僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
82 / 934
三章

リレー決勝

しおりを挟む
「眠留くん、大丈夫?」
 ゴール先に設けられた安全エリアで、輝夜さんが心配げにそう問いかけた。傾く体を未だ支えられない僕は、地面に横たわったまま答える。
「輝夜さん、僕は昔、運動音痴だった」
「うん、前に話してくれたよね」
 輝夜さんは僕の唐突な話を、包み込むように聞いてくれた。
「運動音痴は直すことができた。けど心は、後遺症に苦しんでいたんだ」
 僕の左に腰を下ろし、彼女は頷く。
「でも今日、僕は初めて、運動音痴と握手できた気がする。かつてのいざこざを乗り越え、新しい関係を築くための挨拶ができた気がする。グルグル回って転びまくって皆に笑ってもらえたら、そう思えたんだ」
「なら私も、ご挨拶しなきゃ」
 輝夜さんは居住まいを正す。そして僕の左手を、両手でそっと包んだ。
「かつての運動音痴さん、初めまして。白銀輝夜と申します」
 そう言って輝夜さんは目を閉じる。すると僕の左手に、彼女の生命力が注ぎ込まれてきた。
 瑞々しく芳しいその生命力に、回る世界と傾く体は、跡形もなく消えていったのだった。

 ぐるぐるバットリレーの勝者は、十組だった。そして予想通り、MVPのティアラは芹沢さんの頭上に輝くこととなる。芹沢さんが男だったら胴上げで健闘を称えられたのだけど、女の子なのでそれは諦めざるをえない。だが、クラスの女の子に囲まれ嬉し涙をながす芹沢さんは僕ら男子の心に、胴上げ以上の喜びと活力をもたらしてくれた。僕は半ば真剣に考えた。女の子の嬉し涙こそが伝説の万能薬、エリクサーなのではないかと。
 クラスメイト一人一人の健闘が実り、十組は順位を二つ上げ三位へ浮上した。得点三倍のクラス対抗リレーの結果次第では総合優勝を狙える位置に、十組は土壇場で追い着いたのである。そしてとうとう、湖校一年生体育祭の最後を飾る競技のアナウンスが、グラウンドに響いた。
「プログラムナンバー二十三番、最終競技、クラス対抗男女混合リレーの決勝を行います。出場選手は白ゲートへお集まりください」
「眠留・・・」
 僕の名を呼ぶ声が後ろからした。振り返り体を向ける。
「眠留。俺は、俺は今ほど・・・」
 それは猛だった。猛は苦悶と気概の、二つの嵐に苛まれていた。胸に共感が湧き起こる。もし猛の体調が万全だったら、猛はクラス対抗リレーのアンカーを務めることで、芹沢さんの健闘を称えられただろう。運動音痴と向き合いMVPを勝ち取った芹沢さんと肩を並べ、共に歩んでいく事ができただろう。しかし今の猛に、それはできない。膝とアキレス腱を痛めている今の猛に、それをすることはできない。その苦悶と、絶対に怪我を克服してみせるという気概が、二つの嵐となって猛の中で荒れ狂っているのだ。僕は猛の両肩を掴み、言った。
「そのエネルギーがあれば、リレー優勝どころではないもっと巨大なことを、猛は成し遂げるだろう。そして世界一大切な人にそれを捧げ、共に歩んで行くことができるだろう。それが猛の、未来だ」
「コノヤロウ・・・」
 声を詰まらせる友の肩を、もう一人の友が支えて言った。
「眠留、暴れてこい!」
「ああ、暴れてくるぜ!」
「「「十組―――、ファイト!!」」」
 クラスメイトが一丸となり、今日一番の声援を贈ってくれた。昴、松本さん、真山、そして僕の四人は頷きあい、負けじと声を揃える。せ~の、
「「行ってきます!」」
「「行ってらっしゃい!」」
 僕ら四人は、応援エリアを後にした。

 白ゲートで昴が提案した。
「ねえみんな、円陣組まない?」
「わあ、いいね! 組もう組もう!」
 女の子と肩を組むのは、正直言うと恥ずかしい。でもこんなに盛り上がっている女子二人に水を差すヤツがいたらそいつは男じゃないと自分に言い聞かせ、円陣を組んでみる。すると、八本の腕を通して四人のエネルギーが一つに調和するのを、僕は明瞭に感じた。円陣って、こんなに凄かったんだ!
「さあ、決める時はビシッと決める男に、決めてもらいましょう」
 いつもの僕なら昴の言葉に間違いなく悲鳴をあげたはずだが、円陣を組んだ今の僕は、自分がすべき事を十全に把握していた。皆も、きっとそうだったのだろう。僕らは心を一つにし、叫んだ。
「僕らは強い!」
「「オオッ!」」
「僕らは速い!」
「「オオッ!」」
「みんな、暴れようぜ!」
「「オオ―――!!」」
 傲慢だろうが不遜だろうが、そのとき確信した。
 このリレーを制するのは、僕らなのだと。

「スタート15秒前」
 体育祭実行委員が告げた。クラス対抗男女混合リレーの決勝だけはスタートという言葉を付けるって、昴が言ってたなあ。なんてことを、信じられないほど落ち着いて考えながら、僕はスタブロ前に立った。
「位置について」
 スタブロに両足を乗せ、両手を地面につく。第一レーンの僕以外は全員女子だが、それに心を揺さぶられる事は、もうなかった。
「用意」
 脊髄だけでなく、全身の細胞一つ一つに語りかける。
 パーンという音がしたらスタートだ、みんなヨロシクね。
 数十兆の細胞が大合唱で応えてくれた、その0.25秒後。
 パ――ン!
 人生最速のスタートダッシュを決め、僕は空気を斬り裂き走った。
「猫将軍、行け~」
「その歩幅の大きな走り、かっこいいぞ~」
 初めて気づいた。
 僕は十組だけでなく、他のクラスからも応援されていた。走るのに夢中で、聞こえてないだけだったのである。腹の底でエネルギーが爆発した。それをバネに、僕は自分史上最長の歩幅で走った。
「「眠留――!!」」
 十組のみんなだ、十組のみんなが声を揃えて、僕の名前を呼んでくれた。猫将軍ではなく、眠留と呼んでくれた。みんな、みんなありがとう!
 ドバ――ンッ
 全身の筋肉が爆発した
 こりゃ五日間は全身筋肉痛だな。
 あはは、望むところだ!
 リミッター解除走行に入った僕を松本さんは凝視。その瞳に前回のギョッとした気配を感じなかった僕は迷わず速度を維持。それを察知した松本さんはかなり早めのスタートを切った。だがそれこそが、絶妙なタイミングのスタートだったのだ。僕は最高の形で第二走者にバトンを渡した。
 トラック内側へ針路を変えつつ第二走者を見送る。西コーナーに侵入した松本さんが加速し始めたころ、赤組トップの選手が目の端に映った。僕はどうやら二位を、20メートル以上引き離していたらしい。第一走者の任務を果たした安堵感が、ようやく訪れてくれた。
 惚れ惚れするコーナリングを経て南直線に進入した松本さんは、スピードを維持したまま残りを駆け抜け第三走者にバトンを渡す。両手を高々と掲げているから、会心の走りができたのだろう。おめでとう、松本さん!
 パスゾーンから十組の第三走者が飛び出す。今度こそしっかり声を出して応援するぞと決めていたのに、コーナーとはとても思えない加速を見せる幼馴染に僕はまたもや沈黙してしまった。強化視力でも見破れなかったその仕組みを教えてくれたのは、翔化視力だった。昴は、心を燃やして走っていたのだ。「ダメだ!」 僕は心の中で叫んだ。「翔人の才能にこれほど恵まれた人を放っておくなんて絶対ダメだ! 精霊猫の水晶よ、どうか昴を導いてあげてくれ!」
 陸上部に籍を置く二位の赤組男子選手の追撃をものともせず、昴は300メートルを駆け抜けた。そして十組の想いをすべて託し、アンカーにバトンを渡した。それを受け、
 真山がゆく。
 力強く逞しく、真山がゆく。
 「真山―――!!!」
 僕は声の限りに叫び続けた。喉が限界を迎え、その名を呼べなくなった丁度そのころ、真山は二位に30メートル以上の大差を付け、ゴールテープを断ち切ったのだった。
 
 西暦2060年五月、国立狭山湖畔研究学校一年生体育祭を征したのは、十組だった。クラス対抗リレー1位の得点だけでは総合優勝に届かなかったのだけど、昴が一年女子300メートルの歴代1位ボーナス40点を加算したお陰で、最後の最後で逆転することができたのである。僕らは昴を胴上げした。といっても実際に胴上げしたのは女の子たちで、僕ら男子は周りでハッチャケていただけなんだけどね、ははは。
 ただ、そんなクラスメイト達の空気をすり抜け、僕だけは途中から別行動をした。胴上げされ宙を舞う昴を見ていられず、トイレに向かう振りをして逃げ出したのだ。五月の青空に浮かぶ昴と、精霊猫達に囲まれ雲の向こうに浮かんでいた母が、僕にあることを気づかせたのである。
 
 昴は、僕の同い年の姉ではなかった。
 昴が姉のように接してくれるから、僕は胸が温かくなるのではなかった。
 昴は母親として、亡くなった母親の代わりとして、僕に接してくれていたのだ。

「昴、それはきつ過ぎだよ。僕はこれからどんな顔をして、昴と付き合っていけばいいんだよ」 
 誰もいないトイレでそう呟く。
 そして体育祭の閉会式が終わるまで、僕はその場に留まり続けたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママはヤンママ女子高生! ラン&ジュリー!!

オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
キャラ文芸
神崎ランの父親の再婚相手は幼馴染みで女子高生の高原ジュリーだった。 ジュリーは金髪美少女だが、地元では『ワイルドビーナス』の異名を取る有名なヤンキーだった。 学校ではジュリーは、ランを使いっ走りにしていた。 当然のようにアゴで使われたが、ジュリーは十八歳になったら結婚する事を告白した。 同級生のジュリーが結婚するなんて信じられない。 ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。 そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。 まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。  その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。 こうしてジュリーとの同居が決まった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

処理中です...