僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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五章

ピクニック、1

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 過ちを繰り返してはならぬと決意した僕は、閃きが生まれた時の様子を心に思い描き、それを体に重ね合わせた。すると幸運にも、閃きもどきが松果体の辺りに芽生えたので、それを声帯へ送った。
「光と音のない世界で基本打突をゆっくりしていたことに驚いた。でもその後、神経の成長はその方が速いことを光り輝く二人に直接見せてもらい、凄く勉強になった。二人の動きの滑らかさは、翔体のようだった。物質の制約を脱した翔体でのみ成しうる滑らかさを、二人は肉体のまま身に付けつつある。僕は、そう感じたよ」
 今回は、即答できたとして良いだろう。僕は安堵し背筋を伸ばした。
 けどそれは、二人を大層驚かせたらしい。息を詰め目を見開く二人に、
 ――僕が自分の意見を即答するのはそんなに驚くことなの?
 と、伸ばした背筋が猫背になってゆく。するとその猫背に安心したのか、二人はマシンガントークを始めた。
「ああ安心した。いきなり感想をさらさら言い出すものだから、これホントに眠留なのって驚いちゃった」
「私も驚いた。だってさっき質問した時はまさにいつもの眠留くんだったのに、不意打ちもいいとこだわ」
「しかも本人が意識していない不意打ちだったから尚更よね。う~んでも、これがお師匠様の仰っていた、眠留も私達に負けないくらい素晴らしい夏休みを送っているって事じゃないかしら」
「私もそう思う。お師匠様の言葉ですもの、間違いないわ。それに私、滑らかだったって言ってもらえたことが、とっても嬉しかったの」
「あっ私も! ねえねえ輝夜、自分で言うのもなんだけど私達最近、イケてるよね!」
「うん! イケてるよね!」
 そのあまりの高速おしゃべりに、僕はただただ口をあんぐり開けるばかりだった。しかし話の内容から察するに、ここを早く引き払った方がいい気がしたので、勇気を振り絞り二人の会話に割って入った。
「ええっとあの、訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「もちろんよ」
「うん、なあに」 
 う~む、もしかしたら僕は、女の子のマシンガントークを誤解していたのかもしれない。女の子は生命力圧縮に似た、素早く流れる時間の中で会話を楽しむことが可能なだけで、話に付いていけない者を高速おしゃべりで排除している訳ではないらしいのだ。この発見に背中を押され、僕は気負わず問いかけた。
「二人は闇と無音の道場で、基本打突をしていたよね。基本中の基本とも言えるあの型稽古を、水晶があえて選んだ理由は何なのかなって、僕は思ったんだ」
 二人は我が意を得たりと頷き合い、そして絶妙なコンビネーションで交互に答えてくれた。
「お師匠様は、私達が翔薙刀術の研鑽を一生続けていけるように、あの基本打突を選んでくれたのよ」
「人目を忍ぶ特別な稽古で翔薙刀術の基礎を学ぶと、人目を忍ぶ場所でしかその稽古ができなくなる。だから基本打突を通じてそれを自分のものにし、気軽に続けていきなさい。お師匠様は、そう仰ってくれたの」
「ひとたび自分のものになれば、ゆっくりでなくてもいい。普通にしても、素早くしても、部活で皆と合わせながらしても、それはその状況に応じた翔薙刀術の稽古になる。他者には分からずとも基本打突をするたび、私達は翔薙刀術を深めてゆく事ができる。そう教えて頂いた時は、胸がジ~ンと来たなあ」
「うん、ジ~ンと来たよね。見たことも聞いたこともない鎌倉時代の操作法を一から覚えるより、私達がこれまで一番やってきて、そしてこれからも一番やっていく型稽古でそれを身に付け、親しみ、末永く仲良くしていきなさい。お師匠様のその教えは、家と母から教わったものとはまさに真逆だったから、わたし胸が一杯になっちゃった」
「輝夜、何も心配いらないわ。お師匠様も私も、ちゃんと分かっているからね」
「うん、ありがとう昴」
 
 それから暫く、二人は水晶との想い出を淡々と話していった。二人が水晶と対面してからまだ三カ月足らずのはずなのに、二人は幾ら話しても話しきれないらしく、そしてそれこそが水晶の大きさであり深さであることを、二人は確認し合っているようだった。そんな二人に僕の胸はジ~ンとしっぱなしで、いつまでも二人の会話に耳を傾けていたかったが、メチャクチャ気になることがあったので僕は心の一部を分離し、それについての考察を始めた。それは輝夜さんの、「母から教わった」という言葉だった。
 輝夜さんの母親が翔人ではないことを、僕は輝夜さんから聞いていた。よって輝夜さんは、母親以外の人から翔化技術を習ったのは確実だった。なら、何を習ったのか? 僕はそれについて思い当たる事があった。それは、彼女は薙刀を、母親から学んだのではないかという事だった。
 輝夜さんは、薙刀全国大会小学生の部の覇者である昴と拮抗する実力の持ち主なのに、完全な無名選手だった。薙刀全盛のこの時代、それを可能にする状況は一つしかない。彼女は薙刀を、卓越した薙刀使いから秘密裏に学んだのだ。では、その薙刀使いは誰なのか? それこそが母親なのではないかと、僕は思ったのである。
 江戸幕府の大身旗本だった新二翔家は、時代に倣い薙刀を婦女の必須武芸にしていたはずなので、新二翔家の女性翔人は、薙刀で魔想と戦っていたと推測される。僕が翔人の輝夜さんを始めて見た時もそうだったから、それで間違いないだろう。然るに白銀本家である彼女の家には薙刀用の立派な施設があり、そこで一族の女性達が薙刀の技を磨いていた。そこへ、次期当主の妻である天才薙刀使いが現れたら、どうなるだろうか? 昴がそうであるように、真の天才なら翔人でなくとも翔人と互角の戦いができるので、次期当主の妻であることも手伝い、輝夜さんの母親もそこに受け入れられたと思われる。しかし往々にしてこのような場合、新参者は難しい立場に置かれるもの。天才であり次期当主の妻であっても翔人ではないという立場から察するに、その難しさは、きっと並々ならぬものだったのだろう。それをね除けるため輝夜さんの母親は、誰よりも厳しく己を律したのではないだろうか。翔人でない自分が翔人の娘に薙刀を教える際、必要以上に厳しく接してしまったのではないだろうか。そしてそれは、日常のありとあらゆる面に及んでいたのではないだろうか。輝夜さんの母方の祖父母は、彼女にこう語ったそうだ。「あの子は昔から頑張り屋さんだった。だから、頑張り過ぎたのだろう」 輝夜さんは宝物のハンカチを胸に抱いて言った。「このハンカチは私が人生でたった一度だけ経験した、優しく温かい母と過ごした三日間の想い出が詰まっている、私のかけがえのない宝物なの」 僕は顔を手で覆いそうになった。考えれば考えるほど、輝夜さんに薙刀を教えたのは母親であり、そしてそれが、彼女の背負う悲しみの原因になったと思えてきた。けど僕は、顔を覆わなかった。僕はニコニコ顔を輝夜さんと昴に向け続けた。なぜならその過去があったからこそ、輝夜さんはここでこうして過ごすを、かけがえのない時間と感じているからだ。ならば僕がそれを台無しにするなど、絶対あってはならない。この上なく心地よい風の吹く大欅の広大な木陰のもと、僕は顔を覆いたい気持ちを堪え、ニコニコ顔で二人を見つめていた。とその時、
 シュバッ!
 茶虎の弾丸が風の如く現れた。
 無音でここまで走ってきた、小さい体に無限の信頼を宿す僕のパートナーが、にゃあにゃあテレパシーで皆に言った。
「小吉姉さんからの伝言にゃ。もうすぐ美鈴がお昼のお弁当を持ってそこに着くから、そのままそこで待っていなさい。姉さんは、そう言っていたのにゃ」
 そのとたん、
「「きゃ~末吉~~!!」」
 末吉の登場に娘達は大はしゃぎになった。末吉を交互に抱き寄せ盛んに頬ずりする二人へ、末吉は「にゃにをするにゃ」と抗議じみたことを言っているが、それはまさに口だけ。二人は非の打ち処なく末吉を抱き、そして撫でているから、口では抗議しつつもその至福の撫で撫でに、末吉は完璧なデレデレ顔になっていた。いやそれだけじゃないかもな、と僕は小吉とかつてした会話を思い出した。
 ――末吉は背伸びしたい年頃だからたまに生意気なことを言うだけで、ホントはまだまだ甘えたいの。眠留、どうか分かってあげてね。 
 十歳で母を亡くした僕には、小吉の言わんとしていることが痛いほど理解できた。末吉は生後三か月、人間だと五歳のとき神社に来た。生来の勇敢さと利発さと、翔猫であるという誇りが「おいらは寂しくなんかないにゃ」と振る舞わせているだけで、本当は寂しくない訳がない。あんなに早く母猫と飼い主から引き離され、見ず知らずの人達と過ごすことを強いられて、寂しくも悲しくもないなんて事あるはずないのである。末吉は今、優しく抱き寄せられ、そして愛情いっぱいに頬ずりされることで、母猫から毛繕いをされていた頃のことを思い出しているのかもしれない。
 よって僕は、誇り高くともまだまだ幼いパートナーへ、心の中でそっと言ったのだった。
「良かったな末吉」と。
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