僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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三章

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 ぐるぐるバットリレーの白組選手がトラック内側の東端に、赤組選手がトラック内側の西端に集合し終えた。時を同じくして、音楽が流れ始める。それは、雅楽だった。遙かいにしえより受け継がれる日本古来の音楽、雅楽だった。心の琴線に触れるその雅やかな音色に、喧噪がピタリと止む。グラウンド全体が、厳粛な空気に包まれていった。
 その空気を身にまとい、東西から選手が五名ずつ、粛々と入場してくる。皆自然と拍手するも、それは楽の音を邪魔しない控えめなものだった。手を叩かずにはいられないが、かといってこの空気を乱すのは忍びなく、折衷せっちゅうしてこんな感じになりました。そんな拍手が、グラウンドを厳かに満たしていった。
 白組と赤組の選手が交互になるよう、選手達が並び終えた。雅楽の演奏が止むと同時に、白組選手は白側へ体を向け、赤組選手は赤側へ体を向けて、一礼。僕らは肩で大きく息を吐いてから、拍手を送った。
 選手達がバットを手に取る。グリップエンドをおでこに当て、上体を直角に折り静止する。僕らは手に汗握り固唾を呑んで選手達を見つめた。その直後、今までとは完全に真逆の、軽快で楽しげな音楽がグラウンドに響いた。
 チャタチャー チャタチャー 
 チャタタタタッ♪
 それは小学校の六年間で骨の髄まで染み込んだ運動会のテーマ曲、クシコス・ポストだった。あまりのギャップに皆、呆然。その一瞬の隙を突き、号砲。
 パ――ン!
 体育祭唯一の、笑いを多く取ったもの勝ちの競技が今、開始されたのだった。

 十人の選手が同じ動作をしたのは、最初のほんの一瞬で終わった。選手達は一秒もかけず、足並みを乱し始めたのである。それは当然のことと言えた。ぎこちない足取りで、回転軸の欠片もなく、リズムを無視してドタバタ回っている集団に、統一性など生まれる訳がない。十人の選手はわずか数秒で、てんでバラバラの運動音痴集団へと変わって行った。ドリルや銀河の妖精の、素晴らしいユニゾンや芸術的フォームに魅了され感動してきた僕らにとって、このカオスの破壊力は半端なかった。茫然自失の呪縛から解放された僕らは、「わっはっは」「あっはっは」と声を大にして笑っていた。
 けれどもこの時点では、まだ節度があった。僕らは心の手綱をしっかり握ったうえで、この競技を理性的に楽しんでいた。ひたむきな選手達の姿が、感動を与えてくれたからである。滑稽こっけいではあっても、選手達は皆が皆、懸命に体を動かしていた。ぎこちなかろうがバランスを崩そうが、一目瞭然の運動音痴だろうが、皆が自分の役目を一心に遂行しようとしていた。これに感動せずして、何に感動するというのか。僕らは大笑いしつつ「偉いぞ!」「カッコいいぞ!」「みんな素敵!」と、嵐のような称賛を選手達へ贈っていた。だがその感動的な時間は、回転を終え走り出す選手が現れるや、あっけなく幕を閉じる事となる。なぜなら真っ先に走り出した選手がたった三歩で、派手にすっころんだからだ。
 素早く回転した選手であればあるほど、三半規管は酩酊状態になっている。十回転を終え真っ先に走り出した選手であればあるほど、三半規管はグデングデンになっている。然るにその選手は回転を終え白組側を向いた時、すでに体が左へ大きく傾いていた。通常ならここで、平衡感覚を司る三半規管が体を垂直に戻してくれるのだけど、三半規管が酩酊している状態では、なんと真逆が起こる。体を垂直にしようとすればするほど、体は斜めに傾いて行くという逆転現象が起こる。「変だぞ、体が斜めのままだぞ、地面と垂直の状態にしないと」と努力すればするほど、体は傾いてゆく事になるのだ。よって最初から体が傾いていたその選手は、一歩目で体を更に傾け、二歩目で体を極限まで傾け、三歩目で体はついに真横を向き、足が空を切ってすっころんだ。後続の選手達もまったく同様に、数歩も走れずそこら中で転びまくっている。苦労して片膝立ちになるも、その状態すら維持できずジタバタして、コロンと転倒する選手も複数いるくらいだ。事ここに至り、皆の節度は完全に宇宙の彼方へぶっ飛んで行った。
「「「ギャハハハ~~~!!!」」」
 僕らは腹を抱え呼吸困難に陥りながら、ただひたすら笑い転げたのだった。
 白組の選手五人が、幾度も転びつつ白組応援エリアに走ってきた。その先頭の男子選手が空中に吊り下げられた3Dロープを引っ張ると、頭上に「一組か二組」という文字が映し出された。続く男子選手の頭上には「五組か六組」が、その次の女子選手の頭上には「九組か十組」の文字が映し出された。女子選手がひいひい言いながら僕らの方へ走ってくる。僕らこそ息も絶え絶えに、その選手を迎えた。
 応援席最前列から3メートルほど先、九組と十組の間に浮かぶ3Dボタンにようやく辿り着いた女子選手が、体を左右にふらつかせながらボタンを押す。と同時に巨大なスロットが空中に出現し、くるくる回り始めた。スロットは上下に二つあって、先ずは上の小スロットが減速。交互に映し出されていた九組と十組の文字が、カチャンと音をたて九組で固定された。
「「九組だ!」」
 皆一斉に叫んだ。しかしそれも束の間、続いて減速し始めた下の大スロットを僕らは食い入るように見つめた。その数秒後、ガッチャンという効果音と共に大スロットが止まる。そこには、
【一番、女装の似合いそうな男の子】 
 と書かれていた。
 そう、実はこの競技には、人捜しゲームの要素も組み込まれているのだ。
「キヤー、楽しみ!」「ねえねえ、誰が選ばれると思う?」「確か九組には、すっごく可愛い男の子がいたよね!」「うん、いたいた!」「あの子カワイイよね!」「「ね~~!」」
 このお題目に、クラスの女子たちは異様な盛り上がりを見せた。それはなぜか野郎どもも同じで、
「う~む、これは難しいお題目ですな」「拙者せっしゃは彼などが似合うと思うのだが」「貴公、お目が高いの。しかしそれがしはあちらの彼も捨てがとうでな」「むむむ、お主やりおるな!」
 などなど、男は男で白熱した議論を交わしている。あっけにとられ周囲に目をやると、輝夜さんと昴、北斗と猛も、九組へ顔を向けキャーキャーわいわいやっていた。どうやら僕は、輪に入るタイミングを逃してしまったらしい。ただ一人、同じようにポツンと座る男子を間近に発見した僕は、考えなしに問いかけていた。
「なあ、真山は誰が似合うと思う?」
「そうだなあ」
 真山は隣のクラスの男子に目を向けた。そのギリシャ彫刻のような白皙の横顔に、心臓がドキンと脈を打つ。どうしてだろう、どうして僕は真山に、特定の男子の名前を告げられたくないのだろう・・・
「う~ん、隣のクラスの男子は、まだ良く知らないんだよね。けどこのクラスなら、俺は迷わず猫将軍を連れて行くよ」
 真山はそう言って、にっこり笑った。その笑顔に、僕は極大のパニックを引き起こしてしまった。もしそのまま何も起こらなかったら僕はパニックのあまり、気を失っていたかもしれない。いや、かもしれないどころか、このとき僕は既に気が遠くなりかけていたのだ。しかしその刹那、窮地を救う女子の大歓声が周囲に湧き起こった。
「「か、かわいい~~」」
 小柄で線の細い、いかにもな美少年が応援エリアから歩み出て皆に手を振る。そして、
「行ってきます♡」
 演技丸出しの恥じらいで皆を魅了してから、女子選手と二人そろって、なよやかな女走りで走り去って行った。
「もう許してくれ!」
「息が、息ができない!」
「「「ギャハハハハ~!!」」」
 皆お腹を抱えて地面の上を転げ回っている。僕も同じように笑い転げながら、九組の彼に心の中で手を合わせた。
「ありがとう、君のお陰で、僕は向こうの世界へ行かずにすんだよ」と。

 ぐるぐるバットリレーは体育祭唯一の、笑いを多く取った者勝ちの競技。しかし笑いを取ったとAIにカウントされるのは、なにも選手に限ったことではない。人捜しゲームに選ばれた人が勝ち取った笑いも、クラスの笑いとして加算してもらえるのだ。だから選ばれた人達は皆、工夫を凝らして選手に連れて行かれていた。例えば七組と八組の上空にデカデカと映し出されていたのは、こんなお題だった。
【一番、ゴリラに求愛されそうな男の子】
 これだけでも抱腹絶倒必至なのに、選ばれた男子が偉かった。巨漢のその男子は「ウホウホ、ウホッ」と言いながら、超そっくりなゴリラ走りを披露してくれたのである。しかもそれを先導したのが十組の秘密兵器、中島だったものだからもう大変。演劇部の技術をフルに活かし「ウッキャー、ウッキッキー」と猿の物真似をする中島と、猿と一緒にウホウホ走るゴリラのコンビは、笑いを通り越し阿鼻叫喚を白組にもたらす事となった。正直、あれはヤバかった。冗談抜きで窒息しそうな生徒が続出したのだ。バイタルの危険を知らせる黄色ランプがなぜ灯らなかったのかと、僕らは真剣に首を捻ったものだった。
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