あなたは私の嫁になる シュルストラヴィクの娘たち

仁川路朱鳥

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第四章 第一節

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それは私ではないのだから

自らの罪も認めずに

愚弄する民衆を捨て置いて

罪から離れることはできない

右後ろからする声の行方を



「スラー、あともう少しだよ! 頑張って」

 仲の睦まじい夫婦がいた、そして、その子供はいつも、夫婦の仲が幻ではないかと疑っていた。

「ミエシー。あなたとの子供よ……」

 夫も婦も沈黙し、戸籍もなしに消えていく闇に、手も伸ばせずに。

「スラー……いいや、スライヴァ、僕の愛しい人。
ライエが、もし僕の姉さんの、ラクシュトが生きていたら、この子にどんな名前を付けると思う?」

 穀物は頭を垂れて、常に地面に向かっている。大地を敬愛する親衛隊が、死骸を掃除していく。
 まだ何も実らないような、暖かな世界の中に生まれたその名は──



───



 私はエルミセナ。エルミセナ=マギートレン=サティシュエ。おそらく私がこの血を終わらせる。既にそれは決まりきっている。
 父はミエシェス、母はスライヴァ、同じ海の民からの、父の生殖相手。父曰く、私は父の姉に似ている、と言うのだ。会った覚えもないから、実感はできない。
 私にとっては世界は音楽のようで、気持ちの悪い音だけが舞う、その音たちは生殖の声と、出生の声と、死に絶える声だった。洞窟の中で響き渡る、男と女の喘ぎも、子供が熱で死ぬのも、女の胎を探して男が歩くのも、男が殺されるのも、全て悲劇で、そして──喜劇だった。
 心の中で、私が何をするべきか、何をしなければならないか、分かりきっている。だから私は、父や母の肌の温もりさえも虚構だと知っていた。どうせ後世の評価が重要なんだ。



「配給のペペリー、置いておきますね」



 配達係の女が言うが、父も母も毛一本も動かさなかった。それは私が拒絶したから。これ以後にも、私の家にはペペリーは置かれる。全て魚の餌にした。

 生まれてから私は、キェーンやカデュラの肉の他に、ツァグリやバイシューヘなどの魚、フェウバなど「血によって育っていない生物」だけを選んで食べてきた。父は何も言わなかった。母も何も言わなかった。分かりきっているのだ、だから私は外とは交流したくなかった。

 母と父はいつも生殖をしていた。実った形跡はなかった。いつも肉への愛で汚かった。これが幻なら良かった。母は生殖が終わると、決まって私の頭を撫でるのだが、その行為には吐き気しか感じなかった。自分を生み出した本能の正体が知れて、いつか殺したいと思うくらいに。
 私は父の姉に似ているとされた。父が語るに、「異性を拒む人」だった、と。ならば私は「家族をも拒む人」なのだろうか?思想と信条を知りたかった、できれば理解者になってほしかった。だから、父の姉が、足で集めたその物語だけを読んで育ってきた。所々で喧伝される内容とは何もかも違っていた、これはきっと正しいのだ。
 カイケの神々のことを、民は誰一人として知らない。代わりにあるのは、悍ましい肉塊の中に芽生えた、血塗れの伝承。
 伝承によって撒かれた血を喜んで、実りを喜んでいる民衆を聴く。私は悲しい。今でさえ、家の中の団欒は血によって成り立っている。彼ら子供が、血によって喜んでいるように聴こえた。



 これまで私は、この民衆の中に混じって、叔母の導いた本来の姿の神話を教えていた。およそ半数は出鱈目だと抗議し、もう半数は無関心であった。いつだってそうだった、ただ子供だけは、私の方に寄ってきて、話を聞いてくれていた。最初は好奇心から聞いてくれるのでも良かった。だが理解してくれていないというのは、それの意味するところは……

 無理解は死の始まりであるのだと。



 予測自体はしていなかったが、正直これは天罰だと思った。

 血によって育った物を食した民衆が、腹を下して血を吐いて、倒れては、底へ向かった者も両手ほどにいる。サティシュエ一族はその難を逃れていた。生贄による実りを一切断ち切っていたからだ。
失望している時。とある家族……といっても一人きりの寂しい妙齢の女性が私達の元を訪れて、この疫病の原因に関して問い詰めようとしてきた。

「エルミセナ!! どうせあなたなんでしょ! 私の可愛いアイニュールが死んだのよ!!! どう始末つけてくれるの!? あなたは生贄になんかなれないのよね?」



「次の子供には畑のぺぺリーを食べさせないでくださいね、それしか言うことはないです」

 糞まみれな苦情の中、言うことを言って私は寝床に入った。全く、いつも私は悪者にされる。それもそうだ、彼らにとっては衝撃的で、信じたくもない事実を、流布しているから。ようやく静謐の中に入れると思ったのに、また扉を叩く音で起こされる。お前の家も糞まみれにしてやろうか。

 私に対する言葉が全て糞だったので、これは金銭も何も受け取らないとして、「糞は他所でやれ」という看板を彫って(だが、一体何人がこの看板を触り、意味を知るのだろうか? 半信半疑ではあるが)全ての返答とした。それでもやっぱり糞客は来た。今度は妻を疫病で不妊にされた男だ。正直、一人の雌個体に対してそこまでの情を注ぐ意味が理解できない……結局定型詞で返した、

「次の妻には畑のぺぺリーを食べさせないでくださいね、それしか言うことはないです」



 それからはもううんざりだ。生まれる子供が歪になった女性、生まれたての子供が半身不随になった男性、知識格納庫に障害を負い聴覚を失った男性、狩り中に左腕を失った男性(それはお前の失敗だ。一々私のせいにするな)、乾燥したトゥルトラディスを誤食した呪術師の子供が崖から落ちて大怪我をして寝ているという男性(手の届くところに置くな)、ただ単にアルにぶつかっただけの女性(ただの言いがかりだろ)などの糞客が代わる代わる現れて、私に謝罪と賠償を要求してくる。

 私が何をやったというのだ。そして、何故私が悪いと思うのか。悪習を断ち切るには糸口も短刀も聴こえない。如何に、打破しようか。

 父も母も黙って聞いていた。それは私への愛情が、後世のためだけに使われる娯楽物であるからだ。結局、家族にさえ失望するとは。
 更に言えば、この土地の悪習にはかねてより失望していた。その感情を更に強めたのが、疫病に対するダウ群地の対応であった。
 彼らは、私と何も変わらないような女性たちに、「土になれ」と命じたのだ。
 私の中で、血の流れのような力が、下半身から上半身へと顕現し、知識格納庫へと流出した。足よりも先に口が動いた。



「スルムフェルは、そんなこと……そんなことを、望んでなんかいない」

 伯母の文献を探した。そこには私の全てがある。この、背中から来た感情の理由でさえも答えてくれるだろう。言葉の理由を知りたくて、知りたくて私は深い眠りに誘われる。



 夢。ずっと私を呼んでいた蝶の叫び。
 きっとあの人はもういない。いても心は既にない。
 外身だけが取り繕われたから、心なんて置き去りにして、無かったことにして。それでも、存在している事実だけは忘れられない。
 泣いている声が聞こえる。その方向へと向かう、地面から生えたような立派な男性が、前屈みに泣いている。涙は土を濡らさずに消えた。私はその涙を聞きたかった、だけれども何も聞こえなかった。
 どこに。彼の心はどこにあるの? 遠く底の果てにあるの? それとも、人間たちの中に……意識。暴虐:鍬や鋤を使った残虐な行為と、腐っていく死体の臭いを嗅がされて、どうして正気で居られようか、どうして泣かずにいられないだろうか。愛しい人と引き離されて、まだそれだけなら良かった、波が二人を結んでいるから。けれど違う、愛しい人と引き離されて、実りを無理矢理引き出されて、消化する力もない胃に無理矢理流し込んで、吐いて、それを民衆は土砂崩れと勘違いして、心を知らないのはどちらだというのか。
 彼は叫んでいる、そうしているうちに雲も雨も何もかも落ちて、天上には何も無くなって、幕が閉じていく。瞼が開くように。

 起きた私は、この夢の詳細を知りたくて、読み進めていた文献を更に読み漁っていた。安寧は果たされないと、おそらく、私の血がそうしてきた。今から、きっと実行に移る。

「エルミー、お前まで伯母さんのようになってしまうのかい?」父が問う。



「そうだよ、私はそのために生まれてきた……続けば永劫の基盤を壊しに、続かない人の命が永劫になるために」

「もっとほかの物も読ませたほうがよかったかな……」



 幻の肉の音は醜く響いた。お前だって熱を持った石像のような存在だよ。人間じゃない。私は、後世のために誰かを愛するような真似はしたくなかった。それこそ熱を持った石像と同じだから。



「そうやって、いつまでも私の存在を子供扱いして、家族ごっこはもう終わり。 戸籍も消しておいて」

 一耳散に私は家を出た。もうあんな家族知ったことはない。あの暖かさは幻で、妄知で、虚無の中にある数字のように、欠けた存在もわからないように、生まれなかった双子のように。どこへ行こうかも何も考えていなかった。このまま死んでしまおうとでも考えていた。



[民衆の声]



 今こうして、飢えなく暮らせているのは、かの隣地から伝来した植物、ペペリーの加工品によってだ。その下には尊い犠牲が埋まっていて、私達を支えてくれている。
 かつて私達カイケの民は、野に蔓延るキェーンやカデュラを狩ったり、フェウバを集めたりなどで暮らしていて、それで両手が塞がっていた。この時代には、今よりも沢山の死があったとされる。そして一部だけが知識格納庫を手にして、歴史を刻む行為ができた。
 拠り所はそこにしかなかった。信じていた神話の根底が崩れ去ったかのようにあった。だから私達は信頼できない彼女に話すしかなかったのに、返されたのは結局「次の人間には畑のペペリーを食べさせないでください」とだけだった。期待していたのは、何か不思議な力で、私達を癒してくれる魔術だった。もうサティシュエ一族もお払い箱だ、次の呪術師の一族を見つけ出そう。と考えていたところであった。



 やけに態度の悪いサティシュエ一族の末裔である、エルミセナが失踪したと言う。正直期待外れだった彼女がいなくなってくれてよかった。そして私達は次の依存先に悩んだ。
 そうだ、あの疾患たちを、あの病気たちを、ついでにエルミセナに乗せてしまえ。どうせ潰える命なのだから、こうして私達の話題として消費されてくれれば良い気味だろう。
 私達は何かに寄りかからないと生きることができない存在であった。梯子の木を一本、次に伸ばす手に近い方を抜かれて、正当な防衛だった。悪評なんてすぐに広まって行った。正当だから。

 そのようにして、夜を過ごしていると、ふと鼻に来るにおいがした、とラペンティが言う。先日アイニュールという愛息子をエルミセナに殺された女性。殺されたというのは嘘で、私たちの信仰を、大地を揺さぶる故災者を消してしまえるなら何でもいい、とした。私たちは、第一発嗅者のラペンティが燃やしたという可能性は考慮せず、罪を着せて世界を救おうと思った。レテルシー第23区はサティシュエの一族も属している。一人でやるには規模が大きいが、だが、充分なほどだった。

 梯子の木を抜く存在は、消せばいい。スルムフェルだってそう叫ぶだろう。



[エルミセナ]



 歩いても、私は孤独だった。伯母のように、神の声がただ聞こえるのなら苦しくなかった。土を踏みしめる音と、軋む足だけがあった。辺りは空で、何も存在していなかった。
 何もわかっていない民衆を後に。無理解は死の始まりであると伝えた。それなのに彼らは死に絶えて、ツァグリが銛に気付かずに毛の前の餌に食らいついて捕まるように、私たちの家に文句を告げに来るのだ。もう全て滅んでしまえと思っていた。こんな民衆に付き合うなんて、恥じる熱よりも醜い体温を感じた。逆に私の心は冷めて、どこにもいない熱になった。

 そして私にも無理解の報いが現れて、倒れそうになっている。できることがほしい。私を生きながらえさせてくれ、願うが、結局誰にも届かない。遠く、遠くから、私を嫌う声たちの群れ。遠く、遠くに彼らがいる、無理解の獣たちが私をついばむ!私の腕の肉が持っていかれて、私は粉々になって、その痛みでさえ幻であったと知った。水のおかげであった。毒の水。

「お前だろう! エルミセナ=マギートレン=サティシュエ!」

 最初、何を指摘されたかよくわからなかった。もう一つ記述させるなら、今もどうして、指摘されたのかわからなかった。呪いが私に降りかかるように、誰かが罠を仕掛けたのだろうか?
 耳を疑いながら私は言葉の中に入っている。縄が締めて、動けないところに冷水。



「カイケの群南部、レテルシー第23区中の畑を灰にしたのは!」



 私はやっていない。



それは神話のための命

自らの血も認めれば

幻想の中の肉に溺死する

罪から離れることはできない

楔から外れて、雨に羽化して
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