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23話
しおりを挟むゲルハルトが「掃除」されてから、三日。
ラヴェンズワース公爵邸の内部は、粛清の嵐によって引き締まり、以前にも増して、静まり返っていた。
四十年の忠誠を捧げた大幹部が、一夜にして「ゴミ」として処理されたという事実は、残った者たちに、現当主フェリクス・ラヴェンズワースへの、絶対的な恐怖と忠誠を改めて刻み込むのに十分すぎる効果をもたらした。
そして四日目の昼下がり。
フェリクスは、王城の最奥、叔父である国王アリストリウスの私的執務室に、何事もなかったかのように訪れていた。
もちろん、その膝の上には、純白の「影」――オフィールを伴って。
「―――やれやれ。お前の家の『大掃除』が、随分と大変だったようだな、甥よ」
アリストリウス王は、執務机に山と積まれた決裁書類から顔を上げ、心底疲れた、という顔でしかし、その瞳の奥は笑って甥を迎えた。
部屋の隅に控える老宰相は、またしても国王の御前に「愛人」を同伴し、あまつさえ膝に乗せているフェリクスの不敬に、何度目か分からない眩暈を覚えていた。
フェリクスは、叔父のユーモラスな労いにも、表情一つ変えなかった。
「…ええ。少々、屋敷に『埃』が溜まっておりましたので」
彼は、膝の上のオフィールの髪を指先で弄びながら、冷ややかに応じた。
「ですが、その『埃』の原因は、どうやら王城にもあるようですな」
「…ほう?」
国王の笑みが、わずかに深くなる。
「そもそもは、叔父上が飼っている『狐』が、俺の庭に勝手に侵入し、粗相をしたのが発端」
「…『狐』、とは穏やかではないな。オルブライト侯爵のことか」
「ご明察の通り」
この緊迫した、叔父と甥の会話。
だが、その緊張感の中心にいるはずのオフィールは、全く意に介していなかった。
彼は、国王の執務室のしつらえにこの前の部屋と同じだと退屈し、今は、国王の侍従が半ば諦念と共に差し出した、王家特製の最高級の砂糖菓子を、小さな口で頬張っていた。
(ん、これは酸っぱい。この前の村のパンの方が、おいしかったかも)
そんな場違いな感想を抱きながら、フェリクスの胸元に背を預けている。
フェリクスは、そんなオフィールの背中を片手で支えながら、もう片方の手で、懐から一つの巻物を取り出した。
そして、それを、国王の執務机に、まるで叩きつけるかのように、音を立てて放り投げた。
ドン、という鈍い音に、老宰相が無礼な!と肩を震わせる。
「…これは、なんだね」
国王が、静かに尋ねる。
「『ゴミ』の、最後の言葉です」
フェリクスが言い放つ。
「ゲルハルト――四十年間、我が家に仕えた、あの忠実な『老犬』が、最後に吠えた、哀れな遠吠えですよ」
国王は、巻物をゆっくりと開いた。
そこに記されていたのは、ゲルハルトの自署による、詳細な「自白書」だった。
いつからオルブライト侯爵と通じていたのか。
どのような情報を渡したのか。
そして、その動機「現当主は、色に溺れ、ラヴェンズワース家を腐らせる」という、歪んだ忠誠心までもが、赤裸々に。
「…ほう」
国王は、その凄惨な内容、拷問の末に書かされたであろうことは、想像に難くないを読みながら、感嘆したように息を吐いた。
「…あのゲルハルトを、ここまで『歌わせた』か。…お前の手腕は、先代を超えたやもしれんな、フェリクス」
それは、皮肉であり、本心からの賞賛でもあった。
「お褒めにあずかり、光栄です」
フェリクスは、その賞賛を、一片の謙遜もなく受け止めた。
「ですが、叔父上。問題は、そこではない」
フェリクスの蒼い瞳が、国王を真っ直ぐに射抜いた。
その瞳には、甥としての甘えなど、微塵も残っていなかった。
それは、「国の暗部」を統括する当主が、「国の統治者」に向ける、冷徹な「交渉人」の目だった。
「今回の件、表向きは『ラヴェンズワース家の内部不祥事』。違いますかな?」
「…そう、なるな。表向きは」
国王が、慎重に言葉を選ぶ。
「ですが、実態は違う」
フェリクスは、机に乗り出すようにして、その威圧感を増大させた。
「オルブライト侯爵――彼が狙ったのは、俺の首ではない。俺の『影』の、機能不全だ」
「……」
「『影』は、誰のものですか?」
「…『国』の、ものだ。王家の、ものだ」
「その通り」
フェリクスは、満足げに頷いた。
「つまり、オルブライト侯爵の行為は、ラヴェンズワース家への私的な攻撃ではなく、この国の『盾』であり『剣』である、王家の直轄組織への、明確な『反逆』です」
「…理屈は、通るな」
国王は、この甥が、何を言い出すかを正確に予測し、内心で面倒なことになったと、深い溜息をついた。
「『赤蛇』の掃討は遅れ、東区の諜報網は、再構築に最低でも三ヶ月はかかる」
フェリクスは、被害状況を淡々と、しかし誇張して告げる。
「その間、国の『暗部』は、片腕をもがれたも同然。…全て、オルブライト侯爵という『叔父上の敵』のせいで」
「……」
「この『損害』は、あまりにも大きい」
フェリクスは、言葉を切った。
そして、オフィールの頬に、まるでよく聞いているかとでも言うように、一度だけ、優しく触れた。
「叔父上」
その声は、決定的な一言を告げるための、最後通告だった。
「この『貸し』は、高くつきますよ」
国王の執務室に、完全な沈黙が落ちた。
オフィールが、次の砂糖菓子に手を伸ばす、カサリ、という小さな音だけが、やけに大きく響いていた。
国王アリストリウスは、ついに、その温厚な「叔父」の仮面を外し、冷徹な「賢王」の顔で、目の前の強欲な甥を、見据え返した。
交渉は、今、始まったばかりだった。
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