僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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龍造寺猛、1

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 整理体操の終盤、 
「猫将軍、練習は終わったか?」
 後ろから声を掛けられた。体操の最後の動作を利用し振り返ると、クラスメイトの龍造寺が5メートルほど離れた場所に立っていた。言葉を交わしたことはあまり無いが、歴史好きの北斗の影響で龍造寺という戦国大名が九州にいたことを知っていた僕は、彼に興味を抱いていた。
「ああ、今日はもう終わりだ。何か用か、龍造寺」
「これから用事がないなら、猫将軍と少し話をしたい。どうかな?」
 龍造寺猛と僕の席は、比較的近くにある。つまりそれは、彼も身長が低いってことだ。それが理由では決してないけど、彼には何か通じるものを感じる。コイツとは仲良くなれそうな予感が、しきりとするのだ。龍造寺はさり気なさを装いつつも、僕の練習が終わるのを待ち、そして今後の用事の有無を訊いてくれた。こんな気遣いのできるおとこに、嫌なヤツはそういない。僕は彼の申し出を快諾した。
「もちろんいいよ。用事もないし、龍造寺とは以前から話してみたかったしさ」
 彼はホッとした表情を見せ、白い歯でニカっと笑った。彫りの深い日焼けした顔に、短髪がよく似合っている。「ならこれは礼だ」と彼はバックからスポーツドリンクを取り出し、僕に放り投げた。
 ――ここで遠慮したら男がすたる!
 と咄嗟に思った僕は快くそれを受け止め、カシッと小気味よく蓋を開けて、一気に半分ほどゴクゴク飲み干した。ここまでは半ばお約束の行為だったが、ボトルから口を離したとたん、思わず「ウマッ」と叫んでいた。坂道ダッシュで疲労した体に、このスポーツドリンクは本当に美味しかったのである。何だこれはとラベルをまじまじ見つめる僕に耳に、感嘆の声が届いた。顔を上げるとそこに、称賛の眼差しを向ける龍造寺がいた。
「猫将軍は、本格的な体と練習をしているんだな。それは、短距離走で疲労した体専用に調合されたドリンクだ。速筋使用によって失われる成分が大量に入っていて、速筋を多用した時ほど美味しく感じるよう工夫されている特製ドリンク。実はそれ、来月発売予定の新商品なんだよ」
「そいつは凄いな。このドリンクは、龍造寺が研究に携わっている商品なのか?」
 研究に携わるなんて俺にはまだまだだよと謙遜する彼はしかし、確かな自信に裏打ちされた、誇り高い顔をしていた。

 僕らの研究は、好きなことから始まる。現代の小学校では一年時から、好きな教科や得意な教科を、自分で好きなだけ先へ進められる。例えば理科の好きな一年生は理科の授業中、教育ソフトを使い好きなだけ理科を学ぶことができる。テストに合格すれば、二年生や三年生の理科を学ぶことも可能だ。子供特有の爆発的な情熱を傾けられる教科があるなら、好きなだけそれを学ばせてあげる。それが、現代日本の教育なのだ。
 もちろんそれを、全生徒に強要することは無い。かくいう僕も小学四年生になるまで、好きな教科や得意な教科など一つも無かった。そんな子供は両親の世代同様、教師の行う授業を聞き、皆と一緒にテストを受ける。この昔ながらの教育が合っている子供へは、その教育を受ける環境をしっかり整えてあげる。これもまた、現代教育の特色なのだ。
 先ほどの理科好きの小学生に話を戻そう。テストに合格し二学年上の授業を受けられるようになると、理系以外の教科である国語、社会、芸術、体育で進級のために必要な単位が若干減り、その分の授業を理科と算数に振り分けられるようになる。それらを少し削っても、才能ある分野へ突き進めるよう環境が整えられるのだ。学ぶ学年が上がるにつれ理系以外の必要単位は減っていき、大学レベルをもって本人が望むなら、大学への入学資格が与えられる。そう、今の日本は、小学生でも大学生になれるのだ。しかしこれは統計によると、真の天才以外はお勧めできないらしい。人は人と関わって生きてゆくため、子供時代に人間性を学べなかった研究者は、人間性豊かな研究者より生涯研究量が少なくなる傾向があるのだそうだ。よって真の天才以外は大学へ飛び級せず、同学年の子供達と学校生活を楽しむことが推奨されている。本人が飛び級を望むなら、その限りではないけどね。
 以上は理系だけでなく、文系や芸術や体育にも適用される。今の子供達は好きなことを、自分で好きなだけ学べるのだ。その学んだことを原稿にまとめ、国語のプレゼン授業で発表すると、それはその子の「研究」として公式に認められる。小学校卒業時に自分の研究テーマをもっている子供は、全体の約半数を占めると統計は語っていた。

 龍蔵寺の申し出を承諾してから暫くのあいだ、僕は彼の話に耳を傾けた。彼は九歳半ばまで、運動音痴だった事。それでも脚にバネのあった彼は、走るのが大好きだった事。背は小さかったが様々な工夫を重ね、1000メートルの陸上競技選手として故郷の宮崎県ではそれなりに名が通っていた事。それがきっかけでスポーツ関係の研究をするようになり、僕がもらったドリンクにもデータ整理やちょっとしたアイディアで関わっている事。それら等々のことを、彼は僕に話してくれた。僕は大興奮し、運動音痴も同じだし走りへの工夫が研究に繋がったのも同じだと話すと、彼は飛び上がって喜んだ。そして二人で運動音痴時代の苦労や研究関連の知識交換で盛り上がっているうち、僕らは自然と「眠留」「猛」と呼び合うようになっていた。猛と眠留は音の響きも意味も似ているよなと嬉しそうに話す猛に、響きはともかく意味は真逆だろうと自嘲したら、そんなこと無いぞと猛は両者の共通点を熱心に説明してくれた。
「眠留は猫だ。猫は陸上哺乳類の中で最も速筋比率の高い、瞬発力特化型の最高の狩人だ。そして速筋の維持と成長には、睡眠が極めて重要だと言われている。猫があれほど眠るのは、そのためだな。授業中寝まくる眠留が坂道を猛然と駆け上がる様子を見て、ああコイツは猛々しい猫なんだって俺は確信したよ。猛々しさと、猛。ほら、そっくりじゃないか」
「そ、それはちょっと褒めすぎだよ」
 僕は大いに照れたが、悪い気はしなかった。猛の言葉はお世辞ではなく、日頃の僕を見ていてくれたから気づいた言葉だと、思えたからだ。
「いや、眠留は決める時はビシッと決める男だって、北斗も言ってたじゃないか。一昨日の日直、あれ良かったよ。飾らない素直な猫が獲物をビシッと捕まえたような、そんな感じだった。うん、あれはナカナカだったな」
「頼む、もうそこら辺で勘弁してくれ。どちらかというと僕はいじられキャラで、そっちの方が慣れてるんだ」
 悪い気はせずとも許容量を超えてしまい、僕は話題終了を懇願した。すると猛は、なら日直関係でいいネタがあるぞとニンマリ笑った。墓穴を掘ったと気づいたが、後の祭りだった。
「眠留が連絡事項の最後に『大いに悩んで下さい』って言ったら教室が沸いたよな。あれ、なぜだか知ってるか?」
「そうそう、あれは僕も不思議だったんだ。理由を知ってるなら是非教えてくれ」
 墓穴はさて置き、これは僕の本音だ。あの時みんながウケてくれなかったらその後の二階堂との会話は存在せず、すると二階堂と良い友達になることも無かったからである。
「あのとき教室が沸いた理由は、眠留自身が何かに悩んでいたのを、みんな知ってたからだ。眠留は机に二度突っ伏していたから、付き合いの無かった俺も少し心配していた。だが日直をこなす眠留を見て、悩みは解決したんだろうとみんな安心した。その隙を突いて『大いに悩んでください』なんて当の本人からしれっと言われたら、そら噴き出して当然だって」
 あの日のことを思い出したのだろう、猛は腹を抱えてゲラゲラ笑いだした。身に覚えがあり過ぎて頭を抱えていると、気にするなと猛は僕の背中を叩いた。
「俺ら一年十組は付き合いこそまだ短いが、それでも眠留が飾らず本音を話すヤツだってことは、多分全員気づいているよ。二階堂との会話もそうだったしな。飾らないこと、本音を明かしてくれることは気持ちいい事なんだって、眠留はこれからも俺達に見せてくれ。頼んだぞ」
 僕は驚いた。前期委員に申請するか否かで北斗に相談した六日前と同じ感覚が、心の一番深い場所をかすめた気がしたのである。心をかすめるこの感覚はなんだろう?  猛の言葉に僕は何を感じたのかな? そう考えつつ猛の顔を凝視していたら、僕の視線を大げさに除ける素振りをして猛は苦笑した。
「おいおいそれ、もしかして一途な眼差しじゃないだろうな。一応ことわっておくが、俺は普通に女の子が好きだからな」
「な、何を言ってるんだ猛。僕だって女の子がすっ、すっ、好きに決まってるじゃないか!」
 猛の悪ふざけにただでさえ慌てていたのに、好きという言葉から特定の女子を連想しそうになった僕は、彼の目にさぞ混乱して映ったのだろう。猛は半ば本気で僕に謝ってくれた。謝るだけで特定の女子の名前を出さなかった龍造寺猛の武士の情けに、僕は胸中手を合わせた。
 そんな僕の心の動きを、きっと感じたのだと思う。
「タチの悪い冗談を言ったせめてもの償いとして、俺はこれから腹を割ろう」
 猛はそう言って正座し、両手を脚の付け根に揃え居住まいを正した。それは真似できそうで真似できない、男から見ても惚れぼれする座りっぷりだった。これが真四角に座るってやつか、やっぱ九州男児は違うなあ、なんて呑気に感心している場合ではないことを悟った僕は猛に正対し、あぐらのまま背筋を伸ばす。猛は頷き、僕にズバッと頭を下げた。
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