僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十章

三番目のメンバー

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「ども~タケルです」
「ども~ネムルです」
「「二人合わせて、ターネルズで~す」」
「ショートコント。四年前の、叔母との会話」
「びえ~ん、びえ~ん」
「おやまあ眠留どうしたんだい、学校から泣きながら帰ってきて」
「だって叔母さん、びえ~ん」
「はいはい悲しかったね苦しかったね。で、なにを泣いているんだい眠留」
「あのね、今日算数で、比率の勉強をしたんだ」
「ふむふむ」
「1センチと3センチの比率は、1対3。そして1メートルと3メートルの比率も1対3だって、先生は教えてくれたんだ」
「ふむ、それで?」
「けど先生は、こうも言ったんだ。比率は同じでも大きくなると、差も大きくなります。1センチと3センチの差は2センチですが、1メートルと3メートルの差は、2メートルにもなる。大きくなればなるほど、差も大きくなるんですねって」
「まあ、そのとおりだねえ」
「だから僕、知っちゃったんだ。背の低い僕は、背が大きくなりたいっていつも思ってる。でも脚が短いまま背が大きくなったら、胴と脚の差も大きくなっていく。僕は背が高くなればなるほど、ますます脚の短い人になってしまうんだよ。びえ~ん」
「ったくこの子は算数が苦手なクセに、面倒くさいことを思い付くねえ」
「でも叔母さん、僕は悲しくて仕方ないんだ」
「確かにその短い脚がますます短くなるなら、泣くのも仕方ないか」
「叔母さん酷い!  そんなんだから美人なのに、行かず後家まっしぐら」
「ポカッ」
「いたっ」
「そんなこと言ってたら、脚を長くする筋肉を教えてあげないよ!」
「お姉さんはすっごく綺麗だよ。僕は昔から、ずっとそう思ってたんだ!」
「まあ私がそうなのも、眠留がそう思っていたのも事実だから、教えてあげるか」
「ありがとう。お姉さん!」
「ショートコント。四年前の実話、でした~」
「ちょっと待って猛。ショートコントの名前が、最初とは違ってるんだけど」
「だって眠留、これ実話だろ」
「ま、まあそうだけど。でも実話ってばらされたら、恥ずかしいよ」
「いいじゃねぇか。響子さんのお蔭でお前の脚、もうそんなに短くないんだし」
「ほ、ホントか猛!」
「ああ、ホントだ。という訳でこれから俺達は、脚を長くする筋肉の、腸腰筋を中心に話を進めて行きます」
「みんな、ぜひ聞いてね!」
「「どうも、ターネルズでした~~」」

 一月十九日、水曜日の放課後。
 場所は、会議棟の小会議室。
 五分プレゼンの提出期限を八時間後に控えた、午後四時。
「ど、どうだったかな・・・」
「みんな、忌憚のない意見を聴かせてくれ」
 僕と猛は、任意で追加する最大二分の冒頭コントを、実行委員の皆に見てもらっていた。
 十組で五分プレゼンの提出が一番遅かったのは、僕と猛だった。正確には五分の部分はすぐ完成したのだけど、十組のお笑い担当としてはコント二分を加えて七分プレゼンにする選択肢以外は存在せず、そしてその二分に、僕らは手間取ったのである。そんなターネルズに、三島が尋ねてきた。
「う~ん。これ、実写じゃないよな」
 苦虫を噛みつぶしたとまでは行かずとも、微糖コーヒーと思っていたらブラックコーヒーだったみたいなおもむきで、三島はコントの静止画を見つめている。しょんぼり肩を落とす僕に代わり、猛が答えた。
「そうだ、これは仮想空間で合成した映像だ。ショートコントの部分を四年前の眠留たちで再現しようとしたのだが、時間がなくてな」
「猛ごめん。僕が3Dで四年前を再現しようなんて、言い出さなければ・・・」
 ショートコントを普通にして、その上に3D映像を被せて四年前と現在の区別を付けようと、僕は猛に提案した。猛は何か言いたげだったが試しにやってみようという事になり、そしてその挙句、時間切れに終わってしまったのである。
 そんな僕らへ、
「工夫してみようという意気込みは、買うけど」
「そういうのは、もっと早く試さないとね」
 芹沢さんと青木さんが感想を述べた。久しぶりに同僚全員が揃ったことと、一つの感想を前後に分けて述べる二人の息の合いっぷりに、僕と猛は顔を喜色に染めた。二人は目元をほころばせたのち、ピッタリ合った呼吸で感想を先へ進めてゆく。 
「猛たち男子はクリスマス会の余興で、勉強したと思っていたのに」
「まあそこは、さすが北斗君なんじゃない?」
「確かにそうね。不測の事態が続出することを想定し、七分の余興に六分の台本を書き、挨拶込みの六分五十九秒に収めるなんて、北斗君級の人でないと無理なのでしょうね」
「それに、トリオ漫才のメンバーの京馬君が抜けていたのも、大きかったのではないかしら。京馬君に許可をもらってるから言っちゃうけど、『最初のお笑いが難しいよう』って、京馬君ったら何度も私に泣きついてきたのよ」
 青木さんはそう言って、泣きつく京馬のモノマネを披露する。声音や仕草はもちろん、気を許した相手にだけちょっぴり見せる「甘えん坊の京馬」を見事再現した青木さんへ、笑いと拍手が湧き起こった。年上好きの京馬にとって、しっかり者と優しさを内包し、かつお笑いセンスまである青木さんはストライクど真ん中に近かったらしく、彼女のもとを足しげく訪ねていた。そんな青木さんの本質を、三島にかっさらわれた後で気づいた京馬への励ましも兼ね、僕と猛はことさら明るく手を打ち鳴らしていた。
 という、楽しくもどこか甘酸っぱい会議室の空気に、香取さんが更なる甘酸っぱさを投下した。
「私も許しを得ているから話しちゃうけど、トリオ漫才の三人が別れてしまったことを、真山君もとても心配していたの。『三人が冒頭二分に苦労していたら、力になってあげてね』って、真山君は私に何度も頼んでくれたんだ」
 真山の素晴らしさを、恋する少女になって語る香取さんを皆ではやし立てる。京馬と同じく実らぬ恋であっても、年頃娘というものは、恋心を抱く相手が身近にいるだけで幸せなのかもしれない。真山から頼りにされたことを喜び一杯に話す香取さんへ、僕と猛は再度、割れんばかりの拍手を送ったのだった。
 とその時、すくっと挙手し皆の注目を集めた芹沢さんが、急転直下の見本のように断を下した。
「プレゼン委員長として皆の意見を総括します。猛と猫将軍君は冒頭部分を、この場で直ちに再録画してください」
 突然の出来事に口をポカンと開けるしかない僕らを、皆が一致団結し畳みかけた。
「京馬君が私に泣きついたように、トリオ漫才じゃなくて調子が掴めないなら」
「真山君が言っていたように、二人だけじゃ感覚を掴めないなら」
「俺達が観客として、三番目のメンバーになるから」
「猛と猫将軍君は私達も交えた漫才を、ここで披露してね」
 僕らは何も言うことができなかった。胸に溢れる皆への感謝に対処するだけで、能力のすべてを使い切っていたからである。それを見越してか、それともただの悪ノリなのかは定かでないが、押し黙るだけの僕と猛へ、皆は真逆の言葉を放ち始めた。
「それともお前ら、ぶっつけ本番は怖いよう、などとほざくつもりか」
「京馬君は私が観客になったら凄く張り切ってたのに、二人はそんなこと言うの?」
「むっ、そんな弱気な人は、真山君の友達に相応しくない!」
「さあどうするの、二人とも、今すぐ応えて」
 男の矜持とお笑い担当の誇りが胸の中心で爆発した。その爆風が、ぶっつけ本番の一発録りへの躊躇を、木っ端みじんに吹き飛ばしてゆく。頷き合うことすらせず僕らは立ち上がり、猛は小会議室の南東の隅に、僕は南西の隅にそれぞれ陣取る。皆も立ち上がり椅子を抱え、それを小会議室の北側に並べて即席の観客席を作った。皆が観客席に腰を据えたのを合図に、僕と猛はコントを始める。腕をゆっくり振り、けど脚は小刻みに動かして、リズミカルな音を観客に届けながら近づいてゆく。そして舞台中央で鉢合わせた瞬間、
「「どうもっ、ターネルズで~す!」」
 息ピッタリに、二人で挨拶のポーズを決めた。
 怒涛の拍手と歓声の中、ターネルズ初の漫才講演が開幕したのだった。
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