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第7話 【エピローグ】

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 旧首都ビルガド、ハクノ地区。
 現在は実質的に、本国の最北の大型都市になる。
 風俗やカジノが公的に認められた特異な街で、表向きは華やかな反面、裏向きに目をやれば、その目を覆いたくなるような黒い部分が見え隠れする。
 貧富の差が大きすぎて、上を見れば果ては無く、下を覗けば底は深淵へと続く。

 陽の部分と陰の部分をあわせもつ街だ。そして、陰の部分を象徴するかのように立ち並ぶ、ここスラム街にも、さらに格差社会が形成されていた。

「……」
 サックは、憲兵が使う馬を借り、スラム街の外れにやってきた。既に日は落ちていたが、今宵は月明かりがまぶしいくらいで、夜道も明るく照らされていた。しかし、サックの足取りはお世辞にも明るくは無かった。
 彼は、更に北へ馬を走らせた。すると、一棟の教会らしき建物が見えてきた。
 周囲の草木は枯れ、一部は焼け落ちた後が見られた。過去に火災でも起こったのだろうか。
 教会自体は、石レンガ造りであったため火災による全焼は免れていたようだが、外壁はところどころ焼け跡が残っていた。

 住民に見放された、崩れかけの教会。
 しかし、その教会に近づくにつれて、サックは違和感を覚えた。
 入り口の扉や、扉横に彫られた女神の彫刻に修繕の跡があったのだ。誰かが定期的に使用していることが伺えた。

「ここか、極幸教の隠れ家か」
 サックは独白し、そしてゆっくりと、木の扉を開けた。

 元々ステンドグラスがてがわれていたであろう場所は、修理が間に合っていないのか、木の枠だけが押し込まれていた。そのため雨風を防ぐようなものはなかったが、ダイレクトに月明かりが差し込んでいた。
 それはまるで、演劇舞台のようだった。メインの大きな窓から入り込む光はちょうど、教会の中央を幻想的に照らしていた。

「……! サックさん!」
 そんな月明かりのスポットライトは、椅子に縛られていた彼女を神々しく、また儚く見せた。
 新聞屋、クリエ=アイメシアだ。
 背もたれの高い木製の椅子に、彼女はロープで括られていた。両手は後ろに回され、手首を介してしっかりと結ばれていた。顔にできていたアザが痛々しい。

「すいませんサックさん……。捕まっちゃいました」
 テヘッ。と、舌を出しお道化どけて見せる。強がってはいるが、しかし彼女のトレードマークであるメガネも歪み、腫れた頬も相まって不格好な醜態をさらしていた。

「……」
 サックは、動けなかった。ピンチに陥り命を奪われかけた、クリエを助けるようなそぶりも、見せなかった。
 危険を顧みず勝手に行動して、結果、人質となったクリエに怒りを覚えていた……わけではない。
 動けなかったのだ。なぜなら、明かりの外からもう一人の姿が確認できたからである。もう一人の影は、手に物騒な小型の刃物を握っていた。それは、サックのよく知る特殊な武器──クナイだった。

 サザンカだ。

 服装は、デートと称してサックが購入した(お金だけ出した、の意)服をそのまま着ていた。長い髪は動きやすいようにか、後ろで束ねていた。宝石部分が砕け紛失した、簪を用いてお団子状に黒い髪を巻いていた。

『止まりなさい』
 サックの頭に、直接声が響いてきた。しかしその声の主は、サックの想像していた人物のものではなかった。
(ボッサ……じゃないな、誰だ)
 少し年配の女性の声であった。サックは、しかし、その声を聞いたことがあったことを思い出した。
「イチホ、イーガスか!」
 教会の全体に響くくらいの大きな声で、念話の主に問いただした。だが、念話の主はそれに答えなかった。代わりに、サックが今おかれている現状を改めて知らしめさせた。

『よく見なさい、あなたを贔屓にする新聞屋が、どうなっても良いのですか?』
 その声を合図に、サザンカがさらにクリエに近づいた。そして、手に握られたクナイを、クリエの喉元に突きつけた。

「ヒィッ!」
 短い女性の悲鳴が、教会に反響した。
『さあ、私の言いなりになってもらうわよ……勇者アイサック!!』
「なんか勘違いしてねぇか?」
 サックは、そんあ状況を物ともせず、クリエとサザンカに歩み寄り始めた。
 彼はクリエ愛用のフルーレを持ってきていた。腰に携えたそれを鞘から抜き、クリエに近づいた。職人の手によって施された、鷹と疾風の彫刻が月明かりに反射して煌めいた。

「え、ちょちょ、ちょちょちょちょっと!!」
 クリエ、まさかのサックの行動に明らかに動揺を見せた。
 そんなクリエを目前にしながらも、サックは無視して剣を構え、一気に距離を詰めんと駆け出した。

『……ちっ!』
 心に直接語りかける声が、大きく焦りを見せたように思えた。新聞屋が人質として使えないことは想定外だったようだ。

『おい、サザンカ!』
 しかし、その声の主は、もう一人の『人質』を使うプランに切り替えた。
 サザンカがもう1本のクナイをとりだし、今度は、彼女自身の喉にクナイ先端を向け、押し込んだ。かなり首の近くに刃を持ってきており、僅かに刃が首に触れていた。血が滲み、ぽたぽたと垂れてきていた。

「……くそっ」
 サックは、クリエとサザンカの目の前で歩みを止めた。剣は構えたままだったが、まだ距離が離れているとサックは判断したのか、サザンカの武器を切り払うことができなかった。

『全く、油断も隙も無いわ。道化の勇者め』
 脳内に響く声は、少し穏やかになっていた。やっと作戦通りに進んだことで安堵したのだろうか。
『これ以上動くなよ、道化師。さ、武器を捨てなさい』
「……」
 サザンカという人質を取られたサックは、言われるがまま、手にしていたフルーレを遠くに投げた。そして、両の手をバンザイの格好にし、武器を持っていないことを態度で示した。

『その厄介な薬品が詰まった、腰のホルダーも外して捨てろ』
「……」
 サックは短く舌打ちし、腰のホルダーを外した。薬草の粉末や治癒の液体など、色々なアイテムを詰め込んだものであり、道具師アイテムマスターの生命線とも言える。
『……靴も脱げ。何を隠しているかわからないからね』
 声の指示に従うサックは、最終的には、薄手の上着1枚に、麻の粗末なズボンだけとなった。素足に、落ちている小石が食い込み、じわじわと痛みが走った。

『ふ、道具の持たない道具師アイテムマスターなど、それこそ道化以下ね』
 サックは否定できなかった。その女の言っていることは常々正しかったからだ。多少、レベルに自身はあるものの、本来の力である、道具師の持ち味は全く出せない。
 しかも人質を取られており、その一人は操り人形になっているとはいえ、サックと対等に渡り合える程の実力者なのだ。

「サザンカっ! 目を覚ませ!」
 サックは、目の前にいる婚約者に大声で語り掛けた。しかし、サザンカの目はうつろのままで、喉にあてられたクナイの刃は外れることは無かった。
『無駄。無駄よ、アイサック……少しでも動いてみなさい。どうなるか分かるわよね?』
 この声を合図に、サザンカが近づいてきた。焦点は会わず目には光は宿っていないが、しかし、体の動きは想定よりもハキハキとしていた。

『ニオーレはね、顔を、メイスで潰されていたの。綺麗な顔だったのに。痛かったでしょうね、悔しかったでしょうね』
 すると、サザンカが足元に落ちていた石を拾った。ちょうど、大人の拳より一回り程大きいだろうか。サザンカの女性の手には余るほどの大きさだ。

「サザンカっ!」
 サックは、そんなサザンカに一縷の望みを託し、再度声を掛けた。だが、それは虚しく響くだけだった。
『さあ、絶望なさい、悲観しなさい、後悔なさい』
 サザンカはさらにサックに近づき、石を右手で持ち上げた。そして、まっすぐサックの顔面目掛けて振り下ろした。

 顔に激痛が走る。
 鈍い音が、サックの脳みそに響く。いや、教会全体に、頬骨が砕ける音が響いたようだ。
「ひいっ!!」
 椅子に縛られたクリエが、体全体を委縮させて怯えた。目下で行われた痛々しい情景に慄いていた。

「が……っ! ぐああああ!」
 顔面をごつごつした岩で殴られたサックは、痛みで体を俯かせようとしたが、それをサザンカが許さなかった。
 サックの髪の毛を鷲掴みにし、持ち上げたのだ。
 サックの顔と、サザンカの顔の距離が、今までに無いくらい近づいたが、ロマンチックな雰囲気とは言い難い。

『連れてこい。私の家族が受けた報いを全て受けてもらう』
「いってぇ! サザンカ!! 目を覚ませ!」
 そのまま髪の毛を持ったまま、サザンカはサックを引きずりまわした。

(なにが報いだっ! 貴様らの狂った思想は、正当化できるものではないだろう!)
 心底、胸糞悪い。サックは強く、思った。すると、その女の声がサックに語ってきた。
『ふ、心の声は聞こえているわ。変な事を考えないことね。策はすべてお見通し』
 ふははははは。
 笑い声だ。サックの頭に、女の笑い声がこだました。異常なまでの執着。私念。憎悪。脳に届く声一つ一つが、サックの精神を侵し削っていく。

『サザンカ。奴の手を縛って、こちらに持ってこい。続きは、私の目の前で……よく見せてくれ』
「サザンカ……っ! 目を、覚ませ……っ!」
 何度も何度も、サックは声をかけ続けた。殴られたときに頬骨を骨折していたため、口を開けるたびに痛みを伴った。しかしながら、サックの声は、サザンカに届くことは無かった。
(無理か……っ! くそっ!)
 サックは、自分の深層鑑定ディープアナライズ能力の無力さに落胆していた。サックにはサザンカの現状の症状が『視えて』しまっていたのだ。そして、それを打開するには、単純な声掛けや衝撃だけでは無理であることも、理解してしまっていた。

『人質を取られているのに策もなく、飛び込んできたか……人質をほおっておいて逃げることもできたでしょうし、大勢を引き連れてやってくることもできたでしょうし』
「……馬鹿を言え。そんなことしたら、人質処分してトンズラだろ」
 またしても、女は笑い始めた。笑うたびに声がサックの脳を揺らす。
『それを判って、言われた通りクソ真面目に一人でやってきた。やはり貴様は『道化師』がお似合いね』
 言われた通りだ。現状のサックに打開策はなかった。まともな策もなく、この場に来たことは間違いなかった。
(……道具を持たない道具師オレは、今、正に道化師フール、か。けどな……)
 誰に利かせる訳でもない。弱弱しい声で小さくサックは呟いた。強いて言えば、自分自身への言い聞かせ、だろうか。彼の決意の現れでもある。

(曲がりなりにも、『勇者』なんでな。人質をほおっておけるわけないだろ)

 すると、この心の声を聴いていた女の笑い声が止まった。そして、負の感情──怒りがこもった声が、サックの頭に響いた。
『私たちの家族の人生を無茶苦茶にしてその言い分! ……気に入らない。『あの御方』の言ったとおりの性格ね!』
(あの御方……『ボッサ』の事か……)
『答える義務はないわ……サザンカ! 一旦コイツを黙らせろ!! 耳ざわりだ!』
 するとサザンカは、再度、石を持った手を振り上げ、サックにたたきつけた。
「がっ!」
 ゴリッと、先ほど以上に強い衝撃がサックに走った。頭のこめかみ部分に強烈な打撃を受けたサックは、そのまま、意識が遠のいてしまったのだった。


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