44 / 61
44 【飼い慣らされる思考】
しおりを挟む僕が目を覚ましてから、更に数日が過ぎた。
ガイゼルの命令通り、地獄の日課は完全に停止され、僕はベッドの上での「絶対安静」を強いられていた。
最初は反発したものの、僕の体は正直だった。あの無理が祟り、起き上がろうとするだけで目眩がし、軽い吐き気を催す。
結局、僕は不本意ながら、この豪華な檻の中で、ひたすら眠り、薬湯を飲み、運ばれてくる食事を摂るだけの、完全な「家畜」以下の生活を送っていた。
手首と足首には、あの忌々しい銀の輪――『生命監視』の魔道具が、冷たく肌に触れている。
外そうとする試みは無駄だった。僕の魔力では解除できない。おそらく、ガイゼルの魔力にのみ反応する仕組みなのだろう。
これが嵌められている限り、僕の体調は、良くも悪くも、全てあの男に筒抜けだ。
僕が再び無理をして倒れれば、彼はすぐに知ることになる。そして、おそらく、さらに厳しい「管理」下に置かれるのだろう。
それを考えると、無駄な抵抗をする気も失せた。合理的じゃない。
黒猫は、僕がベッドで過ごす時間が増えたことを喜んでいるのか、常に僕の腹の上か枕元で丸くなっている。毛並みはますます艶やかになり、もはや地下遺跡にいた頃の面影はない。こいつも完全に飼い慣らされた。僕も、こいつも。
ガイゼルは、毎日、決まった時間に僕の様子を見に来た。
彼は、何も言わずに部屋に入ってくると、まず僕の顔色を検分し、それからベッド脇の椅子に腰掛けて、水晶で僕のバイタルデータを確認する。
その間、僕は死んだふりをして目を閉じていた。彼と目を合わせるのが、なぜかひどく億劫だった。
あの日、彼が僕の額に触れた、あの素手の感触。
僕を抱きしめた、あの腕の力強さ。
僕の耳元で囁いた、「死ぬな」という、切実な響きを帯びた声。
それらが、僕の思考を混乱させる。
(……ただの、道具のメンテナンスだ)
僕は、自分に言い聞かせた。
(……所有物が壊れかけて、慌てただけだ)
(……あの男に、それ以上の感情など、あるはずがない)
だが、彼の行動は、僕のその「結論」を、じわじわと揺さぶってきた。
彼は、僕に「研究禁止」を命じた。それは変わらない。
だが、僕があまりにも退屈そうに、実際、死ぬほど退屈、天井を見つめていると、彼は、どこからか、僕が興味を持ちそうな「古代文明に関する文献」や「珍しい植物図鑑」などを、無言でベッドの上に置いていくようになった。
それは、僕の研究に直接役立つものではない。ただの「退屈しのぎ」だ。
僕の「機嫌」を取ろうとでもいうのか? あの男が?
そして、第七実験室の少年のこと。
僕は、一度だけ、それとなく尋ねてみた。
「……あの研究所の件、どうなったんだ」と。
ガイゼルの答えは、やはり同じだった。
「……お前には関係ない。処理は済んだ」
その声は冷たく、有無を言わせぬ響きを持っていた。
僕は、それ以上、何も聞けなかった。
聞くのが、怖かったのかもしれない。
真実を知ることで、僕の中で芽生え始めている、この奇妙な「安定」が、壊れてしまうことを恐れたのかもしれない。
(……飼い慣らされている)
僕は、自嘲した。
最高の寝床、最高の食事、最高の研究資料。
そして、絶対的な「安全」。
ガイゼルの支配は、僕から「自由」を奪ったが、同時に、僕が地下遺跡で常に感じていた「生存への不安」や「退屈」をも奪い去った。
この「檻」は、確かに檻だ。
だが、僕の「怠惰」な性質にとっては、ある意味で「理想郷」に近いのかもしれない。
そう考えてしまう自分自身に、僕は嫌悪感を覚えた。
さらに数日が経ち、僕の体調は、ほぼ完全に回復した。
もう目眩も吐き気もない。体力も、あの地獄の日課を始める前より、明らかに向上しているのを感じる。
腕輪の示すデータも、それを裏付けているのだろう。
その日の夜、ガイゼルは、いつものように現れると、水晶を確認し、そして言った。
「……回復したようだな」
「……ああ。お前のおかげでな」
僕は、ベッドの上で体を起こし、皮肉たっぷりに答えた。
「……なら、明日から『日課』を再開する」
「……は?」
「……ただし、ガルドには『負荷を調整』するように命じてある。以前のような無茶はさせん」
「……!」
僕は、驚いて彼を見上げた。
地獄が、少しだけ「マシ」になる?
「……お前の『器』の成長に合わせて、段階的に負荷を上げていく。それが最も『効率的』だ」
ガイゼルは、あくまで合理的な理由を述べた。
だが、その配慮が、僕が倒れた「あの日」がきっかけであることは明らかだった。
「……それと」
彼は、懐から、僕が待ち望んでいた「もの」を取り出した。
黒い革で装丁された、分厚い「魔導書」。
「……!」
「……『第五巻』だ。『約束』の対価だ」
僕は、息を呑んだ。
ついに、手に入れた。
僕が、あの地獄の訓練に耐えた、最大の理由。
僕は、震える手で、それを受け取った。
重い。知識の重みだ。
「……研究も、再開していい」
ガイゼルは、僕が魔導書に夢中になっているのを見ながら、言った。
「……ただし、時間を制限する。徹夜は許さん。睡眠時間は、最低でも六時間確保しろ。この腕輪で、それも監視する」
「……!」
(……どこまで管理する気だ!)
「……それと、『例の理論』の実証実験も、そろそろ始めるぞ」
「……実証実験?」
「……お前の『ダスト・スプライト記録媒体化・検索理論』だ。
俺の部下の魔術師たちに、補助的な『魔道具』を開発させた。
それを使えば、お前の脳への負荷も、さらに軽減できるはずだ」
ガイゼルは、僕の研究を、僕が休んでいる間にも、着々と「進めて」いたのだ。
僕を「道具」として、より「効率的」に使うために。
僕は、手の中の『第五巻』と、ガイゼルの顔を交互に見た。
憎い。
僕を支配し、管理し、利用する、この男が。
だが、同時に。
僕の才能を正確に評価し、僕の限界を見極め、僕の成長を彼自身の目的のために促し、そして、僕が渇望する「知識」を与えてくれる、この男に、僕は、抗いがたい「何か」を感じ始めていた。
「……分かったよ」
僕は、ため息をついた。
「……やる。やってやるよ。
お前の『完璧な道具』になってやる。
その代わり、僕の研究は、絶対に邪魔するな」
「……フン。それでいい」
ガイゼルは、満足そうに頷いた。
彼は、立ち上がると、部屋を出ていく前に、僕の「頭」に、また、あの「素手」を、置いた。
だが、今度は、撫でるのではなかった。
ただ、
そこに「置いた」だけ。
まるで、僕の「存在」を、確かめるかのように。
あるいは、僕の「思考」を、読み取ろうとするかのように。
その「静かな接触」が、僕の心臓を、
また、ドクン、と跳ねさせた。
彼は、何も言わずに手を離し、部屋を出て行った。
カチャリ。
鍵の音。
僕は、一人、『第五巻』を抱きしめながら、自分の手首の「銀の輪」に、そっと触れた。
冷たい。
だが、もう、ただの「枷」だとは思えなくなっていた。
これは、僕と、あの「支配者」を繋ぐ、奇妙な「絆」のようなものなのかもしれない。
そんな、「非合理」な思考が、僕の頭をよぎり、僕は、それを打ち消すように、『第五巻』の、最初のページを、食い入るように、見つめ始めた。
0
あなたにおすすめの小説
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
悪役令息の僕とツレない従者の、愛しい世界の歩き方
ばつ森⚡️8/22新刊
BL
【だって、だって、ずぎだっだんだよおおおおおお】
公爵令息のエマニュエルは、異世界から現れた『神子』であるマシロと恋仲になった第一王子・アルフレッドから『婚約破棄』を言い渡されてしまった。冷酷に伝えられた沙汰は、まさかの『身ぐるみはがれて国外追放』!?「今の今まで貴族だった僕が、一人で生きて行かれるわけがない!」だけど、エマニュエルには、頼りになる従者・ケイトがいて、二人の国外追放生活がはじまる。二人の旅は楽しく、おだやかで、順調に見えたけど、背後には、再び、神子たちの手がせまっていた。
「してみてもいいですか、――『恋人の好き』」
世界を旅する二人の恋。そして驚愕の結末へ!!!
【謎多き従者×憎めない悪役】
4/16 続編『リスティアーナ女王国編』完結しました。
原題:転んだ悪役令息の僕と、走る従者の冒険のはなし
僕の部下がかわいくて仕方ない
まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?
うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】
まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。
【BL】死んだ俺と、吸血鬼の嫌い!
ばつ森⚡️8/22新刊
BL
天涯孤独のソーマ・オルディスは自分にしか見えない【オカシナモノ】に怯える毎日を送っていた。
ある日、シェラント女帝国警察・特殊警務課(通称サーカス)で働く、華やかな青年、ネル・ハミルトンに声をかけられ、【オカシナモノ】が、吸血鬼に噛まれた人間の慣れ果て【悪霊(ベスィ)】であると教えられる。
意地悪なことばかり言ってくるネルのことを嫌いながらも、ネルの体液が、その能力で、自分の原因不明の頭痛を癒せることを知り、行動を共にするうちに、ネルの優しさに気づいたソーマの気持ちは変化してきて…?
吸血鬼とは?ネルの能力の謎、それらが次第に明らかになっていく中、国を巻き込んだ、永きに渡るネルとソーマの因縁の関係が浮かび上がる。二人の運命の恋の結末はいかに?!
【チャラ(見た目)警務官攻×ツンデレ受】 ケンカップル★バディ
※かっこいいネルとかわいいソーマのイラストは、マグさん(https://twitter.com/honnokansoaka)に頂きました!
※いつもと毛色が違うので、どうかな…と思うのですが、試させて下さい。よろしくお願いします!
血のつながらない弟に誘惑されてしまいました。【完結】
まつも☆きらら
BL
突然できたかわいい弟。素直でおとなしくてすぐに仲良くなったけれど、むじゃきなその弟には実は人には言えない秘密があった。ある夜、俺のベッドに潜り込んできた弟は信じられない告白をする。
【完結】ルガルの星―冷徹な社長は、僕の運命を知っていた―
綾波絢斗
BL
この世界には、二つの特別な称号を持つ者たちが存在する。
一つは、絶対的な権力を持つ王の称号――ルガル(lugal)。
もう一つは、ルガルと対をなし、その力を補う「番」――ムル(mul)。
ルガルは生まれながらに選ばれし存在。
国家からエリート教育と地位を与えられ、能力に応じて厳格なランク分けが行われる。
最上位のルガルは、政治さえも動かす絶対者だ。
一方で、ムルは生まれた瞬間にはその正体がわからない。
遺伝子検査や学力テストを経て候補が絞られるが、
最終的に「真のムル」かどうかを見極められるのは――ルガルだけ。
ムルが覚醒したとき、同じ場所に「紋章」が現れ、その瞬間から、ルガルとムルの力は共鳴し始める。
ムルの能力はルガルの力を最大限に引き出す。
ゆえにルガルたちは、自らのムルを求め、時には他人のムル候補を奪い合う。
そして、すべての出生データと遺伝情報を管理するのは、
巨大企業イルジオン――国家をも超える存在。
その頂点に立つ社長、一条レイ。
冷徹なルガルの頂点に君臨する彼が「自分のムル」と出会った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる