僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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八章

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 この多目的ホールは、トイレを二カ所に設けている。ダンス場の北側に一つと、エントランスの北側に一つだ。ダンス場のトイレは更衣室とシャワー室にくっ付いたオマケ的なものである事と、出入り口がダンス場と直結していて非常に目立つという理由により、お昼休みのこの時、大半の生徒はエントランスの方へ足を運んでいた。かく言う僕らもその一員で、ワイワイやりながらエントランスに向かったのだけど、案の定トイレはごったがえしていた。食事を終え一息ついたら自然が呼ぶのは、それこそ自然なことだからね。よって、
「時間もまだ余裕あるし、散歩がてら中央図書館まで行っちゃう?」
 という京馬の提案を採用する運びとなった。その提案自体は、ファインプレーとして良いだろう。だが、その後がいけなかった。輝夜さんと昴と芹沢さんが声を揃えて「「それイイネ!」」と即答したのだから、僕ら男子は素知らぬ振りをしつつも可及的速やかに行動せねばならなかったのに、女心に疎い京馬はそれが解らなかったのである。モタモタ歩く京馬を、僕と猛はふざける振りをしてヘッドロックし、耳元で事情を説明して素早く靴を履き替え、エントランスの外で女の子たちを待った。出迎えた彼女達が笑顔の奥で何かを我慢している事にやっと気づいた京馬は、中央図書館のトイレで用を足しながら肩を落として呟いた。「俺は女の子を知らな過ぎる、どうすればいいんだろう」と。
 いつもならこのテの問題は北斗と真山がスラスラ解いてくれるのだけど、ここに二人はいない。助けてくれよと目で訴える二人を置き去りにしたことを、僕と猛は激しく後悔した。
 とはいえ落ち込む京馬を放っておく訳にもいかず、とりあえず自分について話してみる。
「僕は美鈴と昴がそばにいたから、何となく感じられるだけだよ」
「俺もそうだ。俺が女の子の気持ちを察せられるのは、すべて清良のお蔭だな」
 個人の能力ではなくたまたま環境に恵まれたことを強調する僕らへ、京馬は納得したような納得してないような表情を浮かべた。どちらへ針を傾けるか暫し逡巡したのち、京馬は納得しない方を選び取る。
「ズバ抜けた頭脳を持つ北斗は例外として、真山はどうなのだろう。アイツにもお姉さんや妹、もしくは幼馴染がいるとか」
 僕は内心、しまったと唇を噛んだ。人や物の意識を視覚化できるという真山の特殊能力は、外見も中身も超絶イケメンの真山を誕生させた要素の一つだと僕は考えている。だがそれは、おいそれと口にできる事ではない。それを他者へ打ち明ける権利を有するのは、この世にただ一人、真山だけだからだ。
 が、僕の心を駆け巡ったそんなアレコレは、完全な取り越し苦労だったらしい。
「ああ、真山には三歳年下の、桜子って妹がいる。あいつのことだからそれだけが理由じゃないだろうが、あいつも環境に恵まれていたのは事実だな」
 猛が京馬の疑問に、あっさり答えたのだ。
 すると次の瞬間、京馬の鷹の眼差しが僕を射抜いた。卓越した射手の放つその眼光が、僕の心に直接問いかける。「眠留はそれを知っていたか? もし知らなかったなら、猛にどう対応する?」と。
 京馬には、女性に不慣れな面が確かにあるのだろう。でも、それを補って余りある情緒性を彼は持っている。女子特有のサインやニュアンスに気づかずとも情緒の豊かな京馬は失礼なことは絶対しないし、それを重々承知している十組の女子達も、女心に疎いという京馬の一面を純粋さとして受け入れてくれていた。そしてそれは、男子も同じだった。京馬の情緒性にいつも心を豊かにしてもらっている僕ら男子にとって、女心に疎い京馬へのフォローは、友人同士の助け合いという楽しいひと時になっていたのである。
 今回の鷹の眼光も、京馬の情緒性の発露と言えた。兄妹の有無という基本的な情報を伏せていた真山は、深い事情を抱えているのかもしれない。同じ寮生の猛は真山に妹がいるのを知っていたが、人は完璧ではないから、うっかり口を滑らせてしまったのかもしれない。もしそうなら、猛へどのような対応をすべきなのか。京馬にとってこれらは極めて重要な事だからこそ、彼は鋭い眼差しを僕へ向けたのである。
 よって僕も眼光鋭く首を横へ振り、僕も知らなかったという想いを伝えた。続いて表情を一変させ、猛への信頼を顔全体で表現する。それを受け、京馬も猛への信頼を全身で表してくれた。僕と京馬は二秒とかけずこのやり取りを交わしたが、僕らにはそれで充分。信頼という揺るぎない土台の上に仁王立ちし、京馬はさりげなく口にした。
「ん? 真山には妹がいたのか。俺それ、初耳だぞ」
「僕も知らなかったよ。真山はなんで、話してくれなかったのかな」
 という僕と京馬の胸の内を、猛が推し量れぬ訳がない。「まったくお前らは」とひとしきり笑ってから、猛は答えた。
「偶然見た写真に写っていた桜子ちゃんは、まさしく真山の妹といった感じの、元気いっぱいの美少女だったよ」
 美鈴ちゃんを見ちゃうと世界最高の妹とは言えないけどな、と手を洗いながら付け加える猛へ、僕は照れた。京馬もノリノリで「いよっ、世界一の妹の、お兄ちゃん」なんてはやし立てるものだから、僕はほてった頬を冷やすため水道水で顔をジャブジャブ洗わなければならなかった。まあ嬉しいから、全然いいんだけどさ。
「手が切れるような水で顔を洗っても、眠留が『ほにゃ』とした顔をしているように、桜子ちゃんのことを褒めたら真山も『ほにゃ』とした顔になっていたよ。真山んとこも、仲良し兄妹なんだろうな」
 真山兄妹も仲が良いことを知り、僕は嬉しくてたまらなくなってしまった。上手く説明できないけど、妹を持つ兄というものは、そういうものなのである。
「じゃあなんで、真山は桜子ちゃんを秘密にしてたんだ」
「そうだよね、変だよね」
 改めてそう口にした京馬と僕に答えつつ、猛はハンカチを丁寧に畳む。
「小学校入学前から知ってる清良もそうだし美鈴ちゃんもそうだから、妹が兄を慕うのは普通なのだと俺は考えている。眠留はどう思う?」
 それを言わせるのかよとのけ反るも、妹の立場ではなく兄としての立場で答えるという逃げ道を、僕は辛うじて思い付いた。
「僕にとって美鈴は物心つく前から、可愛くて大切な存在だったよ」
 劣等感の塊だった僕は、自信に縁遠い幼少期を過ごした。それが災いし自信が慢心になっていたことに気付かず、手痛い経験をしたのは記憶に新しい。だがそんな僕でも、美鈴を大切にしてきたことは胸を張れる。見過ごしや空回りはあったにせよ、それは僕の数少ない自信の一つなのだ。
 美鈴ちゃんが絡むと頭の回転が異様に速くなりやがってと僕を小突きつつ、猛は話を続けた。
「先を越されちまったが、真山も桜子ちゃんをとても大切にしている。だが眠留と違い、真山は妹を少々持て余しているみたいなんだ。京馬、どう思う?」
「ああなるほど。美鈴ちゃんは眠留の一歳年下だが、桜子ちゃんは真山の三歳年下。桜子ちゃんにとってお兄ちゃんは、絶対過ぎるんだな」
 妹を持て余しているという箇所がチンプンカンプンで如何なる推測も不可能だった僕とは対照的に、京馬はいとも容易くそう答えた。改めて思う。当事者より第三者の方が、物事を客観的に捉えられるのだと。
 京馬は正解を引いていたらしく、真山兄妹の話を猛は幾つか聞かせてくれた。もちろんそれは真山から許可をもらった話だったが、それでもそれは、許可を疑わずにはいられない内容だった。「言っちゃ悪いが、そりゃ家庭内ストーカーだ」という京馬の言葉に、僕は頷くほか無かったのである。
「ただでさえ妹は兄を慕うものなのに、その兄があの真山とくれば、桜子ちゃんの気持ちもわからぬでもない。けど真山は妹の過度の好意を、自分が妹に背負わせてしまった不幸と感じたそうだ。だから真山は頑張った。そして、頑張り過ぎちまったんだよ」
 いつしか真山は妹について考えると、心に陰が差すようになったらしい。それはほんの些細な陰だったため誰にも気づかれることは無かったが、些細であるはずのその陰を、真山はどうしても払うことができなかったと言う。信頼している人にそれを相談したところ、「少し離れてみなされ」という助言を真山は貰ったそうだ。
「妹を持て余す気持ちを抑圧し続けたせいでそれは固形化し、心の内側から差す光を遮るようになった。よって妹から離れ、抑圧の無い日々を過ごし、固形化した心を解放する。そうすれば、妹を大切に想う気持ちは遮られることなく、再び妹を照らすだろう。その人は真山へ、そう助言したそうだ」
 僕は顔中に喜色を浮かべて頷きまくった。僕にとっての水晶のような存在が真山にもいた事が、嬉しくて仕方なかったのだ。
「研究学校の入学案内が届いたこともあり、真山は故郷を出て、妹について話さない日々を送った。俺が真山兄妹の写真を見たのは、夏休み明けの思い出話の時でさ。お盆に撮った家族の集合写真に、桜子ちゃんが映っていたんだな。その時、真山に頼まれたんだよ。『俺の家族や兄妹の話題を仲間達がしていたら、お前が皆にそれを話してくれないか』ってな」
「いいなあ、俺も寮暮らしがしたいなあ」
 一見、京馬はトンチンカンな感想を述べた。でも京馬の人となりを知る僕らにとって、それは最高のファインプレーだった。真山が妹の存在を伏せていた理由には、やはり深い苦悩があった。けど僕らは、それを重く受け止めてはならない。重くとらえず自然に振る舞うことが、妹の話を自然にできるようになるという真山の願いを、助けることになるからだ。それを僕らに伝えたかったから、猛はあえて軽い口調で真山兄妹の話をした。それを理解し、そして同意したことを伝えるため、「寮暮らしがしたいなあ」という一見無関係な感想を京馬は述べた。それは情緒豊かな京馬だからこそ可能な、最高のファインプレーだったのである。
 いやそれだけじゃない、と僕は心中かぶりを振った。京馬はその一言で、男子にとって堪らない魅力をたたえた情景を、心にまざまざと映したのである。僕は興奮してそれを口にした。
「わかる、わかるよ京馬。友と語りあかす親密な夜って、凄くいいものだよね!」
「おお、わかってくれるか友よ!」
 僕と京馬は肩を組み気炎を上げた。俺も混ぜやがれコノヤロウと猛も入ってきたので、僕らはここがトイレであることも忘れてはしゃぎまくった。「五分前まで待っているね」というメールを送ってくれた輝夜さんには申し訳ないが、こればっかりは仕方ない。苦悩を打ち明ける真山と、それに耳を傾ける猛の間にどれほど篤い友情が流れていたかを想像するだけで、胸に熱い想いがせり上がって来る。それが僕らの年ごろの、漢というものだからだ。
 とは言うものの、クリスマス会午後の部の開始時間が刻々と迫る今、いつまでもこうしてはいられない。かと言ってこの気持ちをすぐ切り替えるのも忍びなかった僕らは、小学生のころよくした連結電車ごっこをして待ち合わせ場所へ向かうことにした。電車ごっこは小走りでするものだから、女性陣をこれ以上待たせない事にもなると判断したのである。
 だが、僕を先頭に「ガタンゴト~ン♪」「ガタンゴト~ン♪♪」と言いながら現れた三バカ男子による三連電車へ、長椅子に座る三人の女性達は、それはそれは大きなため息を付いたのだった。
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