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その後の話 番外編
踏み出す一歩【メイ】
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実家の伯爵家が潰れた。
薄々そうなるだろうと感じていたので特に驚くことはない。
両親は平民に落ちることに絶望して首をくくった。
残されたのは私だけ。後を追うことも考えたけど、生きたい気持ちは強い。
悲しみに負けてしまわないように、楽しかった思い出で記憶を満たす。
貴族でなくなった私との婚約は破棄され、周りにいた友達は呆気なくいなくなった。
行く宛てのなかった私を拾ってくれたのは、名高きグレンジャー家。
クライド様が手を差し伸べてくれなければ今頃、生きていたかもわからない。
私は一生を懸けて恩を返していくと誓った。
身分は平民なので侍女にはなれず、メイドとしての雇われ。
没落貴族はいい笑い者ではあったけど、そんなことを気にすることなく仕事をこなした。
私がするべきことは周りからの評価を上げることではない。
公爵家の品位を守り、尽くすこと。
くだらないことに割く時間はなかった。
真面目な仕事ぶりは評価され、気付けばメイド長へと昇格。
その頃には私への不評はなくなっていて、礼儀を尽くしてくれる。
クライド様のご子息に魔法を教える家庭教師にも任命された。
そして……生まれた唯一の公女。
白銀の髪と漆黒の瞳。
屋敷中で煙たがられるその赤子は美しかった。
触れたくて伸ばした手は寸前で止まる。
──高貴なお方に許可なく触れるなんて、おこがましい。
立場は弁えていた。
この体に流れる血が貴族であっても、私は平民で公爵家に雇われている使用人。
その関係が続くと思われていたある日。
お嬢様が黒猫を拾ってから月日が経ち、祖父であるブルーメル侯爵の誕生日の翌日から私はお嬢様に違和感を感じた。
違和感……。私にとっては違和感でも、わたしにとっては……。
なぜか涙が溢れた。理由もなく、唐突に。
時々、お嬢様が別の誰かと重なって見えることがある。
そんなときはいつも、無性に抱きしめたくなった。
「桜」と呼びながら。
視界が歪むと記憶は回る。
息苦しさを覚えるときもあった。
断片的な、私ではない記憶が映る瞬時もある。
ハッキリと形づけられたのはお嬢様の入学式。
それまではぼんやりとした姿が目に焼き付く。
心の底から湧き上がる不思議な感情。
その手を掴みたくて、感情の正体を知りたくて。
「メイド長」
抱きしめたい強い思いに後押しされて駆け出そうとした私を呼び止める声。
あと一歩、踏み出すことが出来ていたのなら。
感情と記憶が誰の物なのか、わかったかもしれないのに。
それから。わたしの記憶を夢に見ることが増えた。
全てに色はなく断片的なことばかり。
目が覚めれば抜け落ちたかのように何も覚えていない。
私とわたしが何者かを知るチャンスはもうないのだと、言われるかのように。
変わることのない日常に変化が訪れた。
お嬢様がいなくなる準備をしている。
たった独り……いや。ノアールも一緒だから二人で。
ここではないどこかに行くのだろう。
小さな世界はあまりにもお嬢様を傷つけ過ぎた。
私もその一人。
見送ることなく、これからの人生が幸せであるようにと願うだけなら、迷惑にならないだろうか?
味方であると伝えはしたものの、信じてもらえるはずもない。
散々、無視をしてきたのに都合が良すぎる。
私なら絶対に信じない。
何もしてこなかったこれまでの自分を思い出しながら、優しい手が背中を押した。
振り向いた先には誰もいない。
ただ……優しさがあった。
後悔なら充分にした。
私が生きられる時間はお嬢様よりも短い。
その時間でずっと後悔するくらいなら、今度こそ一歩を踏み出すべき。
「私も連れて行って欲しいと言えば、お嬢様を困らせてしまいますか?」
公爵家への恩はまだ返し切れていないのに、誰よりもお嬢様の傍にいたかった。
権力に逆らえず傷つけるしか出来なかった自分を変えたくて。
「私は私を裏切る人は嫌い。理不尽な理由なら尚更」
「返す言葉もございません」
「だから、私を裏切らないと約束して。約束してくれるなら、連れて行くわ」
許されたいと願ったことは一度もない。
許されるはずがないからだ。
黒を持って生まれただけのお嬢様が、あんな仕打ちを受けているのを見て見ぬふりをしていた。
その行動が正解だったとしても、救う努力はするべきだったと後悔する。
あの……フェルバー商会のように。
彼はいつもお嬢様のことを気にかけていた。
使用人からのいじめを報告し、警告されたにも関わらず。
同じ屋敷にいる私でさえ、目を背けるばかりなのに。
彼はいつでも真っ直ぐとお嬢様を見る。
深い傷を負ったときも、自分の怪我よりもお嬢様の心を心配して。
他人に傷を負わせてしまったと責任を感じさせてしまうことを恐れているような。
もしも私が、同じような目に遭ったとして。
彼みたいにお嬢様の心を心配しただろうか?
きっとしなかった。
傷が治るまでお嬢様の前に現れないようにするだけ。
それが間違いであるとわかっていても。
「誓います。私の全てをお嬢様に捧げると」
屋敷の外に出てしまえば、誰の目も気にする必要はなくなる。
何も制限されることなく、心のままに自分が正しいと思える行動が取れるのだ。
命令だからと言い訳をするのはやめた。
これは私の意志で選んだ一歩。
後悔や懺悔なら後ですればいい。
今はただ、歩みを止めないこと。
選択が間違いでなかったと証明する。
今度こそ傍にいて守りたい。
まるで我が子のように愛おしいお嬢様を……。
薄々そうなるだろうと感じていたので特に驚くことはない。
両親は平民に落ちることに絶望して首をくくった。
残されたのは私だけ。後を追うことも考えたけど、生きたい気持ちは強い。
悲しみに負けてしまわないように、楽しかった思い出で記憶を満たす。
貴族でなくなった私との婚約は破棄され、周りにいた友達は呆気なくいなくなった。
行く宛てのなかった私を拾ってくれたのは、名高きグレンジャー家。
クライド様が手を差し伸べてくれなければ今頃、生きていたかもわからない。
私は一生を懸けて恩を返していくと誓った。
身分は平民なので侍女にはなれず、メイドとしての雇われ。
没落貴族はいい笑い者ではあったけど、そんなことを気にすることなく仕事をこなした。
私がするべきことは周りからの評価を上げることではない。
公爵家の品位を守り、尽くすこと。
くだらないことに割く時間はなかった。
真面目な仕事ぶりは評価され、気付けばメイド長へと昇格。
その頃には私への不評はなくなっていて、礼儀を尽くしてくれる。
クライド様のご子息に魔法を教える家庭教師にも任命された。
そして……生まれた唯一の公女。
白銀の髪と漆黒の瞳。
屋敷中で煙たがられるその赤子は美しかった。
触れたくて伸ばした手は寸前で止まる。
──高貴なお方に許可なく触れるなんて、おこがましい。
立場は弁えていた。
この体に流れる血が貴族であっても、私は平民で公爵家に雇われている使用人。
その関係が続くと思われていたある日。
お嬢様が黒猫を拾ってから月日が経ち、祖父であるブルーメル侯爵の誕生日の翌日から私はお嬢様に違和感を感じた。
違和感……。私にとっては違和感でも、わたしにとっては……。
なぜか涙が溢れた。理由もなく、唐突に。
時々、お嬢様が別の誰かと重なって見えることがある。
そんなときはいつも、無性に抱きしめたくなった。
「桜」と呼びながら。
視界が歪むと記憶は回る。
息苦しさを覚えるときもあった。
断片的な、私ではない記憶が映る瞬時もある。
ハッキリと形づけられたのはお嬢様の入学式。
それまではぼんやりとした姿が目に焼き付く。
心の底から湧き上がる不思議な感情。
その手を掴みたくて、感情の正体を知りたくて。
「メイド長」
抱きしめたい強い思いに後押しされて駆け出そうとした私を呼び止める声。
あと一歩、踏み出すことが出来ていたのなら。
感情と記憶が誰の物なのか、わかったかもしれないのに。
それから。わたしの記憶を夢に見ることが増えた。
全てに色はなく断片的なことばかり。
目が覚めれば抜け落ちたかのように何も覚えていない。
私とわたしが何者かを知るチャンスはもうないのだと、言われるかのように。
変わることのない日常に変化が訪れた。
お嬢様がいなくなる準備をしている。
たった独り……いや。ノアールも一緒だから二人で。
ここではないどこかに行くのだろう。
小さな世界はあまりにもお嬢様を傷つけ過ぎた。
私もその一人。
見送ることなく、これからの人生が幸せであるようにと願うだけなら、迷惑にならないだろうか?
味方であると伝えはしたものの、信じてもらえるはずもない。
散々、無視をしてきたのに都合が良すぎる。
私なら絶対に信じない。
何もしてこなかったこれまでの自分を思い出しながら、優しい手が背中を押した。
振り向いた先には誰もいない。
ただ……優しさがあった。
後悔なら充分にした。
私が生きられる時間はお嬢様よりも短い。
その時間でずっと後悔するくらいなら、今度こそ一歩を踏み出すべき。
「私も連れて行って欲しいと言えば、お嬢様を困らせてしまいますか?」
公爵家への恩はまだ返し切れていないのに、誰よりもお嬢様の傍にいたかった。
権力に逆らえず傷つけるしか出来なかった自分を変えたくて。
「私は私を裏切る人は嫌い。理不尽な理由なら尚更」
「返す言葉もございません」
「だから、私を裏切らないと約束して。約束してくれるなら、連れて行くわ」
許されたいと願ったことは一度もない。
許されるはずがないからだ。
黒を持って生まれただけのお嬢様が、あんな仕打ちを受けているのを見て見ぬふりをしていた。
その行動が正解だったとしても、救う努力はするべきだったと後悔する。
あの……フェルバー商会のように。
彼はいつもお嬢様のことを気にかけていた。
使用人からのいじめを報告し、警告されたにも関わらず。
同じ屋敷にいる私でさえ、目を背けるばかりなのに。
彼はいつでも真っ直ぐとお嬢様を見る。
深い傷を負ったときも、自分の怪我よりもお嬢様の心を心配して。
他人に傷を負わせてしまったと責任を感じさせてしまうことを恐れているような。
もしも私が、同じような目に遭ったとして。
彼みたいにお嬢様の心を心配しただろうか?
きっとしなかった。
傷が治るまでお嬢様の前に現れないようにするだけ。
それが間違いであるとわかっていても。
「誓います。私の全てをお嬢様に捧げると」
屋敷の外に出てしまえば、誰の目も気にする必要はなくなる。
何も制限されることなく、心のままに自分が正しいと思える行動が取れるのだ。
命令だからと言い訳をするのはやめた。
これは私の意志で選んだ一歩。
後悔や懺悔なら後ですればいい。
今はただ、歩みを止めないこと。
選択が間違いでなかったと証明する。
今度こそ傍にいて守りたい。
まるで我が子のように愛おしいお嬢様を……。
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