支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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29 【非合理な現実】

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「……くそっ」
僕は、人生で最も「面倒くさい」感情と共に、重い足を引きずっていた。
黒曜石の廊下は、どこまでも続いていた。
冷たく、磨き上げられた床が、僕の薄汚れた靴音を、嫌らしく反響させる。

カツ、カツ、カツ。
僕の数歩前を、あの男――ガイゼルが、一切の迷いも、ためらいもない、規則的な足音で歩いていく。

僕が、わざと疲労と抗議のせいで歩く速度を落としても、あの男は、一度も「振り返らない」。

まるで、僕が、彼の「後ろ」を、文句を言いながらも、必死についてくる「ペット」だと、確信しているかのように。

(……この、屈辱)
(……僕の「手首」を掴んでいた時よりも、タチが悪い)
あの時は、「物理的な拘束」があった。
だが、今は?
「リード」は、ない。
あるのは、「黒猫の命」と「魔導書への欲望」という、目に見えない、だが
どんな「鎖」よりも強固な「支配」だけだ。

(……あー、もう。かったるい)
僕は、一体、どこまで「歩かされる」んだ。
僕の「部屋」から、すでに「五分」は、歩いている。
「五分」だぞ。
僕が、地下遺跡で、一ヶ月かけて「歩く」距離を、たった今、この「数分」で、歩かされている。

(……合理的じゃない)
(……僕の「体力の無駄遣い」だ)
僕は、自分の「抗議」と「絶望」を込めて、目の前の「広い背中」を、睨みつけた。

「……着いたぞ」
ガイゼルは、突如、一つの、巨大な「鉄の扉」の前で、足を止めた。

(……!)
その「扉」は、僕の「豪華な檻」とは、まるで「対極」だった。
無骨で、機能性だけを追求した、「戦場」の匂いがする扉だ。扉の「向こう」からは、僕の「静かな日常」では、決して「聞くことのない」「音」が、漏れ聞こえてくる。



「――オラァッ!」
「――遅いぞ、次!」
「――剣が、鈍ってる!」
金属が打ち合う、甲高い「音」。
男たちの、獣のような「怒号」。
そして、むせ返るような「汗」と「鉄」の匂い。

(……ここが)
(……『訓練場』)
ガイゼルは、僕が、その「音」に「怯んで」いることなど、一切「考慮」せず、その「鉄の扉」を、ギイイイィィ、と、無遠慮に、押し開けた。


「――っ!」
眩しいほどの「光」と、凄まじい「熱気」が、
僕の地下生活に慣れた「顔」を打ちつけた。

そこは、僕の「豪華な檻」、十個分はあろうかという、巨大な「空洞」だった。
天井には、太陽のように眩しい「魔晶石ランプ」が、何十個も灯り、その「下」で。

「…………」
僕は、息を、呑んだ。
(……なんだ、こいつら)
「人間」が、いた。いや、あれは、「人間」の「形」をした、「怪物」だった。

僕の痩せた腕の、三倍はあろうかという「腕」で、
「丸太」のような「大剣」を振り回す、「大男」。

目にも止まらぬ速さで「短剣」を、交わし合う、「傷だらけの男たち」。

壁に向かって、「魔術」の「炎」を、叩き込んでいる、「魔術師部隊」。

全員が、僕が「スラム」や「闇市場」で、「関わりたくない」と避けてきた、「本物」の、「戦闘狂」たち。
ガイゼルの、「ギルド」の、「戦力」だ。


僕が、その「地獄」の光景に、「呆然」としていると
「――ボス!!」
「――押忍!!」
僕の「隣」に立つ、「ガイゼル」の「存在」に彼らが、
気づいた。


瞬間。
阿鼻叫喚の「地獄」が、「水」を打ったように、静まり返った。
あれほどの「怪物」たちが、一糸乱れぬ「直立不動」の「姿勢」で、僕たちの「前」に、整列した。

(……こいつ)
(……こいつら「全員」を、「恐怖」と「力」で、従えているのか)
僕は、「ガイゼル」という男の、「支配者」としての「格」を、改めて、見せつけられた。

「……続けろ」
ガイゼルは、短く、それだけを、命じた。

「――押忍!!」
部下たちは、一斉に「訓練」を再開した。
誰一人、ガイゼルの「隣」に立つ、
「場違いな、金髪の痩せたガキ」に、「不審」な目を、
向けない。
ボスが、「連れてきた」という「事実」だけで、彼らにとって、僕は「存在しない」も、「同然」だった。

(……あー、帰りたい)
僕は、この「熱気」と「汗くささ」に、眩暈がした。

「……おい、ガイゼル。
『見学』は、終わりだろ。
『日課』とやらは、
明日からで「――ガルド」」
ガイゼルは、僕の「現実逃避」を、遮るように、訓練場の「隅」にいた、一際「巨大」な、「壁」のような男を、呼びつけた。


「……ボス。ご命令を」
ガルド、と呼ばれた男は、

「傷だらけの顔」で、ガイゼルに、片膝をついた。
彼が、この「訓練場」の「責任者」らしい。

ガイゼルは、僕の「肩」を、無遠慮に、まるで「荷物」でも示すかのように掴んだ。

「……こいつは、ノア」

「……俺の、『所有物』だ」

(……所有物!)
僕は、その「紹介」のされ方に、屈辱で、震えた。

ガルド、は、「所有物」という言葉に、一切「動揺」せず、「……はっ」とだけ、答えた。

「……だが、この『道具』は、脆すぎる」
ガイゼルは、僕の「手首」を、昨日のように、掴むと、ガルドに、見せつけた。

「……『基礎体力』が、欠如している。『非効率』の極みだ」

「……はっ。誠に、『貧弱』な……」
ガルドは、僕の「顔」ではなく、僕の「骨と皮だけの腕」を、「眉」をひそめて、見た。

「……そこで、だ。ガルド」
ガイゼルは、僕の「手首」を、放した。

「……今日から、この『道具』の、『メンテナンス』を、お前に、一任する」

「……はっ!」

「……俺の『魔導書第五巻』が、懸かっている」ガイゼルの、「青い瞳」が、僕を、射抜いた。

「……死なない程度に、『鍛え直せ』。
一月後には、『短剣くらいは、振れる』ように、しておけ」

「――はっ!!
承知いたしました!!
ボスの『所有物』、このガルドが、責任を持って『戦場で使える』レベルまで、鍛え上げます!!」

(……いや、そこまで、頼んでない)
(……短剣?戦場?僕が?)
僕の「絶望」は、無視された。

「……頼んだぞ」
ガイゼルは、「仕事」が、「片付いた」とばかりに僕に、一瞥も、くれず、「訓練場」を、出て行った。

(……あ)
(……行きやがった)
(……僕を、この「怪物」と、「地獄」に、置き去りにして!)
僕は、「黒曜石の廊下」へと、消えていく「支配者」の「背中」に、助けを求めようとしたが、もう、遅かった。



「…………」
「…………」
巨大な「訓練場」に、僕と、「壁」のような「教官ガルド」が、取り残された。

(……周囲の「怪物」たちは、僕たちを「無視」して、訓練を続けている)

「……さて」
ガルドが、ゴキリ、と、「首」を鳴らして、立ち上がった。その「影」が、僕を、完全に、飲み込んだ。

「……『ノア様』、と、お呼びすれば、よろしいか?」

「……いや、ノアでいい」
僕はこれから、殺されるかもしれない「相手」にかろうじて、答えた。

「……そうか」
ガルドは、僕の「全身」を、ガイゼルとは、また違う、「物理的」な「検分」の目で見た。

「……ボスは、『短剣を振れるように』と、おっしゃったが」
ガルドは、深い、ため息を、ついた。

「……その『前』だ。お前は、まず、『歩く』ことから、始めるぞ」

「……は?」

「……『腕を振って』」
「……『背筋を伸ばして』」
「……『大股で、歩く』」

ガルドは、
訓練場の「隅」、何もない「壁際」を、指さした。
「……あの『壁』から、この『壁』反対側まで、まず、『百往復』。『歩いて』こい」

「…………」
(……ひゃく、おうふく?)

僕は、「絶望」で、目の前が、真っ暗に、なった。

「……『体力づくり』だぁ……」
僕の、「怠惰」とは、無縁の、「地獄の『日課』」が今、始まった。







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