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十章
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騎士への憧れに突き動かされていただけの幼い日々が、騎士の高潔な心を育てていたのだと、水晶に教えてもらった記憶が呼び覚まされた。あの時と同じく、胸に熱いものが込み上げてくる。いや今回のそれは、あの時より熱さが数段高かった。僕は、すぐ頭を抱えてしまう自分を恥じていた。傷つきやすく影響を受けやすい、弱い自分を恥じていた。けど、自分を恥じつつも正直に生きてきた僕の姿が頑張る誰かの支えになるのだと、香取さんは言ってくれたのである。すぐ頭を抱えることと、そんな自分を恥ずかしく思うことは当分止められそうもないが、それでも香取さんの言葉があれば、僕は前を向ける。正直な気持ちのまま、湖校で過ごしてゆくことができるのだ。それを示すため、込み上げて来るものに負けぬよう己を叱咤し、続きを聴く意思を香取さんに伝えた。そんな僕を、今まで周囲にいなかった不思議な眼差しで見つめていた香取さんは、ゆっくり一つ頷き、その眼差しの意味を教えてくれた。
「猫将軍君も知っているように、作家になるのが私の目標。私は、生きている世界を書きたい。私の分身が私の思いどおりに動く都合のよい世界ではない、登場人物一人一人が個別の人格を持ちそれぞれの人生を生きている、そんな世界を書きたい。平成後期から晴天前期にかけて流行し、日本の小説を壊滅寸前に追いやった、貧乏舌の小説版を子供にもたらす作品は絶対作りたくないのよ。だから私はずっと、色眼鏡を外して人を見るよう努めてきた。自分という色眼鏡をかけたままだと、人それぞれが持つ独自の想いを、自分の色に染めた自分の想いとして感じてしまう。そんなことを続けていたら、登場人物全員が私の色に染まった、私の分身が都合よく動き回るだけの話しか書けなくなる。それだけは絶対避けたかったから私はずっと、色眼鏡を外して生きてきた。でも私は教えてもらった。十組で過ごした日々が、『色眼鏡を外すだけでは不十分』ということを、私に教えてくれたのね」
いつも明るく楽しげでいるからといって、クラスのムードメーカーになれる訳ではない。京馬がそうであるように香取さんも、相手を尊重し、相手をきちんと見て、的外れや過度にならぬよう注意しつつ明るく楽しげでいてくれるから、僕らは香取さんが提供してくれた空気を安心して享受できるのである。それが、作家の目を養う訓練の賜物だったのだと知れたことは無条件で嬉しかったが、「色眼鏡を外すだけでは不十分」という告白には案じる気持ちがよぎった。その自分を知ったさい、香取さんを支えてくれる人が香取さんのすぐそばにいたのかなと、僕は危惧したのだ。
けど、クラスHPに連載している香取さんの「十組日記」がああも好評な理由を思い出し、僕は危惧を捨てた。十組日記の中には、正真正銘の僕らがいた。酷似ですらないそのままの自分が描かれているため本人は赤面し、本人以外は笑い転げるという作品を、香取さんは連載していたのだ。仮に「色眼鏡を外しただけでは不十分」という告白のまま学校生活を送っていたのなら、赤面と抱腹絶倒の織りなすあんな作品を書けるはずがない。その自分を克服したからこそ、香取さんは十組日記を創造し世に送り出せている。僕は、そう気づいたのだ。しかし、
「はは~ん、あらましは推測できたみたいだけど、核心を誤解しているようね。猫将軍君が大いに関わる話だから、覚悟してね」
香取さんはそう告げ、狩りを楽しむ食物連鎖の上位者の笑みを浮かべた。食物連鎖の下位者である僕は、狩られる獲物として竦みあがる。そんな僕に、私も恥ずかしい想いをするからお相子にしてねとウインクしたのち、香取さんは有言実行の人となった。
「真山君に好意を寄せる大勢の脇役の一人である私は、真山君が主人公のファンタジー小説を、未公表の主研究として書いている。初めは同じ寮生として、寮生を中心にその学園小説を書き進めて行った。でも体育祭以降は、そこに寮生以外の登場人物が加わった。主人公の友人の彼は、すぐ頭を抱えて机に突っ伏すけど、立ち直るのも早かった。それが嬉しくて彼の周囲の人達は、彼が落ち込むことと立ち直ることの両方に、深い愛情を注いでいた。主人公もその一人で、そのとき浮かべる主人公の笑顔が好きでたまらなかった私は、彼を度々登場させた。彼の際立つ個性はキャラクター設定等々の研究にとても役立ったから、登場頻度はますます増えて行った。そしてあるとき、キーボードに指を走らせていた私は、前触れなく知ったの。主人公を含む全登場人物の中に、彼より瑞々しく描ける人が、私にはいないという事を」
香取さんが真山を好きなことは、クラス全員が知っている。学年一の麗男子へ想いを寄せる女子はそれこそ百人単位でいるだろうが、それでも堂々とそれを口にするのは相当の覚悟を必要としたはずだ。それを思うと、芹沢さんと青木さんに続き香取さんからも研究対象にされていたことなど、僕はどうでもよくなっていった。
「研究者としても作家の卵としても愕然とした私は、その理由を探し続けた。手がかりをやっと見つけたのは、四か月近く経った文化祭の最中だった。喫茶店が大繁盛し皆が浮かれる中、彼は心の傷をかばいながら浮かれていた。それを皆に悟らせまいと、彼は心の傷をかばいながら人の何倍も働いていた。接客係として食器を下げた際、洗い場で働く彼の背中に、私はそれを見た。そのとき閃いたの。彼は心が弱いのではなく、鋭敏かつ巨大な心を持っているのではないか。鋭敏だから様々な事柄を強烈に感じ、そしてそれを感じる心そのものが巨大だから、桁外れに大きな感情の波に絶えずさいなまれているのではないか。だからああも頻繁に、頭を抱えているのではないか。私は、そう気づいたのね」
京馬の麻酔のたとえ話を聴いていなかったら、僕は泣いていたと思う。九月最初の日曜日、僕の部屋を訪れた京馬は、こんな話をしてくれた。
――麻酔を打たれ痛みを感じなくなった人が、麻酔を打たれていない人を、お前は痛がりだと笑うのは不条理だ。だが人は、容易くそれをする。相手を傷つける行為に麻痺している者は平気で相手を傷つけ、そして痛がる相手を平気で笑う。人とは、そういう生き物なのだ――
僕を心の麻痺していない者とした京馬と、鋭敏で巨大な心の持ち主とした香取さんは、見解を等しくしているのでは無い。それでも二人が、心の弱さ以外の要素を見て取ったことに変わりはない。自分を恥じてきた僕に、その必要はないのだと、二人は言ってくれたのである。ならば僕は、嬉し泣きしたがる自分を遠ざけよう。弱さの現れでないと言ってくれた二人の友に、泣きたい気持ちを乗り越える僕を見てもらおう。それを身をもって示すことで、いま抱いている最も大切な想いを、僕は香取さんに伝えたのだ。
「猫将軍君が鋭敏で巨大な心を持っている可能性に気づいてから、それが正しいと感じない日はなかった。過去を振り返っても、猫将軍君の行動は全部それで説明できた。だから私は、なぜ私はそれに気づかなかったのかという疑問を抱くようになった。これも時間がかかったけど、クリスマス会の余興で答が出た。執筆中のファンタジー小説に登場する猫将軍君は、剣士だった。古流剣術宗家の長男として、剣と魔法の物語の一翼を担ってもらっていた。でも余興で目の当たりにした猫将軍君の刀術は、私の想像を超えていた。空想で描いた、誇張したつもりでいた剣技を越える技を、猫将軍君は見せてくれた。だから正直言うと、答は嫌がおうにも出たんだ。私は猫将軍君を、全然見ていなかったんだって」
いやそれは僕が自分を隠していただけでと咄嗟に口を突いたが、香取さんはゆっくり首を横に振る。そして、
「作家志望の私はそれも含めて見るべきだったの、いいえ、それができるようになりたいの」
香取さんはそう言って、あの不思議な眼差しを僕へ向けた。それを受け、僕は自分の勘違いを知る。彼女がこの眼差しを皆へ向けるようになったのは、つい最近だった。そうおそらく、プレゼン委員初会合の、翌日以降のことだったのである。
「色眼鏡を外したつもりでいたけど、色眼鏡を外していなかったって、当初は考えていた。でも不思議なんだ。理由はもっと深い場所にあるって、いつの間にか思うようになっていたのよ。そして不思議なことはそれだけじゃなく、もう一つあった。それは、十組で過ごしていれば答は必ず出るという想いだった。それは正しかった。プレゼン委員の初会合を開いた夜、徹夜の許しを得た私は、芹沢さんと青木さんの論文を特別室で読みふけっていた。深夜二時、それは突然やって来た。『ああ私は人を、その人の壁越しに見ていた。その人自身が周囲に張り巡らせた、自分をこんなふうに見てもらいたいという壁越しに見ていた。だから私は、壁のまるでない猫将軍君を、最も瑞々しく書けたんだ』 その答を深夜二時に、私は突然もらえたのね」
それを香取さんに送ったのは空間だと確信した僕は、空間にお礼を言える明日の敷庭での自主練が、楽しみで仕方なくなってしまった。
「その答は私に、今後の目標も教えてくれたの。心の壁は体にとっての衣服の面もあるから、相手の承諾なしに壁を無効化する視力は求めないでおこう。周囲に築いた壁はその人の心の現れでもあるから、私は引き続き、壁越しに人を見ていこう。そして私は、私自身の壁を取り払おう。壁を除き、心を鍛え巨大かつ鋭敏にし、その心でもって、皆が望むままの皆を見て行こう。これが今の、私の目標なんだ」
香取さんは照れ照れになって笑った。盛んに恥ずかしがっていても、それは赤ちゃんを思い出さずにはいられない無垢な笑顔だったから、かよわき存在を守るという男の本能を、僕ら男子三人は大いに刺激された。
「でもそれは芹沢さんが明かしてくれたように、楽な道では決してないと思う。それでも、その方が二年時のクラスメイトと仲良くできるはずだから、私はそれをする。二年生以降もクラスHPに日記を連載できるか分からないけど、たとえ公開できなかったとしても、私はそれを書く。十組日記同様、壁越しのクラスメイトを登場させることで、クラスメイト達の壁の変遷を克明に描いてゆく。それがいつの日か、壁を取り払うきっかけになるよう、私は日記を書くの。そして挫折しそうになったら十組の誰かさんを思い出し、素直に頭を抱えて机に突っ伏して、それを乗り越えていくつもり。だからその誰かさん、私の肝として、これからもよろしくね」
そのとたん、
「うわ~~」「うわわ~~」
猛と三島が頭を抱えて机に突っ伏した。かよわき存在を守るという本能を燃え上がらせた二人は、涙ぐみながら話す香取さんを勇気づけ、そして今後の香取さんの励みになるよう、体を張って笑いを取ったのである。僕も二人と完璧に同じ気持ちだったから、わざとらしいこと極まりない声と動作の二人へ見本を示すべく、頭を抱えて机に突っ伏した。二人はしきりと感心し練習を数度重ねたのち、
「「「どっひゃ~~~」」」
僕らは三人揃って机に身を投じた。
そんな僕らに、香取さんは酸欠寸前で、笑い転げてくれたのだった。
「猫将軍君も知っているように、作家になるのが私の目標。私は、生きている世界を書きたい。私の分身が私の思いどおりに動く都合のよい世界ではない、登場人物一人一人が個別の人格を持ちそれぞれの人生を生きている、そんな世界を書きたい。平成後期から晴天前期にかけて流行し、日本の小説を壊滅寸前に追いやった、貧乏舌の小説版を子供にもたらす作品は絶対作りたくないのよ。だから私はずっと、色眼鏡を外して人を見るよう努めてきた。自分という色眼鏡をかけたままだと、人それぞれが持つ独自の想いを、自分の色に染めた自分の想いとして感じてしまう。そんなことを続けていたら、登場人物全員が私の色に染まった、私の分身が都合よく動き回るだけの話しか書けなくなる。それだけは絶対避けたかったから私はずっと、色眼鏡を外して生きてきた。でも私は教えてもらった。十組で過ごした日々が、『色眼鏡を外すだけでは不十分』ということを、私に教えてくれたのね」
いつも明るく楽しげでいるからといって、クラスのムードメーカーになれる訳ではない。京馬がそうであるように香取さんも、相手を尊重し、相手をきちんと見て、的外れや過度にならぬよう注意しつつ明るく楽しげでいてくれるから、僕らは香取さんが提供してくれた空気を安心して享受できるのである。それが、作家の目を養う訓練の賜物だったのだと知れたことは無条件で嬉しかったが、「色眼鏡を外すだけでは不十分」という告白には案じる気持ちがよぎった。その自分を知ったさい、香取さんを支えてくれる人が香取さんのすぐそばにいたのかなと、僕は危惧したのだ。
けど、クラスHPに連載している香取さんの「十組日記」がああも好評な理由を思い出し、僕は危惧を捨てた。十組日記の中には、正真正銘の僕らがいた。酷似ですらないそのままの自分が描かれているため本人は赤面し、本人以外は笑い転げるという作品を、香取さんは連載していたのだ。仮に「色眼鏡を外しただけでは不十分」という告白のまま学校生活を送っていたのなら、赤面と抱腹絶倒の織りなすあんな作品を書けるはずがない。その自分を克服したからこそ、香取さんは十組日記を創造し世に送り出せている。僕は、そう気づいたのだ。しかし、
「はは~ん、あらましは推測できたみたいだけど、核心を誤解しているようね。猫将軍君が大いに関わる話だから、覚悟してね」
香取さんはそう告げ、狩りを楽しむ食物連鎖の上位者の笑みを浮かべた。食物連鎖の下位者である僕は、狩られる獲物として竦みあがる。そんな僕に、私も恥ずかしい想いをするからお相子にしてねとウインクしたのち、香取さんは有言実行の人となった。
「真山君に好意を寄せる大勢の脇役の一人である私は、真山君が主人公のファンタジー小説を、未公表の主研究として書いている。初めは同じ寮生として、寮生を中心にその学園小説を書き進めて行った。でも体育祭以降は、そこに寮生以外の登場人物が加わった。主人公の友人の彼は、すぐ頭を抱えて机に突っ伏すけど、立ち直るのも早かった。それが嬉しくて彼の周囲の人達は、彼が落ち込むことと立ち直ることの両方に、深い愛情を注いでいた。主人公もその一人で、そのとき浮かべる主人公の笑顔が好きでたまらなかった私は、彼を度々登場させた。彼の際立つ個性はキャラクター設定等々の研究にとても役立ったから、登場頻度はますます増えて行った。そしてあるとき、キーボードに指を走らせていた私は、前触れなく知ったの。主人公を含む全登場人物の中に、彼より瑞々しく描ける人が、私にはいないという事を」
香取さんが真山を好きなことは、クラス全員が知っている。学年一の麗男子へ想いを寄せる女子はそれこそ百人単位でいるだろうが、それでも堂々とそれを口にするのは相当の覚悟を必要としたはずだ。それを思うと、芹沢さんと青木さんに続き香取さんからも研究対象にされていたことなど、僕はどうでもよくなっていった。
「研究者としても作家の卵としても愕然とした私は、その理由を探し続けた。手がかりをやっと見つけたのは、四か月近く経った文化祭の最中だった。喫茶店が大繁盛し皆が浮かれる中、彼は心の傷をかばいながら浮かれていた。それを皆に悟らせまいと、彼は心の傷をかばいながら人の何倍も働いていた。接客係として食器を下げた際、洗い場で働く彼の背中に、私はそれを見た。そのとき閃いたの。彼は心が弱いのではなく、鋭敏かつ巨大な心を持っているのではないか。鋭敏だから様々な事柄を強烈に感じ、そしてそれを感じる心そのものが巨大だから、桁外れに大きな感情の波に絶えずさいなまれているのではないか。だからああも頻繁に、頭を抱えているのではないか。私は、そう気づいたのね」
京馬の麻酔のたとえ話を聴いていなかったら、僕は泣いていたと思う。九月最初の日曜日、僕の部屋を訪れた京馬は、こんな話をしてくれた。
――麻酔を打たれ痛みを感じなくなった人が、麻酔を打たれていない人を、お前は痛がりだと笑うのは不条理だ。だが人は、容易くそれをする。相手を傷つける行為に麻痺している者は平気で相手を傷つけ、そして痛がる相手を平気で笑う。人とは、そういう生き物なのだ――
僕を心の麻痺していない者とした京馬と、鋭敏で巨大な心の持ち主とした香取さんは、見解を等しくしているのでは無い。それでも二人が、心の弱さ以外の要素を見て取ったことに変わりはない。自分を恥じてきた僕に、その必要はないのだと、二人は言ってくれたのである。ならば僕は、嬉し泣きしたがる自分を遠ざけよう。弱さの現れでないと言ってくれた二人の友に、泣きたい気持ちを乗り越える僕を見てもらおう。それを身をもって示すことで、いま抱いている最も大切な想いを、僕は香取さんに伝えたのだ。
「猫将軍君が鋭敏で巨大な心を持っている可能性に気づいてから、それが正しいと感じない日はなかった。過去を振り返っても、猫将軍君の行動は全部それで説明できた。だから私は、なぜ私はそれに気づかなかったのかという疑問を抱くようになった。これも時間がかかったけど、クリスマス会の余興で答が出た。執筆中のファンタジー小説に登場する猫将軍君は、剣士だった。古流剣術宗家の長男として、剣と魔法の物語の一翼を担ってもらっていた。でも余興で目の当たりにした猫将軍君の刀術は、私の想像を超えていた。空想で描いた、誇張したつもりでいた剣技を越える技を、猫将軍君は見せてくれた。だから正直言うと、答は嫌がおうにも出たんだ。私は猫将軍君を、全然見ていなかったんだって」
いやそれは僕が自分を隠していただけでと咄嗟に口を突いたが、香取さんはゆっくり首を横に振る。そして、
「作家志望の私はそれも含めて見るべきだったの、いいえ、それができるようになりたいの」
香取さんはそう言って、あの不思議な眼差しを僕へ向けた。それを受け、僕は自分の勘違いを知る。彼女がこの眼差しを皆へ向けるようになったのは、つい最近だった。そうおそらく、プレゼン委員初会合の、翌日以降のことだったのである。
「色眼鏡を外したつもりでいたけど、色眼鏡を外していなかったって、当初は考えていた。でも不思議なんだ。理由はもっと深い場所にあるって、いつの間にか思うようになっていたのよ。そして不思議なことはそれだけじゃなく、もう一つあった。それは、十組で過ごしていれば答は必ず出るという想いだった。それは正しかった。プレゼン委員の初会合を開いた夜、徹夜の許しを得た私は、芹沢さんと青木さんの論文を特別室で読みふけっていた。深夜二時、それは突然やって来た。『ああ私は人を、その人の壁越しに見ていた。その人自身が周囲に張り巡らせた、自分をこんなふうに見てもらいたいという壁越しに見ていた。だから私は、壁のまるでない猫将軍君を、最も瑞々しく書けたんだ』 その答を深夜二時に、私は突然もらえたのね」
それを香取さんに送ったのは空間だと確信した僕は、空間にお礼を言える明日の敷庭での自主練が、楽しみで仕方なくなってしまった。
「その答は私に、今後の目標も教えてくれたの。心の壁は体にとっての衣服の面もあるから、相手の承諾なしに壁を無効化する視力は求めないでおこう。周囲に築いた壁はその人の心の現れでもあるから、私は引き続き、壁越しに人を見ていこう。そして私は、私自身の壁を取り払おう。壁を除き、心を鍛え巨大かつ鋭敏にし、その心でもって、皆が望むままの皆を見て行こう。これが今の、私の目標なんだ」
香取さんは照れ照れになって笑った。盛んに恥ずかしがっていても、それは赤ちゃんを思い出さずにはいられない無垢な笑顔だったから、かよわき存在を守るという男の本能を、僕ら男子三人は大いに刺激された。
「でもそれは芹沢さんが明かしてくれたように、楽な道では決してないと思う。それでも、その方が二年時のクラスメイトと仲良くできるはずだから、私はそれをする。二年生以降もクラスHPに日記を連載できるか分からないけど、たとえ公開できなかったとしても、私はそれを書く。十組日記同様、壁越しのクラスメイトを登場させることで、クラスメイト達の壁の変遷を克明に描いてゆく。それがいつの日か、壁を取り払うきっかけになるよう、私は日記を書くの。そして挫折しそうになったら十組の誰かさんを思い出し、素直に頭を抱えて机に突っ伏して、それを乗り越えていくつもり。だからその誰かさん、私の肝として、これからもよろしくね」
そのとたん、
「うわ~~」「うわわ~~」
猛と三島が頭を抱えて机に突っ伏した。かよわき存在を守るという本能を燃え上がらせた二人は、涙ぐみながら話す香取さんを勇気づけ、そして今後の香取さんの励みになるよう、体を張って笑いを取ったのである。僕も二人と完璧に同じ気持ちだったから、わざとらしいこと極まりない声と動作の二人へ見本を示すべく、頭を抱えて机に突っ伏した。二人はしきりと感心し練習を数度重ねたのち、
「「「どっひゃ~~~」」」
僕らは三人揃って机に身を投じた。
そんな僕らに、香取さんは酸欠寸前で、笑い転げてくれたのだった。
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