支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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6 【最悪の目撃者】

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昨日の「無駄足」による疲労は、丸一日かけてクッションの山と一体化することで、ようやくいつもの「気だるさ」へと回復していた。

僕は、地下室の定位置に寝そべったまま、意識だけを地上へと飛ばす。

――カァ、カァ。
僕の「目」であるカラスが、王都の教会の尖塔せんとうに止まり、西の空を眺めている。
地平線に、太陽の最後の残滓ざんしが消え、入れ替わるように、不吉なほど赤く、大きな月が昇り始めていた。

"赤い満月"。

(……時間だ)
僕は、カラスの視界から、意識を"霧の古書店"周辺に切り替える。
酒場の前。

(……いるな)
ガイゼルの部下、あの屈強な男二人が、昨日と全く同じ場所に立っている。
その視線は、相変わらず古書店の「表口」に集中していた。

「……裏口までは、頭が回らなかったか」

僕は、小さく呟いた。
あの店主の爺さんとの約束は「裏口」。

あの二人組が表に釘付けになっているなら、好都合だ。
"蛇"も、大したことはない。
このまま「合理的」に、さっさと終わらせよう。
僕は、寝返りを打ち、部屋の暗がりに向かって指示を出した。

「……お前ら、出番だ」


ザザザザッ!
僕の命令に応じ、遺跡のあらゆる隙間から、数百匹の「ネズミ軍団」が集結する。
これは、ただのネズミではない。
僕の魔力で強化され、極めて統率の取れた「運搬部隊」だ。

「……"霧の古書店"、裏口。"包み"が一つ置かれる。それを、何があっても、ここまで運んでこい」

ネズミたちが、承知したとばかりに一斉に地下水路へと流れ込んでいく。
僕は、それだけでは「保険」が足りないことを知っていた。

「……黒猫」

足元で丸くなっていた黒猫が、片目だけを開けて僕を見る。

「お前も行け。ネズミたちの護衛だ。ただし、姿は絶対に見せるな。"影"に潜んで、"万が一"にだけ備えろ。……まあ、万が一など、ないだろうが」

黒猫は、面倒くさそうに「ニャア」と一つ鳴くと、音もなく床の影に溶けて消えた。
これで、僕の「仕事」は終わりだ。

あとは、この気だるい体勢のまま、ネズミたちが「特効薬」を運んでくるのを待つだけ。
僕は、リアルタイムで監視するのも「億劫」だと思い、目を閉じようとした。

(……いや)
万が一、がある。
僕は、仕方なく意識を集中させ、古書店の裏口に配置しておいた、一匹の「クモ」と同調した。
ゴミ箱の影。ここなら、裏口の扉全体が見渡せる。


――ギィ、と小さな音がした。
クモの視界が、裏口の扉がわずかに開くのを捉える。

(……来た)
隙間から、店主の爺さんの、しわがれた手が現れ、一つの「包み」をゴミ箱の影に、無造作に置いた。
包みは、防水用の油紙で厳重にくるまれている。
手はすぐに引っ込み、扉は閉ざされた。

(……よし)
約束は果たされた。
僕は、すぐにネズミ軍団に「行け」と命じた。

――ザザザザッ!
クモの視界が、おびただしい数のネズミが裏路地に溢れ出すのを映す。
ネズミたちは、一切の迷いなく「包み」に群がった。
その包みを咥え、引きずり、地下水路の入り口へと運ぼうとする。

(……重いか?)
包みは、見た目以上に重いらしい。おそらく、分厚い魔導書が二冊(地図も本仕立てなのだろう)入っている。
ネズミたちの動きが、わずかに鈍い。

(……チッ、早くしろ)
僕は、地下室で寝そべったまま、イライラと指先で床を叩いた。
このまま、あと数十秒。
数十秒で、包みは地下に消える。
僕の勝利だ。
その、時だった。


「――なんだ? このネズミの数は……異常だぞ」

クモの視界が、低い男の声を拾った。

(……!)
僕は、ギョッとして意識を集中させる。
裏路地の入り口に、あの「張り込み」の男の一人が立っていた。
なぜだ?
表口の監視はどうした?

「おい、こっちだ! 何かある!」

男は、腰の剣に手をかけながら、大声で仲間を呼んだ。

(……最悪だ)
タイミングが悪すぎる。
おそらく、交代の見張りか、あるいは単なる「巡回」だったのだろう。

僕の「幸運」が、ここで尽きた。

「待て! ネズミが……何か、包みを運んでるぞ!」

男が、ネズミ軍団と「包み」の存在に気づいた。
マズイ。
このままだと、男が包みを奪う。
僕は、即座に判断を下した。


「――黒猫!! "包み"だけ奪え!!」


僕の意識命令が飛ぶ。
次の瞬間、裏路地の「影」が、まるで生き物のようにうごめいた。
男が剣を抜き放ち、ネズミたちを蹴散らそうとした、まさにその刹那――!

「――なっ!?」

男の足元の影から、漆黒の「何か」が飛び出した。
黒猫だ。
黒猫は、男の剣先を神業的な跳躍でかわすと、ネズミたちが引きずっていた「包み」を、その口でひったくった。

「影の……獣!?」
男は驚愕し、即座に剣を振り下ろす。
だが、黒猫はすでに反転していた。
男の剣先が、黒猫の背中を浅く切り裂く――が、猫は構わず、そのまま一番近い「影」に飛び込んだ。
そして、消えた。
まるで、水たまりに石が沈むように。

「……消えた……?」
男は、あっけにとられ、裏路地の暗闇を見つめている。
すぐに、もう一人の男も駆けつけてきた。

「どうした!」

「……わからん。だが、"黒い猫のような影"が、何かを奪って……」

(……チッ!!)
僕は、クモの視界から離脱し、地下室で寝そべったまま、天井を睨みつけた。

「……余計な体力を使わせるな」

作戦は、成功した。
だが、最悪の「後味」を残して。
数分後。
僕の足元の影が揺らめき、黒猫が転がり出てきた。
その口には、確かに、あの油紙の「包み」が咥えられている。
だが、猫の背中からは、血が滴っていた。

「……ニャア……」

猫は、包みを僕の前に落とすと、そのまま力尽きたように倒れ込む。

「……ご苦労」

僕は、気だるい体を引き起こし、黒猫の傷口に手をかざした。
僕の魔力を分け与え、傷を癒やす。
これもまた、僕の「体力」を消耗させる、「非合理」な作業だ。

(……こいつの治療代魔力で、乾パン何個分だ…)

僕は、治癒魔術をかけながら、もう一方の手で、ついに手に入れた「包み」を引き寄せた。
油紙を破る。


中から現れたのは、僕が待ち望んでいたもの。
羊皮紙に描かれた、古びた『"失われた図書館"の地図』。
そして、革張りで装丁された、『古代エルフ語魔術体系・第四巻』。

「……ふ」

思わず、笑みが漏れた。
このインクの匂い。この魔力の残滓。
これだ。
これさえあれば、僕の「退屈」は、また数ヶ月は癒やされる。

僕は、黒猫の治療もそこそこに、さっそく「第四巻」のページをめくり始めた。
古代の叡智が、僕の脳を満たしていく。
ああ、この感覚だ。
これがあるから、人生も捨てたもんじゃない。

……だが。
僕は、本のページをめくる手を、ふと止めた。

(……あの部下)
「黒い影のような猫が、何かを奪っていった」
あの男は、間違いなく、そう報告するだろう。
誰に?
ガイゼルに。
ガイゼルは、どう思う?

「深淵の情報屋」は、動物ネズミを使うと噂されていた。
そして今度は、影を操る「黒猫」が現れた。
間違いなく、繋げてくる。

「……あー…………」

僕は、手に入れたばかりの魔導書を、顔の上に落とした。

「……最悪の展開だ」

"蛇"のガイゼルに、僕という存在を、はっきりと「認識」させてしまった。

「深淵の情報屋=影を操る猫を持つ、何者か」

面倒なことになる。
間違いなく、面倒なことになる。

僕は、これから手に入れる「知識」の喜びに浸る一方で、すぐそこまで迫っているであろう「最大の面倒ごと」の予感に、深い深いため息をつくしかなかった。








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