僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

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 1対1対応における座標は、
 量子力学の観測機に相当する。

 これを見るなり、輝夜さんはまだ若干湿った目を見開き「凄い凄い」と手を打ち鳴らせた。そのリズミカルな音を、高周波を放つ松果体で心地よく味わっていると、不意にある光景が心をかすめた。それはとても素敵なことに感じられたので、僕はそれを実現すべく、有名な「電子と二重スリット」の話をした。
「二重スリットに電子を一つずつ放つと、電子は波としてスリットを通過する。けど、どちらのスリットを通過したかを観測器で計測したとたん、電子は粒子として振舞うようになる。この現象を知らなかったカントールは、波と粒子をごちゃ混ぜにしてしまったと、僕は思ったんだ」
 例えば一辺10センチの正方形の内部には、点が点ではなく、波の状態で漂っている。しかにそこに座標という、空間を一か所に固定する概念を導入すると、それは観測機となり、波を「面積ゼロの点」へ変化させる。それを知らなかったカントールは、確率存在でしかない波を固定された点として処理し、1対1対応を考え付いた。僕には、そう思えたのだ。
 みたいな話を、たどたどしくした僕を心地よい拍手で再度包んだのち、「カントールは数字をもてあそび過ぎたの」と、輝夜さんは肩をすぼめた。
「カントールの主張はこうね。一辺10センチの正方形の中心に、座標(5,5)の点がある。この5と5をくっ付けて先頭に0を置き、0.55という小数点をつくる。するとどんな長さの直線の中にも、0.55を比率として表す点がある。つまりいかなる座標も小数点に置き換える事ができ、比率として直線の中に含まれるから、二次元だろうと三次元だろうと内部に含まれる点はすべて直線に対応させることが出来る。これを1対1対応とカントールは名付けたけど、私も眠留くんの『混同しちゃった説』に賛成。比率と、確率存在としての波は、どちらも無限の小数点を有していても、同じモノを指しているのではない。でも彼はそれを同一視し、波を点として処理してしまったと私も思うわ」
 それから輝夜さんは本来するつもりだった、1÷0の話をしてくれた。
「1センチに5ミリは、二個含まれる。1ミリは、十個含まれる。つまり1センチを長さで割れば、正解を導き出すことができる。よって1センチに点が幾つ含まれているかという問題は、1÷『点の長さ』になる。でも点の長さは、ゼロなのよね。だから算数の授業で習ったように『解無し』とすべきなのに、カントールは『点は無限にある』という前提で理論を構築した。それどころかそれを根拠に、長さや次元に関係なく等しく無限って事になっているの。違和感を覚えて当然よね、眠留くん」
 そうなのだ。数学をもっと本格的に学べば、点は無限にあると思えるようになるのかもしれないが、少なくとも今の僕には無理。これが僕の、真情なのである。
 だから僕は尋ねた。
「どうして無限ってことになったのかな?」
 すると輝夜さんは遠い目をして、 
「それは多分、そうでなければ数学が困るからだと思う」
 と、ヘンテコ極まることを言ったのだった。

 数秒ポカンとしたのち、僕は呆けた声をやっとこさ出した。 
「へ、困る? 数学が困るって、なに?」 
 数学の苦手な僕は、数学に困らされたことなら無数にある。でも僕がどんなに困っても、数学は妥協してくれなかった。それはあたかも神聖不可侵な絶対者の如く、こちらが歩み寄るしかない存在だったのだ。しかし輝夜さんは、数学が困ると言った。心の奥底に、嗜虐に近い感情が芽生える。そんな感情を抱いた自分に驚く僕へ、輝夜さんは語気を強めて言った。
「この話し合いは、エイミィの破棄を阻止するためのもの。それを忘れないで、眠留くん」
 僕は自分を恥じ、深呼吸して居住まいを正した。輝夜さんは微笑み、いつもの銀鈴の声で先程のヘンテコ発言を説明してくれた。
「数学は、本当は曲線を扱えないの。曲線を、無限の点からなる無限角形と捉えることで、曲線を扱っている振りをしているだけなのね」
 輝夜さんはその例として、円を挙げた。僕らは円を、かどが一つも無いどこもかしこも滑らかな形だと考えている。しかしそれだと、数学は円を計算できない。だから数学は、円周上に無限個の点を置き、無限の角を持つ無限角形に無理やり変える。そうすることで初めて数学は、円を計算できるようになるのだ。僕はコタツに両肘をつき、こめかみを親指で押しつつ声を絞り出した。
「輝夜さん、その話はエイミィと深く関わっているって直感は叫んでいるのに、僕はそれをどうしても掴めない。どうか僕を、そこまで連れて行ってください」
 もちろんです眠留くんと、輝夜さんは眼光鋭く言い切った。こんなノロケを言っている場合じゃないと苦笑しつつも、僕は胸中呟いてしまった。
 ああ僕は強気な輝夜さんも、たまらなく好きなんだなあ、と。
 
 それを知ってか知らずしてか、輝夜さんの眼光は益々鋭くなっていった。 
「眠留くん、現代科学の粋を集めたら、10センチぴったりの定規は作れるでしょうか」
「できない、と思う。どんなに表面を滑らかにしても、原子は凸凹でこぼこのままだからね」
 そう即答したのち、僕は舌を出し種明かしをした。円を無限角形と捉える数学の話を聞いていなかったら、原子の凸凹を僕は見過ごしていたと思う、と。
 それを受け、
「眠留くんは本当に正直ね」
 輝夜さんはクスクス笑った。そして鋭さを収め、柔らかな眼差しで問いかけた。
「仮に、私達より科学を一万年進歩させた宇宙人が、空間を10センチ切り取って定規を作ったとするね。その定規は、ぴったり10センチになるかな」
「うん、それならピッタリ10センチだ。なんてったって、空間を切り取ったんだからね」
 僕は今回もそう即答した。しかもそれは揺るぎない確信に裏付けられた、自信満々の即答だった。
 なのに輝夜さんは、そんな僕に表情を曇らせた。自信満々過ぎたため、それを定規の問いかけと関連付けられなかった僕は、輝夜さんが体調を悪くしたのかとオロオロしてしまった。
「眠留くんごめんね、体調が悪いのではないの。私は眠留くんに、今の科学ではそれでも10センチにならないって伝えるのが、苦しかったんだ」
 あまりに想定外のことを言われた僕は、たっぷり五秒呆けた。そして立ち上がり、左へ歩いて勉強机に腰掛け、勉強机の右隣の本棚を整理し、輝夜さんの真後ろの壁に掛けられた猫丸を眺め、壁沿いに進んで洋服ダンスを開け、その右隣のベッドに腰を下ろしてから、部屋の真ん中のコタツに戻って来た。部屋を時計回りに一周する僕を静かに見守っていた輝夜さんは、コタツに座った僕へ優しく語りかける。
「眠留くんは空間を、どんなに小さな粒もない、粒を超越した存在だって考えているのね。眠留くん安心して。私も、同じだから」
 コクリと頷くだけで、僕は返事をしなかった。口を開いたとたん、科学の無能ぶりをまくしたてること必定だったからだ。
 輝夜さんはその後、プランク長と呼ばれている、最小空間について説明してくれた。
「エネルギーには、エネルギーとして振舞える最小のあたいがあるの。これより小さくなったら、エネルギーとして働けなくなる限界があるのね。そして科学は、あらゆるモノが存在するにはエネルギーが必要であり、それは空間も例外ではないとしている。つまり、最小のエネルギーが効果を及ぼしている広がりは、空間が存在していられる最小の広がりでもあると、科学は定義しているのね」
 これ以上小さくなったら空間として振舞えなくなる限界があるから、たとえ空間を切り取ったとしても、表面には最小空間の凸凹が生じると科学者達は推測しているらしい。でもそのエネルギーは「科学が発見しているエネルギー」に限られる気がするし、何より空間から月に一度の割合で声を掛けられ、先週は初めてコミュニケーションを取った僕としては、それを受け入れる事がどうしてもできなかった。
 けど僕はそれを、輝夜さんに話せなかった。口止めされてなくとも、このような精神状態でそれを話すのは空間に失礼だと僕は感じたのである。
 そしてそれは正しかったことを、輝夜さんは次の言葉で僕に教えてくれたのだった。
「私は空間を粒々とは思わない。空間は、ゼロで割った構造体だと私は考えている。ゼロで割るという未踏領域の話だから、言うなれば『未踏無限』みたいな感じね。そしてその未踏無限の先に、真の曲線を計算し得る数学が眠っているんじゃないかって、私は思うんだ」
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