佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)

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松山主水

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 松山主水大吉は、日本武道史に謎の極意を残した知る人ぞ知る剣豪である。
 年代を見てみると小野忠明が寛永五年に死去した翌年の寛永六年、一年も経たないうちに
 松山主水という剣豪が忽然と現れ、佐々木小次郎が剣技指南役を務めていた細川藩に早急に召し抱えられた。 
 不自然極まりない人事といえる。
 どこの馬の骨ともわからないそれまでまったくの無名であった江戸の剣豪を剣技指南役として遠く離れた細川藩で佐々木小次郎の後釜としてわざわざ迎えるのだ。
 これが小野忠明だとしたらすべて筋が通る。
 島津に潜伏する豊臣秀頼を追跡するため幕府も急を要していた。
 さて松山主水という剣豪がいかにして細川藩に知られたか。
 それはある事件を主水が起こしたことによる。
 当時、主水は初老だというのに未だに気楽な浪人生活をしていた。 
 少なくとも、江戸で姿を初めて現したときは周囲はそんな印象を持っていた。
 白くなった髪を月代にせずに髷で束ね、毛皮の肩衣を着ていた。
 差料は大刀の一振りのみ。
 しかも下げ緒、つまり鞘に取り付ける刀の盗難防止用の紐であるがそれすらないという不用心、いや貧乏浪人だったという。
 毎日、傘張りで稼いだわずかな金を酒に使うという日々を送っていた。
 と、いうのはすべて阿国が考えた役どころだ。
 気楽に酒を飲む遊び人ぷりは、佐々木小次郎と似通っている。
 旅芸人だった阿国は自由きままな遊び人の剣士というのが好きだった。
 松山主水を一日で有名にしなくてはならない。
 江戸中に広まる噂をたった一度の事件でやり遂げる。
 阿国の腕の見せどころだった。
 さて主水が街に出歩くようになって数か月経ったある日、飯屋の前で主水が若い友人と話をしているとき、中から出てきた若い侍達が「おい!鞘が当たったぞ!」因縁をつけてきた。
 主水の友人は大声で怒鳴った。

 「こちらは、はじめからこの場所に立っていたのだ。後から来たそっちが気を付けるべきであろう!」

 近所の人々がそのやりとりを見た。

 「なにぃ!この俺を愚弄するか!」

 「愚弄?怪我をする前に立ち去るがいい!」

 「なんだとぉ!」

 飯屋から若侍の仲間が二十人ほど出てきて騒ぎだした。
 この若侍達、巌流島の戦いを仕掛けた伝説の隠密が新たな仕掛けをするというので柳生によって集まった修行中の若手達である。
 飯屋の主人を演じていた阿国は若手達をけしかけた。

 「もっと派手にいきな」

 阿国にそう言われ、若侍達は大声で罵声を浴びせだした。
 周囲に野次馬が十分に集まってきたところで、阿国が若侍に目で合図した。

 「貴様!許さん!」

 若侍は剣を抜いて大げさに構えた。

 「おお、あぶねえ!」

 野次馬達がいっせいにたじろいた。
 主水の友人も刀を抜いた。
 この主水の友人は小幡である。
 小幡は最後の忠明との仕掛けということでこの役を買って出たのだ。
 小幡は見せつけるように剣を掲げて構えた。
 若侍は、いきなり小幡を袈裟に斬り伏せた。

 「うわあああああ!」

 という大きな叫び声と共に、小幡の着物は血だらけになった。

 「おおお!」

 「やっちまったよあの若いの!」

 野次馬の声をしっかり聞きながら小幡は倒れた。
 さて、主水は今度は自分の出番だと前に出た。

 「おのれ!この狼藉者ども!おぬらいっぺんにこの松山主水が相手にしてくれる!」

 主水がそう言うと、若侍が大声で主水の名前を野次馬に聞こえるように繰り返した。

 「なにい!松山主水だとお!」

 「そうだ!松山主水だ!」

 このやりとりで野次馬達もしっかりと名前を覚えた。
 野次馬達に交じっていた阿国が大声で言った。

 「なんだって?あの傘張りの遊び人、松山主水が喧嘩してんのかい?老侍が無茶し
 て若い奴に勝てるのかい?殺されちまうよ!」

 「松山主水ってのは遊び人侍か」

 「そうだよ。じいさん無理しないほうがいいぜ!」

 「若侍達の数が尋常じゃねえだろ!謝っちまえよ」

 「やめときゃいいのに!」

 「だってあの若いお侍、二十人もいるよ」

 「うちに帰って傘張りやってろって!」

 「無理だって!松山主水という奴、斬られるぞ!」

 この間、主水と若侍達はにらみ合っていたが野次馬達がひととおり野次飛ばしをし終わるのを待っていた。
 老侍対二十人の若侍達という図式をしっかり野次馬達に印象づけた。
 主水がそろそろだと、ひとりの若侍に目で合図すると若侍の一人が剣を抜いてかかってきた。
 若侍が剣を振り上げた瞬間、主水は抜きざまに若侍の胴を斬り払った。
 血がにじみ出て、若侍はそのまま倒れた。
 あまりに見事な抜き技に野次馬達も一瞬、言葉を失った。
 その見事な斬りつけは、倒れた若侍が一番感動していた。
 地面に伏せ死んだふりをしつつ主水の、いや小野忠明の最後の技を噛みしめていた。
 野次馬が気を取り戻すとざわめきだした。

 「松山主水、やったなおい!」

 「斬っちまったよ!」

 すると二十人の若侍達がいっせいにかかってきた。
 次は初老の浪人が若侍達に八つ裂きにされる!という情景を誰もが想像した。
 若侍達は事前に柳生で言われていた。「本気でかかっていけ」と。
 そうしないとむしろ危ない。
 数人で斬りかかるには、味方の剣が当たらないようにする必要がある。
 誰が先にどの角度から斬りかかるかを互いに見なくてはならない。
 そうしないと敵が捌いたとき同時に攻撃した逆側の味方の剣が当たることもある。
 だから本気でかかっていかないと、攻撃の刹那の瞬間が互いに明確に見えないのだ。
 本気で全員が主水にかかっていった。
 が、しかし主水は全員の攻撃をすり抜けていった。
 あれよあれよという間に、主水は囲みから離れすぐ近くの橋の上に立った。
 橋はその重量に耐えるため弧の形に中央が盛り上がっている。
 主水が橋の盛り上がりに立つと、野次馬達にも若侍達からもよく見えた。
 そして主水は剣で不思議な構えをとった。
 剣を胸の前に突き出し左手の平を刀の峰に置いた。
 若侍達が斬りかかろうとした瞬間「やあっ!」と、主水が気合をかけるとなぜか若侍達が足に根が生えたのかというくらいに動けなくなった。
 剣を振り上げた状態でそれぞれが固まってしまった。
 
 「なんだ!」

 「どうしたんだ?」

 柳生の若手達も面食らった。
 まさか金縛りにかけれるとは夢にも思っていなかったからだ。
 主水が構えを解き、二丈(六メートル)ほど飛び上がり若侍達を飛び越えると若侍達は動けるようになった。
 また再び若侍達が剣を主水に向けて振り上げると、また主水は同じ構えをとった。
 すると若侍達はまた体が動かなくなった。
 
 「なんだい、まるで金縛りみたいだね!」

 「金縛り?」

 「なんだ術か?」

 阿国がつい得意げに言った。

 「心の一法だよ」

 「心の一法?」

 主水は峰に載せた左手の平を反転させた。
 すると若侍達は一斉に腰が砕けたように地に落ちた。
 
 「おお!」

 と、野次馬達が驚いたと同時に松山主水は人込みの中に消えていった。
 その姿を先頭にいた若侍が姿が消えるまで目に焼き付けた。
 それが忠明の息子、小野忠常だ。

 「父上…達者で…」

 すぐに役人がやってきて、斬られた主水の友人、小幡と若侍を大八車に載せて回収した。
 巌流島の時は斬られて血を見せるいうことをできないから武蔵に櫂を使わせたが、今回は薄い鉄胴を身に着けその上に鶏の血を入れた油紙の袋を巻きつけた。
 それを着物の上から剣で斬りつければ、血が吹き出て殺されたように見える。
 これも、阿国の発明だ。
 この発明はいざというときに使えると但馬も柳生の隠密に採用した。
  そして一連の騒ぎはたった一日で江戸中に広まり、松山主水大吉という心の一法の使い手がいることを世間は知るようになった。
 そして細川藩、細川忠利によって剣技指南役に召し抱えられるわけである。
 佐々木小次郎の後釜として。
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