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14 【偽りの女商人】
しおりを挟む(……最悪だ)
僕は、地下室に備え付けた数百年前にどこぞの貴族から巻き上げた全身鏡の前で、自分の「新しい姿」を見て、こめかみを押さえた。
そこに映っているのは、僕ではなかった。
『模倣者のアミュレット』の力で変身した、一人の「女」。
歳は二十代半ばくらいか。
髪は、平凡な栗色を、後ろで雑にまとめている。
顔立ちも、そばかすが少し浮いた、どこにでもいる「平凡」な女だ。
服装も、収蔵庫から引っ張り出してきた、くたびれた「行商人」の服を着ている。
(……これなら、ガイゼルの『狩人』たちも、あの『茶髪のガキ』とは結びつけられまい)
「合理的」な判断だ。
だが、それと同時に、自分の姿に「反吐が出る」ほど気分が悪かった。
慣れない服装特にスカートが、足にまとわりついて「歩きにくい」。
「非効率」の極みだ。
「……あー、もう」
僕は、この「女商人」の姿で、再びあの「地獄」に向かわなければならない。
目的は、ただ一つ。
僕の「完全なる怠惰」を完成させるための触媒、『時詠石』。
(……だが、どこにある?)
僕は、地下室のクッションにどっさりと腰を下ろし、最後の「情報収集」を始めた。
『時詠石』なんていう超希少アイテムが、王都のどこで取引されているか。
僕は、目を閉じた。
意識を、王都中に散らばる「目」と「耳」に同調させる。
(……ガイゼルの「狩人」たちが、僕の『補給ルート』に集中している今が、チャンスだ)
奴らの監視が手薄になっているであろう、第三の場所。
――王都の「闇市場」。
僕は、闇市場の周辺に潜む「ネズミ」や「虫」たちの意識を、片っ端から乗っ取っていく。
――ゴロツキたちの下世話な会話。
――盗品の取引価格。
――違法薬物の匂い。
――そして……。
(……!)
一匹の「ネズミ」が、闇市場の最奥、最も厳重に警備された「競売所」の換気口に潜んでいた。
そのネズミの「耳」が、競売所の支配人たちの会話を拾う。
「……間違いないな。今夜の『目玉』は」
「ああ。『時詠石』だ。それも、かなりの高純度品が南から流れてきた」
「……買い手は? ガイゼル様のギルドか? それとも王宮か?」
「……さあな。だが、どちらにせよ、今夜は荒れるぞ」
(……今夜!)
僕は、思わず目を見開いた。
なんという「最悪」で、そして「最高」のタイミング。
僕が『時詠石』を必要とした、まさに「今夜」、それが闇市場の競売に出品される。
(……行くしかない)
「面倒くさい」とか「かったるい」とか、そんなことを言っている場合じゃない。
これを逃せば、次にいつ手に入るか分からない。
そして、僕の「備蓄食料」は、もってあと数日だ。
「……競売」
僕は、頭を抱えた。
競売ということは、「金」がいる。
幸い、枕元には金貨の山がある。
だが、足りるか?
あのガイゼルや、王宮魔術師団が「買い手」として参加するなら、金貨四百枚など、端金かもしれない。
(……いや)
僕は、立ち上がった。
(……金が足りなきゃ、『盗る』までだ)
競売所から、直接『時詠石』を盗み出す。
それこそ「合理的」だ。
僕は、この「女商人」の姿で、再び収蔵庫へと向かった。
埃をかぶった棚から、いくつかの「商売道具」と、煙幕代わりの「魔道具」を懐に入れる。
そして、金貨の山を、ありったけ袋に詰めた。
(……盗むのは、最後の手段。まずは「買う」努力をする。その方が「楽」だからだ)
「……黒猫」
僕が呼ぶと、猫が「ニャ?」と足元に擦り寄ってくる。
「……今夜は、僕の人生で一番『面倒くさい』夜になる。お前は、僕が『本気で』呼ぶまで、絶対にここを動くな。絶対にだ」
僕は、猫の頭をいつもより強く撫でた。
こいつを「陽動」に使うのは、本当に、僕の命が危なくなってからだ。
僕は、深く息を吸い、そして、吐いた。
「……あー、行きたくない」
心の底からそう思う。
だが、行かなければ「怠惰な明日」は来ない。
僕は、平凡な「女商人」の姿で、闇市場へと続く、地下水路の「秘密のルート」へと、重い足を踏み出した。
王都の闇市場。
そこは、法の光が届かない、欲望と暴力が支配する場所。
僕は「女商人」の姿で、わざと少し猫背気味に、人混みをかき分けて進んでいた。
アミュレットのおかげで、僕の「金髪紫瞳」の気配は完全に消えている。
周囲のゴロツキたちも、僕を「金にもならなそうな、しがない女商人」としか見ていない。
(……よし。ガイゼルの『狩人』の気配もない)
僕は、周囲の「ネズミ」の視界を常にリンクさせ、監視の目がないかを確認する。
ガイゼルの意識は、まだ「茶髪のガキ」と「ネズミの巣穴」に集中している。
この「女の姿」の僕は、完全に「ノーマーク」だ。
(……合理的だ。完璧な潜入だ)
僕は、目的の「競売所」にたどり着いた。
入り口には、屈強な見張りが二人立っている。
「……止まれ。今夜は『会員』か、あるいは『特別な紹介状』がなきゃ入れねえよ」
見張りが、僕の前に立ちふさがる。
「……これでも?」
僕は、懐から、一枚の「金貨」を弾いた。
見張りは、それを器用に掴むと、ニヤリと笑う。
「……景気がいいねえ、姐さん。だが、一枚じゃあな」
「……中に入れば、もっと弾むわよ。今夜の『目玉』を買いに来たんだから」
僕は、アミュレットで「女の声」を作り、わざとハスキーに、商売女風に言ってみせた。
見張りは、顔を見合わせた。
「……『目玉』? まさか、姐さん、『時詠石』を?」
「……さあ、どうかしら。通してくれるの?」
僕は、さらに金貨を三枚、彼らの手に握らせた。
「……よし、入れ! だが、中で騒ぎは起こすなよ!」
見張りは、僕を「どこかの金持ちの使いっ走り」だと判断したらしい。
重い扉が、開かれた。
中は、タバコと酒と、人間の「熱気」でむせ返っていた。
薄暗いホールに、すでに多くの「買い手」が集まっている。
誰もが、素性を隠すために、仮面やフードを被っていた。
(……いた)
僕は、息を呑んだ。
一番奥の、特等席。
そこに、一人だけ、仮面もフードもつけずに座っている男がいた。
短く刈り揃えられた、黒髪。
組まれた腕。
その冷たい横顔は、舞台の上だけを、静かに見つめている。
(……ガイゼル!!!)
なぜ、彼がここに!?
いや、違う。
「彼も」買い手なのだ。
『時詠石』という超希少アイテム。裏社会のトップである彼が、見逃すはずがなかった。
(……最悪だ)
僕は、ガイゼルから一番遠い、一番暗い「立ち見席」の柱の影に、音もなく身を潜めた。
(……どうする)
(……あの男と、競り合うのか?)
僕の全財産と、裏社会のトップの「財力」で?
(……勝てるわけがない)
(……『盗む』しかない)
僕は、競売の舞台袖と、天井の梁、そして『時詠石』が保管されているであろう「金庫室」の場所を、瞬時に「ネズミ」の視界で確認した。
僕の、人生で三度目の「遠征」は、
僕の、人生で最初の「大強盗」になろうとしていた。
全ては、「怠惰な明日」のために。
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