【完結】漆黒の公爵と純白の魔性

舞米

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夜の闇が最も似合う街。それが王都の裏側、そしてその頂点に君臨するフェリクス・ラヴェンズワース公爵が統べる領域だった。

ラヴェンズワース公爵邸の最奥にある執務室は、夜だというのに煌々と明かりが灯されている。しかし、その光は室内の重厚な黒檀の調度品に吸い込まれ、部屋の空気は常に冷え冷えとした緊張感を保っていた。

「―――以上のことから、西区の”鼠”共は、我々の警告を無視したと判断。処分を許可いただきたく」

血のように分厚い絨毯の上に片膝をつき、恭しく頭を垂れる男。彼はラヴェンズワース家の私兵、すなわち国の「暗部」を構成する実行部隊の長の一人、バルタスだった。裏社会でその名を聞けば、三日三晩泣き叫んで命乞いをする者がいるほどの屈強な男が、今はただ主の返答を待つ「犬」でしかなかった。

その視線の先、執務机に鎮座する主――フェリクス・ラヴェンズワースは、短く整えられた黒髪に、全てを見透かすような冷たい蒼い瞳を持っていた。二十代後半の若さでありながら、その身に纏う威圧感は、歴戦の猛者であるバルタスでさえも息苦しくさせる。

フェリクスは、バルタスの報告書から顔を上げない。ただ、その指先だけが、まるでこの世で最も尊い宝物に触れるかのように、優雅な動きを見せていた。

「…………」

その指が梳いているのは、世にも稀な、純白の髪。
フェリクスの膝の上には、報告の最初からずっと、一人の青年が当たり前のように腰掛けていた。

純白の髪は絹糸のように滑らかで、フェリクスの黒い衣服との対比が目を焼くほど鮮烈だ。青年はフェリクスの胸に背を預け、まるで玉座の一部であるかのようにくつろいでいる。時折、フェリクスの指が首筋を撫でると、くすぐったそうに肩をすくめ、金色の瞳が細められる。


オフィール。
それが、この公爵邸で「唯一の例外」として存在する、謎めいた青年の名だった。
バルタスと、彼の後ろに控える部下たちは、その光景に慣れ切っていた。いや、慣れるしかなかった。

この国の中枢、王家の血を引き、裏社会の全てを掌握する冷酷無比な当主、フェリクス・ラヴェンズワース。彼が唯一、その威圧感を解き、表情筋を緩めるのが、このオフィールがそばにいる時だけなのだ。

オフィールが公爵の「愛人」であることは、邸の者たちにとって暗黙の了解だった。
彼がどこから来た何者なのか、誰も知らない。ある日突然、ボスの傍らに現れ、それ以来、常に、文字通り肌を離さず共にいる。

そして、部下たちは経験則から知っていた。
オフィール様がボスの膝の上にいる時、ボスの機嫌は「最良」ではないが、「最悪」にはならない、と。


「処分は許可する。だが、西区の統括責任者は誰だ」

「はっ、それは…わたくしの部下の…」

「お前の部下の管理不行き届きだ。それも処分しろ」
冷酷な声が響く。やはりこの主は恐ろしい。バルタスは冷や汗をかきながらも、この程度で済んだことに安堵していた。もしオフィールがいなければ、自分も連帯責任で指の一本は覚悟せねばならなかったかもしれない。
バルタスが再び頭を下げようとした、その時。

「ん…」
膝の上で、オフィールが小さく身じろぎした。フェリクスの指が、彼の耳朶を軽く食んでいたのだ。

部下たちの前で、なんという…。
バルタスは咄嗟に視線を絨毯の模様に固定した。

(見てはならない、見てはならない…)
オフィール様を見すぎることは、ボスへの反逆とみなされる。

以前、新入りの一人がオフィールのあまりの妖艶な美しさに目を奪われ、数秒間凝視してしまった。その結果、フェリクスが放った殺気に当てられ、三日高熱で寝込む羽目になったのだ。
部下たちにとって、オフィールはボスの機嫌を安定させる「女神」であると同時に、ボスの独占欲を刺激する「起爆スイッチ」でもあった。

「…ふふ」
オフィールが小さく笑う。フェリクスの胸に頬をすり寄せ、その冷たい蒼い瞳を見上げる。

「フェリクス、少しかたい」

「そうか」
報告の最中であることなど意にも介さず、フェリクスはオフィールの細い腰を抱く腕の力を、わずかに緩めた。

「…これでいいか?」

「うん。ちょうどいい」
まるで二人だけの世界だった。
バルタスは、早くこの報告を終わらせたいと心底願いながら、次の議題に移ろうとした。

「ボス。それから、先ほど王家より親書が」
その言葉が出た途端、部屋の空気が一変した。

さきほどまでの甘い微睡みは霧散し、フェリクスの蒼い瞳が凍てつくような色を帯びる。
オフィールもまた、フェリクスの胸元で金色の瞳を開き、静かにバルタスを見据えた。

バルタスが恭しく捧げ持った、王家の紋章が入った封蝋を施された手紙。

フェリクスはオフィールを膝に乗せたまま、それを受け取り、ペーパーナイフで素早く封を切った。
差出人は、現国王。フェリクスの叔父にあたる人物だ。

民からは「賢王」と慕われ、ユーモアを解する人格者として知られているが、フェリクスにとっては「国の面倒事を全て押し付けてくる、食えない叔父」でしかなかった。

「…………」
手紙に目を通すフェリクスの顔は、能面のように無表情だ。
だが、彼にしかわからないわずかな変化を、オフィールは感じ取っていた。フェリクスの指先が、オフィールの腰を抱く力が、無意識に強まる。

「フェリクス?」
オフィールがこてん、と首を傾げてフェリクスの顔を覗き込む。
フェリクスはフッと息を吐き、親書を机の上に放り投げた。

「…叔父上も、人をこき使う」
親書には、こう記されていた。


『王国内にて、出所不明の強力な呪毒が秘密裏に流通している。すでに下級貴族数名が被害に遭い、廃人同様となっている。通常の毒とも呪いとも判別がつかぬ厄介な代物だ。背後に高位の貴族、あるいはそれ以上の組織が関与している疑いがある。
―――ラヴェンズワースの当主として、速やかに組織を特定し、"掃除"せよ』


面倒な、という言葉がフェリクスの顔にはっきりと書いてあった。
毒や呪い。それはこの裏社会において、最も忌むべき、そして最も多用される手段だ。

「また、おしごと?」
オフィールが、フェリクスの眉間の皺をなぞるように、細い指を伸ばす。
その冷たく滑らかな感触に、フェリクスの表情がわずかに和らいだ。

「ああ。だが、問題ない」
フェリクスはオフィールの指を取り、その手の甲に、まるで誓いを立てるかのように深く口づけを落とした。

「お前がいれば、すぐに終わる」
その言葉が、彼らの絶対的な信頼関係の証。
バルタスはまたボスの「完全無欠」の力が発揮されるのかと、畏怖と尊敬の念を新たにした。ラヴェンズワースの当主は、いかなる毒も呪いも通じないと、裏社会では伝説のように語られている。その力が、この膝上の「愛人」から発せられているなど、彼らは知る由もなかった。

フェリクスはオフィールを膝から降ろし、ゆっくりと立ち上がった。オフィールはまるで影のように、音もなく彼の隣に寄り添う。
黒と白のコントラスト。威圧的な当主と、妖艶な愛人。

「バルタス」

「はっ!」
冷徹な「影の当主」の顔に戻ったフェリクスが、命令を下す。

「この呪毒の流通ルートを洗え。王都内の全ての情報網を使え。三日だ」
その蒼い瞳は、すでに獲物を見据える猛禽のそれだった。

「三日以内に、首謀者の名を俺の前に持ってこい」







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