支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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7 【影猫の報告】

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王都の地下深く。
だが、ノアがいるような埃っぽい「遺跡」ではない。
ここは、磨き上げられた黒曜石の床が、冷たい光を反射する「要塞」だ。  
裏社会を束ねる闇ギルド連合体、『天秤を噛む蛇』。その頂点に立つ男の執務室。

部屋の主――ガイゼルは、分厚いかしの机に肘をつき、組んだ指の上で静かに顎を休ませていた。

短く刈り揃えられた黒髪が、部屋を照らす魔晶石のランプの光を吸い込んで、濡れたように艶めく。
その深い青い瞳は、目の前で直立不動の姿勢をとる、二人の屈強な部下を、何の感情も映さずに見つめていた。

部屋の空気は、氷のように張り詰めている。
部下の一人、屈強な男張り込み役の額からは、冷や汗が流れ落ちていた。

「……もう一度、言ってみろ」

ガイゼルの声は、低く、静かだった。
だが、その静けさこそが、彼の「不快」を示していることを、部下たちは痛いほど知っていた。

「は、はいっ!」
報告する男は、恐怖でかすかに裏返った声を必死で押し殺す。

「昨夜、"赤い満月"の刻。"霧の古書店"の裏口にて、不審な物音を確認。駆けつけたところ、数百匹の『ネズミ』の群れが、何かの包みを運んでいるのを発見しました」

「……ネズミ、だと?」

ガイゼルは、初めてわずかに眉を寄せた。

「はっ! まさに、噂に聞く『深淵の情報屋』の手口かと。すぐさま包みを奪おうとしましたが……その、直後」

男は、ごくりと唾を飲んだ。

「どこからともなく、『黒い影』のような獣が現れました。見た目は…『猫』のようでしたが、そいつは俺の剣を避け、あろうことか『影』に飛び込み……包みを奪って、消え失せました」

「……影に、消えた?」

「はい。この目で、確かに。俺の剣が、そいつの背中を浅く切り裂いた感触はありましたが……まるで、水に溶けるように、路地の影の中へ……」

しん、と執務室に沈黙が落ちる。
部下二人は、ガイゼルの次の言葉を、まるで死刑宣告でも待つかのように待っていた。

「深淵の情報屋」の重要参考人古書店の店主の監視を命じられ、その目の前で、正体不明の「獣」に「ブツ」を横から奪われたのだ。
失態以外の何物でもない。

ガイゼルは、ゆっくりと指を解き、机の上で指先をトントン、と規則的に叩き始めた。
冷徹な青い瞳が、何かを思考するように、虚空を睨む。

(……ネズミ)
(……黒猫)
(……影に消える獣)
『深淵の情報屋』。

王都の裏社会において、その正体は誰も知らない。
ただ、その情報網は「王城」から「下水道のネズミの噂」まで、あらゆる場所に届いているという。
そして、依頼の報酬は、金銭ではなく「希少な魔導書やアーティファクト」を好む、変わり者だと。

ガイゼルは、数日前、あの古書店で出会った「ガキ」を思い出していた。
フードで顔はよく見えなかったが、店主と何かを話し込み、結局何も買わずに店を出ていった。
あの時は、ただの「態度の悪い本好きのガキ」としか思わなかった。

だが、あの古書店は、今回の「王宮魔術師団」の依頼品の受け渡し場所だった。
そして、あの店主は、ガイゼルの部下の張り込みに気づき、わざとガキを追い返した。

(……繋がり始めたな)

ガイゼルは、あの時の「ガキ」が、情報屋本人だとは思っていない。
だが、あのガキが「使いっ走り」であり、その「本体」が、ネズミの大群や、影を操る黒猫を使い魔として使役する、とんでもない「スキル異能」の持ち主であることは、ほぼ確信に変わっていた。

「……それで」

ガイゼルは、再び口を開いた。

「お前は、その『猫』を斬りつけたと」

「は、はいっ! 浅手ではありますが、確かに!」 

「血痕は?」

「それが……影に消えたため、一滴も残っておらず……」

「……そうか」
ガイゼルは、立ち上がった。
その長身が、部下二人に巨大な影を落とす。威圧感が、部屋の空気をさらに冷たくした。
部下二人は、処罰を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。

「……下がれ」

「……え?」

「二度、言わせるな。今回の失態は、不問にする」

「……あ、ありがとうございます!」
部下たちは、信じられないという顔で深々と頭を下げ、慌てて執務室から退室していった。
一人残されたガイゼルは、部屋の窓辺まで歩き、地下要塞に設けられた窓に手を触れた。

(……失態?)
あれは、失態などではない。
部下たちは、最高の「仕事」をした。

ガイゼルは、あの「翼の少女有翼種」の取引情報が漏れたことなど、微塵も気にしていなかった。
あれは、数あるガイゼルの「闇」の一つにすぎない。

彼が気にしていたのは、その情報を嗅ぎつけ、王宮魔術師団に売ったという「深淵の情報屋」そのものだった。
その正体不明の情報屋が、今回、尻尾を出した。

「……影を操る、黒猫」

ガイゼルは、口の端を、わずかに吊り上げた。
それは、彼が「獲物」を見つけた時の、冷たい笑みだった。

「そして、その猫は『手負い』だ」

裏社会のトップ。
そして、執着心の塊。
ガイゼルは、手に入れたいと思ったものは、必ず手に入れる。
そして今、彼は、この王都のどこかに隠れている「猫の飼い主」に、強烈な「興味」を抱き始めていた。

「……ネズミは、ネズミらしく、穴に隠れていればよかったものを」

彼は、机の上のベルを鳴らした。

「……俺だ。ギルドの『狩人』全員に告げろ。
『背中に剣傷を負った、影に潜る黒猫』を探せ。
見つけ次第、殺すな。
――ただ、その『足跡』を追え、と」

ガイゼルの青い瞳が、獲物を狩る前の、暗い炎に揺れていた。





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