支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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54【目覚めた地獄】

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意識が、熱い泥の中から引き上げられるような感覚と共に、ゆっくりと浮上した。

最初に感じたのは、不快なまでの体の熱さと、カビ臭い、埃っぽい匂いだった。
頭が割れるように痛い。喉がカラカラに渇いている。

「……ん……」
僕は、呻き声を上げながら、重い瞼をこじ開けた。
視界がぼやけている。

慣れない薄暗さ。見覚えのない、汚れた石の壁と天井。
僕は、硬く、冷たい石の床の上に、直接転がされていた。
手足は自由だったが、体中に力が入らない。そして、何よりも。

(……熱い)
体がおかしい。
内側から、まるで燃え上がっているかのように熱い。
特に、体の中心部が、意思とは関係なく疼き、妙な感覚に支配されている。

呼吸が荒くなり、肌が過敏になっているのを感じる。
着ている寝間着の、絹の感触ですら、今は不快な刺激となって肌を粟立たせた。

(……あの薬)
僕は、無理やり口に流し込まれた、あの紫色の液体のことを思い出した。


媚薬。
下劣な男たちの、下卑た笑い声。
僕は、自分が今、どんな状況に置かれているのかを理解し、全身から血の気が引いた。

「……お、目覚めか。ずいぶんと可愛い声で鳴くじゃないか」
すぐ近くで、あの男たちの声がした。

僕は、体を起こそうとしたが、腕に力が入らず、再び床に倒れ込んだ。
熱のせいで、思考がまとまらない。体が、言うことを聞かない。


男たちが、僕の周りに集まってくる。覆面はもう取っていた。
見覚えのない、だが、瞳の奥に欲望をぎらつかせた、醜悪な顔、顔、顔。
彼らは、僕の無様な姿を、品定めするように見下ろしている。

「……ここ、は」
僕は、かろうじて声を絞り出した。

「……どこだ」

「どこだと思う? お前を欲しがってる、お客様の『寝室』さ」
リーダー格の男が、僕の顎を乱暴に掴み、上を向かせた。

「……もっとも、お客様がお戻りになる前に、俺たちで『味見』させてもらうがな」
男たちの、汚い手が、僕の体に伸びてくる。
寝間着の合わせを暴こうとする指。僕の足に絡みつく腕。


「……やめろ!」
僕は、最後の力を振り絞って抵抗した。
だが、熱に浮かされ、力の入らない体では、赤子同然だった。
僕の抵抗は、彼らの欲望を煽るだけの、無意味な足掻きにしかならない。

熱い。
体が、熱くてたまらない。
触れられる場所から、嫌悪感と共に、意思とは無関係な「反応」が引き起こされる。
涙が、生理的に滲んできた。
屈辱だ。
こんな、汚い手で。
こんな、場所で。

(……ガイゼル)
僕は、再び、心の中で、あの男の名前を叫んでいた。
憎い。
僕をこんな目に遭わせた元凶は、お前だ。
お前の「弱点」として、僕は攫われた。
お前が、僕を所有しなければ、こんなことには。
だが、同時に。

(……助けろ)
そう、願ってしまっている自分もいた。
あの、冷徹で、歪んでいて、不器用な男が、
今、この瞬間に現れて、
この汚らわしい男たちを、
跡形もなく消し去ってくれればいいのに、と。



「……いいぞ、その顔。もっと見せろ」
男たちの、吐息がかかる。
僕は、目を閉じた。
もう、何も見たくなかった。
何も、感じたくなかった。







_____________


同時刻。
ガイゼルの城、その主の執務室。


ガイゼルは、珍しく、机に向かわずに、窓辺に立ち、外の夜空を眺めていた。

今日の彼は、どこか落ち着きがなかった。
ノアの訓練報告は良好だった。研究も進んでいる。全ては順調なはずだ。

だが、胸の奥で、何か言いようのない「不安」が、黒い染みのように広がっていた。
彼は、懐から、あの黒い水晶を取り出した。
ノアの生命監視の魔道具。
それに触れると、淡い光と共に、数値と波形が表示される。
心拍、正常。体温、平熱。魔力流、穏やか。

(……眠っているな)
データ上は、何も問題ない。
だが、その「穏やかすぎる」データが、逆に彼の不安を掻き立てた。

あの金色の鳥は、眠っていても、もっと神経質で、微細な魔力の揺らぎがあるはずだ。
まるで、深い「薬」で眠らされているかのような、不自然なまでの「静寂」。
彼は、水晶を強く握りしめた。

(……考えすぎか)
ノアは、ここ数日、疲労が溜まっていた。深く眠っているだけかもしれない。

それに、あの部屋の警備は、以前の数倍に強化してある。転移魔法陣による奇襲も警戒し、特殊な結界も張らせた。
俺の城の最深部に、誰かが侵入できるはずがない。
だが、不安は消えなかった。

あの夜、ノアが意識を失った時の、あの腕の中の感触。
壊れてしまいそうな、儚さ。
俺が守らなければならない、俺だけの「宝」。
それを失うかもしれないという、根拠のない「恐怖」が、彼の背筋を冷たくした。

彼は、側近を呼ぶためのベルに手を伸ばしかけた。
今すぐ、ノアの部屋の様子を確認させようか。
いや、それでは過保護すぎる。あの鳥は、俺の過剰な管理を嫌う。

その時だった。
彼が握りしめていた水晶が、ビッ、と。
赤い「警告色」を、激しく点滅させ始めた。


(……!)
ガイゼルは、目を見開いた。
表示されているデータに、異常が発生している。
心拍数が、急上昇している。
体温も、異常なまでに跳ね上がっている。
魔力の流れは、乱れに乱れ、嵐のようだ。
そして、何よりも。
ノアの位置情報を示す座標が、彼の「部屋」から、「別の場所」へと、移動していた。


「…………」


ガイゼルの全身から、温度が消えた。
彼の周囲の空気が、絶対零度まで凍りつく。
深い、深い青い瞳の奥で、黒い「怒り」の炎が、音もなく、燃え上がった。

(……攫われた)
(……俺の、目の届かない場所で)
(……俺の、宝が)
彼は、ベルを、叩き壊さんばかりの力で、連打した。

数秒と経たず、側近たちが、血相を変えて執務室に飛び込んでくる。

「――ボス!?」

「――全員、集めろ」
ガイゼルの声は、地獄の底から響くような、静かな怒りに満ちていた。

「――『狩人』も、『暗殺者』も、『魔術師』も、一人残らずだ。戦争だ」

「……せ、戦争、でありますか!? いったい、どこと……!」

「――俺の『所有物』に、手を出した、愚かな『虫けら』共と、だ」
ガイゼルは、水晶に表示された「座標」を睨みつけた。

そこは、王都の地下深く、彼自身も存在を知らなかった、古い「密輸組織」のアジトの一つだった。
そして、水晶が表示する、ノアの「異常なバイタルデータ」。

激しい動悸、高熱、乱れた魔力。
それが、何を意味するのか。
ガイゼルは、正確に理解していた。

(……あの、屑共が)
(……俺のノアに、何を……!)
彼の全身から放たれる「殺気」に、屈強な側近たちですら、恐怖に身を震わせた。

「……座標はここだ。このアジトを、今から『消滅』させる」
ガイゼルは、冷徹に言い放った。

「……ただし、中の『金色の鳥』だけは、絶対に傷つけるな。
……指一本でも触れた奴は、俺が、自ら、八つ裂きにする」

彼は、黒いコートを羽織ると、自ら先頭に立ち、執務室を、後にした。

彼の背後には、闇ギルドの「全て」が、動き出す、不気味な「地響き」が、始まろうとしていた。







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