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ダイブ3 クォ=ヴァディスの巻 〜 暴君ネロ 編 〜
第71話 聖、マリア、エヴァ。みんなご苦労だった
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かがりはマリアの沈んでいるプールを眺めていた。
もしあの世界から戻ってくるなら、またこの子が最初だろうとうっすら感じていた。かがりは父、輝雄と一緒に三人のヴァイタルデータをモニタリングしていたが、マリアとエヴァの脳波が予想外なほど乱高下を繰り返していた。
輝雄の見解では、あまり良くない状態かもしれない、と聞かされていたので心配で仕方がなかった。セイひとりを見守っていた時とは、またちがう種類の心配も頭をもたげて、気が気でない。
モニタリングルームで子細なデータを見ていられず、ひとりこのプールサイドに来てしまっている。
ふいに『覚醒』を示す赤いランプが点灯したのが見えた。マリアの水槽に目をむける。マリアは粘液から勢いよくおきあがると、ゴーグルをむしりとるようにして立ちあがった。すばやくほかの水槽に目を配ったかと思うと、掴みかからんばかりの勢いで、かがりのほうにむかってきた。
「かがり!。ほかのふたりはまだだな!」
「えぇ、まだ。マリア、大丈夫?」
「かがり、おまえだけに言う。ここだけの話にしろ!」
「な、なに……」
その真剣な剣幕に思わず気圧されて、ことばを続けられない。
「おまえの彼氏、夢見・聖。あいつのせいで、もうちょっとで落ちるところだったぞ!」
「お、落ちるって……どこに……?」
「聖、あいつのせいで、オレはあやうく『恋』に落ちそうになった!」
そう言い放つなり、マリアは聖が沈んでいる水槽のほうに目をやった。その目はとても大切なものを慈しむような暖かさが感じられた。
突然の告白に、かがりは膝が抜けそうになった。足に力がはいらず、その場に膝を折ってしまいそうだった。なにか、文句でも、非難でも、相槌でも口から吐き出してやろうとしたが、呼吸すらおぼつかないほど動揺していた。
が、マリアはかがりの胸を軽く叩いて言った。
「安心しろ。おまえの『男』をとるような真似はしねぇよ」
かがりの顔を覗き込むようにして、マリアは笑った。
「『ペタンコ同盟』の同士だからな……」
マリアはおちゃらけてそう言ったが、顔は泣き出しそうなのを我慢しているようにしか見えなかった。かがりはなにも言えなかった。
本気——なんだ……。
そう思ったとたん、涙がこみあげそうになった。
わたし……、なんで……?。
そんなかがりの様子をマリアがじっと見ていた。かがりはあわてて、表情を取りつくろった。口角を不自然なほどあげて『にっこり』と微笑んでみせる。
マリアはふいに下唇をぐっと噛みしめると、天井を見あげながら言った。
「くそう、悔しいな。今は聖をおまえに託すしかない。かがり、おまえしかできないからな」
「な、なんのこと?」
「むこうで夢見・冴、あいつの妹に会った……」
かがりは雷に打たれたように、びくりと震えた。さきほどカミング・アウトされたとき以上の衝撃が、一瞬にしてからだを駆け抜けていったのがわかった。
冴の突然の脳波の覚醒と沈黙は……、そういうことなのだ——。
「すまん。オレは、オレたちは、冴を目の前にして、救い出すことができなかった……」
「ど、どうして……」
かがりはその「どうして」がなににかかる「どうして」なのか、どう続けるべき「どうして」なにかわからなかった。だが、なにか言い返さないと、なにか問いかけないと、大声で叫びだしてしまいそうなのがわかっていた。
「かがり。おまえが聖のこころを癒してやってくれねぇか……」
マリアがぎゅっと目をつぶった。くちびるがわなわなと震えていた。
「あいつは、信じられないほど苦しんだんだ。おかげであやうく負けるとこだった……。戻ってきたら……寄り添ってあげてくれ」
かがりは「うん」と言ってかるくうなずくと、聖の沈んでいるプールへ服のままずかずかと入っていった。粘ついた『念導液』がかがりのスカートを濡らす。だが、そんなことにはまったく躊躇しない。かがりは聖の横に腰をおろすと、聖のからだに寄り添い、裸の胸に手をやった。
そのとき、聖が粘液のなかで目をさました。ゆっくりと上半身を起こしたところで、自分のすぐ真横にかがりがいることに気づいたようだった。
だが、聖は『ナイトキャップ』のゴーグルをはずそうともせずに、そのまましばらく動かなかった。
かがりがおずおずと声をかけた。
「聖……ちゃん……。マリアから聞いた。冴ちゃんがいたって……」
聖はかるくうなずいただけだった。かがりはそれ以上、ことばをかけようとしなかった。
その代わりに聖の頭を自分の胸に抱いて、ただ聖の髪の毛に自分の頬を寄せた。
話したくなければ、話さなくていい……。
元気づける必要もなければ、慈しむようなことばをかける必要もない。
ただ、わたしはきみの一番近くにいるよ……。
しばらく聖は身動きひとつしなかったが、ふいにくぐもった声でひとこと言った。
「もうちょっと……、あと、もうちょっとだったんだ……」
かがりは聖の頭をことさら強く抱きしめた。
その時、ふいにモニタースピーカーから、夢見輝雄の声が聞こえてきた。
「聖。大丈夫か……。」
そのひとことで、聖は気持ちを切り替えたようだった。ゴーグルをはずすと、モニタ画面の輝雄に顔をむけて声を張った。
「輝雄おじさん。あの子は……、モニカは大丈夫ですか?」
「あぁ、無事だ。さきほど覚醒した。今、イタリアの病院にいる、あの子のお母さんからお礼の連絡があったばかりだ」
「よかったぁ」
聖が破顔した。これ以上ないほどの屈託のない笑顔。
そのとき、エヴァが無言のままゆっくりとからだを起こすのがみえた。かがりの目にはこころなしか意気消沈しているように見えた。上半身をおこしたまま、プールの一点をじっと見つめて身動きしようとしなかった。
心配になったかがりがエヴァに声をかけようとすると、それを制するように、聖が自分の手の甲に手を重ねてきた。
聖の目が今はそっとしておくように、と語っていた。
そんな様子をなにひとつ気にかけてない晴々とした声で、モニタスピーカーから輝雄がみんなに声をかけてきた。
「聖、マリア、エヴァ。みんなご苦労だった……」
かがりは父のねぎらいのことばを聞くと、ゆっくりとプールから立ちあがった。濡れたスカートから、粘液がしたたる。
ふいに聖がかがりの手をつかんだ。
「かがり……、次はかならず……、次はかならず冴を救ってみせるから……」
もしあの世界から戻ってくるなら、またこの子が最初だろうとうっすら感じていた。かがりは父、輝雄と一緒に三人のヴァイタルデータをモニタリングしていたが、マリアとエヴァの脳波が予想外なほど乱高下を繰り返していた。
輝雄の見解では、あまり良くない状態かもしれない、と聞かされていたので心配で仕方がなかった。セイひとりを見守っていた時とは、またちがう種類の心配も頭をもたげて、気が気でない。
モニタリングルームで子細なデータを見ていられず、ひとりこのプールサイドに来てしまっている。
ふいに『覚醒』を示す赤いランプが点灯したのが見えた。マリアの水槽に目をむける。マリアは粘液から勢いよくおきあがると、ゴーグルをむしりとるようにして立ちあがった。すばやくほかの水槽に目を配ったかと思うと、掴みかからんばかりの勢いで、かがりのほうにむかってきた。
「かがり!。ほかのふたりはまだだな!」
「えぇ、まだ。マリア、大丈夫?」
「かがり、おまえだけに言う。ここだけの話にしろ!」
「な、なに……」
その真剣な剣幕に思わず気圧されて、ことばを続けられない。
「おまえの彼氏、夢見・聖。あいつのせいで、もうちょっとで落ちるところだったぞ!」
「お、落ちるって……どこに……?」
「聖、あいつのせいで、オレはあやうく『恋』に落ちそうになった!」
そう言い放つなり、マリアは聖が沈んでいる水槽のほうに目をやった。その目はとても大切なものを慈しむような暖かさが感じられた。
突然の告白に、かがりは膝が抜けそうになった。足に力がはいらず、その場に膝を折ってしまいそうだった。なにか、文句でも、非難でも、相槌でも口から吐き出してやろうとしたが、呼吸すらおぼつかないほど動揺していた。
が、マリアはかがりの胸を軽く叩いて言った。
「安心しろ。おまえの『男』をとるような真似はしねぇよ」
かがりの顔を覗き込むようにして、マリアは笑った。
「『ペタンコ同盟』の同士だからな……」
マリアはおちゃらけてそう言ったが、顔は泣き出しそうなのを我慢しているようにしか見えなかった。かがりはなにも言えなかった。
本気——なんだ……。
そう思ったとたん、涙がこみあげそうになった。
わたし……、なんで……?。
そんなかがりの様子をマリアがじっと見ていた。かがりはあわてて、表情を取りつくろった。口角を不自然なほどあげて『にっこり』と微笑んでみせる。
マリアはふいに下唇をぐっと噛みしめると、天井を見あげながら言った。
「くそう、悔しいな。今は聖をおまえに託すしかない。かがり、おまえしかできないからな」
「な、なんのこと?」
「むこうで夢見・冴、あいつの妹に会った……」
かがりは雷に打たれたように、びくりと震えた。さきほどカミング・アウトされたとき以上の衝撃が、一瞬にしてからだを駆け抜けていったのがわかった。
冴の突然の脳波の覚醒と沈黙は……、そういうことなのだ——。
「すまん。オレは、オレたちは、冴を目の前にして、救い出すことができなかった……」
「ど、どうして……」
かがりはその「どうして」がなににかかる「どうして」なのか、どう続けるべき「どうして」なにかわからなかった。だが、なにか言い返さないと、なにか問いかけないと、大声で叫びだしてしまいそうなのがわかっていた。
「かがり。おまえが聖のこころを癒してやってくれねぇか……」
マリアがぎゅっと目をつぶった。くちびるがわなわなと震えていた。
「あいつは、信じられないほど苦しんだんだ。おかげであやうく負けるとこだった……。戻ってきたら……寄り添ってあげてくれ」
かがりは「うん」と言ってかるくうなずくと、聖の沈んでいるプールへ服のままずかずかと入っていった。粘ついた『念導液』がかがりのスカートを濡らす。だが、そんなことにはまったく躊躇しない。かがりは聖の横に腰をおろすと、聖のからだに寄り添い、裸の胸に手をやった。
そのとき、聖が粘液のなかで目をさました。ゆっくりと上半身を起こしたところで、自分のすぐ真横にかがりがいることに気づいたようだった。
だが、聖は『ナイトキャップ』のゴーグルをはずそうともせずに、そのまましばらく動かなかった。
かがりがおずおずと声をかけた。
「聖……ちゃん……。マリアから聞いた。冴ちゃんがいたって……」
聖はかるくうなずいただけだった。かがりはそれ以上、ことばをかけようとしなかった。
その代わりに聖の頭を自分の胸に抱いて、ただ聖の髪の毛に自分の頬を寄せた。
話したくなければ、話さなくていい……。
元気づける必要もなければ、慈しむようなことばをかける必要もない。
ただ、わたしはきみの一番近くにいるよ……。
しばらく聖は身動きひとつしなかったが、ふいにくぐもった声でひとこと言った。
「もうちょっと……、あと、もうちょっとだったんだ……」
かがりは聖の頭をことさら強く抱きしめた。
その時、ふいにモニタースピーカーから、夢見輝雄の声が聞こえてきた。
「聖。大丈夫か……。」
そのひとことで、聖は気持ちを切り替えたようだった。ゴーグルをはずすと、モニタ画面の輝雄に顔をむけて声を張った。
「輝雄おじさん。あの子は……、モニカは大丈夫ですか?」
「あぁ、無事だ。さきほど覚醒した。今、イタリアの病院にいる、あの子のお母さんからお礼の連絡があったばかりだ」
「よかったぁ」
聖が破顔した。これ以上ないほどの屈託のない笑顔。
そのとき、エヴァが無言のままゆっくりとからだを起こすのがみえた。かがりの目にはこころなしか意気消沈しているように見えた。上半身をおこしたまま、プールの一点をじっと見つめて身動きしようとしなかった。
心配になったかがりがエヴァに声をかけようとすると、それを制するように、聖が自分の手の甲に手を重ねてきた。
聖の目が今はそっとしておくように、と語っていた。
そんな様子をなにひとつ気にかけてない晴々とした声で、モニタスピーカーから輝雄がみんなに声をかけてきた。
「聖、マリア、エヴァ。みんなご苦労だった……」
かがりは父のねぎらいのことばを聞くと、ゆっくりとプールから立ちあがった。濡れたスカートから、粘液がしたたる。
ふいに聖がかがりの手をつかんだ。
「かがり……、次はかならず……、次はかならず冴を救ってみせるから……」
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