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17 【運命の訪問者】
しおりを挟むあれから、どれくらいの時が過ぎただろうか。
三週間か、あるいは、一ヶ月か。
僕、の地下遺跡には太陽も月もない。
あるのは、魔晶石のランプの鈍い光と、僕の「研究」の進捗だけだ。
「……なるほど」
僕は、クッションの山に山積みにされた古文書の一節を、指でなぞった。
「……『時詠石』は、それ自体が『空間の錨』になる。魔力を注ぎ込むと、石が『現在座標』を記憶し、その『反発力』を利用して、別座標への『道』をこじ開ける……」
(……合理的だ)
僕は、ここ数週間、ほとんど寝ずにいや、クッションの上で気絶するように寝てはいたが、あの『第四巻』の理論と、『時詠石』の実物を照合し続けていた。
疲れた。
脳が焼き切れそうだ。
研究というのは、肉体労働とは別の意味で、とんでもなく「かったるい」。
だが、その甲斐はあった。
「……できた」
僕は、床に広げた最後の羊皮紙に、最後の一筆空間転移の術式を書き殴った。
できた。
理論は、完成した。
目の前には、あの忌々しい強盗劇の「戦利品」――紫色の『時詠石』が、不気味な光を放っている。
これに、今、僕が完成させた術式を乗せて魔力を注ぎ込めば。
僕は、ついに、この「怠惰の城」から一歩も動かずに、どこへでも「飛べる」ようになる。
(……もう、あの地獄を『歩く』必要も、『走る』必要もなくなる)
究極の怠惰。
僕の、勝利だ。
「……ニャア」
足元で、黒猫が力なく鳴いた。
僕が研究に没頭している間、ネズミたちが運んでくる食料も、ついに底を突いた。
僕の腹も、先ほどからずっと「空腹」を訴えている。
今、この城にある食料は、昨夜食べた乾パンの「最後の一枚」の、その「欠片」だけだ。
(……ちょうどいい)
僕は、立ち上がった。
全身の筋肉が、引きこもり生活と研究の疲労でギシギシと悲鳴を上げる。
「……最初の『転移先』は、決めてある」
王都の、西地区。あのパン屋の、裏の「小麦粉倉庫」だ。
あそこなら、人目もないし、小麦粉の匂いで転移の「魔力臭」もごまかせる。
(……あそこの、焼きたてのパンが食いたい)
僕は、床に描いた魔術陣の中心に『時詠石』を置き、その前に立った。
さあ、最後の「面倒くさい」仕事だ。
これさえ成功すれば。
――その、時だった。
ゴウッ……!
「……?」
僕は、顔を上げた。
気のせいか?
この地下遺跡の、さらに「外側」。
僕の「怠惰の城」を守る、厚い岩盤の向こうから、何かが「響く」ような、低い音がした。
(……ネズミたちじゃない)
(……黒猫も、ここにいる)
僕の使い魔たちは、全員、この部屋で息を潜めている。
では、今の音は?
ドンッ!!
今度は、はっきりと聞こえた。
「衝撃音」だ。
誰かが、僕の「隠し扉、地下水路に繋がる、僕しか知らないはずの場所」を、外から「叩いている」。
(……まさか)
僕は、凍りついた。
ガイゼルか?
いや、ありえない。
あの日以来、僕は「深淵の情報屋」としての活動を完全に「沈黙」させている。
僕の「気配」は、地上から消えているはずだ。
ドゴォォンッ!!!
三度目の衝撃。
それは、もう「叩く」などという生易しいものではなかった。
「破壊」だ。
隠し扉であるはずの分厚い「石の扉」が、恐ろしい力によって、外側からこじ開けられようとしていた。
「……ニャアアアア!!」
黒猫が、全身の毛を逆立て、敵意をむき出しにして、その「入り口」に向かって唸る。
(……最悪だ)
僕は、後ずさった。
(……なぜ、バレた!?)
(……僕の『怠惰の城』が……!)
ギギギギギ……と、石が擦れる、耳障りな音が響く。
そして、ついに。
轟音と共に、僕が何百年も「安全」だと思い込んでいた「隠し扉」が、内側僕の部屋に向かって、弾け飛んだ。
埃と、地下水路の湿ったカビの匂いが、一気に流れ込んでくる。
僕は、咳き込みながら、その「穴」を見つめた。
逆光の中に、一つの「影」が立っていた。
僕よりも遥かに背が高い、男のシルエット。
「…………」
男は、一歩、部屋の中へと足を踏み入れた。
魔晶石のランプの光が、その姿を照らし出す。
短く刈り揃えられた、黒髪。
埃と、血の匂いを纏った、上等な黒いコート。
そして、数週間前に、僕の黒猫がつけた「傷跡」が、薄く残る、その整いすぎた顔。
「……ガイゼル」
僕の口から、かすれた声が漏れた。
男――ガイゼルは、僕の言葉には答えなかった。
その深い、深い青い瞳が、ゆっくりと、僕の「城」の中を見渡す。
床に散らかった、無数の古文書。
積み上げられた、クッションの山。
足元で威嚇する、漆黒の「影猫」。
そして、床の魔術陣の中心で、紫色の光を放つ『時詠石』。
全てを視界に収めたガイゼルは、最後に、僕を――
あの「茶髪のガキ」でも、「女商人」でもない、
フードも被っていない、素顔のままの、
呆然と立ち尽くす、「金色の髪」と「紫色の瞳」を持つ、僕を、まっすぐに見据えた。
時間が、止まったようだった。
僕は、動けなかった。
「逃げる」という思考すら、極度の「面倒くささ」によって、麻痺していた。
ガイゼルが、ゆっくりと、その薄い唇を開いた。
その声は、あの競売所で聞いた時よりも、さらに低く、冷たく響いた。
「……見つけたぞ」
彼は、もう一歩、僕に近づいた。
僕の、何もかもを諦めたような顔を見て、その青い瞳に、暗い「満足」の色を浮かべた。
「……『深淵のネズミ』」
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