私の手を取った。ああ、歓迎されているんだな。それは嬉しいことなのに……。
「そのことについてなのですが——」
今日中に出立することを伝えると、母様は寂しそうに表情を曇らせた。
「もっと居てくれても良いのに」
「お気持ちは有難いですが、何日もお世話になる訳にはいきませんから」
「そう……」
こんなに残念がってくれるなんて、本当に有難いことだ、幸せなことだ。でも、私たちは帰らなきゃいけない。今後何が起こるかわからないし、母様たちを危険に晒してしまうかもしれないからだ。
「わかったわ。でも、行く前にご飯は食べていってね?」
「はい……いただきます!」
***
食卓には私たちと母様、あの子、父様まで揃っていた。あの子は私の姿を確認すると、途端に不貞腐れた表情になった。まぁ仕方がない。
思えば、私自身は朝食に出向くのは初めてだったっけ。昼食や夕食はお部屋食だったから、父様と顔を合わせたのはこれが初めてだ。
八年ぶりに見た父様は、見た目は少し老けたような気がする。でも、人の良さそうな顔は変わらないなぁ。
宴会場のような広間の中心で、なっちゃん、私、一真、翼君、その向かい側に母様、父様、そしてあの子が座った。コマちゃんは犬モードになって私の膝の上にいる。
「真織さぁん、醤油取ってくれる?」
「うふふ、千歳さんったら。自分でお取りになって?」
亭主関白の真似事をして母様にスルーされるところ、本当に変わらないね……。軽くあしらわれた時に凄く嬉しそうな表情を見せる所も変わらない。甘えた声で『醤油取って』だもの、本気ではないのだろう。
まぁ、軽いM男なのだ。お婿さんだし、母様には頭が上がらない。
二人のやり取りを眺めていると、父様が私の視線に気付いたのか、ふんわりと笑いかけてきた。
「やあ、おはよう。よく眠れたかな?」
「おはようございます。お陰様で……」
一晩中怪談話を聞いていたから一睡もしていませんなどと言えず、引きつった笑顔で誤魔化すしかなかった。
「それは良かった。そういえば君は確か初めてだねェイヤァーッ!?」
父様は唐突に奇声を上げ、母様の方に必死の形相を向けた。足でも踏まれたのだろうか。
「千歳さんったら、こんなところに米粒が付いてますよ」
母様は自分の頰に人差し指を当てた。父様の頰には、母様が示した位置に米粒が付いている。
「あははっ、ありがと~……あ、ああ、取ってくれるわけじゃないんだね。はい」
この流れだと『取ってくれるだろう』と思ったのか、父様はそのまま待っていた。しかし、母様はニコニコするだけなので、悲しそうに自分で米粒を取った。悲しい。
母様は私に視線を向け、『ごめんなさいね』と申し訳なさそうに口パクをする。どうして謝ってきたのかわからないので、慌ててブンブンと首を振った。
「あらぁ、チマったらこんなところに米粒が」
「なっちゃん、顔近いし何も付いてないからね」
彼女は私の顎をくいっと持ち上げ、恍惚とした表情でじっとこちらを見つめてきた。あぶない。
「旦那さんってぇ、奥さんの尻に敷かれちゃうタイプっスかぁ?」
「おっ、わかるかい? 僕も頑張っているんだけどねぇ~……あ、いや、そんなんじゃないよ? 怒らないでね?」
翼君の質問に父様デレデレした顔で答えるが、母様の無言の圧力で急に萎縮してしまう。そういうところだぞ。
「誰とは言わないですけどぉ、すっごい似てるよなぁ珀弥ぁ! じゃねえカズマか」
「もうめんどくせぇから珀弥で良い」
ちょ、ちょっとー! 何て会話してんのー!? 結構重要な設定を何で軽々しく流すかなー!?
怪しまれないかヒヤヒヤしながら父様の様子を窺うと、私の心配をよそに目をキラキラと輝かせていた。
「おや、白鬼君は名前を三つも持っているの!? いいねぇ! 浪漫だねぇ!」
父様アホ過ぎない? 私か?
「ごめんごめん。僕はこう見えて小説家でね、ワクワクする設定には年甲斐もなくはしゃいでしまうんだ」
根っからの創作者風な言い草だが、それはそれでどうかと思う。
翼君は相槌を打った後、どんな作品を書いているのかと尋ねた。ちゃんとボールを拾って投げて話を広げる姿勢を見習いたい。
「ジャンルは結構バラバラで……『渚のジェニファー』とか『紅葉鬼譚』っていう作品を書いているんだけど……」
言葉が尻すぼみになるのは、あまり自信が無いからだろうか。正直なところ、代表作っぽい名前を挙げられても、私にはピンと来なかった。まぁ、誰かが反応しそうなキーワードはあるけれど……。
あ、ほら、居ました。一名だけ、本作史上最大の輝きをその宝石のような瞳に宿らせています。
「もしかして……『十勝 凪』先生ですか……?」
「白鬼君、僕を知っているのかい!?」
本のタイトルを聞いて嫌な予感はしたけれど、案の定一真だけは何故か知っていた。二人は魂の友に出逢ったような顔で『はわわ』と語彙を失っている。
「渚のジェニファー、良かったです。ペンギンの謎解きなんてなかなかありませんよ。特に、序盤の何気ない一言が終盤で回収されるシーンが最高でした」
まさかのミステリー物かよ渚のジェニファー! 逆にどんな内容なのか非常に気になる。何より一真をここまで興奮させるんだ。とてつもねえ代物にちげえねえ!
「ありがとう! 僕にこんな熱烈なファンがいたなんて嬉しいよ! サインはいるかい!?」
「……是非」
「笑顔がとても優しい~!」
あ、一真は原作者じゃなくて作品にしか興味ないタイプだ。あんな『珀弥君の笑顔』を見せているのだもの。
でも、父様は特に気に留めていない様子だ。メンタルが強い。母様のスルーを悦に変える人だけある。
「紅葉鬼譚ってぇ、もしかして鬼女紅葉っすか?」
「鋭いねえ!」
翼君の問い掛けに、父様は嬉しそうに頷いた。確かに、書くジャンルはバラバラのようだ。
紅葉か……何てタイムリーなんだろう。
「お察しの通り、この地域に伝わる伝説をもとに書いたんだ。まぁ、僕なりの解釈も取り入れているけれど」
「解釈、ですか?」
私がおうむ返しすると、父様はにっこりとして頷いた。
紅葉は私利私欲の為に人々から略奪し、その悪行の所為で討伐されたとされる。だが、本当は誰かに『悪鬼』として仕立て上げられたのではないかと思っているらしい。
「まぁ、これはとある人からの受け売りみたいなものだけれどね」
「とある人とは?」
「取材で鬼無里に行った時に会った人なんだ。多分、現地の人なのかな? 当時の事を懐かしむように話していて、なかなか真に迫っていたよ」
父様は『役者さん志望なのかなぁ』と付け加え、お茶を啜った。のほほんとしている。
紅葉伝説の舞台は千年前まで遡る。当時の事を懐かしむことの出来る人間なんて、生きている筈がない。当然、それっぽく独自の解釈を披露してきたのだろう。でないと、説明がつかない。
狐珱君がたまにスケールの大きい話をするけれど、それは彼が妖怪だから何となく納得できる話であって……。
今の話……本当に人だったのだろうか。
「お前、この状況で……」
翼君は鬼の形相の一真をたしなめるように、チッチッチッと人差し指を横に振った。鬼に睨まれても怯まない辺り、肝が据わっているというか。チャラさの中に年長者の余裕を感じる。
「得体の知れないモノこそ最も恐ろしい。その点、敵が判ってるだけ大分マシだろ?」
「常に命を狙われてるやつは言うことが違うわね」
彼の剣呑な言葉に対し、なっちゃんは平然と頷く。
全然知らなかったんですけど! 一章丸々使ったスピンオフが作れちゃうような設定なんですけど……!
「えっ! 翼君って命狙われるほど大物なんだ!?」
「うん? オレの凄さ全然伝わってなかったっぽいな?」
「わんっ!」
重い空気に満たされた空間で、どっと笑い声が溢れた。笑ったことで、ちょっとだけ気分が楽になった気がする。
一真は呆れ気味に息を吐いたが、纏う雰囲気は穏やかになっているのを見逃さなかった。
* * * * * * * *
「お咎め無し……ということですか?」
母様に呼び出された私は、昨日の尋問の結果を聞かされていた。私も皆も——そしてあの子にも、特に処罰は無いと言うのだ。
母様は私の言葉に笑顔で頷いた。
「『現状維持』をお咎め無しと捉えるなら、そうなるわね。お互いに『誤解』があったようだから、痛み分けということにしておいてくれないかしら?」
「は、はい。異論はない、です。ありがとうございます……」
あんな大仰に尋問を行ったのに、随分とあっさりした幕引きだ。少し引っかかるところはあるが、皆に害が及ばないならそれが一番良い。
「良かったぁ! では、お部屋を変えましょう。お客様をいつまでも座敷牢というわけには参りませんから」
母様は安心したようにふわりと笑い、私の手を取った。ああ、歓迎されているんだな。それは嬉しいことなのに……。
「そのことについてなのですが——」
今日中に出立することを伝えると、母様は寂しそうに表情を曇らせた。
「もっと居てくれても良いのに」
「お気持ちは有難いですが、何日もお世話になる訳にはいきませんから」
「そう……」
こんなに残念がってくれるなんて、本当に有難いことだ、幸せなことだ。でも、私たちは帰らなきゃいけない。今後何が起こるかわからないし、母様たちを危険に晒してしまうかもしれないからだ。
「わかったわ。でも、行く前にご飯は食べていってね?」
「はい……いただきます!」
***
食卓には私たちと母様、あの子、父様まで揃っていた。あの子は私の姿を確認すると、途端に不貞腐れた表情になった。まぁ仕方がない。
思えば、私自身は朝食に出向くのは初めてだったっけ。昼食や夕食はお部屋食だったから、父様と顔を合わせたのはこれが初めてだ。
八年ぶりに見た父様は、見た目は少し老けたような気がする。でも、人の良さそうな顔は変わらないなぁ。
宴会場のような広間の中心で、なっちゃん、私、一真、翼君、その向かい側に母様、父様、そしてあの子が座った。コマちゃんは犬モードになって私の膝の上にいる。
「真織さぁん、醤油取ってくれる?」
「うふふ、千歳さんったら。自分でお取りになって?」
亭主関白の真似事をして母様にスルーされるところ、本当に変わらないね……。軽くあしらわれた時に凄く嬉しそうな表情を見せる所も変わらない。甘えた声で『醤油取って』だもの、本気ではないのだろう。
まぁ、軽いM男なのだ。お婿さんだし、母様には頭が上がらない。
二人のやり取りを眺めていると、父様が私の視線に気付いたのか、ふんわりと笑いかけてきた。
「やあ、おはよう。よく眠れたかな?」
「おはようございます。お陰様で……」
一晩中怪談話を聞いていたから一睡もしていませんなどと言えず、引きつった笑顔で誤魔化すしかなかった。
「それは良かった。そういえば君は確か初めてだねェイヤァーッ!?」
父様は唐突に奇声を上げ、母様の方に必死の形相を向けた。足でも踏まれたのだろうか。
「千歳さんったら、こんなところに米粒が付いてますよ」
母様は自分の頰に人差し指を当てた。父様の頰には、母様が示した位置に米粒が付いている。
「あははっ、ありがと~……あ、ああ、取ってくれるわけじゃないんだね。はい」
この流れだと『取ってくれるだろう』と思ったのか、父様はそのまま待っていた。しかし、母様はニコニコするだけなので、悲しそうに自分で米粒を取った。悲しい。
母様は私に視線を向け、『ごめんなさいね』と申し訳なさそうに口パクをする。どうして謝ってきたのかわからないので、慌ててブンブンと首を振った。
「あらぁ、チマったらこんなところに米粒が」
「なっちゃん、顔近いし何も付いてないからね」
彼女は私の顎をくいっと持ち上げ、恍惚とした表情でじっとこちらを見つめてきた。あぶない。
「旦那さんってぇ、奥さんの尻に敷かれちゃうタイプっスかぁ?」
「おっ、わかるかい? 僕も頑張っているんだけどねぇ~……あ、いや、そんなんじゃないよ? 怒らないでね?」
翼君の質問に父様デレデレした顔で答えるが、母様の無言の圧力で急に萎縮してしまう。そういうところだぞ。
「誰とは言わないですけどぉ、すっごい似てるよなぁ珀弥ぁ! じゃねえカズマか」
「もうめんどくせぇから珀弥で良い」
ちょ、ちょっとー! 何て会話してんのー!? 結構重要な設定を何で軽々しく流すかなー!?
怪しまれないかヒヤヒヤしながら父様の様子を窺うと、私の心配をよそに目をキラキラと輝かせていた。
「おや、白鬼君は名前を三つも持っているの!? いいねぇ! 浪漫だねぇ!」
父様アホ過ぎない? 私か?
「ごめんごめん。僕はこう見えて小説家でね、ワクワクする設定には年甲斐もなくはしゃいでしまうんだ」
根っからの創作者風な言い草だが、それはそれでどうかと思う。
翼君は相槌を打った後、どんな作品を書いているのかと尋ねた。ちゃんとボールを拾って投げて話を広げる姿勢を見習いたい。
「ジャンルは結構バラバラで……『渚のジェニファー』とか『紅葉鬼譚』っていう作品を書いているんだけど……」
言葉が尻すぼみになるのは、あまり自信が無いからだろうか。正直なところ、代表作っぽい名前を挙げられても、私にはピンと来なかった。まぁ、誰かが反応しそうなキーワードはあるけれど……。
あ、ほら、居ました。一名だけ、本作史上最大の輝きをその宝石のような瞳に宿らせています。
「もしかして……『十勝 凪』先生ですか……?」
「白鬼君、僕を知っているのかい!?」
本のタイトルを聞いて嫌な予感はしたけれど、案の定一真だけは何故か知っていた。二人は魂の友に出逢ったような顔で『はわわ』と語彙を失っている。
「渚のジェニファー、良かったです。ペンギンの謎解きなんてなかなかありませんよ。特に、序盤の何気ない一言が終盤で回収されるシーンが最高でした」
まさかのミステリー物かよ渚のジェニファー! 逆にどんな内容なのか非常に気になる。何より一真をここまで興奮させるんだ。とてつもねえ代物にちげえねえ!
「ありがとう! 僕にこんな熱烈なファンがいたなんて嬉しいよ! サインはいるかい!?」
「……是非」
「笑顔がとても優しい~!」
あ、一真は原作者じゃなくて作品にしか興味ないタイプだ。あんな『珀弥君の笑顔』を見せているのだもの。
でも、父様は特に気に留めていない様子だ。メンタルが強い。母様のスルーを悦に変える人だけある。
「紅葉鬼譚ってぇ、もしかして鬼女紅葉っすか?」
「鋭いねえ!」
翼君の問い掛けに、父様は嬉しそうに頷いた。確かに、書くジャンルはバラバラのようだ。
紅葉か……何てタイムリーなんだろう。
「お察しの通り、この地域に伝わる伝説をもとに書いたんだ。まぁ、僕なりの解釈も取り入れているけれど」
「解釈、ですか?」
私がおうむ返しすると、父様はにっこりとして頷いた。
紅葉は私利私欲の為に人々から略奪し、その悪行の所為で討伐されたとされる。だが、本当は誰かに『悪鬼』として仕立て上げられたのではないかと思っているらしい。
「まぁ、これはとある人からの受け売りみたいなものだけれどね」
「とある人とは?」
「取材で鬼無里に行った時に会った人なんだ。多分、現地の人なのかな? 当時の事を懐かしむように話していて、なかなか真に迫っていたよ」
父様は『役者さん志望なのかなぁ』と付け加え、お茶を啜った。のほほんとしている。
紅葉伝説の舞台は千年前まで遡る。当時の事を懐かしむことの出来る人間なんて、生きている筈がない。当然、それっぽく独自の解釈を披露してきたのだろう。でないと、説明がつかない。
狐珱君がたまにスケールの大きい話をするけれど、それは彼が妖怪だから何となく納得できる話であって……。
今の話……本当に人だったのだろうか。
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