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チューリップ
しおりを挟むチリンっ、
柔らかい木の扉を開けた。
手触りが、柔らかかった。
木目を指でなぞりながらその扉を開けた。
僕は左手で、ラッピングされた一輪のチューリップを優しく握っている。
オレンジ色のチューリップだ。
可愛らしい鈴の音を鳴らして、開けた扉の向こうには、何十本もの、赤、白、ピンク、黄色、オレンジのチューリップが大きなカゴの中で咲いていた。
チューリップだけではない。バラ、かすみ草、桜、あとは…。
名前は分からないが、見たことはある。
なんだったっけ。
僕が入った一軒の花屋は、沢山の名前も知らない花々で埋め尽くされていた。
花々の奥から、1人の女性が見えた。
彼女の視線は、華奢な手で包まれた花束から、僕へと移り、少し目を見開き驚いた表情を見せた。
今日は大学の入学式。
橘 晴人(たちばな はると)は、東京の高校を卒業し、春から新潟の大学へ入学した。そして、大学近くのアパートで一人暮らしを始めた。
入学式は、疲れる。
新しい場所、新しい人、「おめでとう。」「よろしくね。」「ありがとうございます。」「こちらこそよろしく。」「名前は?」「晴人」「どこ出身?」「東京。」「東京?!」
こんなやりとりばかり。いつも以上に笑顔は絶やさないし、話を続けるために気疲れはするし。
まぁ、それも悪くない。
たぶん、なんか照れる。そんな感じ。
疲れるけど、刺激的で、楽しいんだと思う。
講堂に着くと、黒板に貼り出された学籍番号順に座るように指示があった。
「…橘、橘 晴人、…あった。1番後ろか。」
窓側の1番後ろの席だった。
よし、少し休める。と思いながら席に着いた。講堂は雛壇型になっており、僕の席からは講堂全体を一望できる。なんだか、気持ちがいい。
机の上には、大学の資料や、今後の日程表など、冊子が何冊か重なっていた。その横に、一輪のチューリップが添えてあった。
講堂に入った時から気がついていた。全席に一輪のチューリップが添えてあり、色はオレンジとピンクの二色だ。最初は適当に置かれていると思っていたが、雛壇が埋まっていくうちに気がついた。女性がピンク、男性がオレンジのチューリップとなるように添えられていたのだ。
「フフ、小学生かよ。…可愛いな。」
思わず笑みが溢れ出てしまった。疲れた心が少し癒された気分になった。
オレンジ色の一輪のチューリップは丁寧にラッピングされ、“Snow Drop”と描かれたシールが張ってあった。
「スノー、ドロップ…。」
入学式が終わり、帰り道、僕はバスに乗った。車はまだ持っていない。しかし、大学近くのアパートに越してきたため、今のところは必要なさそうだ。
「東京とは、全然違うな。」
窓の外を見ると、家々は大きく、建物同士の間隔も広い、道も広ければ、人通りも少ない。少し遠くを見ると田畑が広がり、遮る建物もない。陽が海に向かって傾いてきているのが分かる。
「次、あさひが丘止まります。」
僕のアパートの最寄駅だ。
朝も思ったけど、たった二つ先のバス停なのに、かなり距離が長く感じるな。
バスを降りると、商店街を歩いた。夕飯の買い物をしようと思った。しかし、今日は入学式でスーツを着ている。おまけにチューリップを片手に、18歳の男が八百屋で買い物をするのに少し抵抗があった。別に何が悪いとかではないし、知ってる人がいるわけでもない。でもなんか、勝手に一人で照れてる。
一旦帰って着替えてからまた来ようと決めて、オレンジ色に照れた顔を、必死に平常心へと戻した。
商店街の真ん中より少し奥まで歩き進むと、フワッといい香りがした。
あ、好きだ。この香り。
立ち止まった。
そこには一軒の花屋があった。小さな、可愛らしい花屋だ。入り口には植木や、見たこともない葉っぱの生えた植物、カゴに入った色とりどりの花が飾られていた。
八百屋、自転車屋、和菓子屋や、文房具屋など古風な店が立ち並ぶこの商店街に、ヨーロッパの街並みが似合うお洒落な花屋が一軒ポツンとあるのは、少し違和感があった。
「スノー、ドロップ…。」
看板にはそう描かれていた。
僕は左手で、優しく握っているチューリップに目を移した。
入学式で貰ったこのチューリップは、この花屋からのものだったのだ。
香りに誘われて、僕は躊躇なく扉に手をかけた。
僕はまるで蜜蜂だ。
チリンっ。
柔らかい肌触りの扉の向こうに、彼女はいた。
驚いた表情で僕を見て、彼女は何も言わない。いや、声が出なかったんだと思う。
「あ、あの。」
僕の声で彼女は、ハッと目を覚ましたようだった。
「あ、いえ、ごめんなさい。いらっしゃいませ。」
彼女は笑顔、だった。
たぶん、笑顔だった。
僕の入学式での緊張した笑顔みたいでなんか、笑ってしまった。
「ふはは。」
彼女はキョトンとした表情に変わり、華奢な腕に包まれた花束を置き、エプロンを直しながらこちらへ近づいてきた。
正直、ドキッとした。
初対面で年下の男が急に顔見て笑ってきたんだ、変に思われたに違いない。いや、気分を悪くしたか。そうじゃないだろ、彼女があまりにも美しくて、ドキッとしてるんじゃないか。
少しカールのかかった栗色の髪の毛は一つに括られて、同じ色の瞳は、くりっとして丸い。通った鼻と、優しい色の口紅を塗った唇が清楚な女性らしさを表していた。背丈は僕が180cmくらいだから、彼女は多分165cmくらいかな、スラッとして華奢な体型だ。
白いTシャツにジーンズを履いて、
Snow Dropと描かれたオリーブグレーのエプロンをつけていた。
僕はきっと今、このオレンジ色のチューリップみたいに頬を色付けているだろう。
自分でも頬の高いところが熱くなるのを感じた。
やばい、僕は何をしにここに来たんだったけ?
いや、何も考えていなかった。ただ引き寄せられるがままに、この花園へ入り込んだ一匹の蜜蜂だ。
「フフ、おめでとうございます。」
彼女は少し笑って、僕にそう言った。
「え?」
恥ずかしさと、驚きでおかしくなりそうだ。18歳の僕には、今まで経験したことのない刺激だった。
「それ。」
華やかな笑顔を見せ、嬉しそうに僕の左手を指差した。
「あ、これ、チューリップ。ありがとうございました。」
「わざわざそれを言いに来てくれたの?」
「いや、まぁ、そのなんて言うか、その。」
なんか、なんか、理由をくれ。僕に理由を。頭をフル回転して、理由を考えた。
「あ!!!」
彼女は僕の声にまた驚いた表情を見せた。驚いた顔が可愛らしい。子供みたいな、表情なんだ。
「このチューリップって、どうやってお水とかあげたらいいんですか??」
馬鹿か僕は、そんなの花瓶に水入れて刺しとけって言われて終わるに決まってるじゃないか。絞り出した質問がこれかよ、情けない。
彼女は嬉しそうに僕の顔を見て言った。
「チューリップはね、球根から芽を出して咲くお花で、とってもよく水を吸うの。だから水々しくて茎が柔らかいのよ。茎に水が浸かっている部分が多いと、花は元気でも茎が腐って折れてしまうことがあるのね、花瓶には少なめの水を入れて茎が水に浸かる部分を少なくした方が、チューリップにはいいんだよ。そしてこまめにお水を変えてあげると長く素敵な花を咲かせてくれるの。」
思っていた答えとは真逆の答えが返ってきて、僕はつい驚いて笑顔が溢れでた。
「あは、すごい。」
「あ、ごめんなさい。つい熱が入っちゃって…。」
「嬉しいです。ありがとうございます。家に帰ったらそうしますね。」
「そっか、チューリップの切り花の管理方法とか大学生のみんなは分からないよね、失敗した~。説明書でも付けるべきだったかな?」
真剣な顔で彼女は言った。
「あれ全部に説明書つけるのは大変ですよ、たぶん。それに、花を大切にする人は、調べたりして正しい管理をしてくれていると思います。」
僕は笑顔で答えた。
「そうだよね、ありがとう。あ、そうだ、花瓶とか持って、る?」
あ、いけね、そんな洒落たものは引っ越してきたばかりの野郎の一人暮らしの家にはあるはずもない。
「引っ越して来たばっかなので…。」
「これ、どうぞ。使って。」
彼女はガラスの一輪刺しを僕に差し出した。
「え、いいんですか?そんな。おいくらですか?」
「いいのよ、花を大切に思ってくれてる君にプレゼント。入学祝いだと思って持っていって。こんなものでよければ。」
「ありがとうございます。大切にします。」
一輪刺しを貰った時に、彼女の手に触れた。また頬の高いところが熱くなった気がした。
僕の顔を見て、彼女は言った。
「ねぇ、チューリップの花言葉って知ってる?色によって意味が違うんだよ。」
「いえ、分からないです。でも今日の入学式では女性がピンクで、男性がオレンジのチューリップをいただきました。」
彼女は子供のような笑顔で、
「そうなの。女の子には、ピンクのチューリップを。意味はね、“愛の芽生え“これから沢山の人や、友達、きっと恋人とも出会ったりするだろうから。沢山の愛が芽生えてほしいなと思って。」
「素敵ですね。オレンジは?」
僕は微笑みながら言った。
彼女は少しいたずらな笑顔で、
「照れ屋さん。」
君みたいだね。」
と言った。
僕は蜜蜂だと思っていたけれど、彼女の言う通り、きっとオレンジ色のチューリップなんだと思う。
「確かに、今日何度も照れた気がします。…今も。
あ、や、別に変な意味とかなくて、普通に、何言ってだ僕は。
あ、あと、他の色は?どんな意味が?」
「赤は、愛の告白
紫は、永遠の愛
白は、失われた愛…
黒は…私を忘れてください…。」
彼女の笑顔がどこか悲しげに感じた。さっきまで華やかな笑顔を見せていた彼女だったが、急に色をなくしたモノクロの花になったみたいだった。
「うん、そう。チューリップは、色でこんなにも意味が違うんだよ。」
必死に取り繕うように見えた。
何か、彼女を悲しませている何かがあると直感した。
「そうなんですね。僕、花について全然知らないことばかりだ。」
「花は生きているの。面白いよ。知れば知るほど。チューリップなんてね、動くのよ。」
「動く?」
「そう。動き方は品種によって違うけど、垂れるものもあれば、立ち上がるものもあるし、生けた翌日に全く思いもよらない方向いてたりするの。とっても自由で面白いんだから。」
「へえ、楽しみです。」
さっきの悲しみはなかったかのようにまた話し出した彼女。だけど、確かに彼女には何か抱えきれない悲しみがあると思う。
「僕は、晴人って言います。」
「晴人くん。いい名前だね。」
「あなたの、名前は、聞いてもいいですか?」
「ユキ。よろしくね、晴人くん。」
「こちらこそ。
…じゃあ。」
「じゃあ。また。」
僕は彼女に背を向け、柔なか扉を開けて、花屋を出た。
帰ってすぐに“ユキ“からもらった一輪刺しに、少量の水を入れ、オレンジのチューリップをいけた。
チューリップは僕の方を向いて、
“ユキ“を思い出させた。
夕飯の買い物のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
翌朝、起きて窓の外を見た。
いい天気だった。
窓際のチューリップは太陽の方を向いていた。
「フフ、ほんと、自由だな。」
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