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第8話 追放勇者、対峙する【その6】

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『ひぃあぁ……あり得ない……』
 イチホの口、耳、鼻、開いた喉、傷ついた腹……体中の穴という穴から、白い光が漏れだした。体の奥底に、聖属性の刃が深く入った証拠だ。
 浄化の光はよこしまな気を払い、しゅうしゅう、と腐肉を焼く音を発生させた。

 そして、潜在解放された剣は限界を向かえた。刃の根元からポキリと、脆く崩れ、柄が床に落ちた。そして、浄化の光はゆっくり弱まっていき、途絶えた。

 しゅぅぅ……。

 部屋に、先ほどの腐肉を浄化する臭いとは別に、遺体特有の腐乱臭が漂い始めた。
 過去に、ゾンビやワイトなどと剣を交えたことのあるサックは、その臭いの意味を知っていた。
 特殊な力──術法や怨念で動かされた死体が活動を停止し、土に還るときの臭いと一緒だった。

「……あ……あ……」
 腐り、朽ちていく、女性の遺体を目下に、呆然とサザンカは立ち尽くした。まだ本調子ではないようだ。呆けた口は少し開いてしまい、言葉にならない声を発していた。

「さ、サザンカ……」
 サックが、うつぶせに倒れたままサザンカに呼びかけた。イチホが消失したことに緊張の糸が切れてしまったのだろうか。先ほどよりも力が抜けてしまい、彼自身、まだ立ち上がることができない。

「サック……?」
 すると、サックの呼びかけにサザンカが反応した。うつぶせのサックに目を向け、その後ゆっくりと、体を向けた。
「いけない、サザンカ……無理はしないで」
 そんなサザンカを見て、サックは優しく声をかけた。
 まだ、彼女が『危険な状態』であることを察したのだ。先ほどの機敏な動きを行ったとは思えない程、彼女の顔色は悪く、疲労が見えていた。本調子とは程遠い状態だ。

 おそらく、イチホに対してのサザンカの突飛な行動は、彼女の意地か、執念が見せたのだろう。
「命を懸けて復讐を成す」というサザンカの強い心が、体を動かし、そして目的を達成した。

 そしてサックは、部屋の隅に目を配る。ヒマワリの様態も気になったのだ。
 既に沢山の薬草や回復薬を焼き、御香の効果を薄めるとともに薬効による回復。さらに、今現在は偶然にも、部屋は風穴が二つ空き、夜風が流れ空気が入れ替わっている。予断は許されないが、つい数刻前に比べ、状況は良い方向へ転がってくれていた。

「サック……サック……!」
 するとサザンカが、ふらふらと、動き始めた。やはりまだ、催眠の薬は抜け切れていないようだった。
 また、左足に残ったクナイによる傷も痛々しいが、覚束おぼつかない足取りで、倒れているサックのほうへ近づいて行った。

「サザンカ……無理はしないで……」
 サックはそんなサザンカに労いの言葉を掛けた。無理はしないでほしい。という本心から出た言葉だったが、『自分は大丈夫だから』。とは言葉を続けられなかった。そんな強がりすら口に出せないほど、サックも消耗していたのだ。

 そしてサザンカも同じだった。イチホを仕留めた際の先程の威勢は消え失せ、まっすぐ歩くことすらできない。
 肉体、精神ともに疲弊し、父のかたきを討てたことで完全に緊張の糸が切れていた。忍者の『隠密行動』スキルは途切れ、周囲への警戒心も同時に解けてしまっていた。

 だからこそ、それに気づくことができなかった。

 最初に違和感を覚えたのは、サックだった。うつぶせから顔を上げてサザンカを見上げていたからこそ、朽ちて崩れ行く、イチホの目線とも近かったからこそ、気付くことができた。

 イチホの遺体は、まだ動いていたのだ。

 浄化の光を体内から浴び、腐乱臭を発生させていた。体の下半分は既に風化が始まり、残っているのは頭と右腕くらいだった。
 だからもう動かないはずと、たかくくっていた。しかし、イチホは右の掌を、サザンカの背中に向けて伸ばしていたのだ。
 イチホの、最後の『執念』──『復讐心』による、意地だった。
 最愛の娘『ニオーレ』を失ったイチホの逆恨みが原動力となり、彼女をここまで駆り立てた。
 だから彼女は、最期に、サックの『最愛の人物』に手を掛けることにした。

『……風の精よDniw fle……他を貫くfo worra矢とならんna stoohs……』
「やめろぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」
 サックは、全身全霊を込めて大声で叫んだ。声帯の振動すら、自身の体に負担がかかり、痛みが走った。
 そんなサックの懇願は、むなしく響くだけだった。そして皮肉にも、彼女が成仏する際の最高の『はなむけ』になってしまった。

『そう、その顔が見たかったの』

 イチホの掌に空気が圧縮され、破裂音とともに、こぶし大の風の弾丸が発射された。
 真空を帯びたその弾丸は、固い石壁にも穴をあけることができる。
 そんな風の弾丸は、無情にも、サザンカの背中から心臓に向けて一直線に突き抜けた。

 暗い部屋に差し込む月の光は、サザンカの鮮血を照らした。
 まるで一輪の花を散らしたかのような残酷で幻想的な情景を、サックは目に焼きつけることとなった。



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