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25話
しおりを挟む王城からラヴェンスワース公爵邸に戻ったフェリクスの機嫌は、彼がこの世に生を受けて以来、間違いなく「最悪」であった。
キトラ鉱山の利権という、莫大な勝利を手にしたにもかかわらず、だ。
その理由は、彼が持ち帰った一枚の、豪奢な羊皮紙。
国王アリストリウス直筆の署名が入った、「王室舞踏会への招待状という名の強制召喚令状」のせいだった。
「…………」
私室に戻るなり、フェリクスは、その忌まわしい招待状を、暖炉の火に放り込もうとした。
「ボス! お待ちください!」
それを、バルタスが決死の形相で制止した。
「…なんだ、バルタス。俺は疲れている。燃えるゴミを処分するのを、止めるな」
「そ、それは『ゴミ』ではございません! 国王陛下からの、正式な招待状でございます!」
「同義だ」
フェリクスの蒼い瞳が、絶対零度の冷気を放っている。
バルタスはまたオフィール様関連で、何かあったのか…!? いや、今回は違う、国王陛下ご本人だ!と、己の胃を庇護するように、そっと押さえた。
「ボス。…陛下より、追加の『ご伝言』を預かっております」
「…聞こう」
「はっ。『もし、公爵閣下が、病気その他、やむを得ない事情でご欠席なさるようなことがあれば』…」
バルタスは、ゴクリと唾を飲んだ。
「『先日の、キトラ鉱山の利権譲渡に関する『取引』について、王家として、再度、慎重に『再考』せねばならなくなるやもしれぬ』…と」
カチリ、と。
フェリクスが、暖炉の火掻き棒を、その手の中で握りしめる音がした。
それは、叔父からの、完璧な「脅迫」だった。
(…あの、老狐が…!!)
(キトラ鉱山を『飲む』のならば、この『毒』も飲め、か…!)
フェリクスは、ギリ、と奥歯を噛み締めた。
この「取引」は、拒否できない。
あの狡猾な叔父は、フェリクスが絶対に「キトラ鉱山」という実利を手放さないことを知っていて、この「罰ゲーム」を仕掛けてきたのだ。
「…チッ…!」
フェリクスは、忌々しげに舌打ちすると、招待状を燃やす代わりに執務机の隅に叩きつけた。
「…バルタス」
「はっ!」
「舞踏会は、いつだ」
「五日後の、日没より」
「…そうか。…ああ、忌々しい」
フェリクスが、己の黒髪を、苛立たしげに掻きむしる。
その、主人の明確な「不機嫌」を、部屋の隅で、一人の人物が、興味深そうに眺めていた。
オフィールだ。
彼は、王城から戻って以来、フェリクスがずっと怒っている理由が、よく分かっていなかった。
(『ぶとうかい』? それが、そんなに嫌なの?)
オフィールは、フェリクスの膝の上から今は、主人が苛立っていて座らせてくれないため長椅子に移り、王城でもらってきた砂糖菓子の残りを頬張りながら、主人の様子を観察していた。
フェリクスの苛立ちは、オフィールの視線に気づくと、別の方向へと転化した。
(…そうだ。俺だけが、この不快な思いをするのは、公平ではない)
(あの老狐は、言ったな。『彼も、もちろん、同伴するように』と)
フェリクスは、悪魔的な笑みを、その冷たい顔に浮かべた。
「…オフィール」
「なに? フェリクス」
「行くぞ」
「どこへ?」
「その、忌々しい『ぶとうかい』とやらにだ」
「えっ!?」
オフィールは、目を丸くした。
「僕も? やだ、面倒くさい。屋敷で、フェリクスとイチャイチャしてる方がいい」
先日、村で「聖女」と間違えられて、フェリクスが嫉妬で怒った一件以来、オフィールは「屋敷の外」を、やや面倒くさいものと認識し始めていた。
「駄目だ」
フェリクスの声は、命令だった。
「国王が、お前も連れてこい、と『王命』を下した」
「…むぅ」
オフィールは、不満そうに頬を膨らませた。
だが、次のフェリクスの言葉に、その表情が変わる。
「…いいか、オフィール。その『舞踏会』というのはな」
フェリクスは、オフィールを手招きし、再び自分の膝の上に乗せた。
そして、その耳元で、まるで悪魔が囁くかのように、告げた。
「王都中の、貴族という貴族どもが、一箇所に集まる、虚飾の宴だ」
「…うん」
「俺は、お前を、そこへ連れて行く」
「…うん?」
「お前を、『これ見よがし』に、だ」
フェリクスの蒼い瞳が、ギラリとした独占欲の光を帯びた。
(叔父上が、俺の『弱点』を晒せというのなら、望み通り、晒してやろう)
(だが、ただでは晒さん)
「お前を、この世の誰よりも美しく着飾らせて、連れて行く」
「…?」
「そして、貴族どもに、思い知らせてやる」
フェリクスは、オフィールの純白の髪を、まるで宝石でも扱うかのように、指に絡ませた。
「―――この『至宝』が、誰の『所有物』であるかを」
「…!」
オフィールは、その言葉の意味を、正確に理解した。
フェリクスは、「舞踏会」という名の「戦場」で、自分という「トロフィー」を、これ以上ないほどに誇示するつもりなのだ。
(…ふふ)
オフィールは、その重すぎる独占欲に、嬉しさがこみ上げてくるのを止められなかった。
(面倒くさいのは嫌だけど、フェリクスが、僕を『自慢』してくれるのは、好き)
「…わかった。行く」
オフィールは、こくりと頷いた。
「その代わり、フェリクス。僕を、一番きれいにしてね」
「…ああ。当然だ」
こうして、二人の「共犯関係」は、成立した。
それからの五日間、ラヴェンスワース公爵邸は、ゲルハルト粛清の時とは、また違った意味で、凄まじい緊張感に包まれた。
フェリクス・ラヴェンスワースが、本気になったのだ。
「オフィールの衣装」のために。
「違う! この白は、白すぎる!」
「こっちの絹は、光沢が下品だ!」
「採寸が、一ミリ狂っている! やり直せ!」
王都中から呼び集められた、最高峰の仕立て屋たちが、次々と、フェリクスの「完璧主義」と「独占欲」の犠牲となり、青ざめた顔で退出していく。
フェリクスは、オフィールの衣装のデザイン、布地、縫製、その全てを、自ら監修していた。
「…フェリクス、もう、これでいいよ…。疲れた…」
オフィールは、何十着目かの仮縫いの衣装を着せられたまま、うんざりとしていた。
丸二日間、彼は、この着せ替え人形のような状態に耐えていたのだ。
「駄目だ」
フェリクスは、オフィールの肩口の、レースの角度を調整しながら、冷たく言い放つ。
「お前の美しさを、あの愚かな連中の網膜に焼き付けるには、完璧でなくては意味がない」
衣装だけではない。宝飾品もだ。
「このダイヤは、カットが甘い。オフィールの黄金の瞳の、引き立て役にもならん。下げろ」
「このサファイアは…悪くない。俺の瞳の色と同じだ。…こいつの首輪には、ちょうどいい」
「く、首輪って…!」
フェリクスは、まるで自分の「所有物」に刻印を押すかのように、オフィールを飾る宝飾品を選んでいく。
その様は、バルタスら部下たちから見れば、また始まった…という諦念と、ボスが、あそこまで夢中になれるのは、オフィール様だけだ…という、ある種の安堵さえもたらしていた。
そして、舞踏会前夜。
ついに、全てが完成した。
それは、純白を基調としながらも、随所に月の光を思わせる銀糸の刺繍が施され、オフィールのしなやかな体躯のラインを、これ以上ないほど妖艶に、しかし気高く見せる、完璧な礼服だった。
首元には、フェリクスの蒼い瞳を思わせる、大粒のサファイアのチョーカーが、まるで「首輪」のように、輝いていた。
「……」
フェリクスは、その仕上がりを見て、初めて、満足げに息を吐いた。
「…ああ。これならいい」
「…本当? フェリクス」
「ああ」
フェリクスは、鏡の前に立つオフィールを、背後から抱きしめた。
鏡の中には、完璧な「黒」の当主と、その腕の中で輝く「白」の至宝が、映っている。
「…これで、あの老狐も、あのゴミどもも、理解するだろう」
フェリクスは、鏡の中のオフィールの、白い首筋に、顔をうずめた。
「―――お前が、誰のものか、ということをな」
その声は、「戦場」への、独占者の宣戦布告だった。
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