僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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五章

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「初めは週に一度ほどだった馬の夢は、少しずつ頻度を増して行った。週に一度から二度に替わり、三日に一度から一日おきになり、そして最後は連日連夜の夢になった。それと連動しお袋も、疲れ気味の顔から疲れた顔へ、そしてやつれた顔へと変わって行ったそうだ。親父は医者に相談するよう勧めたが、お袋は首を横に振り続けた。あの馬は私よりずっと疲れているのに、私だけ逃げる訳にはいかない。それだけを繰り返すお袋に、親父は覚悟を決めた。ただ、どんな覚悟をしたか俺は知らない。正直、想像することすらできないよ。俺は、ガキだからな」
 僕もそうだよガキんちょだよと口を突きそうになるも、必死でそれを堪えた。ガキには、ガキの矜持がある。それはいつか胸を張り、あのころはガキだったと言えるようになる事だ。そして同じガキとして憐れみ合うことは、その日を遠ざける弱さにしかならないのだと、僕は知っていたのである。
「臨月まで残り一か月になったころ、夢が変わり始めた。馬に、仲間ができたんだ。仲間は次第に数を増し、そして数を増すたび、馬達は障害を乗り越えるのが巧くなっていった。崖が立ちふさがったら、崖を得意とする馬が先頭に立ち、乗り越える手本を仲間へ示す。川が行く手を阻んだら、川を得意とする馬が先頭に立ち、乗り越える手本を仲間へ示す。そういう日々を過ごすうち、馬達はいかなる障害も楽々乗り越えられるようになっていった。するとその馬達に、同じような馬達が加わり群になった。その群れにまた、同じような群が加わり大きな集団となった。そしてとうとう、馬達は大地を覆い尽くす数になったと、親父達は話しているよ」
 親父達? 僕と北斗は二階堂へ顔を向けた。天井を見上げたまま二階堂は答えた。
「覚悟を決めたころから、親父も同じ夢を見るようになったらしい。うん、今思うと・・」
 今思うと覚悟には、遠方のチャンスを手元に呼び寄せる力があるのかもしれないな。独り言のようにそう呟き、二階堂は話を再開した。
「そして出産予定日前日の夜、お袋がずっと見守り続けてきた馬に変化が訪れた。先頭を駆けるその馬の毛が輝き出し、茶色の毛が白に変わって、白馬になったんだ。そう、親父達が中央アジアで出会った白馬だな。その白馬を先頭に、地平線の彼方へ馬達が消えてゆく光景を最後とし、親父達は目覚めた。そしてそのまま夜が明けるまで、黙って二人で天井を見上げていたそうだ」
 僕らも黙ってAICAの天井を見上げた。いや違う。顔を上に向けているだけで、僕らはその先に馬達を見ていた。地平線の彼方へ消えてゆく、馬達を。
「その日、俺が生まれた。馬に仲間ができ始めたころからみるみる体力を回復させていったお袋は、俺の出産も安産で終えた。だが今回は、困った事態になった。名前をどうしても、思い付けなかったんだよ。名づけ猶予の一週間が終わる寸前まで名前が決まらず、親父とお袋は困り果てたらしい。今回親父達は、白馬誕生の経緯を見た。それを一言で表現する文字を、考え付けなかったんだな」
「くっっ、確かにそれは難問だな」
 北斗が腹から出した声で同意した。多種多様な事柄へ興味を注ぐ北斗は、漢和辞典を読むという趣味も持っている。貴重な天然紙をふんだんに使った、小ぶりのランドセルほどもある巨大な漢和辞典を、北斗はたまに時間を忘れて読みふける。甲骨文字から現代に至る文字の変化が、面白くて仕方ないのだそうだ。その北斗が唸るほどの難問なのだから、白馬誕生の経緯を表す語彙へのいかなる考察も僕には不可能だったが、それに似ていると言えなくもない、眠留という名前の由来を僕は思い出していた。
 猫将軍本家では代々、隔世遺伝的に翔人が生まれる。そのさい両親が希望するなら、猫にちなんだ名前を付けるのがここ数百年の習慣になっていた。父も母も猫が大好きだったのでそれに異存はなかったが、どれほど頭を捻っても名前が浮かんでこなかった。水晶にそれを相談したところ、生まれれば自然に思いつくと水晶は真ん丸顔で答えたと言う。それは本当にそのとおりで、医者や看護師が驚くほどスヤスヤ眠る新生児の僕を見るなり、「眠留」という名が両親の胸に自然と浮かんで来たのだそうだ。美鈴もそうだったし、一馬さんと十馬さんも同じだったので、二階堂の命名におじさん達が苦慮したのにはきちんとした理由があると僕は感じた。だから僕は安心して、二階堂の話に耳を傾けた。
「名づけ猶予最後の日、病院の談話室のテーブルに座り親父とお袋が苦悶していると、祖父母に連れられ兄貴達がやって来た。どうしたのと不安そうに訊く兄貴達に、赤ちゃんの名前が決まらないんだよと両親は打ち明けた。兄貴達はすぐさま、僕達の名前はどうやって決めたのと首を傾げたので、親父は微笑み、名前の由来を始めて話して聞かせた。兄貴達は大層喜び、じゃあ赤ちゃんはどういう夢だったのと親父に飛びついた。親父は二人の小さな息子に、白馬誕生の経緯を詳しく説明した。兄貴達は『たくさんのおうまさん』と目を輝かせた。そしてそのあとは子供のお約束で、『どれくらいたくさん?』と膝にすがってせがみ出した。親父はお絵かき2Dをテーブルの上に映し出し、一、十、百、千、万、十万、百万、と声に出しながら指で丁寧に字を書いていった。大抵の男の子は大きな数が大好きだから、兄貴達も指で書かれた文字に興奮していた。しかしある数を表す字で、一兄が疑問を口にする」   
 二階堂は一旦言葉を切り、目を閉じ深呼吸した。つられて僕も深呼吸したら、えらく気持ち良かった。知らず知らずの内に、息を詰めて話を聴いていたのだ。酸素を補給し終えた二階堂が、目を開け続きを話した。
「その字を指さし一兄は言った。これは『きょう』じゃないの? よく知っているなと親父が頭を撫でると、十兄が二人の間に割って入り『とうきょうの、きょうだもん』と胸をそびやかした。お袋が二人を抱き寄せ、教育ソフトで昨日習ったばかりだもんねと顔を綻ばせた。そうかそうかと親父も二人の頭を撫でていると、ある光景が脳裏をよぎった。親父は息を呑み、あらん限りの早口で訊いた。『白馬に出会ったのはいつだ!』 お袋も息を呑み早口で答えた。『今日よ!』 日々の生活に追われ日付を忘れていたが、親父達が白馬に出会ったのは、その日のきっかり六年前だったんだよ。京と教育ソフトに続き今日でも『きょう』という言葉を聞き興奮した兄貴達は、『きょうだ、きょうだ』と歌いながら飛び跳ねた。その姿にお袋が『嬉しいわよね、兄弟だもんね』と微笑む。再び出てきた『きょう』という響きに、親父とお袋は深く頷き合った。こうして俺は、数の桁を表す『けい』であっても『きょう』と読む、京馬になったというワケだな」
「「オオオ――!!」」
 盛大な感嘆と同時に、
 パチパチパチパチ~~ 
 車内に拍手が沸き起こった。拍手要員は僕と北斗の二人しかいなかったけど、二人とも超ノリノリで手を打ち鳴らしたため、それは賑やかで明るい拍手となった。その中心で、二階堂は照れ照れになっていた。しかし暫くすると、苦笑いにもう一振ひとふり苦味を加えたような顔を天井へ向け、言った。
「お前らのように手放しで喜んでくれるヤツは、家族以外では初めてなんだよ」
 そして二階堂は半オクターブ低い声で、これまでの人生を明かしたのだった。
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