24 / 42
24話
しおりを挟む「この『貸し』は、高くつきますよ」
フェリクス・ラヴェンスワースが放った、臣下としてはありえない、脅迫とも取れる言葉。
それが、国王アリストリウスの私的執務室に、重く、冷たく響き渡った。
アリストリウス王は、目の前の甥の、その絶対零度の蒼い瞳を、しばし黙って見つめ返していた。
玉座から発せられる「賢王」の威厳と、「影の当主」が放つ闇の威圧感が、目に見えない火花を散らす。
部屋の隅に控える老宰相は、この国で最も危険な二人の「王」の睨み合いに、生きた心地がしなかった。
やがて、その均衡を破ったのは、国王の方だった。
彼は、深い、深いため息をついた。
「…はぁ。お前という奴は、フェリクス」
国王は、先代の、あの厳格すぎた兄の顔を思い出していた。
(兄上は、己を殺しすぎた。だが、その息子は、己の欲望に忠実すぎる…!)
どちらも、統治者としては、あまりにも極端だった。
「…して、その『請求書』の、具体的な中身を聞こうか。甥よ」
国王は、政治家の顔に戻った。
「ラヴェンスワース家の『損害』を埋めるには、何が望みだ?」
フェリクスは、待っていましたとばかりに、その薄い唇をほんのわずかに、嘲るかのように吊り上げた。
「簡単なことです、叔父上」
彼は、まるで王都の地図が頭の中に完璧に入っているかのように、淀みなく告げた。
「オルブライト侯爵家が、その『裏金』捻出のために管理している、王都東区の『第三物流ルート』。および、その利権の源泉となっている、西の『キトラ山脈』の月長石鉱山の採掘権」
「なっ…!」
今度こそ、老宰相が、血相を変えて声を上げた。
「こ、公爵閣下! それは、あまりにも…! キトラ鉱山は、王家の、いえ、この国の財政を支える、重要な…!」
「知っております」
フェリクスは、老宰相の抗議を、冷たく一蹴した。
「ですが、オルブライト侯爵は、その『重要な財源』から得た金で、『王家の盾』である我らを攻撃した」
彼は、国王に向き直る。
「これは、単なる『損害』の補填ではありません。…『膿』の、切除です」
「あの『狐』が、その財源を使って我らを腐らせようとしたのなら、その財源ごと、我らラヴェンスワースが管理する。それ以上、腐敗が進まぬように」
なんという、理屈だろうか。
(強奪、ではなく『管理』か!)
(腐敗の『切除』だと…!)
国王は、この甥の、どこまでも傲慢で、しかし完璧に筋が通っているように聞こえる論理に、もはや笑うしかなかった。
「…くっ…」
国王は、こめかみを押さえた。頭痛がしてきた。
「お前は、この国を、ラヴェンスワース家のものにするつもりか」
「いいえ」
フェリクスは、即答した。
「全ては、叔父上の『盾』として、より完璧に機能するため。…違いますか?」
(この、悪魔め…!)
国王は、理解していた。
ここでフェリクスの要求を突っぱねれば、この強欲な甥は、確実に「拗ねる」。
「影」の機能を、意図的に低下させるだろう。
(「人手が足りませんので」「予算がありませんので」…奴は、そういう顔で、平然とそう言うだろう)
そして、その隙を突かれ、第二、第三のオルブライト侯爵が生まれれば、この国の闇は、本当に腐敗し、崩壊する。
この国は、良くも悪くも、このフェリクス・ラヴェンスワースという「劇薬」なしでは、成り立たなくなってしまっていたのだ。
「…………わかった」
国王は、絞り出すように言った。
老宰相が陛下!?と、信じられないという顔で主君を見る。
「…キトラ鉱山の採掘権、および、第三物流ルートの監督権は、オルブライト侯爵家から剥奪し、『国家安全保障上の特区』として、ラヴェンスワース公爵家の管理下に置くことを、認める」
「…賢明なるご判断です、叔父上」
フェリクスは、その冷たい顔に、初めて、満足げな、勝利の笑みを浮かべた。
四十年の忠誠を捧げたゲルハルトの「背信」は、結果として、ラヴェンスワース家に、莫大な富と権力を新たにもたらす「対価」となったのだ。
この、国の中枢を揺るがす、緊迫した政治交渉。
その、まさに真っ只中で。
カチリ。
カチ、カチリ。
静まり返った執務室に、場違いな、小さな、しかし耳障りな「雑音」が響き始めた。
国王と老宰相の視線が、その音の発生源へと向かう。
音の主は、オフィールだった。
彼は、この国の利権を巡る、息詰まるような会話に、とうの昔に飽きていた。
そして、今は、フェリクスの胸元――その黒いクラバットを留めている、大粒の黒曜石オブシディアンのピン――を見つけ、それを指先で、まるで玩具のように、いじくり回していたのだ。
カチ、カチリ。
(…これ、きれい。でも、フェリクスの瞳のほうが、もっときれい)
オフィールは、そんなことを考えながら、ピンの留め具を、無邪気にカチカチと鳴らしていた。
「「「…………」」」
国王と老宰相は、絶句した。
(((この、国政を揺るがす交渉の、真横で…!)))
(((遊んでいる…だと…!?)))
国王の頭痛が、限界に達した。
(そうか…)
彼は、数日前に絶望したゲルハルトの気持ちが、今、痛いほど理解できた。
(この甥にとって、この国の権力闘争も、キトラ鉱山も、全ては、この膝の上の『愛人』の機嫌以下の価値でしかないのだ…!)
フェリクスは、そのオフィールの「雑音」にも、国王たちの視線にも、一切気づかずあるいは、気づいていて無視し、交渉の勝利に満足していた。
「では、叔父上。書類の手配、よろしくお願いいたします」
フェリクスは、オフィールの腰を抱き直し、立ち上がった。
「これで、『掃除』は完了です。私は、多忙ですので、これにて」
「あ、フェリクス、これ、取れちゃった」
オフィールが、カチカチいじっていたクラバットピンを、無邪気にフェリクスに差し出した。
「…そうか。後で直しておく」
フェリクスは、それを受け取ると、オフィールの頭を優しく撫でた。
その、完璧な「二人の世界」。
それを見せつけられ、政治的にも敗北した国王は、ついに、堪忍袋の緒が切れた。
いや、むしろ、完璧な「仕返し」を思いついたのだ。
「ああ、待て、甥よ」
国王は、退室しようとするフェリクスの背中に、先ほどとは打って変わった、実に、実に楽しそうな声をかけた。
「…まだ、何か?」
フェリクスが、怪訝そうに振り返る。
「よくやってくれた、フェリクス。オルブライトの件、お前の働きには、叔父として、王として、心から感謝している」
国王は、満面の「賢王」の笑みを浮かべていた。
だが、その瞳は、獲物を見つけた蛇のように、細められていた。
「そして、その『忠誠』の証として、だ」
「…?」
「来週、隣国である南の『海龍王国』の王族たちを招いて、王室主催の、盛大な『舞踏会』を開く」
ピクリ、と。
フェリクスの眉が、動いた。
ラヴェンスワースの当主が、最も嫌うもの。
それは、意味のない、虚飾に満ちた、貴族の「社交」だった。
「お前も、王家の血を引く者。そして、この国の『影』の当主として、王家の威光を内外に示す、重要な『義務』がある」
「…私は、多忙です」
フェリクスが、冷たく拒絶する。
「ああ、知っているとも」
国王は、ゆっくりと立ち上がった。
「だがな、フェリクス。これが、『取引』だ」
「…何と?」
国王は、先ほどフェリクスが机に放り投げた、ゲルハルトの「自白書」を、指先でトントン、と叩いた。
「キトラ鉱山の、その莫大な『利権』の譲渡」
「それと、お前の、そのたった一夜の『舞踏会への出席』」
「―――どちらが、王家にとって『安上がり』か。お前ほどの頭脳なら、わかるだろう?」
それは、完璧な「王命」であり、逃れられない「脅迫」だった。
(この、老狐が…!!)
フェリクスは、人生で数えるほどしかない、明確な「敗北」を悟った。
国王に「貸し」を作ったつもりが、その「対価」として、自分が最も嫌う「義務」を押し付けられたのだ。
「…ふふ」
フェリクスは、無言で、しかしその蒼い瞳には、叔父への明確な殺意を宿して、国王を睨みつけた。
国王は、その視線を、愉快そうに受け流した。
「ああ、そうだ。その、膝の上の『彼』も、もちろん、同伴するように」
「……」
「お前の『大事な人』なのだろう? 王族の威光を示すには、うってつけではないか」
(お前の、その『弱点』を、白日の下に晒してやる)
という、国王の、冷たい宣戦布告だった。
「…フェリクス?」
オフィールは、難しい話はわからなかったが、フェリクスが、ものすごく不機嫌になったことだけは、正確に感じ取っていた。
「…『ぶとうかい』って、なに? おいしいの?」
その、無邪気すぎる問いかけに。
「はっはっは!!」
国王アリストリウスは、今日一番の、心の底からの大爆笑を、執務室に響かせるのだった。
21
あなたにおすすめの小説
溺愛極道と逃げたがりのウサギ
イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。
想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。
悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。
※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。
二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。
後宮に咲く美しき寵后
不来方しい
BL
フィリの故郷であるルロ国では、真っ白な肌に金色の髪を持つ人間は魔女の生まれ変わりだと伝えられていた。生まれた者は民衆の前で焚刑に処し、こうして人々の安心を得る一方、犠牲を当たり前のように受け入れている国だった。
フィリもまた雪のような肌と金髪を持って生まれ、来るべきときに備え、地下の部屋で閉じ込められて生活をしていた。第四王子として生まれても、処刑への道は免れられなかった。
そんなフィリの元に、縁談の話が舞い込んでくる。
縁談の相手はファルーハ王国の第三王子であるヴァシリス。顔も名前も知らない王子との結婚の話は、同性婚に偏見があるルロ国にとって、フィリはさらに肩身の狭い思いをする。
ファルーハ王国は砂漠地帯にある王国であり、雪国であるルロ国とは真逆だ。縁談などフィリ信じず、ついにそのときが来たと諦めの境地に至った。
情報がほとんどないファルーハ王国へ向かうと、国を上げて祝福する民衆に触れ、処刑場へ向かうものだとばかり思っていたフィリは困惑する。
狼狽するフィリの元へ現れたのは、浅黒い肌と黒髪、サファイア色の瞳を持つヴァシリスだった。彼はまだ成人にはあと二年早い子供であり、未成年と婚姻の儀を行うのかと不意を突かれた。
縁談の持ち込みから婚儀までが早く、しかも相手は未成年。そこには第二王子であるジャミルの思惑が隠されていて──。
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。
これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。
無自覚両片想いの勇者×親友。
読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。
天上の果実
曙なつき
BL
大きな果実の実が頭に当たったことにより、記憶を失った婚約者のルシス。
目を覚ました彼に、私はこう言った。
「愛しい人。あなたと私は愛し合っていました。来年には式を挙げる予定なのですよ」
それは少しの真実と多くの嘘を織り交ぜた言葉だった。
ルシスは私を嫌い、厭うていた。
記憶を無くした少年と、彼を囲いこむ王子の物語です。
※なお、ルシスの兄と弟の物語も併せて掲載します。完結まで予約済みです。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
薄紅の檻、月下の契り
雪兎
BL
あらすじ
大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。
没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。
しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。
鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。
一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。
冷ややかな契約婚として始まった同居生活。
だが、伊織は次第に知ることになる。
鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。
発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。
伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。
月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。
大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
【BLーR18】箱入り王子(プリンス)は俺サマ情報屋(実は上級貴族)に心奪われる
奏音 美都
BL
<あらすじ>
エレンザードの正統な王位継承者である王子、ジュリアンは、城の情報屋であるリアムと秘密の恋人関係にあった。城内でしか逢瀬できないジュリアンは、最近顔を見せないリアムを寂しく思っていた。
そんなある日、幼馴染であり、執事のエリックからリアムが治安の悪いザード地区の居酒屋で働いているらしいと聞き、いても立ってもいられず、夜中城を抜け出してリアムに会いに行くが……
俺様意地悪ちょいS情報屋攻め×可愛い健気流され王子受け
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる