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幕間2 事実は小説よりも奇なり
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RS.XXX743年 3月22日 晴 星の声は静か
例の血液入り小瓶を郵送した。帰りに少しだけ、元ラヴァラサ村の様子を知りたくなって、村に行くために使う、一時間に一本しか来ない電車を待っていた。
「本日未明、リヴェナイ駅近辺で爆発が発生、属土軍警察は犯人を捕縛。けが人の保護のため、少々電車が遅れます。ご迷惑をおかけいたしますがよろしくおねがいします」
あぁ。もう日常茶飯事だ。
ここ数年ほど、サーファン・レディス群地(私の住んでいる場所だ)を筆頭に、次々と世界同時多発爆発が発生している。最近では、クィア群地がもっとも爆破されている。今や爆発物は裏フィスタフィラで気軽に取引できてしまう時代。これまでで一度も爆破されていない場所といえば、有史以来鎖国し続けている、あのオルディシェント群地くらいなものだろう。もう、この星の民は全員が芸術家みたいになっていた。
……おそらく、徒歩で向かった方が早いだろう。私は入場専用の改札口まで戻り、電車のしがらみのない土地へ向かう。とりとめもなく考え事などをしていると、ふと家に鍵をかけたかどうかが気になり始めた。大丈夫、きっと鍵はかけてある。疑惑を確信にするために上着を探る。やはり、鍵はそこにある。大丈夫、きっと鍵はかけてきた。
次の文章の書き出しを考えながら歩いていけば、元ラヴァラサ村へはすぐに着いた。案の定、まだ上手い書き出しは思いつかず、帰り道に期待、というところであった。
現在のラヴァラサ村『だった』場所は、大きな大きな果樹園となっており、定住する民はあまりいない。何でも、害獣や害虫がすぐに湧いて出るから、その対処に追われて休む暇もないほどらしい。それが故、果樹園を切り盛りしている主人でさえ、元ラヴァラサ村の敷地内には家を建てていない。建てたとしても、害虫が繁殖するからだ。もっとも、『何かを置く分には問題がない』し、『石造の建物であれば問題がない』から、危険物の倉庫として土地を利用する話も上がっているところだが。
うわさだけでは納得がいかない。だから私は実地に赴いた。そこでちょうど間伐をしている老人と出会った。
「はるばる遠いところから来なさって。ここ一辺は何もないが、まあゆっくりしていきな」
(何もない……? そんなわけがない、どこの土地にだって、宝はある)
一つ一つの言葉に対して、反論をする勇気はあったが、流石に老人には酷だろう。第一、老人にとってはただ単に、旅行客をもてなしたいだけの言葉だっただろうから。私はそっと微笑んで、辺りの音を拾い始める。
田舎だ。典型的な田舎。育てられている果物は鉛苺を代表に、それと干渉しないような木が並んでいる。鉛苺はちょうど今が花を咲かせる季節であり、赤子の小指の爪のような大きさの花弁を蓄え、髪の毛のように細い枝を着飾っている。鉛苺は土地の面積を大きくとる植物で、その関係から他の作物を遠慮がちに植えないといけない。少し欲張って多く植えてしまうと、良くて間伐、悪ければ鉛苺もろとも枯れてしまう。レッテンスパインでは鉛苺の需要が案外多く(踏み潰しても違和感がないほど小さな実なのに)、人が住むに適さない土地は大体、鉛苺の群生地にされる。鉛苺はあまり吸肥力が強くないため、結構な痩せた土地でも育つ木だ。この木でも育たないような土地には、相当問題があると考えてもよい。
人間にとって、もしくは生物にとって、問題なく使用できる部位は、実だけ。幹や葉、花や種、根に至るまで、猛毒の木なのだ。死に至る毒、もしくは死よりも恐ろしい後遺症に苛まれる毒。幸い、間伐する時期の若木にはそこまでの毒はなく、箸として使える。
鉛苺の生態について、思い出していたところを、小さくふわふわとした生き物たちが通りかかる。彼らは私の足にくっついては、やけにすり寄ってくる。私は思わずおかしくなって、少し笑った。
「ああ、こいつらは小草を食べてくれる、地鳴鳥の子どもたちじゃ。お前さんに懐いているようじゃから、あまり邪険にしないでやってな」
「いえ、大丈夫ですよ。人懐っこくて可愛いですね」
老人の話に、私が返すと、地鳴鳥のひなたちも小さく鳴く。ここまで声が小さくなったなら、もう『地鳴鳥』と呼ばないほうが良いんじゃないか?と思うほどに静かだった。親鳥がいない現実が気にかかるが、それはそれで置いておいて。私は鳥のひなの可愛さを思う存分浴び、心が軽くなっていた。もっと可愛がってやろう、と思って、私はしゃがんで、ひなたちに挨拶する。しかしひなたちは逃げていってしまった。
「あやつら、あんまり素直じゃなくてな……構いたいときは構わせてくれないし、ちょうど今のように、自分が甘えたいだけで、甘やかされたくないってときがあるからな。人間の子どもみたいな奴らだよ」
「鳥さんって、結構人間に近いですからね。知識も、生態も」
「そんなもんか? まあ否定はせんが……」
そう言う老人は笑っていた。きっとこの老人も、鳥が好きなのだろう。ふと、自分の目的を忘れかけそうだったが、よくよく考えたら今は『現地の暮らしの調査』だけだった。ならば鳥と戯れていてもおかしくはないし、咎められもしないだろう。鳥が好きな人に、悪い人はいない。
私は老人と、癒しを提供してくれた鳥たちに感謝を伝えて、帰路に急いだ。もう、夜が近づいている。
昔、夜は動いてはいけない時間だった。夜は危険だからだ。何よりも、闇夜獣という、夜に活性化する生物がいるから。今でもいる地域はいるが、人間側が対処する知識を育んだおかげで、ほとんどの大陸では絶滅の危機に瀕している。それが良い現象か、悪い現象かはさておき。きっと昔なら、宿屋に泊めさせられていただろう。今にしてようやく、『夜が安全』になったから。私は安全な夜に、歩けるようになった。
夜は好きだ。空気がとびきり澄んでいて、音も静かで過ごしやすい。こんな夜の帰路ならば、良い文章の書き出しが思いつきそうだ。
「本日未明、リヴェナイ駅近辺で爆発が発生、属土軍警察は犯人を捕縛。全身を打ちつけた人間の回収のため、少々電車が遅れます。ご迷惑をおかけいたしますがよろしくおねがいします」
あぁ……同じ駅で一日に二回も爆破されているし、しかも昼間よりも悪化してるし……回収って表現しているから、もう死んでいるんだろうな……
私は、どうにかして家から出ずに生活する方法を考えながら歩いた。行き着く先はどうしても、有史以来鎖国し続けており、フィスタフィラなどの情報提供手段のないオルディシェント群地に引っ越すしかない。一応、身は安全になる。しかし前述の通り、オルディシェント群地にはフィスタフィラが通っていないどころか、他群地で出版された本もないし、何よりも現地の宗教に改宗しないといけない。生存の安全をとるか、知識欲の安全をとるかの二択。結局、私は知識欲を優先して、この土地に住み、生きていくと決めた。
家についた。私は鍵の存在を確認して、扉の鍵を開け、入る。
「ただいま」
少し疲れていたかもしれない私は、誰もいないはずの家の中に、あいさつをしてしまった。もちろん、返ってくるはずがない。適当に靴を脱ぎ捨て、靴箱の中に投げる。それから玄関の廊下の床敷きで足を拭
「おかえり」
「そうそう、た……誰!?」
男性の声だった。それも低く、低く唸り、大地の底から、惑星の中心からやってきたような低い声だった。
……あまりの出来事に、一瞬固まったが、今やるべき行動を取ろうとした。先ほどとは逆の手順で、靴箱の中から自分の靴を拾う。靴箱の中には、自分の靴以外には入っていなかった。それどころか、辺りには靴などなかった。確かに私は靴を一足だけしか持っていないが、そんな一人暮らし世帯などありふれているだろう。だから私は脱ぎ捨てた靴を履き直し、本当に自分の家であっているのか確認しに、家の外へ飛び出す。
308号室。ここで合っている。では、『鍵をかけたはずの家』に、『知らない人』が入ってきている場合、考えられる可能性は大体五つ。
・合鍵を渡していた
・窓が開いていた
・どこかしらに穴が開いていた
・通気路を通ってやってきた
・それは本当に『人』ですか?
第一に、『合鍵を渡していた』可能性は、ないに等しい。いくら大家でも、個々人の鍵を持っているわけではないし(孤独死されているといけないので、緊急事態の時のための鍵はあるが、大家が緊急事態用の鍵を入れた箱を開けるための鍵を紛失しているため、可能性はない)、私は合鍵は作った覚えがない。
第二に、『窓が開いていた』可能性は、ない。そもそもこの物件には窓などない。
第三に、『穴が空いていた』可能性も、ない。人間一人が通れる大きさの穴があったら流石に修理屋を呼んでいるだろうし、集合住宅なので他の誰かが修理屋を呼ぶかもしれない。
第四に、『通気路を通ってきた』可能性もない。あれは人間が通る構造をしていない。
ならば、残された可能性は一つ。『人間ではないかもしれない』。人の電話番号を知っていたり、水と他人の血を置いて行ったり、鍵をかけたはずの家に入っていたり。個々なら人間でもやれる所業だが、もし全てが同一人物だったなら……
「なあ、ここはお前の家なんだろう? くつろいでいればいいものを……他人がいたら、くつろげないのか?」
男性が家の中から声をかけてきた。……まずい。
家の中には、『理解のない他人には知られてはいけないような史料』がたくさんある。母親や父親はもちろん、一般的な学友やアレクトに知られてもいけない。知っていていいのは、私と、一部の学友だけだ。という理由も、その史料が『男性同士の恋愛物語』についてだし、当の本人が男性なので、ちょっと気持ち悪がられると思って……
「すいません、私の家に入るなら……一回家の中を掃除したいので、ちょっとお外に出ていただけませんか?」
「掃除ならしたぞ? それとも……この『読むな』の台に積まれていた、この本たちを隠したいんだな?」
「もしかして……読まれてしまった……?」
「何を恥ずかしがる必要がある? なかなか冒涜的で、面白かったぞ?」
意外と面白く受け止めてもらったようで、それはよかった。いいや、よかったと言うと変だ。少なくとも、命は助かっただけだ。もしかしたら、命ではない別のなにかの次元で、要求される可能性もあるだろうが、とりあえず当面は安心だ。私は少しだけ警戒をほどき、もう一度靴を脱いで、家の中へ入る。
男性が笑っている。私が足を動かし、前に進むたびに。
嗅ぎ慣れていない匂いを迎えた。それは机の上で煮立っており、周りに海鮮物や山菜などの匂いを巻き散らしていた。すでに食卓には袋穀物が用意してあり、もはや飯時、と言って間違いがなかった。
「統計上、お前の食事はいつも不健康的だ。だからたまには……いいや、毎日。温かい料理を食べたほうがいい。作ってやるから、私を住まわせてくれないか?」
暖かな食物がある場合、人間は食事を始める。そして食事……特に『同じ釜を突くような食事』は、互いの警戒心を緩め、仲良くなるという点において効率的である。それを知っているのだろうか、男性は提案をしてきた。
確かに、毎日食事を作る時間はもったいない。時間を惜しむならば、どこかの売店で惣菜を買って、生存欲求に油を注ぐほかない。しかしそれでは、温かい料理の持つ効果を受け取れない。時間と効果、それぞれの利点を最大限に受け取るならば、やはりこの男性を招き入れる必要があるだろう。……それにしても。
(どうやって私の食生活について、知ったんだろう? というか、こんな田舎の筆舌に尽くしがたいほど平凡な大学生について、どのような経路で知ったんだろう?)
そのような疑問はそっと、洗い物の泡と一緒に、台所の流しにでも巻き込まれてしまえばいい。今重要な作業は、私の前に現れた謎の男性の解析よりも、民話の研究だ。しかし研究者である前に私は生物なので、食事を摂らなければならない。毎日の食事の選択は苛烈を極める。それこそキトリのように、『必要であれば食べ、不必要であれば食べない』が徹底できたなら、何も苦しくはない……が、言葉だけで動けるならば、ここまで悩まないだろう。
要は、『食事を作ると提案する男性』を受け入れるか、受け入れないか、そういう悩みである。
結果として。
「ご飯を作っていただけるのはありがたいです。私の家でよければ。ですが、事態が混乱すると思うので、友達との通話の時は別のところに行っていてくださいね」
「別に聞こえたとしても、保護者……母さん、と言ってくれればそれで済むぞ?」
「すいません、よくわかりません」
私からの申し出は、よくわからない提案で押し通されたものの、どうにか日々の安定を得る結末となった。……しかし、ここまでの、この『男性』の特徴は、すべて、すべてが。
母親を騙り、不思議な力を行使して、流通経路も不明な物を手渡してくる……実際に場面を観測しなければ、類似性を導き出すには早いのだが。それでも。
……食事が終わったら、もう一度史料を読み直す必要がありそうだ。
例の血液入り小瓶を郵送した。帰りに少しだけ、元ラヴァラサ村の様子を知りたくなって、村に行くために使う、一時間に一本しか来ない電車を待っていた。
「本日未明、リヴェナイ駅近辺で爆発が発生、属土軍警察は犯人を捕縛。けが人の保護のため、少々電車が遅れます。ご迷惑をおかけいたしますがよろしくおねがいします」
あぁ。もう日常茶飯事だ。
ここ数年ほど、サーファン・レディス群地(私の住んでいる場所だ)を筆頭に、次々と世界同時多発爆発が発生している。最近では、クィア群地がもっとも爆破されている。今や爆発物は裏フィスタフィラで気軽に取引できてしまう時代。これまでで一度も爆破されていない場所といえば、有史以来鎖国し続けている、あのオルディシェント群地くらいなものだろう。もう、この星の民は全員が芸術家みたいになっていた。
……おそらく、徒歩で向かった方が早いだろう。私は入場専用の改札口まで戻り、電車のしがらみのない土地へ向かう。とりとめもなく考え事などをしていると、ふと家に鍵をかけたかどうかが気になり始めた。大丈夫、きっと鍵はかけてある。疑惑を確信にするために上着を探る。やはり、鍵はそこにある。大丈夫、きっと鍵はかけてきた。
次の文章の書き出しを考えながら歩いていけば、元ラヴァラサ村へはすぐに着いた。案の定、まだ上手い書き出しは思いつかず、帰り道に期待、というところであった。
現在のラヴァラサ村『だった』場所は、大きな大きな果樹園となっており、定住する民はあまりいない。何でも、害獣や害虫がすぐに湧いて出るから、その対処に追われて休む暇もないほどらしい。それが故、果樹園を切り盛りしている主人でさえ、元ラヴァラサ村の敷地内には家を建てていない。建てたとしても、害虫が繁殖するからだ。もっとも、『何かを置く分には問題がない』し、『石造の建物であれば問題がない』から、危険物の倉庫として土地を利用する話も上がっているところだが。
うわさだけでは納得がいかない。だから私は実地に赴いた。そこでちょうど間伐をしている老人と出会った。
「はるばる遠いところから来なさって。ここ一辺は何もないが、まあゆっくりしていきな」
(何もない……? そんなわけがない、どこの土地にだって、宝はある)
一つ一つの言葉に対して、反論をする勇気はあったが、流石に老人には酷だろう。第一、老人にとってはただ単に、旅行客をもてなしたいだけの言葉だっただろうから。私はそっと微笑んで、辺りの音を拾い始める。
田舎だ。典型的な田舎。育てられている果物は鉛苺を代表に、それと干渉しないような木が並んでいる。鉛苺はちょうど今が花を咲かせる季節であり、赤子の小指の爪のような大きさの花弁を蓄え、髪の毛のように細い枝を着飾っている。鉛苺は土地の面積を大きくとる植物で、その関係から他の作物を遠慮がちに植えないといけない。少し欲張って多く植えてしまうと、良くて間伐、悪ければ鉛苺もろとも枯れてしまう。レッテンスパインでは鉛苺の需要が案外多く(踏み潰しても違和感がないほど小さな実なのに)、人が住むに適さない土地は大体、鉛苺の群生地にされる。鉛苺はあまり吸肥力が強くないため、結構な痩せた土地でも育つ木だ。この木でも育たないような土地には、相当問題があると考えてもよい。
人間にとって、もしくは生物にとって、問題なく使用できる部位は、実だけ。幹や葉、花や種、根に至るまで、猛毒の木なのだ。死に至る毒、もしくは死よりも恐ろしい後遺症に苛まれる毒。幸い、間伐する時期の若木にはそこまでの毒はなく、箸として使える。
鉛苺の生態について、思い出していたところを、小さくふわふわとした生き物たちが通りかかる。彼らは私の足にくっついては、やけにすり寄ってくる。私は思わずおかしくなって、少し笑った。
「ああ、こいつらは小草を食べてくれる、地鳴鳥の子どもたちじゃ。お前さんに懐いているようじゃから、あまり邪険にしないでやってな」
「いえ、大丈夫ですよ。人懐っこくて可愛いですね」
老人の話に、私が返すと、地鳴鳥のひなたちも小さく鳴く。ここまで声が小さくなったなら、もう『地鳴鳥』と呼ばないほうが良いんじゃないか?と思うほどに静かだった。親鳥がいない現実が気にかかるが、それはそれで置いておいて。私は鳥のひなの可愛さを思う存分浴び、心が軽くなっていた。もっと可愛がってやろう、と思って、私はしゃがんで、ひなたちに挨拶する。しかしひなたちは逃げていってしまった。
「あやつら、あんまり素直じゃなくてな……構いたいときは構わせてくれないし、ちょうど今のように、自分が甘えたいだけで、甘やかされたくないってときがあるからな。人間の子どもみたいな奴らだよ」
「鳥さんって、結構人間に近いですからね。知識も、生態も」
「そんなもんか? まあ否定はせんが……」
そう言う老人は笑っていた。きっとこの老人も、鳥が好きなのだろう。ふと、自分の目的を忘れかけそうだったが、よくよく考えたら今は『現地の暮らしの調査』だけだった。ならば鳥と戯れていてもおかしくはないし、咎められもしないだろう。鳥が好きな人に、悪い人はいない。
私は老人と、癒しを提供してくれた鳥たちに感謝を伝えて、帰路に急いだ。もう、夜が近づいている。
昔、夜は動いてはいけない時間だった。夜は危険だからだ。何よりも、闇夜獣という、夜に活性化する生物がいるから。今でもいる地域はいるが、人間側が対処する知識を育んだおかげで、ほとんどの大陸では絶滅の危機に瀕している。それが良い現象か、悪い現象かはさておき。きっと昔なら、宿屋に泊めさせられていただろう。今にしてようやく、『夜が安全』になったから。私は安全な夜に、歩けるようになった。
夜は好きだ。空気がとびきり澄んでいて、音も静かで過ごしやすい。こんな夜の帰路ならば、良い文章の書き出しが思いつきそうだ。
「本日未明、リヴェナイ駅近辺で爆発が発生、属土軍警察は犯人を捕縛。全身を打ちつけた人間の回収のため、少々電車が遅れます。ご迷惑をおかけいたしますがよろしくおねがいします」
あぁ……同じ駅で一日に二回も爆破されているし、しかも昼間よりも悪化してるし……回収って表現しているから、もう死んでいるんだろうな……
私は、どうにかして家から出ずに生活する方法を考えながら歩いた。行き着く先はどうしても、有史以来鎖国し続けており、フィスタフィラなどの情報提供手段のないオルディシェント群地に引っ越すしかない。一応、身は安全になる。しかし前述の通り、オルディシェント群地にはフィスタフィラが通っていないどころか、他群地で出版された本もないし、何よりも現地の宗教に改宗しないといけない。生存の安全をとるか、知識欲の安全をとるかの二択。結局、私は知識欲を優先して、この土地に住み、生きていくと決めた。
家についた。私は鍵の存在を確認して、扉の鍵を開け、入る。
「ただいま」
少し疲れていたかもしれない私は、誰もいないはずの家の中に、あいさつをしてしまった。もちろん、返ってくるはずがない。適当に靴を脱ぎ捨て、靴箱の中に投げる。それから玄関の廊下の床敷きで足を拭
「おかえり」
「そうそう、た……誰!?」
男性の声だった。それも低く、低く唸り、大地の底から、惑星の中心からやってきたような低い声だった。
……あまりの出来事に、一瞬固まったが、今やるべき行動を取ろうとした。先ほどとは逆の手順で、靴箱の中から自分の靴を拾う。靴箱の中には、自分の靴以外には入っていなかった。それどころか、辺りには靴などなかった。確かに私は靴を一足だけしか持っていないが、そんな一人暮らし世帯などありふれているだろう。だから私は脱ぎ捨てた靴を履き直し、本当に自分の家であっているのか確認しに、家の外へ飛び出す。
308号室。ここで合っている。では、『鍵をかけたはずの家』に、『知らない人』が入ってきている場合、考えられる可能性は大体五つ。
・合鍵を渡していた
・窓が開いていた
・どこかしらに穴が開いていた
・通気路を通ってやってきた
・それは本当に『人』ですか?
第一に、『合鍵を渡していた』可能性は、ないに等しい。いくら大家でも、個々人の鍵を持っているわけではないし(孤独死されているといけないので、緊急事態の時のための鍵はあるが、大家が緊急事態用の鍵を入れた箱を開けるための鍵を紛失しているため、可能性はない)、私は合鍵は作った覚えがない。
第二に、『窓が開いていた』可能性は、ない。そもそもこの物件には窓などない。
第三に、『穴が空いていた』可能性も、ない。人間一人が通れる大きさの穴があったら流石に修理屋を呼んでいるだろうし、集合住宅なので他の誰かが修理屋を呼ぶかもしれない。
第四に、『通気路を通ってきた』可能性もない。あれは人間が通る構造をしていない。
ならば、残された可能性は一つ。『人間ではないかもしれない』。人の電話番号を知っていたり、水と他人の血を置いて行ったり、鍵をかけたはずの家に入っていたり。個々なら人間でもやれる所業だが、もし全てが同一人物だったなら……
「なあ、ここはお前の家なんだろう? くつろいでいればいいものを……他人がいたら、くつろげないのか?」
男性が家の中から声をかけてきた。……まずい。
家の中には、『理解のない他人には知られてはいけないような史料』がたくさんある。母親や父親はもちろん、一般的な学友やアレクトに知られてもいけない。知っていていいのは、私と、一部の学友だけだ。という理由も、その史料が『男性同士の恋愛物語』についてだし、当の本人が男性なので、ちょっと気持ち悪がられると思って……
「すいません、私の家に入るなら……一回家の中を掃除したいので、ちょっとお外に出ていただけませんか?」
「掃除ならしたぞ? それとも……この『読むな』の台に積まれていた、この本たちを隠したいんだな?」
「もしかして……読まれてしまった……?」
「何を恥ずかしがる必要がある? なかなか冒涜的で、面白かったぞ?」
意外と面白く受け止めてもらったようで、それはよかった。いいや、よかったと言うと変だ。少なくとも、命は助かっただけだ。もしかしたら、命ではない別のなにかの次元で、要求される可能性もあるだろうが、とりあえず当面は安心だ。私は少しだけ警戒をほどき、もう一度靴を脱いで、家の中へ入る。
男性が笑っている。私が足を動かし、前に進むたびに。
嗅ぎ慣れていない匂いを迎えた。それは机の上で煮立っており、周りに海鮮物や山菜などの匂いを巻き散らしていた。すでに食卓には袋穀物が用意してあり、もはや飯時、と言って間違いがなかった。
「統計上、お前の食事はいつも不健康的だ。だからたまには……いいや、毎日。温かい料理を食べたほうがいい。作ってやるから、私を住まわせてくれないか?」
暖かな食物がある場合、人間は食事を始める。そして食事……特に『同じ釜を突くような食事』は、互いの警戒心を緩め、仲良くなるという点において効率的である。それを知っているのだろうか、男性は提案をしてきた。
確かに、毎日食事を作る時間はもったいない。時間を惜しむならば、どこかの売店で惣菜を買って、生存欲求に油を注ぐほかない。しかしそれでは、温かい料理の持つ効果を受け取れない。時間と効果、それぞれの利点を最大限に受け取るならば、やはりこの男性を招き入れる必要があるだろう。……それにしても。
(どうやって私の食生活について、知ったんだろう? というか、こんな田舎の筆舌に尽くしがたいほど平凡な大学生について、どのような経路で知ったんだろう?)
そのような疑問はそっと、洗い物の泡と一緒に、台所の流しにでも巻き込まれてしまえばいい。今重要な作業は、私の前に現れた謎の男性の解析よりも、民話の研究だ。しかし研究者である前に私は生物なので、食事を摂らなければならない。毎日の食事の選択は苛烈を極める。それこそキトリのように、『必要であれば食べ、不必要であれば食べない』が徹底できたなら、何も苦しくはない……が、言葉だけで動けるならば、ここまで悩まないだろう。
要は、『食事を作ると提案する男性』を受け入れるか、受け入れないか、そういう悩みである。
結果として。
「ご飯を作っていただけるのはありがたいです。私の家でよければ。ですが、事態が混乱すると思うので、友達との通話の時は別のところに行っていてくださいね」
「別に聞こえたとしても、保護者……母さん、と言ってくれればそれで済むぞ?」
「すいません、よくわかりません」
私からの申し出は、よくわからない提案で押し通されたものの、どうにか日々の安定を得る結末となった。……しかし、ここまでの、この『男性』の特徴は、すべて、すべてが。
母親を騙り、不思議な力を行使して、流通経路も不明な物を手渡してくる……実際に場面を観測しなければ、類似性を導き出すには早いのだが。それでも。
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