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〜2〜
話をさせろと吸血鬼様が仰るので
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「信じっらんねぇ!」
俺は今、自宅の扉の前に立って怒りに身を震わせている。信じられない。ここまでするのかあの野郎…。
俺はショックのあまり、手に持っていたものを全て地面に落としてその場に立ち尽くした。せっかくもらった夕食は悲惨なことになっているだろう。全部全部、あの吸血鬼のせいだ。
ほんの数日前、わりと散々な目にあったが、その後は何事も無かったかのような平凡な日々に戻っていた。当初の俺も何かしら仕掛けてくるかと奴を警戒していたのだが、全くそれらしいことは起こらないし、あれで終わったのだとばかり思っていた。嵐の前の静けさとかいうのも気のせいだと思いたかったし、あの日から3日間、何事も無かったのだ。
その間に俺の目まぐるしい大学1年生は無事に終了し、春休みに突入したし、これからまた忙しくなる。春休みで休みが続くということは、俺は稼ぎ時の時期に差しかかるからだ。
大学に親しい友人は居ても、残念ながら遊ぶ金は俺には無い。どこに遊びに行くわけでもなく、春休みが明けて大学2年に上がるまでは、毎日バイトに明け暮れる予定だった。そのつもりでお願いしていた。
というのも俺の学科は1、2年は必修科目が山盛りにあるが、3、4年はほぼ研修だ。バイトに入れるのも少なくなるだろう。今のうちに稼げるだけ稼いでおきたいのである。
有難いことに亡くなった俺の両親は、俺にある程度の纏まった財産を残してくれており、それの管理を任されていたおじさんとおばさんは、それに一切(気持ち悪いという謎理由で)手をつけてはいなかったようで、高校を卒業する際、その財産を全て貰う代わりに、今後2人の人生には関わらないという条件で家を出してもらった。
こちらとしては、例え家の中で人権がなかったとしても、ここまで育ててくれたから恩返しがしたいのだが、これ関わるなと言われた以上、それは就職してから考えようと思う。
とにかく、俺の大学資金は主に両親が残してくれている財産から支払い、家賃や光熱費等は出来る限り全て自分で稼いでいる。この先何が起こるかわからないから貯金は大切だ。遊びには行きたいけど、無駄なことには金を使いたくないのである。
そんな俺のバイト先である個人経営のお店は、基本的に営業時間が夕方から夜中までだが、大学が休みの日などで空いてる日は、仕込みなどで昼も頼まれることがあり、俺のシフトは本日、その仕込みで朝から夕方までの勤務だった。
仕事を終え、腕時計を見れば時刻は夕方の5時過ぎ。今日はなんと晩御飯を店長の優しさで持たせてもらい、俺は晩御飯という最高のお土産を片手に、幸せいっぱいで帰宅したのである。
1Kのボロアパート。トイレと風呂は一緒という点以外はとくに気になる場所はなく、これで家賃3万円、息苦しかったおじさんとおばさんの家より遥かに生きやすい、俺のお城である。先日俺の身に起こった嫌なことも段々薄れつつあり、ルンルン気分とはこういうことなのだろうと思うほどに、本日は幸せいっぱいであった。
明日も夕方からのバイトだ。それまで予定はとくに無いから、さっさと寝て昼まで熟睡としたい。
そういえば、アパートの備え付けの冷蔵庫に確か友人から貰ったチョコが入っていたはずだ。さっさと晩御飯を頂戴して、その後にチョコを食べて、幸せな気持ちで沢山寝るつもりだったというのに…
「立ち退き、通知書…?」
その言葉を口にした瞬間、頭がぐらりとした。なぜ急になんて思わない。なぜなら最近の出来事を思い出すに、思い当たる節がありすぎる。なぜというよりは、ついに来てしまった、厄介事のいうことだ。というかあれしかありえない。あの吸血鬼以外に、突如こんなことが出来る人物が俺には思いつかないのだ。理解したと同時に怒りで口が引き攣る。
俺はここまで嫌がらせされるほどのことを奴にやらかしただろうか?いや、やったはやったけども、ここまでの仕打ちをされる筋合いは無いはずだ。
玄関の扉にドーンと存在を主張する紙を睨みながら、呆然と立ち尽くす。
「クソ野郎っ!」
しっかり考えて10秒。やはり納得いかない。我慢出来なくて地団駄を踏んで、声を荒らげた。少しすれば隣の家からドンッと扉を叩く音がする。うるさいという意味だろうか。はぁ!?うるさくて悪かったな!隣は顔見知り程度。確かおっさんだったと記憶しているが、こっちはおっさんが思ってる以上に死活問題なんだよ!
近所迷惑なんてどうでもいい。どの道もうここに居られないなら知ったことか。そもそも、他の部屋の扉には張り紙ひとつない。それが納得いかないのだ。つまり俺の部屋だけ立ち退きということなのだ。
例えばいついつまでにこのアパートの全員が立ち退き通達なら理解出来る。その理由がリフォームや取り壊しなら致し方ないと思うのに、そういう理由ではないということは、何かしらの取引に応じた管理人と、誰かとで話し合って俺だけ追い出したということだろう。
そんなことが出来るのは、最近の出来事を踏まえてあの吸血鬼しか思いつかない。ここまでするのか!?信じられない。ありえない。人の心がない。鬼だからしょうがないってか!クソすぎる!
「しかも期日が3日後ってなんだよ…」
どうすれば良いのか分からない。そう簡単にこの1Kと同じ条件で部屋が決まるわけは無いし、友達の家に次の部屋が決まるまで泊めてもらうことは可能だろうが、物が少ないと言っても、家具や食器もある。立ち退きということは全て持ち出すか、処分しなければならないはずだが、どう考えても3日で全てを持ち出して、家が決まるまで置いてもらうことなんてこと不可能だろう。
人…いや、鬼を助けて後悔する日が来るなんて。野垂れ死にしそうだった吸血鬼を甲斐甲斐しく自室に連れ帰り助けただけではないか。
だと言うのに、返ってきた言葉は「俺の餌になれ」というセリフで、命の恩人を家畜にするというクソ野郎発言にブチ切れて部屋の外へ放りだしたのは悪かったとは思うけど、こんな仕打ちをされる言われはない。大体追い出してから気づいたが、奴の腹には穴が空いていたのだ。寝転んでいたベッドが無事なわけが無い。あの後血だらけのマットレスやシーツを買い直す出費まで掛かったというのに、むしろこっちが請求したいものだ。こういう時はどうしたらいいのか分からなくて、頭を整理するために立ち尽くし、途方に暮れていた。
…とにかく、中に入って片っ端から友人に頼み込むしかないだろう。はぁと半分諦めのため息を吐いてドアノブを握ろうとした瞬間、勝手にドアノブが捻られ、扉がガチャリと音を立てる。俺はまだ握っていない。驚きのあまり声も出ずにその一連の流れを見ていると、一番最初に目に入ったのは艶やかな黒髪。細められた深紅の瞳は、ムカつくけど相変わらず美しい。
「……おい、帰ったなら早く入れ」
なんてさも当然のように言うものだから、俺は自分の頭がおかしくなったのか、もしくはパニックのあまり幻覚を見たのかと思った。「おまっ」だとか「なんで」とか「え!?」なんて意味の無い言葉が沢山口から零れる。
そう、目の前の男の正体は、間違いなく正真正銘、先日最悪な出会いを果たした西院皇であった。
「なんで俺ん家に勝手に入ってんだよ!」
やっと言えたその言葉は、俺の想像よりも大きいもので、2回目のドンッと扉を叩く音が隣の部屋から聞こえた。悪いが、何度も言うが俺は今それどころじゃない!
「…お前、どういうつもりだ」
「良いから入れ、近所迷惑だ」なんて当然のことのように言い、慣れたように家主の俺を差し置いて先に進む。俺はその後を慌てて追った。
何故こいつが部屋の中に居るのか理解不能だが、放置しておく方が危険だ。というか締め出されたら俺の寝床は無い。
通されたのはもちろん俺が生活するスペースで、狭い場所にぽつんと置かれたテーブルを挟んで、西院が先に腰を下ろす。こちらを見上げているのでお前も座れという意味だろうと、反対側に腰を下ろした。
ここまでするのか?俺に嫌がらせのために?不法侵入までくれば、もはやストーカーである。もし前みたいなことがあったら?こういう時って日本の警察でいいのか?吸血鬼相手に対応出来んの?なんて思いながら、念の為携帯を握りしめ、警戒心を丸出しにして問いただす。
「…お前、なんで俺の家に勝手に居座ってんだよ」
「それは簡単な話だ。この建物が俺の物になった。つまりオーナーは俺だ」
「……はぁ?」
「通常の5倍の金で、土地と建物を家主から買い取ったんだ。この建物の名義が俺になったと言えば分かるか」
いや意味は分かってんだよ。何でそんなことをしたのか分からないのはぁ?である。どうしてもこいつと会話が成り立たってる気がしないんだよなと、眉間に深く皺を寄せていれば、胸ポケットを漁っていた西院が、チャリンと金属がぶつかる音を立てる。俺に見せつけてきたのは紛れもない俺の部屋の鍵だった。
このアパートでは緊急事態のために住人たちのスペアキーが予め用意されていて、管理人の元、厳重に保管していると入居する時に事前に知らされている。それを私用や、まして悪用に使うことは無いとも聞いていた。それを一番渡してはいけない人間…じゃなくて吸血鬼に渡すなんて…
「…まじでなんでだよ」
「だから、買収したと言っている」
「いや、そうじゃなくてさ…ここ、ボロアパートであったとしても、一応駅チカだし、外れにあると言っても都内だし。買収…しかも5倍って?馬鹿じゃねぇの」
元々、このボロアパートは育ててくれたおじさんとおばさんの知り合いの持ち物で、ギリギリ都内に位置している。しかも駅から徒歩10分で家賃は3万という好条件で借りていた物件だ。ボロアパートなので虫も勿論出るけど、実際建物に価値はなくても、土地はそれなりにするはずだ。それを5倍の値段で買い取ったとか意味が分からない。金持ちの娯楽は理解不能だ。
「…お前とまともに話すのに必要な経費だったから仕方ないだろう」
その言葉を聞いてぽかんと口を開けてしまった。その為だけに?たった3日で?全ての権利を譲渡させた?
「っ、お前本当に頭おかしいんじゃねぇの!?それでこのアパートを買収したってか!?馬鹿通り越して頭おかしいわ!」
「おかしくもなる。お前にあんな追い出し方をされたらな」
「会って数分。どう考えても他人だろうが」
「番だと言っている」
「はぁ?そもそも追い出した経緯の元を辿れば、全部お前のせいだろ!」
駄目だ。本当に疲れる。常識が通じないのだ。これが俗にいうカルチャーショックというやつか。俺は頭を抑えて唸る。変な奴に目をつけられてしまった。最悪だ、嫌がらせすぎるだろ。とにかく、立ち退き願いを早々に取り消してもらわねば困る。それを話を聞く交渉に出すしかないだろうと頭を悩ませていると、おもむろに立ち上がった西院は、キッチンへと向かって横に設置されてる冷蔵庫の中を勝手に開けて、中に常備している水をコップに注いだ。
意外だ、吸血鬼も水飲むんだなと見つめていると、それは俺の目の前へ置かれる。
「飲め」
「…」
「なんだ?」
「いやこれ俺ん家の」
何我が物顔でドヤってんだよ。他所様の家を勝手に漁るなんて最低だぞ。
「いいから、とりあえずお前と話をさせろ」
水を置いた西院は、再度テーブルの向かいに座り、頬杖をついて胡座をかいた。話をしたいという態度じゃないと思うんだが。腹も減ったし最悪である。今頃たらふく美味しい飯にありつけていたはずなのに。はぁと息が大袈裟に零れた。
とりあえず前回のことは絶対許さないが、こちらも話さねばならないこともある。目の前に置かれた水を一気に煽り、ゴンッとコップをテーブルの上に置いた。良いだろう上等だ。
「…わかったよ。話は聞く。でも俺の話も聞いてもらうからな」
「いいだろう」
「条件とか出してきたら俺も同等の条件を出すし、もしこの前みたいに無理やり血を飲もうとしたら、俺はお前と二度と話さない」
「分かった」
こちらの目を見つめる表情は、真剣な眼差しだったので、とりあえずは大丈夫だろうと警戒を解く。もちろん西院が先程出した条件を破った場合は、俺は何が何でも逃げる。あんな痛くて恥ずかしい思いはもうごめんだ。もし何かあった時、すぐ逃げ出せるようにと手元には財布と携帯を置いておく。これさえあれば何とかなるからだ。
「じゃあ、ま。話してみろよ」
汗ばむ手に気づかれないように、俺は手を握りしめた。
俺は今、自宅の扉の前に立って怒りに身を震わせている。信じられない。ここまでするのかあの野郎…。
俺はショックのあまり、手に持っていたものを全て地面に落としてその場に立ち尽くした。せっかくもらった夕食は悲惨なことになっているだろう。全部全部、あの吸血鬼のせいだ。
ほんの数日前、わりと散々な目にあったが、その後は何事も無かったかのような平凡な日々に戻っていた。当初の俺も何かしら仕掛けてくるかと奴を警戒していたのだが、全くそれらしいことは起こらないし、あれで終わったのだとばかり思っていた。嵐の前の静けさとかいうのも気のせいだと思いたかったし、あの日から3日間、何事も無かったのだ。
その間に俺の目まぐるしい大学1年生は無事に終了し、春休みに突入したし、これからまた忙しくなる。春休みで休みが続くということは、俺は稼ぎ時の時期に差しかかるからだ。
大学に親しい友人は居ても、残念ながら遊ぶ金は俺には無い。どこに遊びに行くわけでもなく、春休みが明けて大学2年に上がるまでは、毎日バイトに明け暮れる予定だった。そのつもりでお願いしていた。
というのも俺の学科は1、2年は必修科目が山盛りにあるが、3、4年はほぼ研修だ。バイトに入れるのも少なくなるだろう。今のうちに稼げるだけ稼いでおきたいのである。
有難いことに亡くなった俺の両親は、俺にある程度の纏まった財産を残してくれており、それの管理を任されていたおじさんとおばさんは、それに一切(気持ち悪いという謎理由で)手をつけてはいなかったようで、高校を卒業する際、その財産を全て貰う代わりに、今後2人の人生には関わらないという条件で家を出してもらった。
こちらとしては、例え家の中で人権がなかったとしても、ここまで育ててくれたから恩返しがしたいのだが、これ関わるなと言われた以上、それは就職してから考えようと思う。
とにかく、俺の大学資金は主に両親が残してくれている財産から支払い、家賃や光熱費等は出来る限り全て自分で稼いでいる。この先何が起こるかわからないから貯金は大切だ。遊びには行きたいけど、無駄なことには金を使いたくないのである。
そんな俺のバイト先である個人経営のお店は、基本的に営業時間が夕方から夜中までだが、大学が休みの日などで空いてる日は、仕込みなどで昼も頼まれることがあり、俺のシフトは本日、その仕込みで朝から夕方までの勤務だった。
仕事を終え、腕時計を見れば時刻は夕方の5時過ぎ。今日はなんと晩御飯を店長の優しさで持たせてもらい、俺は晩御飯という最高のお土産を片手に、幸せいっぱいで帰宅したのである。
1Kのボロアパート。トイレと風呂は一緒という点以外はとくに気になる場所はなく、これで家賃3万円、息苦しかったおじさんとおばさんの家より遥かに生きやすい、俺のお城である。先日俺の身に起こった嫌なことも段々薄れつつあり、ルンルン気分とはこういうことなのだろうと思うほどに、本日は幸せいっぱいであった。
明日も夕方からのバイトだ。それまで予定はとくに無いから、さっさと寝て昼まで熟睡としたい。
そういえば、アパートの備え付けの冷蔵庫に確か友人から貰ったチョコが入っていたはずだ。さっさと晩御飯を頂戴して、その後にチョコを食べて、幸せな気持ちで沢山寝るつもりだったというのに…
「立ち退き、通知書…?」
その言葉を口にした瞬間、頭がぐらりとした。なぜ急になんて思わない。なぜなら最近の出来事を思い出すに、思い当たる節がありすぎる。なぜというよりは、ついに来てしまった、厄介事のいうことだ。というかあれしかありえない。あの吸血鬼以外に、突如こんなことが出来る人物が俺には思いつかないのだ。理解したと同時に怒りで口が引き攣る。
俺はここまで嫌がらせされるほどのことを奴にやらかしただろうか?いや、やったはやったけども、ここまでの仕打ちをされる筋合いは無いはずだ。
玄関の扉にドーンと存在を主張する紙を睨みながら、呆然と立ち尽くす。
「クソ野郎っ!」
しっかり考えて10秒。やはり納得いかない。我慢出来なくて地団駄を踏んで、声を荒らげた。少しすれば隣の家からドンッと扉を叩く音がする。うるさいという意味だろうか。はぁ!?うるさくて悪かったな!隣は顔見知り程度。確かおっさんだったと記憶しているが、こっちはおっさんが思ってる以上に死活問題なんだよ!
近所迷惑なんてどうでもいい。どの道もうここに居られないなら知ったことか。そもそも、他の部屋の扉には張り紙ひとつない。それが納得いかないのだ。つまり俺の部屋だけ立ち退きということなのだ。
例えばいついつまでにこのアパートの全員が立ち退き通達なら理解出来る。その理由がリフォームや取り壊しなら致し方ないと思うのに、そういう理由ではないということは、何かしらの取引に応じた管理人と、誰かとで話し合って俺だけ追い出したということだろう。
そんなことが出来るのは、最近の出来事を踏まえてあの吸血鬼しか思いつかない。ここまでするのか!?信じられない。ありえない。人の心がない。鬼だからしょうがないってか!クソすぎる!
「しかも期日が3日後ってなんだよ…」
どうすれば良いのか分からない。そう簡単にこの1Kと同じ条件で部屋が決まるわけは無いし、友達の家に次の部屋が決まるまで泊めてもらうことは可能だろうが、物が少ないと言っても、家具や食器もある。立ち退きということは全て持ち出すか、処分しなければならないはずだが、どう考えても3日で全てを持ち出して、家が決まるまで置いてもらうことなんてこと不可能だろう。
人…いや、鬼を助けて後悔する日が来るなんて。野垂れ死にしそうだった吸血鬼を甲斐甲斐しく自室に連れ帰り助けただけではないか。
だと言うのに、返ってきた言葉は「俺の餌になれ」というセリフで、命の恩人を家畜にするというクソ野郎発言にブチ切れて部屋の外へ放りだしたのは悪かったとは思うけど、こんな仕打ちをされる言われはない。大体追い出してから気づいたが、奴の腹には穴が空いていたのだ。寝転んでいたベッドが無事なわけが無い。あの後血だらけのマットレスやシーツを買い直す出費まで掛かったというのに、むしろこっちが請求したいものだ。こういう時はどうしたらいいのか分からなくて、頭を整理するために立ち尽くし、途方に暮れていた。
…とにかく、中に入って片っ端から友人に頼み込むしかないだろう。はぁと半分諦めのため息を吐いてドアノブを握ろうとした瞬間、勝手にドアノブが捻られ、扉がガチャリと音を立てる。俺はまだ握っていない。驚きのあまり声も出ずにその一連の流れを見ていると、一番最初に目に入ったのは艶やかな黒髪。細められた深紅の瞳は、ムカつくけど相変わらず美しい。
「……おい、帰ったなら早く入れ」
なんてさも当然のように言うものだから、俺は自分の頭がおかしくなったのか、もしくはパニックのあまり幻覚を見たのかと思った。「おまっ」だとか「なんで」とか「え!?」なんて意味の無い言葉が沢山口から零れる。
そう、目の前の男の正体は、間違いなく正真正銘、先日最悪な出会いを果たした西院皇であった。
「なんで俺ん家に勝手に入ってんだよ!」
やっと言えたその言葉は、俺の想像よりも大きいもので、2回目のドンッと扉を叩く音が隣の部屋から聞こえた。悪いが、何度も言うが俺は今それどころじゃない!
「…お前、どういうつもりだ」
「良いから入れ、近所迷惑だ」なんて当然のことのように言い、慣れたように家主の俺を差し置いて先に進む。俺はその後を慌てて追った。
何故こいつが部屋の中に居るのか理解不能だが、放置しておく方が危険だ。というか締め出されたら俺の寝床は無い。
通されたのはもちろん俺が生活するスペースで、狭い場所にぽつんと置かれたテーブルを挟んで、西院が先に腰を下ろす。こちらを見上げているのでお前も座れという意味だろうと、反対側に腰を下ろした。
ここまでするのか?俺に嫌がらせのために?不法侵入までくれば、もはやストーカーである。もし前みたいなことがあったら?こういう時って日本の警察でいいのか?吸血鬼相手に対応出来んの?なんて思いながら、念の為携帯を握りしめ、警戒心を丸出しにして問いただす。
「…お前、なんで俺の家に勝手に居座ってんだよ」
「それは簡単な話だ。この建物が俺の物になった。つまりオーナーは俺だ」
「……はぁ?」
「通常の5倍の金で、土地と建物を家主から買い取ったんだ。この建物の名義が俺になったと言えば分かるか」
いや意味は分かってんだよ。何でそんなことをしたのか分からないのはぁ?である。どうしてもこいつと会話が成り立たってる気がしないんだよなと、眉間に深く皺を寄せていれば、胸ポケットを漁っていた西院が、チャリンと金属がぶつかる音を立てる。俺に見せつけてきたのは紛れもない俺の部屋の鍵だった。
このアパートでは緊急事態のために住人たちのスペアキーが予め用意されていて、管理人の元、厳重に保管していると入居する時に事前に知らされている。それを私用や、まして悪用に使うことは無いとも聞いていた。それを一番渡してはいけない人間…じゃなくて吸血鬼に渡すなんて…
「…まじでなんでだよ」
「だから、買収したと言っている」
「いや、そうじゃなくてさ…ここ、ボロアパートであったとしても、一応駅チカだし、外れにあると言っても都内だし。買収…しかも5倍って?馬鹿じゃねぇの」
元々、このボロアパートは育ててくれたおじさんとおばさんの知り合いの持ち物で、ギリギリ都内に位置している。しかも駅から徒歩10分で家賃は3万という好条件で借りていた物件だ。ボロアパートなので虫も勿論出るけど、実際建物に価値はなくても、土地はそれなりにするはずだ。それを5倍の値段で買い取ったとか意味が分からない。金持ちの娯楽は理解不能だ。
「…お前とまともに話すのに必要な経費だったから仕方ないだろう」
その言葉を聞いてぽかんと口を開けてしまった。その為だけに?たった3日で?全ての権利を譲渡させた?
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「会って数分。どう考えても他人だろうが」
「番だと言っている」
「はぁ?そもそも追い出した経緯の元を辿れば、全部お前のせいだろ!」
駄目だ。本当に疲れる。常識が通じないのだ。これが俗にいうカルチャーショックというやつか。俺は頭を抑えて唸る。変な奴に目をつけられてしまった。最悪だ、嫌がらせすぎるだろ。とにかく、立ち退き願いを早々に取り消してもらわねば困る。それを話を聞く交渉に出すしかないだろうと頭を悩ませていると、おもむろに立ち上がった西院は、キッチンへと向かって横に設置されてる冷蔵庫の中を勝手に開けて、中に常備している水をコップに注いだ。
意外だ、吸血鬼も水飲むんだなと見つめていると、それは俺の目の前へ置かれる。
「飲め」
「…」
「なんだ?」
「いやこれ俺ん家の」
何我が物顔でドヤってんだよ。他所様の家を勝手に漁るなんて最低だぞ。
「いいから、とりあえずお前と話をさせろ」
水を置いた西院は、再度テーブルの向かいに座り、頬杖をついて胡座をかいた。話をしたいという態度じゃないと思うんだが。腹も減ったし最悪である。今頃たらふく美味しい飯にありつけていたはずなのに。はぁと息が大袈裟に零れた。
とりあえず前回のことは絶対許さないが、こちらも話さねばならないこともある。目の前に置かれた水を一気に煽り、ゴンッとコップをテーブルの上に置いた。良いだろう上等だ。
「…わかったよ。話は聞く。でも俺の話も聞いてもらうからな」
「いいだろう」
「条件とか出してきたら俺も同等の条件を出すし、もしこの前みたいに無理やり血を飲もうとしたら、俺はお前と二度と話さない」
「分かった」
こちらの目を見つめる表情は、真剣な眼差しだったので、とりあえずは大丈夫だろうと警戒を解く。もちろん西院が先程出した条件を破った場合は、俺は何が何でも逃げる。あんな痛くて恥ずかしい思いはもうごめんだ。もし何かあった時、すぐ逃げ出せるようにと手元には財布と携帯を置いておく。これさえあれば何とかなるからだ。
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閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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