魔法通りの魔法を使わない時計屋さん

新城かいり

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「僕の恩師だったんだけれど……あぁ、君が気にすることではないんだ。本当に急だったから、僕も驚いてしまって。だから、この時計をその人の元へ返してあげたくてね」
「――そ、それは、なんというか……」

 うまい言葉が出てこないのだろう、リリカは顔を俯かせてその目はきょろきょろと落ち着かない。
 そんなリリカを見て、彼はふっと優しく笑った。

「ごめんね。君には散々無理を言ってしまった」

 そう言って彼は金の懐中時計を大事そうに手に取った。
 それを目で追っていると、カランコロンと来客を知らせるベルが鳴った。リリカはハッとして顔を上げる。

「いらっしゃいませ」
「昨日の、直っているか?」

 ぶしつけにそう訊きながら入ってきたのは、昨夜例の傷だらけの懐中時計を持ってきたリリカと同じ年くらいの男性客だった。
 カウンター前にいた先客の彼はそのお客に場所を譲った。
 リリカは作業台に乗ったままの時計に視線を送ってから答える。

「見てみましたが、この時計はもう修理不可能です。全部の部品が酷く錆びついてしまっていて、部品を変えるにも、もう」

 すると、まだリリカが説明している途中なのにそのお客は不機嫌そうに言った。

「直せないってことか?」
「……はい。もうこの時計の限界だと思います」
「あんた魔女なんだろう? 魔法でなんとかならないのか?」

 いつものリリカならその台詞でイラっと来ているところだ。でも、今日のリリカは違った。真面目な顔でそのお客に説明を続ける。

「魔法でなんとかしたとしても、今の使い方ではまたいつ止まってしまってもおかしくないです」

 途端、男の顔が険しくなる。

「はぁ? 壊れたのは俺のせいだとでも言いたいのか? この時計いくらで手に入れたと思っているんだ!」

 その声がどんどん大きく荒くなっていく。
 ピゲは耳を伏せて小さくなった。人間の男の怒鳴り声はどうも苦手だ。
 でもリリカは毅然とした態度を崩さなかった。

「それは知りませんが、でもこの時計は本当にもう」

 するとその客は吐き捨てるように言った。

「ハッ、噂は本当のようだな。魔女のくせに力を出し惜しみしやがって。ならこの通りで店なんか出すんじゃねぇよ!」

 びくりと、リリカの肩が跳ねた。――と。

「君、女性の前でそんな大声を出すものじゃないよ」

 いつの間にか帽子を被りお客さん用の椅子に座っていた彼が穏やかな口調で言った。
 それを男は柄悪く睨みつける。

「はぁ? あんたには関係ないだろう。口出しすんじゃねぇよ」
「彼女は、一流の時計職人だ」

 その言葉にリリカは瞳を大きくした。

「その彼女が直せないと言っているんだ。もう諦めたまえ」
「随分と偉そうな口をきいてくれるじゃないか。俺はな、この街の議員の息子だぞ。父に言えばこんな店すぐにでも追い出すことだって出来るんだからな!」

 さっとリリカの顔色が変わる。ピゲは自分でも気づかぬうちにフーっとその客に向け威嚇の体勢をとっていた。
 しかし彼は笑顔を崩さずにスっと立ち上がるとその客に近づいた。

「な、なんだよ」
「すまないね、僕はこの街のことにそこまで詳しくなくて。その議員の名前を教えてくれないかい?」

 そして彼はリリカの死角でその客に小さく耳打ちをした。
 それを聞いた男の顔がみるみる青ざめていく。そして彼から物凄い勢いで離れ、慌てたように声を上げた。

「な、なんでこんな店に、」

 その反応にリリカは眉をしかめる。彼は男に向かってにっこりと続けた。

「僕も彼女に時計の修理を頼みに来たんだよ。君と一緒さ」

 男はリリカと彼とを見比べながら、ドアの方へと後退っていく。
 リリカはそれを見て我に返ったように声を掛けた。

「あ、時計、お返しします」
「そ、そんな壊れた時計もういらねぇよ! 捨ててしまってくれ!」

 そう言い残し、その客はけたたましいベルの音と共に去って行った。
 ふぅとピゲは肩の力を抜いた。

「まったく、騒がしいお客だったね」

 彼は笑顔でこちらを振り向いた。リリカはそんな彼に頭を下げる。

「ありがとうございました。助かりました」

 ピゲも一緒に少しだけ頭を下げた。

「いや。でも、僕も最初君のことを良く知らずに今の彼と同じことを言ってしまった。すまなかった」

 帽子を外し深く頭を下げた彼を見て、リリカはひどく慌てた。

「そんな、全然違います! あなたとあの人とでは、全然」

 すると彼は穏やかに微笑んだ。

「ありがとう。……それじゃあ、僕ももう帰るとしよう。色々と迷惑をかけたね」

 そうして彼はこちらに背を向けた。
 ……本当にこれでいいのだろうか。そう思ってピゲはリリカを見上げた。そのときだ。

「――あの!」

 ドアを開けようとしていた彼を、リリカは呼び止めた。

「ん?」
「その時計、私に修理させてください!」
「え?」
「へ?」

 彼とピゲの声が被った。
 思わず出てしまったのか、リリカ自身も驚いている様子だ。その顔がほんのり赤くなっているのを見てピゲはぽかんと口を開けた。

「でも君、魔法は」
「――よ、よく考えたら、開けるだけなら修理とは言わないんで、開けるだけ魔法で試してみようかなと」

 なんだそりゃ、とピゲは呆れた顔をした。
 でも彼はもう一度帽子を外しクスクスと笑いながら嬉しそうにこちらに戻ってくる。

「頼むよ。リリカ・ウェルガーさん」
「大切にお預かりします」

 リリカも職人の顔で、それを受け取った。


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