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二章
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頭の悪すぎる僕はついさっきまで、最終グループの競技中は昴だけに目を向けているつもりでいた。唯一無二の、一生かけても返しきれない恩義を感じている幼馴染の頼みなのだから、それを全力で叶えようと思っていたのだ。
しかしそれをすると、輝夜さんの応援ができなくなることに僕は今更ながら気づいた。唯一無二の、一生そばにいて欲しいと願う女性を、全力で応援したい。僕はそうも、全身全霊で思っていたのである。
そんな僕を置き去りにし、
「位置について」
体育祭実行委員の声が耳に飛び込んで来た。今まで一度も聞こえなかった声が聞こえるほど、グラウンドが静まりかえっているのだ。どうすればいいんだと心中のたうつ僕の頭上に、ピコンと電球が灯った。そうだ、翔化して翔体に目を四つ作って、二人同時に見ればいいんだ。なあんだ簡単じゃん、さあさっそく翔化して・・・・
ウガ――、そんなんできるか――!!
技術的には問題なくとも、こんな私的な目的のために翔化しようと思うなんて、僕は一体どうしちゃったんだよ!
だが再度そんな僕を置き去りにし、
「用意」
体育祭実行委員の声が鼓膜を震わせた。両足をほんの少し開き膝を僅かに曲げ、垂直跳びの準備体勢を取る輝夜さんが目に飛び込んでくる。万策尽きたと地に崩れ落ちそうになったその刹那、脳が人生最速のスピードで回り始めた。そして号砲の0.3秒前、脳の中心から高圧電流がほとばしる。
感覚体だ、それしかない!
僕は感覚拡大領域を過去最速の0.05秒で展開し、昴を包み込んだ。その0.1秒後、
パ――ン!
最終グループの妖精たちが、一斉に空へ跳び上がったのだった。
間髪入れず、
「「「ワ~~~」」」
大歓声が上がった。輝夜さんだ、輝夜さんが一身に大歓声を浴びているのだ。けど僕は声をあげるどころか、言葉を失い彼女を見つめることしかできなかった。輝夜さんの頭上に、ボーナス3点が次々浮かび上がっていた。しかも、王冠のアイコン付きで浮かび上がっていた。ボーナス3点を獲得した選手は第十グループにも一人いたからつまりこの王冠は、一年生体育祭史上初の、出来映え点で10点満点が出た証なのだ!
「なっ、なんだあの」「完成度の高いジャンプは」
北斗と猛が呟き、そして揃って絶句した。回転ジャンプスクワットを四年間しつづけた北斗と、九州一の中距離ランナーである猛には、理屈抜きで感じられたのだ。あれが、どれほど凄まじいジャンプなのかを。
膝を僅かに曲げているだけで予備動作などほとんど無いのに、輝夜さんは高々と跳躍していた。彼女の周囲だけは重力が半分しかないと冗談を言われても一瞬信じてしまうほど、輝夜さんは高々と跳び上がっていた。そして最高地点直前で体軸をキュッと細くしたとたん、目にも留まらぬスピードで体がクルクルッと2回転する。速度があり過ぎて回転が止まらないのではないかと危ぶむほどのスピードで、体が回転するのだ。しかしそれは彼女が腕と脚をほどくと同時にふわりと止み、そのまま輝夜さんは音もなく、地面にふわりと着地する。その姿は妖精というより、羽衣をまとう天女。十組の女の子がいみじくも、ポツリともらした。
「羽衣をまとい月から地上へ舞い降りた、かぐや姫みたい」と。
僕はある確信のもと、強化視力を輝夜さんへ向けた。思った通り、彼女は予備動作が無いのではなかった。彼女はむしろ、予備動作の塊だったのである。翔人は体を無数のパーツに分け、下部パーツの動きに上部パーツの動きを上乗せする事により、最小の動作で最高の速度を生み出す。彼女はそれを応用し、無数のパーツを「垂直跳びだけ」に用いることで、爆発的な跳躍力を手に入れていたのだ。全身隈なく使うからこそ、かえってそれを他者に感じさせない技術。そうあれはまさに、翔人の技術の応用。おそらく中級翔人以上にのみ使用可能な、高等技術なのだ。
「あっ、バランスを崩したぞ」
四度目のジャンプで誰かが叫んだ。確かに輝夜さんの体軸が、前方へ若干傾斜している。今まで通り2回転するも10点満点の王冠が出ず、グラウンド中に女子の悲鳴が上がった。けど僕は、
「違う!」
と声を張りあげた。教育AIよ、お前の目は節穴か! 輝夜さんは故意に軸を進行方向へ傾け、第二部の全力疾走に備えているだけなんだ!
2回転を終えた彼女は空中でつま先をほどき、右脚を前へ、そして左脚を後ろへ出した。胸の前で交差させていた腕も肘を曲げたまま前後に出し、彼女は宙に浮いたまま「走り出す姿勢」を作りあげる。AIもそれを認めたのだろう、輝夜さんの頭上に、10点満点の王冠がキランと出た。四連続だ、ボーナスも出来映え点も四連続で満点が出たのだ、つまり彼女は!
「「「オオオッッッ!!!」」」
かつて無いどよめきにグラウンドが揺れた。なぜなら皆、初めて見たからだ。
第一部合計52点という、これ以上の高得点の無い、満点のみが出しうる数字を。
準備をすべて整えていた輝夜さんは両足が着地すると同時に、
ダンッ!
地響きをたてスタートダッシュを切った。そして前傾姿勢を保ったまま高く、かつ幅広く彼女は跳躍。放物線の頂点でクルッと高速1回転し、着地するなり彼女は再び全力疾走。輝夜さんの頭上に、ボーナス3点と王冠が次々浮かび上がってゆく。もちろん、四連続でだ。再度獲得した第二部合計52点という数字に、どよめきは爆発的歓声へ変わった。しかしその直後、グラウンドは静寂に包まれる事となる。想定外すぎる光景に、皆度肝を抜かれて。
第三部の平均台は、落ちると大幅な減点を余儀なくされる。よってこれまでの選手は全員、平均台の手前で一旦停止し、呼吸と姿勢を整えから平均台に登り、ゆっくり慎重に渡るという作戦を採用していた。卓越した身体能力を持つ中央2列の選手すらそうだったので、その光景ばかりを見てきた僕らは当然、輝夜さんもそうするはずだと思い込んでいた。バランスを崩しやすい別格平均台の手前で一旦停止し、万全を期して挑むのだと勝手に決めつけていた。だが、全力疾走から減速する気配をまったく見せない彼女に、僕らは教えられたのである。『停止を義務づけるルールは無いのに、なぜ停止すると思い込み、決めつけるのか』と。
輝夜さんは全力疾走のまま平均台へ飛び移り、右足を鉄棒に触れさせる。そしてそのままアイススケートで氷上を滑るが如く、
鉄棒の上を、
ス――と滑ったのだ。
その仕組みを瞬時に理解できた一年生は、おそらく五人いなかっただろう。昴がきちんと理解しているのは感覚体のお陰で感じられたが、昴レベルの身体能力の持ち主でない限りそれは無理な話。ほとんど全ての生徒は想定外すぎる出来事のせいで、ただ口をあんぐり開け、輝夜さんを呆然と見つめるだけだったのである。
アイススケートのように足を滑らせる仕組みは、輝夜さんがまだ、ジャンプで上昇している状態にいるからだ。勢いよく平均台に飛び乗った際の、体が上昇を続けている状態に、彼女はまだいる。よって鉄棒と接している右足に、輝夜さんの体重はほぼかけられていないのである。だから、滑る。いや滑るように、彼女は足を持ち上げてさえいるのだろう。でなければ体重をかけていないとはいえ、摩擦を感じさせないほどスムーズに滑らせることは不可能だからだ。
輝夜さんの体が上昇を止め、下降し始めた。彼女は足を滑らせ続けるべく、右膝を曲げてそれに対応する。しかしそれも限界になったのだろう、彼女は右足に全体重を乗せ鉄棒を踏みしめ、そして幅跳びをするように、右脚を後ろへ力強く蹴り出した。上昇エネルギーを再度得た彼女は、今度は左足を鉄棒の上で滑らせてゆく。星々の煌めく銀河をアイススケートの如く滑る彼女の姿に、全応援席から大きな溜息がもれた。「止まらない」と「ふらつかない」に加え初の「駆け抜ける」のボーナスを獲得し、輝夜さんの頭上に二つの王冠が浮かび上がっても、感嘆の吐息以外の声を漏らす人はもはや誰もいない。二連続で満点表示が出ても誰一人無粋な騒音を出さず、輝夜さんを静かに見つめていた。左脚で鉄棒を蹴り、右脚で再度鉄棒を蹴って10メートルを滑り終え地面にふわりと着地した彼女の頭上に、三度目の52点が浮かび上がる。そこに、130点以上を出した選手のみが対象となる「速さ」のボーナス5点が加えられ、最終得点が表示された。
総合計、161点。
湖校歴代二人目の、
同率一位
湖校の第一グラウンドから5キロ以上離れた所沢駅のホームで電車を待つ人々の約半数が、はっきり耳にしたと言う。
一年生のあげた、大歓声を。
「でも同率一位じゃボーナスは40点しか入らないから、白組は逆転できなかったな」
「歴代一位なら80点入って逆転できたかもしれないのに、惜しかったよなあ」
隣の九組から男子生徒達の会話が聞こえてきた。暴れ出そうとする怒気を、僕は必死で押さえ付けねばならなかった。「確かにそうだけど、その通りだけど、今は輝夜さんの偉業を素直に称えるべきだろう! 逆転できなかったなんて理由で、あの神業を汚さないでくれ!」 奥歯を噛みしめ体を小刻みに震わせながら、僕は怒りの気持ちを次から次へとねじ伏せていった。
すると僕の右肩に、手が添えられた。競技が終わったので感覚体は解除していたが、優しさと思いやりに溢れるこの左手の持ち主を、僕が間違えるはずない。深呼吸し気持ちを静めて、僕は顔を昴へ向けた。
昴は、不思議な表情をしていた。人生一番の困惑に、人生一番の微笑みを混ぜ合わせたような、大人の女性だけが成し得る面持ちになっていたのだ。条件反射で僕は昔よくしていた、とまどう豆柴の表情を浮かべてしまう。
おい僕、お前は幼稚園児か!
さすがに恥ずかしくなり、両手で顔を思いっきりこすった。そんな僕に昴は明るく笑い、大丈夫という言葉を二度使って言った。
「大丈夫、気にしないで。それに、大丈夫。輝夜はオリンピック代表級ではなく、オリンピックメダリスト級だから」
「なるほど、そうだったね。うん、昴の言う通りだ。なるほどなるほど」
僕は豆柴顔を宇宙の彼方へ放り投げ、神妙顔で納得の相槌を打ったのだった。
豆柴云々はさて置き、僕は幼馴染の言葉に二つのことを思い出した。一つは、一千を超える評価項目の存在。銀河の妖精には120人もの選手が出場するので、同点の選手が多数でてくる。祖父母の時代なら同点の選手を全員同じ順位にしただろうが、現代の競技にそんな大雑把さはない。教育AIが評価項目を丹念にチェックし、一人一人を明確に順位付けするからだ。つまり輝夜さんは161点という得点では歴代同率一位であっても、その真の順位は、まだ発表されていないのである。
思い出したもう一つは、湖校で初めて161点を出した先輩についてだ。体操選手としてオリンピック代表に選ばれ、個人5位入賞を果たしたその先輩が満点を出したのは、最後の六年生体育祭の時。つまり、一年生で満点を出した輝夜さんはその先輩より実力が上のはずだと、昴は指摘したのである。そんな単純な話ではない気もするが、昴が言うのだからきっとそうなのだろうと、僕は妙に納得した。それを見計らったかのように、
ピコピコポン、ピコピコポコポン♪
皆の注目を喚起する音楽が流れた。一年生全員が、固唾を呑み上空を見あげた。まず表示されたのは、最終順位による白組と赤組の合計得点だった。それによると赤組の点数は、白組より78点高かった。弱々しい歓喜の声が赤組から、弱々しい落胆の声が白組からあがった。なぜ弱々しいのか。それは、大半の生徒が気づいているから。「この合計点には輝夜さんのボーナスが入っていない」ことを、大半の生徒が知っていたのである。グラウンドが静まるのを待ち、上空に文字が一つ一つ表示されてゆく。そこには、こう書かれていた。
『一年十組白銀輝夜選手の演技を1019の評価項目に沿い精査した結果、同選手は前選手を明らかに上回っていることが判明。よって同選手に、歴代一位ボーナス80点を加えるものとする』
白組の合計点に、輝夜さんのボーナス80点が加えられる。その1秒後、赤組を僅か2点差で追い抜いた白組の上空に、勝利を示す巨大な王冠が浮かび上がった。
所沢駅にはいなかったそうだが、湖校に一駅近い西所沢駅のホームには、耳にした人達が大勢いたと言う。
白組の生徒達があげた、大歓声を。
二章、了
しかしそれをすると、輝夜さんの応援ができなくなることに僕は今更ながら気づいた。唯一無二の、一生そばにいて欲しいと願う女性を、全力で応援したい。僕はそうも、全身全霊で思っていたのである。
そんな僕を置き去りにし、
「位置について」
体育祭実行委員の声が耳に飛び込んで来た。今まで一度も聞こえなかった声が聞こえるほど、グラウンドが静まりかえっているのだ。どうすればいいんだと心中のたうつ僕の頭上に、ピコンと電球が灯った。そうだ、翔化して翔体に目を四つ作って、二人同時に見ればいいんだ。なあんだ簡単じゃん、さあさっそく翔化して・・・・
ウガ――、そんなんできるか――!!
技術的には問題なくとも、こんな私的な目的のために翔化しようと思うなんて、僕は一体どうしちゃったんだよ!
だが再度そんな僕を置き去りにし、
「用意」
体育祭実行委員の声が鼓膜を震わせた。両足をほんの少し開き膝を僅かに曲げ、垂直跳びの準備体勢を取る輝夜さんが目に飛び込んでくる。万策尽きたと地に崩れ落ちそうになったその刹那、脳が人生最速のスピードで回り始めた。そして号砲の0.3秒前、脳の中心から高圧電流がほとばしる。
感覚体だ、それしかない!
僕は感覚拡大領域を過去最速の0.05秒で展開し、昴を包み込んだ。その0.1秒後、
パ――ン!
最終グループの妖精たちが、一斉に空へ跳び上がったのだった。
間髪入れず、
「「「ワ~~~」」」
大歓声が上がった。輝夜さんだ、輝夜さんが一身に大歓声を浴びているのだ。けど僕は声をあげるどころか、言葉を失い彼女を見つめることしかできなかった。輝夜さんの頭上に、ボーナス3点が次々浮かび上がっていた。しかも、王冠のアイコン付きで浮かび上がっていた。ボーナス3点を獲得した選手は第十グループにも一人いたからつまりこの王冠は、一年生体育祭史上初の、出来映え点で10点満点が出た証なのだ!
「なっ、なんだあの」「完成度の高いジャンプは」
北斗と猛が呟き、そして揃って絶句した。回転ジャンプスクワットを四年間しつづけた北斗と、九州一の中距離ランナーである猛には、理屈抜きで感じられたのだ。あれが、どれほど凄まじいジャンプなのかを。
膝を僅かに曲げているだけで予備動作などほとんど無いのに、輝夜さんは高々と跳躍していた。彼女の周囲だけは重力が半分しかないと冗談を言われても一瞬信じてしまうほど、輝夜さんは高々と跳び上がっていた。そして最高地点直前で体軸をキュッと細くしたとたん、目にも留まらぬスピードで体がクルクルッと2回転する。速度があり過ぎて回転が止まらないのではないかと危ぶむほどのスピードで、体が回転するのだ。しかしそれは彼女が腕と脚をほどくと同時にふわりと止み、そのまま輝夜さんは音もなく、地面にふわりと着地する。その姿は妖精というより、羽衣をまとう天女。十組の女の子がいみじくも、ポツリともらした。
「羽衣をまとい月から地上へ舞い降りた、かぐや姫みたい」と。
僕はある確信のもと、強化視力を輝夜さんへ向けた。思った通り、彼女は予備動作が無いのではなかった。彼女はむしろ、予備動作の塊だったのである。翔人は体を無数のパーツに分け、下部パーツの動きに上部パーツの動きを上乗せする事により、最小の動作で最高の速度を生み出す。彼女はそれを応用し、無数のパーツを「垂直跳びだけ」に用いることで、爆発的な跳躍力を手に入れていたのだ。全身隈なく使うからこそ、かえってそれを他者に感じさせない技術。そうあれはまさに、翔人の技術の応用。おそらく中級翔人以上にのみ使用可能な、高等技術なのだ。
「あっ、バランスを崩したぞ」
四度目のジャンプで誰かが叫んだ。確かに輝夜さんの体軸が、前方へ若干傾斜している。今まで通り2回転するも10点満点の王冠が出ず、グラウンド中に女子の悲鳴が上がった。けど僕は、
「違う!」
と声を張りあげた。教育AIよ、お前の目は節穴か! 輝夜さんは故意に軸を進行方向へ傾け、第二部の全力疾走に備えているだけなんだ!
2回転を終えた彼女は空中でつま先をほどき、右脚を前へ、そして左脚を後ろへ出した。胸の前で交差させていた腕も肘を曲げたまま前後に出し、彼女は宙に浮いたまま「走り出す姿勢」を作りあげる。AIもそれを認めたのだろう、輝夜さんの頭上に、10点満点の王冠がキランと出た。四連続だ、ボーナスも出来映え点も四連続で満点が出たのだ、つまり彼女は!
「「「オオオッッッ!!!」」」
かつて無いどよめきにグラウンドが揺れた。なぜなら皆、初めて見たからだ。
第一部合計52点という、これ以上の高得点の無い、満点のみが出しうる数字を。
準備をすべて整えていた輝夜さんは両足が着地すると同時に、
ダンッ!
地響きをたてスタートダッシュを切った。そして前傾姿勢を保ったまま高く、かつ幅広く彼女は跳躍。放物線の頂点でクルッと高速1回転し、着地するなり彼女は再び全力疾走。輝夜さんの頭上に、ボーナス3点と王冠が次々浮かび上がってゆく。もちろん、四連続でだ。再度獲得した第二部合計52点という数字に、どよめきは爆発的歓声へ変わった。しかしその直後、グラウンドは静寂に包まれる事となる。想定外すぎる光景に、皆度肝を抜かれて。
第三部の平均台は、落ちると大幅な減点を余儀なくされる。よってこれまでの選手は全員、平均台の手前で一旦停止し、呼吸と姿勢を整えから平均台に登り、ゆっくり慎重に渡るという作戦を採用していた。卓越した身体能力を持つ中央2列の選手すらそうだったので、その光景ばかりを見てきた僕らは当然、輝夜さんもそうするはずだと思い込んでいた。バランスを崩しやすい別格平均台の手前で一旦停止し、万全を期して挑むのだと勝手に決めつけていた。だが、全力疾走から減速する気配をまったく見せない彼女に、僕らは教えられたのである。『停止を義務づけるルールは無いのに、なぜ停止すると思い込み、決めつけるのか』と。
輝夜さんは全力疾走のまま平均台へ飛び移り、右足を鉄棒に触れさせる。そしてそのままアイススケートで氷上を滑るが如く、
鉄棒の上を、
ス――と滑ったのだ。
その仕組みを瞬時に理解できた一年生は、おそらく五人いなかっただろう。昴がきちんと理解しているのは感覚体のお陰で感じられたが、昴レベルの身体能力の持ち主でない限りそれは無理な話。ほとんど全ての生徒は想定外すぎる出来事のせいで、ただ口をあんぐり開け、輝夜さんを呆然と見つめるだけだったのである。
アイススケートのように足を滑らせる仕組みは、輝夜さんがまだ、ジャンプで上昇している状態にいるからだ。勢いよく平均台に飛び乗った際の、体が上昇を続けている状態に、彼女はまだいる。よって鉄棒と接している右足に、輝夜さんの体重はほぼかけられていないのである。だから、滑る。いや滑るように、彼女は足を持ち上げてさえいるのだろう。でなければ体重をかけていないとはいえ、摩擦を感じさせないほどスムーズに滑らせることは不可能だからだ。
輝夜さんの体が上昇を止め、下降し始めた。彼女は足を滑らせ続けるべく、右膝を曲げてそれに対応する。しかしそれも限界になったのだろう、彼女は右足に全体重を乗せ鉄棒を踏みしめ、そして幅跳びをするように、右脚を後ろへ力強く蹴り出した。上昇エネルギーを再度得た彼女は、今度は左足を鉄棒の上で滑らせてゆく。星々の煌めく銀河をアイススケートの如く滑る彼女の姿に、全応援席から大きな溜息がもれた。「止まらない」と「ふらつかない」に加え初の「駆け抜ける」のボーナスを獲得し、輝夜さんの頭上に二つの王冠が浮かび上がっても、感嘆の吐息以外の声を漏らす人はもはや誰もいない。二連続で満点表示が出ても誰一人無粋な騒音を出さず、輝夜さんを静かに見つめていた。左脚で鉄棒を蹴り、右脚で再度鉄棒を蹴って10メートルを滑り終え地面にふわりと着地した彼女の頭上に、三度目の52点が浮かび上がる。そこに、130点以上を出した選手のみが対象となる「速さ」のボーナス5点が加えられ、最終得点が表示された。
総合計、161点。
湖校歴代二人目の、
同率一位
湖校の第一グラウンドから5キロ以上離れた所沢駅のホームで電車を待つ人々の約半数が、はっきり耳にしたと言う。
一年生のあげた、大歓声を。
「でも同率一位じゃボーナスは40点しか入らないから、白組は逆転できなかったな」
「歴代一位なら80点入って逆転できたかもしれないのに、惜しかったよなあ」
隣の九組から男子生徒達の会話が聞こえてきた。暴れ出そうとする怒気を、僕は必死で押さえ付けねばならなかった。「確かにそうだけど、その通りだけど、今は輝夜さんの偉業を素直に称えるべきだろう! 逆転できなかったなんて理由で、あの神業を汚さないでくれ!」 奥歯を噛みしめ体を小刻みに震わせながら、僕は怒りの気持ちを次から次へとねじ伏せていった。
すると僕の右肩に、手が添えられた。競技が終わったので感覚体は解除していたが、優しさと思いやりに溢れるこの左手の持ち主を、僕が間違えるはずない。深呼吸し気持ちを静めて、僕は顔を昴へ向けた。
昴は、不思議な表情をしていた。人生一番の困惑に、人生一番の微笑みを混ぜ合わせたような、大人の女性だけが成し得る面持ちになっていたのだ。条件反射で僕は昔よくしていた、とまどう豆柴の表情を浮かべてしまう。
おい僕、お前は幼稚園児か!
さすがに恥ずかしくなり、両手で顔を思いっきりこすった。そんな僕に昴は明るく笑い、大丈夫という言葉を二度使って言った。
「大丈夫、気にしないで。それに、大丈夫。輝夜はオリンピック代表級ではなく、オリンピックメダリスト級だから」
「なるほど、そうだったね。うん、昴の言う通りだ。なるほどなるほど」
僕は豆柴顔を宇宙の彼方へ放り投げ、神妙顔で納得の相槌を打ったのだった。
豆柴云々はさて置き、僕は幼馴染の言葉に二つのことを思い出した。一つは、一千を超える評価項目の存在。銀河の妖精には120人もの選手が出場するので、同点の選手が多数でてくる。祖父母の時代なら同点の選手を全員同じ順位にしただろうが、現代の競技にそんな大雑把さはない。教育AIが評価項目を丹念にチェックし、一人一人を明確に順位付けするからだ。つまり輝夜さんは161点という得点では歴代同率一位であっても、その真の順位は、まだ発表されていないのである。
思い出したもう一つは、湖校で初めて161点を出した先輩についてだ。体操選手としてオリンピック代表に選ばれ、個人5位入賞を果たしたその先輩が満点を出したのは、最後の六年生体育祭の時。つまり、一年生で満点を出した輝夜さんはその先輩より実力が上のはずだと、昴は指摘したのである。そんな単純な話ではない気もするが、昴が言うのだからきっとそうなのだろうと、僕は妙に納得した。それを見計らったかのように、
ピコピコポン、ピコピコポコポン♪
皆の注目を喚起する音楽が流れた。一年生全員が、固唾を呑み上空を見あげた。まず表示されたのは、最終順位による白組と赤組の合計得点だった。それによると赤組の点数は、白組より78点高かった。弱々しい歓喜の声が赤組から、弱々しい落胆の声が白組からあがった。なぜ弱々しいのか。それは、大半の生徒が気づいているから。「この合計点には輝夜さんのボーナスが入っていない」ことを、大半の生徒が知っていたのである。グラウンドが静まるのを待ち、上空に文字が一つ一つ表示されてゆく。そこには、こう書かれていた。
『一年十組白銀輝夜選手の演技を1019の評価項目に沿い精査した結果、同選手は前選手を明らかに上回っていることが判明。よって同選手に、歴代一位ボーナス80点を加えるものとする』
白組の合計点に、輝夜さんのボーナス80点が加えられる。その1秒後、赤組を僅か2点差で追い抜いた白組の上空に、勝利を示す巨大な王冠が浮かび上がった。
所沢駅にはいなかったそうだが、湖校に一駅近い西所沢駅のホームには、耳にした人達が大勢いたと言う。
白組の生徒達があげた、大歓声を。
二章、了
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