26 / 42
26話
しおりを挟む王室舞踏会の夜。
王城は、その威信を示すかのように、城全体が魔術的な光でライトアップされ、まるで闇夜に浮かぶ巨大な宝石のようだった。
ひっきりなしに到着する、王都の有力貴族たちを乗せた豪華な馬車。
その中でも、ひときわ異彩を放つ一団が、正面玄関に到着した。
ラヴェンスワース家の紋章が刻まれた、漆黒の馬車。
そこから、まず、護衛であるバルタスが降り立ち、周囲に鋭い視線を走らせる。
そして、彼が恭しく扉を開けると、まず、闇そのものが凝ったかのような、黒の礼服に身を包んだ「影の当主」、フェリクス・ラヴェンスワースが姿を現した。
「「「…………っ」」」
エントランスで招待客の到着を眺めていた貴族たちが、息を呑んだ。
(ラヴェンスワース公だ…)
(あの方が、舞踏会になど…珍しい…)
(国王陛下の、じきじきのご命令だそうだ…)
フェリクスの機嫌は、今夜、屋敷を出る時からずっと「最低」だった。
その身から放たれる絶対零度の威圧感は、今夜のためにあつらえた最高級の礼服でも隠しきれず、周囲の喧騒を、まるでナイフで切り裂いたかのように静まらせた。
だが、貴族たちの息が、本当に止まったのは、その次の瞬間だった。
フェリクスが、馬車の中に、そっと手を差し伸べた。
その黒い手袋の手を、まるで当然のように、一本の、白魚のような手が掴む。
そして、その「手」の持ち主が、闇色のフェリクスに導かれ、光の中へと降り立った。
「「「…………あ……」」」
それは、声にならない、感嘆とも畏怖ともつかない、ため息の連鎖だった。
純白の至宝。
フェリクスが五日間かけて「作り上げた」、完璧な存在。
光を吸い込むような純白の礼服は、銀糸の刺繍で縁取られ、オフィールの人ならざる美しさを、神聖な領域にまで高めていた。
肌の白さは陶器のようであり、金色の瞳は、この世の宝石のどれよりも妖しく輝いている。
そして、その白い首元には――フェリクスの蒼い瞳の色を宿した、大粒のサファイアのチョーカーが、まるで「首輪」のように、官能的な光を放っていた。
あれが。
影の当主が、その膝の上から片時も離さないと噂の。
あの冷酷無比な男を、骨抜きにしたという。
「…噂の、『愛人』…」
「なんと…男、なのか…?」
「美しすぎる…まるで、月の精霊だ…」
「だが、あの首輪を見ろ。公爵閣下の瞳の色だ。…なんという、あからさまな『所有』の証…」
侮蔑、好奇心、嫉妬、そして恐怖。
あらゆる感情の視線が、針のようにオフィールに突き刺さる。
オフィールは、その無数の視線に、わずかに眉をひそめた。
(…村の時より、うるさい)
(匂いも、キツい。香水と、見栄と、嘘の匂いだらけだ)
彼は、本能的に、この空間が「不快」だと感じ取っていた。
オフィールは、自分に向けられる視線から逃れるように、フェリクスの腕に、無意識に身を寄せた。
その仕草が、フェリクスの独占欲を、さらに強く刺激した。
(…フン。そうだ、俺から離れるな)
フェリクスは、オフィールのその細い腰を、周囲に見せつけるように、強く、しかし優雅に抱き寄せた。
そして、貴族たちの視線など、まるで道端のゴミでも見るかのように、一切無視し、会場である「大広間」へと、悠然と歩き出した。
大広間は、千の燭台と、巨大なシャンデリアによって、白昼よりも明るく照らされていた。
優雅なワルツが流れ、着飾った貴族たちが、虚飾の笑みを浮かべて踊り、あるいは、グラスを片手に政治的な「噂話」に興じている。
「公爵閣下、ご到着!」
その声が響き渡った瞬間、それまでの喧騒が、嘘のように静まった。
音楽さえも、一瞬ためらったかのように、音量を落とす。
全ての視線が、入り口に立つ、完璧な「黒」と「白」のコントラストへと注がれた。
玉座の上から、国王アリストリウスが、その光景を実に、楽しそうに眺めていた。
(…来たか、甥よ。…そして、随分と、派手に『飾り立てて』きたものだ)
(あれが、あのゲルハルトでさえ道を踏み外させた、噂の『傾国の白』か。…確かに、あれは、毒だ)
国王は、これから起こるであろう「波乱」を予測し、笑いを堪えるのに必死だった。
フェリクスは、この焦げ付くような視線の集中を、心底、不快に感じていた。
(…忌々しい)
彼は、誰に挨拶することもなく国王にだけは、儀礼的に、頭をわずかに下げるという「最大限の敬意」を払ったが、広間の最も奥、しかし、最も会場全体を見渡せる「壁際」の、豪華な長椅子へと、まっすぐに向かった。
そこは、暗黙の了解で、最も高貴な者のために空けられていた場所だった。
フェリクスは、その長椅子に、ふんぞり返るように座ると、オフィールを、自分の膝の上ではなく、すぐ隣に座らせた。
だが、その間隔は、ゼロ。
オフィールの肩と太腿は、フェリクスのそれと、ぴったりと密着していた。
そして、そのオフィールの腰に、フェリクスの腕が、まるで「誰にも触れさせるな」と主張するかのように、回されている。
それは、貴族社会の常識からすれば、ありえない光景だった。
公の場で、パートナーしかも、男の腰を、あれほどあからさまに抱きしめるなど。
それは、言葉よりも雄弁に、周囲に語りかけていた。
(―――こいつは、俺の『所有物』だ。指一本、触れてみろ)と。
(((なんと、はしたない…)))
(((だが、美しい…)))
(((公爵閣下は、本気なのだ…)))
貴族たちは、恐怖と好奇心に引き裂かれながら、遠巻きに、しかし、執拗に、その二人を観察し続けた。
「…フェリクス」
オフィールは、その居心地の悪い視線から逃れるように、フェリクスにだけ聞こえる声で、囁いた。
「…僕、おなかすいた」
「侍従を呼べ」
フェリクスが護衛として、数歩後ろに控えているバルタスに目で合図すると、すぐに侍従が、最高級のシャンパンと、色とりどりのカナッペや菓子を、銀の盆に乗せて運んできた。
オフィールは、周囲の視線など、もうどうでもよくなった。
(あ! あれ、きれい)
彼は、キラキラと輝くゼリー寄せや、小さなタルトに目を輝かせ、フェリクスが許可するのも待たずに、それを一つ、つまみ上げた。
「ん、おいしい」
「…こぼすなよ」
フェリクスは、オフィールの口元を、自分のハンカチで拭ってやりながら、その無邪気な様子に、ほんの少しだけ、苛立ちを和らげていた。
(((食べさせている…!)))
(((あの、影の当主が、まるで子供にあやすように…!)))
貴族たちの間の「噂」が、さらに熱を帯びていく。
フェリクスの機嫌は、オフィールが菓子を食べる姿が「可愛い」ことで、わずかに「良」に傾いたかと思えば、その「可愛い」姿を、他のゴミどもが見ているという事実に気づき、再び「最悪」へと急降下する。
その、不安定な「焦ったさ」だけが、その場を支配していた。
誰もが、その「聖域」に近づけずにいた。
フェリクスが放つ「触れるな」という冷気が、物理的な壁となって、人々を遠ざけていたのだ。
音楽が再び流れ始め、人々は踊りに戻ったが、その視線の、実に三割は、壁際の「黒と白」に注がれ続けていた。
その、張り詰めた均衡を、破る者が現れた。
「―――素晴らしい。まるで、月光のようだ」
それは、若く、朴訥で、しかし、王族としての気品に満ちた、テノールの声だった。
声の主は、今夜の「主賓」である、「海龍王国」の第二王子、テオドール。
彼は、ラヴェンスワース家の「影」の噂など、全く知らない、純粋で、真っ直ぐな青年だった。
彼は、政治的な駆け引きなど意にも介さず、ただ、オフィールの「人ならざる美しさ」に、純粋な芸術品を見るかのような感動を覚えて、近づいてきてしまったのだ。
バルタスがしまった!という顔で、前に出ようとする。
フェリクスの蒼い瞳が、音もなく、その「邪魔者」に向けられた。
オフィールは、菓子を食べる手を止め、不思議そうに、その「新しい人間」を見上げた。
若き王子は、フェリクスの殺意に満ちた視線にも気づかず、完璧な礼をすると、にこやかに、こう言った。
「失礼、ラヴェンスワース公爵閣下。…そちらの、あまりにも美しい『ご婦人』と、よろしければ、一曲、踊らせていただいても?」
その、致命的な「性別の誤認」と、「命知らずな申し出」が、大広間に響き渡った。
20
あなたにおすすめの小説
溺愛極道と逃げたがりのウサギ
イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。
想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。
悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。
※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。
二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。
後宮に咲く美しき寵后
不来方しい
BL
フィリの故郷であるルロ国では、真っ白な肌に金色の髪を持つ人間は魔女の生まれ変わりだと伝えられていた。生まれた者は民衆の前で焚刑に処し、こうして人々の安心を得る一方、犠牲を当たり前のように受け入れている国だった。
フィリもまた雪のような肌と金髪を持って生まれ、来るべきときに備え、地下の部屋で閉じ込められて生活をしていた。第四王子として生まれても、処刑への道は免れられなかった。
そんなフィリの元に、縁談の話が舞い込んでくる。
縁談の相手はファルーハ王国の第三王子であるヴァシリス。顔も名前も知らない王子との結婚の話は、同性婚に偏見があるルロ国にとって、フィリはさらに肩身の狭い思いをする。
ファルーハ王国は砂漠地帯にある王国であり、雪国であるルロ国とは真逆だ。縁談などフィリ信じず、ついにそのときが来たと諦めの境地に至った。
情報がほとんどないファルーハ王国へ向かうと、国を上げて祝福する民衆に触れ、処刑場へ向かうものだとばかり思っていたフィリは困惑する。
狼狽するフィリの元へ現れたのは、浅黒い肌と黒髪、サファイア色の瞳を持つヴァシリスだった。彼はまだ成人にはあと二年早い子供であり、未成年と婚姻の儀を行うのかと不意を突かれた。
縁談の持ち込みから婚儀までが早く、しかも相手は未成年。そこには第二王子であるジャミルの思惑が隠されていて──。
天上の果実
曙なつき
BL
大きな果実の実が頭に当たったことにより、記憶を失った婚約者のルシス。
目を覚ました彼に、私はこう言った。
「愛しい人。あなたと私は愛し合っていました。来年には式を挙げる予定なのですよ」
それは少しの真実と多くの嘘を織り交ぜた言葉だった。
ルシスは私を嫌い、厭うていた。
記憶を無くした少年と、彼を囲いこむ王子の物語です。
※なお、ルシスの兄と弟の物語も併せて掲載します。完結まで予約済みです。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
薄紅の檻、月下の契り
雪兎
BL
あらすじ
大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。
没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。
しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。
鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。
一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。
冷ややかな契約婚として始まった同居生活。
だが、伊織は次第に知ることになる。
鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。
発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。
伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。
月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。
大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。
【BLーR18】箱入り王子(プリンス)は俺サマ情報屋(実は上級貴族)に心奪われる
奏音 美都
BL
<あらすじ>
エレンザードの正統な王位継承者である王子、ジュリアンは、城の情報屋であるリアムと秘密の恋人関係にあった。城内でしか逢瀬できないジュリアンは、最近顔を見せないリアムを寂しく思っていた。
そんなある日、幼馴染であり、執事のエリックからリアムが治安の悪いザード地区の居酒屋で働いているらしいと聞き、いても立ってもいられず、夜中城を抜け出してリアムに会いに行くが……
俺様意地悪ちょいS情報屋攻め×可愛い健気流され王子受け
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
冷めない恋、いただきます
リミル
BL
生真面目なMR(29)×料理教室の美人講師(31)
同性に好かれやすく、そして自身の恋愛対象も同性である由衣濱 多希は、女性の主婦ばかりの料理教室で、講師として働いている。甘いルックスと柔らかな雰囲気のおかげで、多希は人気講師だった。
ある日、男の生徒──久住が教室の体験にやって来る。
MRとして働く久住は、接待と多忙で不規則な生活のせいで今年の健康診断はオールEだと言う。それを改善すべく、料理教室に通う決心をしたらしい。生真面目だが、どことなく抜けている久住に会うのが、多希の密かな楽しみになっていた。
ほんのりと幸せな日々もつかの間、ある日多希の職場に、元恋人の菅原が現れて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる