支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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19 【黒いコート】

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しん、と静まり返った「怠惰の城」。

僕、は、床に膝をつき、最強の侵入者ガイゼルに手首を掴まれたまま、完全に「降伏」していた。


殺されるのか。
売られるのか。
どっちにしろ、もう「面倒くさい」抵抗をする気力は、一滴も残っていなかった。

ガイゼルは、何も言わなかった。
ただ、僕の手首を掴んでいない方の「手」を、ゆっくりと持ち上げた。

(……殴られるのか)
僕は、反射的に目を閉じた。
だが、衝撃は来なかった。


代わりに、
(……え?)
僕の、汗で額に張り付いた「金色の髪」に、ごわついた、しかし温かい指先が、そっと、触れた。

僕は、驚きに目を見開いた。
ガイゼルは、僕の手首を掴んだまま、もう片方の手で、僕の金色の髪を、まるで珍しい「絹織物」でも確かめるかのように、指先でゆっくりと、すいた。

「…………」

その深い青い瞳が、僕の「紫色の瞳」を、ゼロ距離で覗き込む。
その瞳に映るのは、怒りでも、殺意でもない。

競売所で『時詠石』を見つめていた時と同じ、
あるいは、それ以上に強い――

『獲物』を、ついに手に入れたという、暗く、静かな「満足」の色だった。

(……なんだ、こいつ)
僕は、混乱した。
殺すなら、早く殺せばいい。
こんな、値踏みするような「触れ方」は、何だ。

僕が呆然としていると、ガイゼルは、僕の髪に触れていた手を離した。

そして、僕が「これで殴られる」と再び身構えるよりも早く、
彼は、僕の手首を掴んでいた「手」も、ゆっくりと、離した。

(……離された?)
自由になった手首。
だが、僕にはもう、その手で反撃する魔力も、逃げる気力もなかった。

僕は、ただ、膝をついたまま、次に彼が何をするのか、ぼんやりと見上げていた。

ガイゼルは、立ち上がったまま、僕を見下ろしている。
彼の視線が、僕の薄汚れたローブと、その下の研究と栄養失調で痩せた体、そして、僕が息を切らしている様子を、じろりと観察した。


そして、彼は、
信じられない行動に出た。
彼は、自分が着ていた、あの威圧感の塊のような、上等な「黒いコート」のボタンに、手をかけた。

そして、音もなく、それを脱ぎ始めたのだ。


(……は?)
(……何、してるんだ?)
僕の、疲労困憊の脳が、理解を拒否する。
コートの下の、黒いシャツ姿になったガイゼルは、その鍛え上げられた肉体を惜しげもなくさらしながら脱いだばかりの「コート」を僕の頭の上から、バサリ、と。
無造作に、かけた。

「……え」

視界が、一瞬、暗くなる。
次の瞬間、僕の全身を、ガイゼルの「匂い」が包み込んだ。

鉄と、血と、インクの匂い。そして、何か得体の知れない、不思議と「落ち着く」匂い。
何より、コートの内側に残っていた彼の「体温」が、地下室の冷たい空気で冷え切っていた僕の肌に、じわりと染みた。

僕は、肩にかけられた、僕の体には大きすぎる「黒いコート」を掴んだまま、ガイゼルを見上げた。


訳が分からなかった。

「……腹が、減っているのか」

ガイゼルは、僕の「混乱」など意にも介さず、僕が最後に食べたであろう「乾パンの欠片」が転がる床を、あごで示した。

それは、質問ではなかった。
ただの「事実確認」だった。

「…………」
僕は、答えなかった。
いや、答えられなかった。
敵意でも、殺意でもない、ただの「問い」。

その「温度」が、僕の「降伏」のシナリオを、根底からくつがえしていく。
ガイゼルは、僕が答えないのを見て、小さく、面倒くさそうにため息をついた。

(……え? お前が、面倒くさそうにするのか?)

「……立てるか」

「……」

「立て。二度、言わせるな」

ガイゼルは、僕の前に、手を差し出した。
握手、ではない。
「掴まれ」という、命令だった。
僕は、もう、どうにでもなれ、と思った。
僕は、その大きな手に、自分の震える手を、そっと乗せた。

次の瞬間、僕は、信じられないほどの「力」で、引き上げられた。

「……うわっ!」

膝をついた状態から、一気に「立たされた」。
魔力も体力も尽き果てている僕は、まともに立つこともできず、よろめいた。

ガイゼルは、僕が倒れるのを、コートの上から、僕の「肩」を掴んで、支えた。

「……どこへ」

僕は、ガイゼルの腕の中で、ようやくそれだけを絞り出した。

「……殺すんじゃ、ないのか」

「殺す?」

ガイゼルは、僕の言葉を、心底「馬鹿なことを」という顔で、鼻で笑った。

「……これほどの『お宝』を、なぜ殺す必要がある?」

「……お宝……?」

「……ネズミ使いで、影猫の飼主で、変装のプロで、空間転移まで扱おうという魔術師のおまえが、どれほどの『価値』を持つか、自分で分からんのか」

(……僕が、お宝?)
売られるのか。やはり、あの『翼の少女』のように。

僕の顔に、再び「絶望」が浮かんだのを、ガイゼルは見逃さなかった。

「……勘違いするな」

ガイゼルは、僕の肩を掴む手に、力を込めた。

「……お前は、誰にも売らん」
「……俺が、使う」

(……使う?)
ギルドの「道具」として、死ぬまで情報収集と魔術研究をさせられるのか。
それは、殺されるより「面倒くさい」かもしれない。

「……俺の『城』へ行くぞ」

ガイゼルは、僕の返事など待たず、僕の肩を掴んだまま、彼が破壊してきた「入り口」へと、僕を引きずるようにして歩き始めた。

「……待っ、」

僕は、反射的に、振り返った。
僕の「城」。
僕の、クッション。僕の、ネズミの死骸。

そして――
床に転がった、『第四巻』と、『失われた図書館の地図』。
僕の「退屈しのぎ」。


「……僕の、本が……」 
僕は、無意識に、そちらに手を伸ばそうとした。
ガイゼルは、ピタリ、と足を止めた。
彼は、僕が「本」に執着するのを、確かめるように見た。
そして、満足そうに、口の端を吊り上げた。

「……案ずるな」
「……お前の『ガラクタ』は、後で部下に、一つ残らず運ばせる」

「……!」
僕は、その言葉に、驚いてガイゼルを見上げた。

(……本を、運んでくれる?)

「……お前も」

ガイゼルは、僕の金色の髪を、もう一度、乱暴にしかし、傷つけないようにかき混ぜた。

「……お前の『ガラクタ』も」
「全部、俺のものだ」

ガイゼルは、それだけ言うと、僕の抵抗など、もう抵抗する力もなかったが意にも介さず、僕のコートに包まれた体を、まるで戦利品の「袋」でも担ぐかのように、軽く、肩に担ぎ上げた。

「――!? お、降ろせ!」

僕は、人生で初めての「屈辱」に、ジタバタと足を動かした。

(……担がれた!)
(……荷物みたいに!)
「……暴れるな。空腹で倒れかけのネズミを『歩かせる』ほど、俺は『非効率』なことはせん」
「……!」


僕の「合理的」「効率的」という「信条」を、この男は、僕以上に「合理的」な論理で、封殺してきた。

僕は、ガイゼルの広い背中肩の上に担がれながら、
自分が今、どこに連れて行かれようとしているのか、これから、どうなってしまうのか、何も分からないまま、ただ、あの「黒いコート」の匂いと「体温」に包まれて蓄積された疲労の限界に、ついに意識を「手放した」。









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