86 / 120
最終章
差し込まれた光。真実に隠された真実
しおりを挟む
暗い。見覚えがあるような、ないような。
以前、シオンがいた場所とは違う。もっと狭い。
四方が壁に囲まれ巨大な四角い箱の中にいるみたいだ。
「初めまして」
不意に声をかけられた。
誰もいるはずのない空間には、男性が一人で座っている。足を伸ばして退屈そうに。
人がいたことに驚きすぎて、しばらくフリーズしてしまった。
この人は誰で、いつからいたのか。そもそもここは、私を飲み込んだ闇の世界。人がいること自体、おかしい。
男性は私の硬直が解けるのを待ってくれている。人懐っこい笑顔。
警戒して距離を取ったところで、ここには私達しかいない。壁の向こうにはいけないのだから、逃げられるわけでもなく。
退屈を紛らわせるために話し相手になってもらおうかな。
「初めまして。私はシオンです。貴方は……」
「ヘルト。ただの……ヘルトだよ」
その名前、聞き覚えがあるぞ。
そうだ。英雄。世界を救った。
またも私はフリーズしてしまう。キャパも超えた。
直前の記憶を必死に辿る。私は死ぬためだけに生かされていて、それを公爵の口から告げられたことに絶望をした。
命と存在、二つを同時に価値のないものとされ、生きる意味を失くしたんだ。
私はほぼ無意識に英雄……。彼はただのヘルトだ。英雄ではない。
ヘルトと同じ魔法の使い方をして、自身を消し去った。
──私がいなくなったことで、みんなは喜んでくれているだろうか。
その場に座り込み、ギュッと膝を抱える。
「君は面白い魂の形をしているね」
闇夜でも光りそうな漆黒の瞳は真っ直ぐと私を捉えていた。
柔らかい雰囲気とは真逆に、ヘルトを包む空気みたいなものは刺々しい。私を敵視しているわけではないのだろう。これがヘルトの存在感。
ヘルトは魂の形と言った。見えているのだろうか?
特別な存在だし、人とは異なる特殊能力を持っていたとしても驚くことではない。
元々、この体はシオンのもの。魂が抜けて空っぽの器となったところに私が転生した。
肉体と魂は異なる世界の、全く別人のものが一つに融合している。面白い形と揶揄されても仕方がない。
加えて私は死を選んだ。魂はより不安定となっている。歪な形に歪んでしまったのだろうか。
「シオンはどうしてここに来たの?」
「私は生きていても意味がないから」
誰からも祝福されずに生まれ、ひたすら死だけを望まれ生きてきた私に、どんな価値があるというのか。
どうせ私が死んでも悲しみ悼む人はいない。
はずなんだけど。ちょっとだけ今、胸がモヤっとした。なにかとても、大切なことを忘れているような……。
思い出せないのは、大して重要なことじゃないはず。
影に覆われた記憶はひたすら沈んでいく。私はそれをすくい上げようとは思わない。自分の記憶なのに、他人事のように底につくのを見ているだけ。
他の記憶も同様だ。
ゆっくりと落ちていく。全ての記憶が底に到達したとき、何が起こりどうなるのか。私は覚めた目でコトンと音を立てて沈みきっていく記憶の欠片を見下ろす。
あくまでもイメージであり、実際の私はヘルトの隣に座り話をしている。
「どうしてノアールを置いてきたの。彼は君の家族だろう?」
「だって、私みたいな価値のない、いらない人間と一緒にいたらノアールまでそう思われる。ノアールは愛されて守られて。生まれてくるべき存在だから」
ノアールを可哀想な子にしたくない。
私は質問に答えただけなのに、ヘルトは悲しそうな顔をしていた。
ごめんと呟いた意味がよくわからない。謝られるようなことはされていないんだけど。
英雄なのだから、もっと堂々と胸を張ればいいんだ。ヘルトがいなければ世界はとっくに滅んでいた。
死しても尚、その名が語り継がれるなんて早々ない。しかも平民が。
それだけのことをやってのけた栄光があるからなんだろうけど。
「異なる魂が触れ合うとき、閉ざされた真実の扉が開く」
伸ばされたヘルトの手が私に触れた瞬間、千年もの長い歴史が遡る。
全ての始まり。光と闇。背中合わせのような魔法。正義と悪の誕生。
…………違う。いや、起こった事実は違わないんだけど。
初代が魅了を使った本当の理由が、語られている真実とは別物。
「ヘルト、貴方。初代があんなことをしたのは、自分のためだと知っていたの?」
唐突の質問にも驚くことはなく、静かに目を閉じた。
否定であり肯定。
「その可能性を、感じていた」
ヘルトは真実を知りたかった。私がここに来て、私と触れ合うことで誰にも開けることの出来なかった扉を開けてしまったのだ。
千年前。悪として処刑されるのは……ヘルトだった。
闇夜を照らす月と星を作り、国の平和と安泰を祈りだけで実現させた強力すぎる魔法。
身分がせめて貴族だったなら王家との結婚で体面は保てるが、平民では不可能。
爵位を与えたところで血筋までもが変わるわけではない。王家の体面だけでなく権威までもが失われようとしている。国民の希望はあろうことかヘルトに向けられていく。
絶大な人気と支持。焦り困り果てた貴族はヘルトに冤罪を着せ処刑する算段をつけた。
光は人々に希望を与える。光こそが絶対。象徴。他者を許してはならない。
彼らは怯えていた。
いつか立場が揺らぐのではないかと。平民が高貴な自分達の上に立つことなど、あってはならない。許されざる愚行。
平民の分際で貴族よりも優れた魔法を持つなんて。焦りはいつしか妬みに変わる。
初代の身を案じるふりをしながら、彼らの頭の中にあったのは、どんな罪を着せるか。それだけ。
身分に囚われ、欲をかいた貴族は少なくない。罪は作り出し、証拠をでっちあげれば罪人に陥れることは簡単。
人が良すぎる初代は彼らの思惑に気付くこともなかった。
闇魔法を使って国を乗っ取られる前に大義名分を作るべきだと力強く説得してくる彼らには失望しかない。
隠し切れない本音を見抜き、必死になって説得してくる彼らはただ、不穏分子を消し去り心の安寧が欲しいだけ。
認めるのが怖いのだ。これまで築き上げてきたものが一人の平民に奪われるかもしれない未来が。
信じていた家臣の裏切り。初代は絶望した。
一緒に逃げる手もあったが、その選択肢は一番最初に切り捨てた。王としての責任を果たすために。
ヘルトを助ける方法。世界を救った英雄となれば、誰も手は出せない。手を出させない。
思い出の数々に勇気を貰い背中を押してもらうと、覚悟を決めた。
光最上級魔法の魅了を、太陽に向けて……。
「だから貴方は……いなくなったの?殺した後にその可能性を知ってしまったから」
「最後に笑ったんだ。“良かった”って」
その手で奪ってしまった命は還らない。真実を知ろうにも初代はどこにもいないのだ。だから、ヘルトもまた真実を隠した。
優しき王が、虐殺王として未来永劫、歴史に名を刻むことを恐れて。
懺悔と後悔。心に重くのしかかる罪悪感は生きる希望を断ち切ってしまった。
親友を守るために悪となった光。命を踏み潰し尊厳を軽んじる。悪逆非道の限りを尽くした。一番最初に殺したのは家臣。裏切り、親友を手にかけようとした。
予定通り、自分がいなくなった未来のことを考えて、後継者だけは殺さなかった。複数ある家門のうち、聞き覚えがあるのは、ケールレル、ブルーメル、そして……グレンジャー。
最も強く、平民だからと非難していたのはグレンジャー公爵だった。三人とも顔が現在の当主に似ているな。
魅了を打ち破るには魔力量で上回るしかなかったけど、王族よりも高い魔力なんて得られない。
唯一、対等だったのがヘルト。
初代が魅了を使う少し前、ヘルトは魔力封じの塔に閉じ込められた。
その名の通り、魔力を封じ込め魔法を使えなくする塔。
時間が必要だった。完全なる悪として名を蔓延らせるためには。
罪なき多くの命を奪い、尊厳さえも踏みにじる。退屈しのぎの余興として蹂躙もさせた。
光が希望ではなく悪の象徴となったのは四日後。
気付けば鍵の開けられた塔を出て、一直線に王宮へと向かう。
混沌とした恐ろしい世界。たった四日の間に秩序は崩壊。目を背けてしまいたくなるような現実から逃げることなく、元の正しい世界に戻すために闇が光を隠す。
それを見ていた初代は自分の命が終わる瞬間を待っていた。怖くはない。命と引き換えに親友を救えるのだから安いものだ。
決して悟られないように悪を貫く姿は賞を授かってもおかしくはない。
元凶でもある初代の元に辿り着いたヘルトの目に映るは、醜悪な笑みを浮かべて玉座に座る友。
罪を重ねて欲しくない。その願いが最上級魔法を生み出した。
「嘘だったの?光こそが希望だと言ったことは。可能性の低い真実のために……?」
「違う。本音だ。彼は平民である僕を対等な人として接してくれた。魔力コントロールも魔法の扱い方だって教えてくれた。彼は親友であると同時に師でもある」
何もない、空かどうかもわからない上を見上げては、光に眩んだかのように目を細める。
「偶然だった。魔物に襲われていた僕を助けてくれたんだ」
運命か必然か。二人が出会った意味があったのかさえ、今となってはわかりはしない。
一つだけ確かなことがあるとすれば、その出会いこそがヘルトに光の存在を強く認識させた。
迫ってくる死を遠ざけた初代に希望を見出し、闇を照らし霧を晴らす光は必ず人々の希望となることを信じて疑わない。
「でも……。こんなことになるとわかっていれば、僕は真実を隠さなかった。ごめんね、シオン。僕のせいで苦しい思いをさせてしまった」
両手で私の手を包むヘルトは強い懺悔をしていた。
苦しい思い?
ヘルトは何を言っているのだろうか。反応に困っていると、驚いたように目が見開かれていた。
ほとんどの記憶は底に落ちている。かろうじて残る記憶に色がつくことはない。人の顔は黒く塗り潰されていた。
ずっと隣にいてくれた人がいたはずなのに、私はもうその人のことすら思い出せない。
「シオン。君には帰るべき場所があるはずだ」
「帰る……?」
どこに?私の居場所はここだ。
外に出ることはなく、永遠の一瞬を刻む。だって私の世界は、ここだけなのだから。
肩に妙な違和感。誰かに手を置かれているような。後ろには誰もいなければ、実際に乗っているわけでもない。気のせいで片付けるには、あまりにもリアル。
「シオン、よく見て。本当に何もないかい?」
「あるわけが……」
暗闇に一筋の光が差し込む。
落ちたはずの記憶が浮上してくる。中には思い出せなかった大切な記憶もあった。
私が死んだら悲しむ人がいる。危ないことをしたら本気で叱ってくれる人も。
忘れるわけがないのに。あんなにも胸が温かくなる嬉しいことを。
宝物として記憶を拾い上げると、パズルのピースのようにハマっていく。辛く苦しいことのほうが多いけど、それ以上に楽しいや嬉しいことがあって。
光の先にはレイやオルゼ、スウェロだけじゃない。
王様や王妃様。エノクを始めとした騎士団員。王宮ですれ違う貴族やモーイの街の人々。フェルバー商会やメイもいる。
その先頭にいるのは……ノアール。
溢れ出る愛しさ。思い出した。私はずっと彼らといたんだ。
「ヘルト。一緒に行こう」
差し出した手を掴むことなく首を横に振った。
「あれは君の光だ。僕を照らしているわけじゃないから」
両手両膝をついて、土下座のような姿勢でヘルトは
「身勝手な僕を救おうとしてくれて、ありがとう」
「こんな所に一人でいるのは寂しいよ?」
「それが僕の罰だ。僕が真実を捻じ曲げなければ、君は苦しむことなく家族に愛されていたのに」
「あんな人達に愛されなくてもいい!私は……」
「シオン。君は愛されるべき、優しい人だ。僕のことなんて忘れて、さぁ、戻って」
優しく背中を押してくれる。
そうか。初代はもういない。生まれ変わることもないのだ。闇に飲み込まれた命は、どこにも還れない。ヘルトにとって初代がいる世界こそが居場所。
光を失ってしまったら、どこにいても同じ。肉体のない魂が朽ちることを恐れているわけではない。照らしてくれる光がないから、もう出たくはないのだ。
ここから出ない理由はもう一つ。自らの行いによる罰。
最期の願いが呪いとなり、王家を縛るなんて夢にも思わず現代に生きる私を……。
私は気にしていないと言えば手を取って、共に光の向こうに行ってくれるだろうか。
だって、もしかしたら行けるかもしれない。差し出した手を掴んで欲しくて、一歩を踏み出すも期待には応えてくれなかった。
「僕のことは気にしなくていい。君の……シオンの帰るべき場所に帰るんだ」
記憶はほとんど揃った。大切な感情も人達も、全てを思い出して。でも、その、帰りたい場所だけがわからない。
特別でずっといたいと思っていた場所があったはずなんだ。
何気ない日常に幸せを感じ、人と触れ合うことが楽しくてたまらない。
壮大な景色に霧がかかったまま。
「帰ろう。シオンが帰りたいと思う場所に」
今のは紛れもなくレイの声。少し泣きそうだった。その前にはオルゼの声も聞こえたような。
霧が……晴れた。風が吹き飛ばしてくれた。
私の帰りたい場所。すぐに思い浮かんだ。優しくて温かい、私の名前を呼んでくれる。
生きることを当たり前に許し認めてくれた。一度たりとも私の死を望んだこともない。
視界が弾けた。世界に色が付く。涙が溢れた。
自分で選んだ。死ぬことを。生きることを諦めて。誰もいない孤独なら、苦しむことはないから。
それが間違いであると気付かされてしまう。痛いと苦しいを飲み込んで、助けを求めることなく勝手に終わらせようとした。
「みんなが待っている」
十六年と比べたら私がリーネットで暮らした時間は圧倒的に短いけど、これだけは言える。
私はリーネットが好きだ。リーネットに住むみんなを愛している。
そのみんなが私を待ってくれていると。嘘かもしれないのに、簡単に信じてしまう私は我ながらバカだ。
帰りたい。ただいまとおかえりを言える、あの場所へ。
「ごめん、シオン。ありがとう。大丈夫だよ、君も愛されるべき子だから」
力強い抱擁。
「本当にごめんね」
光に包まれる。私だけが。光の粒子となり、闇の中から消えゆく。
ヘルトは祈ってくれていた。私の未来が幸せで溢れるように。
私が戻るまで瞬きをすることなく見届けてくれるヘルトは悲しい顔をすることなく、むしろ満足そう。
孤独は一人ぼっちよりも、ずっと寂しい。千年も孤独と過ごしてきたのだ。罰なら充分すぎるほど受けている。
それでもまだ受け足りないとでも?
「全部、伝えるから!真実に隠された真実」
「うん」
朗らかに微笑んだ。
それを最後に、私の見ていた景色は変わる。
レイに腕を引かれてた。
その少し後ろではノアールが泣いている。レクシオルゼは安心と歓喜に涙を流し、スウェロは目頭を抑えて我慢していた。
「私は、生まれてくる価値も存在理由もなかったけど、みんなと一緒にリーネットに帰ってもいいかな」
答えは決まっている。帰ろうと言ってくれたのだ。それでも私は、安心したかった。
私の帰りたい場所に、帰ってもいいのだと。欲しいのは許可ではなくて……。
不安が消えない。
心臓が激しく高鳴る。うるさくて、痛い。答えをよりハッキリと聞きたくて自然に息を潜める。
「もちろんだ。帰ろう。リーネットに」
以前、シオンがいた場所とは違う。もっと狭い。
四方が壁に囲まれ巨大な四角い箱の中にいるみたいだ。
「初めまして」
不意に声をかけられた。
誰もいるはずのない空間には、男性が一人で座っている。足を伸ばして退屈そうに。
人がいたことに驚きすぎて、しばらくフリーズしてしまった。
この人は誰で、いつからいたのか。そもそもここは、私を飲み込んだ闇の世界。人がいること自体、おかしい。
男性は私の硬直が解けるのを待ってくれている。人懐っこい笑顔。
警戒して距離を取ったところで、ここには私達しかいない。壁の向こうにはいけないのだから、逃げられるわけでもなく。
退屈を紛らわせるために話し相手になってもらおうかな。
「初めまして。私はシオンです。貴方は……」
「ヘルト。ただの……ヘルトだよ」
その名前、聞き覚えがあるぞ。
そうだ。英雄。世界を救った。
またも私はフリーズしてしまう。キャパも超えた。
直前の記憶を必死に辿る。私は死ぬためだけに生かされていて、それを公爵の口から告げられたことに絶望をした。
命と存在、二つを同時に価値のないものとされ、生きる意味を失くしたんだ。
私はほぼ無意識に英雄……。彼はただのヘルトだ。英雄ではない。
ヘルトと同じ魔法の使い方をして、自身を消し去った。
──私がいなくなったことで、みんなは喜んでくれているだろうか。
その場に座り込み、ギュッと膝を抱える。
「君は面白い魂の形をしているね」
闇夜でも光りそうな漆黒の瞳は真っ直ぐと私を捉えていた。
柔らかい雰囲気とは真逆に、ヘルトを包む空気みたいなものは刺々しい。私を敵視しているわけではないのだろう。これがヘルトの存在感。
ヘルトは魂の形と言った。見えているのだろうか?
特別な存在だし、人とは異なる特殊能力を持っていたとしても驚くことではない。
元々、この体はシオンのもの。魂が抜けて空っぽの器となったところに私が転生した。
肉体と魂は異なる世界の、全く別人のものが一つに融合している。面白い形と揶揄されても仕方がない。
加えて私は死を選んだ。魂はより不安定となっている。歪な形に歪んでしまったのだろうか。
「シオンはどうしてここに来たの?」
「私は生きていても意味がないから」
誰からも祝福されずに生まれ、ひたすら死だけを望まれ生きてきた私に、どんな価値があるというのか。
どうせ私が死んでも悲しみ悼む人はいない。
はずなんだけど。ちょっとだけ今、胸がモヤっとした。なにかとても、大切なことを忘れているような……。
思い出せないのは、大して重要なことじゃないはず。
影に覆われた記憶はひたすら沈んでいく。私はそれをすくい上げようとは思わない。自分の記憶なのに、他人事のように底につくのを見ているだけ。
他の記憶も同様だ。
ゆっくりと落ちていく。全ての記憶が底に到達したとき、何が起こりどうなるのか。私は覚めた目でコトンと音を立てて沈みきっていく記憶の欠片を見下ろす。
あくまでもイメージであり、実際の私はヘルトの隣に座り話をしている。
「どうしてノアールを置いてきたの。彼は君の家族だろう?」
「だって、私みたいな価値のない、いらない人間と一緒にいたらノアールまでそう思われる。ノアールは愛されて守られて。生まれてくるべき存在だから」
ノアールを可哀想な子にしたくない。
私は質問に答えただけなのに、ヘルトは悲しそうな顔をしていた。
ごめんと呟いた意味がよくわからない。謝られるようなことはされていないんだけど。
英雄なのだから、もっと堂々と胸を張ればいいんだ。ヘルトがいなければ世界はとっくに滅んでいた。
死しても尚、その名が語り継がれるなんて早々ない。しかも平民が。
それだけのことをやってのけた栄光があるからなんだろうけど。
「異なる魂が触れ合うとき、閉ざされた真実の扉が開く」
伸ばされたヘルトの手が私に触れた瞬間、千年もの長い歴史が遡る。
全ての始まり。光と闇。背中合わせのような魔法。正義と悪の誕生。
…………違う。いや、起こった事実は違わないんだけど。
初代が魅了を使った本当の理由が、語られている真実とは別物。
「ヘルト、貴方。初代があんなことをしたのは、自分のためだと知っていたの?」
唐突の質問にも驚くことはなく、静かに目を閉じた。
否定であり肯定。
「その可能性を、感じていた」
ヘルトは真実を知りたかった。私がここに来て、私と触れ合うことで誰にも開けることの出来なかった扉を開けてしまったのだ。
千年前。悪として処刑されるのは……ヘルトだった。
闇夜を照らす月と星を作り、国の平和と安泰を祈りだけで実現させた強力すぎる魔法。
身分がせめて貴族だったなら王家との結婚で体面は保てるが、平民では不可能。
爵位を与えたところで血筋までもが変わるわけではない。王家の体面だけでなく権威までもが失われようとしている。国民の希望はあろうことかヘルトに向けられていく。
絶大な人気と支持。焦り困り果てた貴族はヘルトに冤罪を着せ処刑する算段をつけた。
光は人々に希望を与える。光こそが絶対。象徴。他者を許してはならない。
彼らは怯えていた。
いつか立場が揺らぐのではないかと。平民が高貴な自分達の上に立つことなど、あってはならない。許されざる愚行。
平民の分際で貴族よりも優れた魔法を持つなんて。焦りはいつしか妬みに変わる。
初代の身を案じるふりをしながら、彼らの頭の中にあったのは、どんな罪を着せるか。それだけ。
身分に囚われ、欲をかいた貴族は少なくない。罪は作り出し、証拠をでっちあげれば罪人に陥れることは簡単。
人が良すぎる初代は彼らの思惑に気付くこともなかった。
闇魔法を使って国を乗っ取られる前に大義名分を作るべきだと力強く説得してくる彼らには失望しかない。
隠し切れない本音を見抜き、必死になって説得してくる彼らはただ、不穏分子を消し去り心の安寧が欲しいだけ。
認めるのが怖いのだ。これまで築き上げてきたものが一人の平民に奪われるかもしれない未来が。
信じていた家臣の裏切り。初代は絶望した。
一緒に逃げる手もあったが、その選択肢は一番最初に切り捨てた。王としての責任を果たすために。
ヘルトを助ける方法。世界を救った英雄となれば、誰も手は出せない。手を出させない。
思い出の数々に勇気を貰い背中を押してもらうと、覚悟を決めた。
光最上級魔法の魅了を、太陽に向けて……。
「だから貴方は……いなくなったの?殺した後にその可能性を知ってしまったから」
「最後に笑ったんだ。“良かった”って」
その手で奪ってしまった命は還らない。真実を知ろうにも初代はどこにもいないのだ。だから、ヘルトもまた真実を隠した。
優しき王が、虐殺王として未来永劫、歴史に名を刻むことを恐れて。
懺悔と後悔。心に重くのしかかる罪悪感は生きる希望を断ち切ってしまった。
親友を守るために悪となった光。命を踏み潰し尊厳を軽んじる。悪逆非道の限りを尽くした。一番最初に殺したのは家臣。裏切り、親友を手にかけようとした。
予定通り、自分がいなくなった未来のことを考えて、後継者だけは殺さなかった。複数ある家門のうち、聞き覚えがあるのは、ケールレル、ブルーメル、そして……グレンジャー。
最も強く、平民だからと非難していたのはグレンジャー公爵だった。三人とも顔が現在の当主に似ているな。
魅了を打ち破るには魔力量で上回るしかなかったけど、王族よりも高い魔力なんて得られない。
唯一、対等だったのがヘルト。
初代が魅了を使う少し前、ヘルトは魔力封じの塔に閉じ込められた。
その名の通り、魔力を封じ込め魔法を使えなくする塔。
時間が必要だった。完全なる悪として名を蔓延らせるためには。
罪なき多くの命を奪い、尊厳さえも踏みにじる。退屈しのぎの余興として蹂躙もさせた。
光が希望ではなく悪の象徴となったのは四日後。
気付けば鍵の開けられた塔を出て、一直線に王宮へと向かう。
混沌とした恐ろしい世界。たった四日の間に秩序は崩壊。目を背けてしまいたくなるような現実から逃げることなく、元の正しい世界に戻すために闇が光を隠す。
それを見ていた初代は自分の命が終わる瞬間を待っていた。怖くはない。命と引き換えに親友を救えるのだから安いものだ。
決して悟られないように悪を貫く姿は賞を授かってもおかしくはない。
元凶でもある初代の元に辿り着いたヘルトの目に映るは、醜悪な笑みを浮かべて玉座に座る友。
罪を重ねて欲しくない。その願いが最上級魔法を生み出した。
「嘘だったの?光こそが希望だと言ったことは。可能性の低い真実のために……?」
「違う。本音だ。彼は平民である僕を対等な人として接してくれた。魔力コントロールも魔法の扱い方だって教えてくれた。彼は親友であると同時に師でもある」
何もない、空かどうかもわからない上を見上げては、光に眩んだかのように目を細める。
「偶然だった。魔物に襲われていた僕を助けてくれたんだ」
運命か必然か。二人が出会った意味があったのかさえ、今となってはわかりはしない。
一つだけ確かなことがあるとすれば、その出会いこそがヘルトに光の存在を強く認識させた。
迫ってくる死を遠ざけた初代に希望を見出し、闇を照らし霧を晴らす光は必ず人々の希望となることを信じて疑わない。
「でも……。こんなことになるとわかっていれば、僕は真実を隠さなかった。ごめんね、シオン。僕のせいで苦しい思いをさせてしまった」
両手で私の手を包むヘルトは強い懺悔をしていた。
苦しい思い?
ヘルトは何を言っているのだろうか。反応に困っていると、驚いたように目が見開かれていた。
ほとんどの記憶は底に落ちている。かろうじて残る記憶に色がつくことはない。人の顔は黒く塗り潰されていた。
ずっと隣にいてくれた人がいたはずなのに、私はもうその人のことすら思い出せない。
「シオン。君には帰るべき場所があるはずだ」
「帰る……?」
どこに?私の居場所はここだ。
外に出ることはなく、永遠の一瞬を刻む。だって私の世界は、ここだけなのだから。
肩に妙な違和感。誰かに手を置かれているような。後ろには誰もいなければ、実際に乗っているわけでもない。気のせいで片付けるには、あまりにもリアル。
「シオン、よく見て。本当に何もないかい?」
「あるわけが……」
暗闇に一筋の光が差し込む。
落ちたはずの記憶が浮上してくる。中には思い出せなかった大切な記憶もあった。
私が死んだら悲しむ人がいる。危ないことをしたら本気で叱ってくれる人も。
忘れるわけがないのに。あんなにも胸が温かくなる嬉しいことを。
宝物として記憶を拾い上げると、パズルのピースのようにハマっていく。辛く苦しいことのほうが多いけど、それ以上に楽しいや嬉しいことがあって。
光の先にはレイやオルゼ、スウェロだけじゃない。
王様や王妃様。エノクを始めとした騎士団員。王宮ですれ違う貴族やモーイの街の人々。フェルバー商会やメイもいる。
その先頭にいるのは……ノアール。
溢れ出る愛しさ。思い出した。私はずっと彼らといたんだ。
「ヘルト。一緒に行こう」
差し出した手を掴むことなく首を横に振った。
「あれは君の光だ。僕を照らしているわけじゃないから」
両手両膝をついて、土下座のような姿勢でヘルトは
「身勝手な僕を救おうとしてくれて、ありがとう」
「こんな所に一人でいるのは寂しいよ?」
「それが僕の罰だ。僕が真実を捻じ曲げなければ、君は苦しむことなく家族に愛されていたのに」
「あんな人達に愛されなくてもいい!私は……」
「シオン。君は愛されるべき、優しい人だ。僕のことなんて忘れて、さぁ、戻って」
優しく背中を押してくれる。
そうか。初代はもういない。生まれ変わることもないのだ。闇に飲み込まれた命は、どこにも還れない。ヘルトにとって初代がいる世界こそが居場所。
光を失ってしまったら、どこにいても同じ。肉体のない魂が朽ちることを恐れているわけではない。照らしてくれる光がないから、もう出たくはないのだ。
ここから出ない理由はもう一つ。自らの行いによる罰。
最期の願いが呪いとなり、王家を縛るなんて夢にも思わず現代に生きる私を……。
私は気にしていないと言えば手を取って、共に光の向こうに行ってくれるだろうか。
だって、もしかしたら行けるかもしれない。差し出した手を掴んで欲しくて、一歩を踏み出すも期待には応えてくれなかった。
「僕のことは気にしなくていい。君の……シオンの帰るべき場所に帰るんだ」
記憶はほとんど揃った。大切な感情も人達も、全てを思い出して。でも、その、帰りたい場所だけがわからない。
特別でずっといたいと思っていた場所があったはずなんだ。
何気ない日常に幸せを感じ、人と触れ合うことが楽しくてたまらない。
壮大な景色に霧がかかったまま。
「帰ろう。シオンが帰りたいと思う場所に」
今のは紛れもなくレイの声。少し泣きそうだった。その前にはオルゼの声も聞こえたような。
霧が……晴れた。風が吹き飛ばしてくれた。
私の帰りたい場所。すぐに思い浮かんだ。優しくて温かい、私の名前を呼んでくれる。
生きることを当たり前に許し認めてくれた。一度たりとも私の死を望んだこともない。
視界が弾けた。世界に色が付く。涙が溢れた。
自分で選んだ。死ぬことを。生きることを諦めて。誰もいない孤独なら、苦しむことはないから。
それが間違いであると気付かされてしまう。痛いと苦しいを飲み込んで、助けを求めることなく勝手に終わらせようとした。
「みんなが待っている」
十六年と比べたら私がリーネットで暮らした時間は圧倒的に短いけど、これだけは言える。
私はリーネットが好きだ。リーネットに住むみんなを愛している。
そのみんなが私を待ってくれていると。嘘かもしれないのに、簡単に信じてしまう私は我ながらバカだ。
帰りたい。ただいまとおかえりを言える、あの場所へ。
「ごめん、シオン。ありがとう。大丈夫だよ、君も愛されるべき子だから」
力強い抱擁。
「本当にごめんね」
光に包まれる。私だけが。光の粒子となり、闇の中から消えゆく。
ヘルトは祈ってくれていた。私の未来が幸せで溢れるように。
私が戻るまで瞬きをすることなく見届けてくれるヘルトは悲しい顔をすることなく、むしろ満足そう。
孤独は一人ぼっちよりも、ずっと寂しい。千年も孤独と過ごしてきたのだ。罰なら充分すぎるほど受けている。
それでもまだ受け足りないとでも?
「全部、伝えるから!真実に隠された真実」
「うん」
朗らかに微笑んだ。
それを最後に、私の見ていた景色は変わる。
レイに腕を引かれてた。
その少し後ろではノアールが泣いている。レクシオルゼは安心と歓喜に涙を流し、スウェロは目頭を抑えて我慢していた。
「私は、生まれてくる価値も存在理由もなかったけど、みんなと一緒にリーネットに帰ってもいいかな」
答えは決まっている。帰ろうと言ってくれたのだ。それでも私は、安心したかった。
私の帰りたい場所に、帰ってもいいのだと。欲しいのは許可ではなくて……。
不安が消えない。
心臓が激しく高鳴る。うるさくて、痛い。答えをよりハッキリと聞きたくて自然に息を潜める。
「もちろんだ。帰ろう。リーネットに」
215
あなたにおすすめの小説
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
お姉様優先な我が家は、このままでは破産です
編端みどり
恋愛
我が家では、なんでも姉が優先。 経費を全て公開しないといけない国で良かったわ。なんとか体裁を保てる予算をわたくしにも回して貰える。
だけどお姉様、どうしてそんな地雷男を選ぶんですか?! 結婚前から愛人ですって?!
愛人の予算もうちが出すのよ?! わかってる?! このままでは更にわたくしの予算は減ってしまうわ。そもそも愛人5人いる男と同居なんて無理!
姉の結婚までにこの家から逃げたい!
相談した親友にセッティングされた辺境伯とのお見合いは、理想の殿方との出会いだった。
召喚聖女に嫌われた召喚娘
ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。
どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。
しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。
友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。
『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。
取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。
彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。
絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので
ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。
しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。
異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。
異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。
公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。
『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。
更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。
だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。
ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。
モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて――
奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。
異世界、魔法のある世界です。
色々ゆるゆるです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる