僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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五章

二階堂京馬、1

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「初めてそれを聞いたのは、幼稚園に入ってすぐのころだった。かつて兄貴達が通っていた幼稚園で、保育士達が何気なく会話していた。『京馬君は、お兄ちゃん達のようにはできないみたいね』 当時四歳だった俺は、保育士達の会話を理解することができなかった。しかしそれでも、俺はいい知れぬ衝撃を受けその場から走り去り、誰もいないグラウンドの隅で泣いたよ。その日を境に、似た会話を度々耳にするようになっていった。意識してなかっただけで、俺はもっと早くから、そう言われていたんだろうな」 
 二階堂はそう呟き押し黙る。僕と北斗は、拳をにぎりしめ歯を食いしばっていた。
「運動会の練習が始まると、グラウンドをびっしり囲って見学している母親達からも、同種の会話を聞くようになった。有名人だった両親から生まれた、運動神経抜群の兄貴達は、地域の有名人だったんだよ。そして運動会当日、とうとう俺は一人のクラスメイトからはっきり告げられた。『京馬君は、お兄さん達より劣るのね』ってさ」
 幼稚園児が親の会話をまねただけなのだと知りつつも、その時の二階堂の気持ちを思うと、僕は嗚咽を堪えることができなかった。「スマン二階堂。一番つらいのは、お前なのにな」 そう謝る僕を、「このアホが。台所でお前自身が俺の両親に言ったことを思い出せ」と二階堂がたしなめる。再び謝りそうになる口を押え、僕は自分を奮い立たせニッコリ笑った。
「運動会以降、同じことを俺に言うクラスメイトは爆発的に増えていった。子供特有の無邪気さで親の真似をしているだけだったから、保育士が幾ら注意しても、それが完全になくなる日は最後まで訪れなかった。保育士達は俺を一生懸命慰めた。だがそれは俺にとっては、それを俺に初めて聞かせた人達による慰めでしかない。先生達の同情は表面だけで、裏では皆と同じことを言っている。そう思いながらも、俺はそれを口にできなかった。嫌なことを言われたら心が痛むってことを知っていた俺は、自分と同じ痛みを、他の人に味わわせたくなかったんだよ」
 って事を、お前らから言われる前に自分で言っておかないと、俺泣いちゃいそうだからさ。おどけてそう付け加える二階堂に、今度は北斗が嗚咽を漏らす。「マジすまん」「いいんだって」というやり取りを経て、二階堂は話を先へ進めた。
 本人の弁によると、小学校はもう少しつらかったらしい。だが小学校の話を聞くにつれ、僕は腹が立って腹が立って仕方なくなった。それは、もう少しなんて軽々しい代物では決してなかった。二階堂の最初の担任教師は、はっきり言って悪人だったのである。
「俺が小学校に入学した年、一兄は六年生、十兄は五年生だった。俺ら兄弟が通っていた小学校は一兄が入学する前年に近隣四校と合併したマンモス校で、一学年8クラス、全校で48クラスもあったが、兄貴達はその中ですら学校を代表する最有名人だった。だから俺を受け持つことになった担任は鼻高々で、周囲の人達に自慢していたらしい。しかしいざ担任になってみると、兄貴達の運動神経とスター性を、俺はまったく持っていなかった。担任は人気ひとけのない場所で『私に恥をかかせたわね、この裏切り者め』と、すぐ言うようになったよ」
 数年後に定年を迎えるその女性教諭は、学校のAI監視システムを熟知していた。また子供に、自分が悪いと思い込ませる方法も熟知していた。だからその担任の行いは、AIからも二階堂からも発覚することは無かった。二階堂は担任からそう言われるたび、お父さんお母さんお兄ちゃんごめんなさいと、自分を責めたそうだ。
「担任は、生徒を誘導する名人だった。今思うと担任がしていたのは、生徒達を正義感と使命感の自己陶酔状態にすることだった。算数の授業で、1の次に0を16個書き、その下に大きく京と書く。そして皆に言うんだ。『京馬君の京は、こんなに大きな数です。だから皆さん、京馬君を応援しましょう』 兄貴達より劣る俺を応援することは、クラスメイトの正しい行為であるとともに、クラスメイトになった自分達の使命でもある。そう信じこまされたクラスメイト達に、俺は二年間、熱狂的に応援されたよ。『京馬君頑張れ。応援しているのだから頑張れ。皆からこんなに応援してもらっているのに、どうしてお兄さん達と同じことができないの』ってさ」
「そいつは今どうしている!」
 北斗が怒声を上げた。僕も弾けるように上体を起こし体を二階堂へ向けた。北斗は怒りに全身を震わせ、二階堂へ詰め寄っていた。二階堂は寝たまま「あんがとよ北斗」と呟き、弱々しく笑った。
「去年の夏、旅行先で倒れて、今は病院で寝たきりの生活をしている。それに、安心してくれ。あの時のクラスメイトは全員、自分達の行いは間違っていたと六年生に上がる前に気づいた。それ以降はみんな気のいい、仲の良い友達になったからさ」
 それを聞いても北斗の怒りは収まらなかった。北斗は二階堂に背をむけ、体を小刻みに震わせていた。そんな北斗の背中を、3Dの二階堂がそっと撫でる。3Dのはずなのに、二階堂が背中を撫でると、北斗はみるみる落ち着きを取り戻して行った。
「二階堂、いつかでいい。いつか、事の詳細を俺に教えてくれ」
 もちろんだと答え、二階堂は北斗の背中をポンポンと叩いた。そう、僕はその時、ポンポンという音を間違いなく聞いた。だが僕は、判断することができなかった。
 その音は、AIが配慮し作り出した音なのか。
 それとも、僕の翔化聴力が捉えた音なのかを。
 二階堂は再び寝転がり、AICAの天井を見上げる。
「俺の小学校は二年ごとにクラス替えがあったから、三年生への進級で、俺はその担任とクラスメイトの大半から離れることができた。それでも、ある癖は治らなかった。俺は家族以外から京馬と呼ばれると、心を硬直させるようになっていたんだよ」
 お兄さん達と一緒に通っていた柔道場でも、二階堂は兄弟の区別のため京馬と呼ばれていた。だから名前を呼ばれるたび心が硬くなり、二階堂は体を思う存分使うことができなかったと言う。
「根本的には、兄貴達の運動神経を俺が持っていなかったことに原因があるのだが、それでもそうなっちまう自分が嫌で、柔道は三年生で止めたよ。入れ替わりに始めたレスリングも四年の終わりで止めた。お袋の手前、俺を二階堂と呼び捨てにすることを憚った指導員達が、俺を京馬と呼ぶ。よって皆も、俺を京馬と呼ぶ。で、同じことの繰り返しだ。場所を変えても俺が変わっていないんだから、何も変わらなくて当然なんだけどさ」
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