あなたは私の嫁になる シュルストラヴィクの娘たち

仁川路朱鳥

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第二章 第一節

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恋は海のため、愛は土のため

残された種が、私を呼んでいた

土から離れることはできない

かつて繋いだ体も、今や地の底の花

神もいない山並を、越えてしまおうか


「ティセルマ。次にカンプが葉を開いたら、シューステイクに向かってもいい? 私の友人たちと、お出かけするの」

「私は向かってはいけない?」

「パームシャが許すならいいと思う」



 私の子を胎に抱えた女性が、私に微笑みかける。メレディッサ=シュラーク=トレーケン、陸の住人。



 メレディサと呼ばれる女性と会ったのは、少し寒くなる時期だった。海から上がって、冷える私を暖めたのは、彼女だったからだ。出会って幾時が積もった、彼女は私との間に子を身籠った。私も、メレディサも、胎から出でる光を待ち望んだ。臓を破壊する闇を打ち払うために彼女には食事のない時を与えなかった。

 与える名前だって、決めていた。



「それじゃあ、私は私の場所に戻るからね」



 言葉を残して、メレディサは歩いていった。

 一緒にいた方が良かったのかもしれない。一緒に寝て、彼女と、腹の子を守ってやれたら良かったのかもしれない。彼女にも彼女の意志があるのだと、私は気にしないように振る舞っていたが、この時ばかりは、何もかもを取り払って、ふたりで温まっていた方が良かったのかもしれない。そして、それがどんなに良かったか。

 横たわった私の体が、彼女の存在それ自体を招くように、うずいていた。



 カンプの葉が開く少し前、私は危険がないか確認してから、急ぐようにメレディサのいる洞穴に向かう選択をした。ほぼ一直線で、カデュラに衝突しそうならば、石によって破壊した。走って走って、自分とは思えないぐらいの勢いで風を切って行った。足が疲労を訴えて、私を除外しようとしている。甘えてはいけない、これで間に合わなかったなら、誰がその責を負うべきか? 決まり切っている結果であろうて、と自分を責めながら、木々をなぎ倒す様に走って、私は洞穴に辿り着いて、メレディサの名を呼ぶ。



 返事は戻ってこない。何故か。

 私は普通ならば入る行為の叶わない、彼女の住処へと足を進める。諌める者はいなかった。誰も私の所業を聞く者はいなかった。

 私は洞穴の奥に進んで行った。初めて彼女と交わった時と同じ心境だった。不安で、手解きがなければ退いていた。しかし今は手を差し伸べる者もいない。私一人、この広大な大地の胎に彷徨っていた。

 蠕動を繰り返す。誰もいない。空虚な絶頂の中、中折れた私は洞穴から出て、二度と入らない決断をした。



 メレディサのいるはずの場所には誰もいなかった。カンプは硬く閉じている。その内は狂暴な怪物が地面を歩いている。だから陸の人は胎に潜り、息を潜め、洞穴にて眠る。

 彼女はいない。それだけが答えだった。

 彼女は埋められた。それだけが答えだった。



 本来ならば、孕んだ女は埋められない決まりになっていた。たとえそれがどんなに若くて美しくとも、一度地上の男と交わりを交わしたならば、地の男神に捧げるには相応しくない。メレディサを埋めるぐらいなら、いっそ、飢饉で滅んでしまえとも思ってしまった。

 口にはしなかった。もしも口に出していたら、底に辿り着いたメレディサが悲しむだろうから。彼女の友人まで、埋められたなら、彼女は地上に二度と生まれようとしないだろう。埋められさえしなければ、埋めさせなければいいのならば、この手をどれだけ汚しても構いはしない。



 自分の持ち場に戻る。そこには少女が二人いた。メレディサの友人たちで、私に彼女の安否を聞きに来たのであろう、そして、自分たちは無事でいたいのだろう。メレディサは望まないだろう、彼女たちの犠牲を。

 しかし私は問う。何を求めてここに来たか。



「私たちはあなたと関わりの深い女性の友人でした」



 その後、幾ばくかの心許ない息が出ているのを聞いた。何を言おうとしたのかは御構いなしでいいだろう。どうせ、何を言ったって変わらないのだから。死の運命からは誰も逃れられないのだから。



 メレディッサ=シュラーク=トレーケンなら、カンプの葉のように閉じた。いずれ閉じるものであった。それが早くに閉じただけであった。宵が長くなって、動く時間が短くなっただけであった。私たちでない存在が判断するならば、それだけの話であった。

 しかし私たちにとっては違う。彼女たちにとっては大切な友人だった。私にとっては、体を繋いで、心を繋いだ、大切な……



 メレディサが埋められるというのならば、どうしてこの若い少女たちが埋められないはずがないだろうか。スルムフェルの手からは逃れられないのに、別の土地にでも行かなければ、海の向こうに行かなければ。

 次はお前たちの番であり、逃れるならば足跡も匂いも何もかもを残して行かない様にしろ、と、もし出来ないのであれば、諦めて自害しろ、と私は言った。



 彼女たちは去っていった。

 これで良かったのか、私にはわからなかった。



 少しの開閉を元にして、彼女たちが捕まって、土になったのだと風に教えられた。

 何も変える行為はできなかった。彼女たちが死んで、誰がその存在を覚えていようか。それは私しかいない。私は剣を手に持って、刃先を舌で触れる。亡きメレディサと、まだ外を知らない幼子の為の、大地の神への復讐。誓う。時間は問題ではない。

 誰が生贄を選ぶのか。神は選ばない。埋められたならば喰うばかりで、助けようとも思っていない。選ぶのはダウ群地の人間たちだ。なぜ、なぜ、メレディサは選ばれたか。そこに神の作為があったというのならば、埋められたメレディサと、そうでなかった他の女どもと、何が違うのか? おそらくは何も違わないはずだ。なぜ、なぜ、彼女でなければいけなかったのか? この件について、私が彼女を、女の中から選んだのは、ただその柔らかい胎のためだけであった。大地の男神は母体によらずして生まれた。ならば殊更、私のメレディサを奪う必要もなかったはずなのに。

 重い頭が風の流れを断ち切っていて、困り切ったように風が私の後ろ髪を撫でて、通ろうとしている。漸く気が付いた私は、そっと風を通してやる。風に罪はない、罪があるとしたら、この大地で、染まり切った鉄の―――



 聞いているぞ、人の子よ。

 真実を知りたいというのか、幻覚、妄想、妄念の中に、ただ一つだけの真実が混入している。

 掬い、救い、拾い上げ、自身の意志を果たせ。



 言葉が浮かび上がって、私の意識に居座ると、私の手は、干したトゥルトラディスに伸びていた。普段、私は依頼によって手をつけるもので、自分のために使うことはそうそう無い。今手に取ったこれだって、元々は依頼者から受け取った幻覚茸だ。残念ながら、依頼者は既にこの世に亡い。

 ならば使っても構わないだろう。もし咎められるとしたならば、底に至る時だけであるから。



 食を失って、吐くのをしないためにも。臓を空にして、私は意を決してトゥルトラディスを食す。少し経つと、私は色とりどりの音の中にいて、芳しい花々が、風になびいて笑っている。その中から、忘れられるはずもない、未来の妻の匂いを辿って、水の響きを越えて、音になっていく。

 メレディサはそこにいた。底の、咲き乱れた花の中にいた。風の圧が形を変えるその場所を見つけて、それを掻き抱く。熱もなく、ただメレディサの形をした殻があっただけであった。柔らかいのに、熱はなかった。スルムフェルに娶られた時も、きっと冷え冷えで、私を暖めた時の体温すら、自分を暖めきる行為もできなかったのだろう。

 その花園さえも、彼女の熱はなかった。どこに吸い取られたのやら、彼女の腹も膨らんではいなかった。ただ肥えただけでは無かったはずなのに。私が彼女の腹を撫でた時、その中で動く、動きは確かにあったのに。



「連れ戻そうとは、しないんだ」

 メレディサはずっと閉じていた口を開いた。もし生前と同じメレディサの人格であるならば、次に飛んでくる言葉は、罵倒であるはずだ。

 ここは死者のいる底。生者は底から何かを持ち帰ってはいけない。言葉以外に持ち込んでいい存在はない、命さえも。

 私は最初から、メレディサの反魂を諦めていた。だけれども、彼女との子供さえ底に送られた恨みを、ただそれだけが私の執着だ。

 悟られたか、それかこれが私の妄念の中であるのか、後になれば分かるであろう。今は、ただこの再会にだけ耳を向ければいい。



「貴方は、私の声のする石で充分なのね。私の匂いのする花で充分なのね。薄情なんだね、卵さえあれば充分で、私の存在自体は何も好きじゃなかったみたいに。私の存在、ただの子供を産むためのなにか、としか思ってなかったんだね」



 予測通りであった。今抱いている彼女が、同時に彼女であったのだと実感した。罵倒は予測できていた。だから特に気に病むような思いはなかった。全て事実だ。

 何か、仲を取り持つとしたなら、それは土の神への復讐でしかないだろう。果たすためなら、果たすためなら……



「スルムフェルは、私を娶らなかった。だからここにいるの、私」

 それはどういう意味だ。子がいたからか、ならばなぜ選ばれたか。

 スルムフェルは好色だ。女とあれば孕ませにかかるような男神だ。そこな歩く女性よりも、遥かに柔らかく、遥かに可愛らしい空気を纏うメレディサを選ばずに、劣る者たちを選ぶとは、なんという食わず嫌いだ。

 憤慨、憤慨、憤慨。私という私は、怒りと憎悪で構成されていた。



「聞いて。



私が埋められたの、ダウの民が仕組んだ行為よ」



 ずっと、言い聞かされてきた、伝承その世界が嘘で、一瞬にして私の復讐は終わろうとしていた。母よ、あなたを殺した私は、何も間違っていなかった。スルムフェルの狂信者である父母に生まれて、如何にしても地面を受け入れられず、海に逃げた私が正しかったとは、皮肉そのものでしかなかった。

 同時にそれは、真に刃を向けるべき対象を定めた。誰もが同族と、革命者たちと慕っている、ダウの民へ。



 メレディサは底にいる。私はこの後、憎い大地へ帰らなければならない。だからこそ、私たちは互いを抱きしめあった。

 もし復讐に成功したとして、メレディサと同じ底に向かう、邂逅は叶わないだろう。私たちは束の間の再会を喜んで、永劫の別離を憂いた。できるならば、ずっとこうしていたかった。永劫に、再会を繰り返していたかった。

 次に音を聞くならば、メレディサの体に触れる音ではないだろう。



 気がつくと、私は標識代わりのアルの木に抱きついていたようだ。恥ずべき夢精に、どうも海の匂いが木からする。

 また、やってしまった。



 私は私の持ち場に着いて、メレディサと交わした言葉たちを木の板に残さず彫り込んでいく。過去を触れて、その言葉たちが決して嘘ではなかったのだと確信した。



 全て、事実だ。



 そうと決まれば私はカイケの地を発って、スィダラスの山々を越えて、ダウの地を踏むしかない。誰が偽りを流布して、誰が出さなくて良かった血液を出させたのか、明らかにして、刃を向けるしかない。生き残った私には、それだけの義務がある。

 何かやり残した行為はないか、スィダラスを越えるために必要な物資の不足はないか、再三確かめた。もしここで失敗したなら、きっと長い永い先まで機会がなくなるであろうから。

 私は成し遂げる。



恋は臓のため、愛は胎のため

無我の復讐が、私を呼んでいた

土から離れることはできない

かつて繋いだ心は、今や底にもない

神もいない山並を、越えてみせようか
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