僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十章

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「だから眠留、白鳥さんのためにも自分自身のためにも、内緒にしている美鈴のためにも、料理をきっちり学ぶのですよ」
 お姉さんモードのHAIにそう言われ、僕のやる気はいや増した。それが良い方へ転んだのか、白鳥さんは調理器具の扱いにみるみる慣れてゆき、最も簡単な献立のハムエッグ朝食を、五月中に及第することが出来た。「猫将軍君を真似られたお蔭よ、ありがと~」とオイオイ泣く白鳥さんへ、みんな親しげにおめでとうと言っていた。授業を重ねるにつれ美容ファッション部のエースとしての殻を脱ぎ捨て、自然体で振る舞うようになった白鳥さんは、極普通の友人関係を皆と築いていたのである。それに恩義を感じているのか、白鳥さんは僕には格別遠慮せずズケズケものを言った。しかしズケズケ口調であっても見下すことは決してしないその姿が昴に似ていて僕も遠慮しなかったから、前期が終わる頃には、僕らは二人三脚で料理を作るようになっていた。「うん」や「オッケー」だけの会話に身振りを加えれば意思疎通は十全となり、調理の主役と補助を適時変えつつ僕らは授業に臨んだ。それが実り、前期終了時の最終審査で、僕らの作った料理は三位に食い込むことができた。「夏休みにもっと特訓すればよかった、猫将軍君の足を引っ張っちゃった」と嘆く白鳥さんへ、
「こら白鳥、配点の詳細をきちんと見なさい」
 先生は苦笑し採点シートのある部分を指さした。そこには、
「パートナーとの二人三脚、九点。教室一位」
 と書かれていた。思わずガッツポーズをしてしまい盛んに照れる白鳥さんへ、皆は笑い声と拍手を贈ったのだった。


「というわけで輝夜さん、僕と白鳥さんをペアにしたのは豊川先生の慧眼であり、それ以上でもそれ以下でもないのでありまして・・・」
 ゴージャスパートナーと楽しげに授業を受けていればいいのよ発言からこっち、ずっとご機嫌斜めの輝夜さんへ、僕は必死の弁明を続けていた。その甲斐あって弁明が最終審査に差し掛かると、輝夜さんの表情に柔和さが戻り、一緒にあの時のことを回想したりもした。輝夜さんのペアが作った豚の生姜焼きは肉の照りといい湯気の香ばしさといい素晴らしい出来で審査一位にまこと相応しかったと感想を述べる僕に、「一口だけしか試食できなくて眠留くんったら大げさに泣く真似をするんだもん」と輝夜さんは笑みを零したものだった。その勢いに乗り輝夜さんの料理をこのまま褒めるべきなのか、それとも白鳥さんの話題を一秒でも早く終わらせるべきなのかを悩んだ僕は、不穏な空気の一掃を優先し後者を選んだ。
「このように、僕らは料理教室でたまたまペアになっただけ。それ以上はホント何もないですから、輝夜さんどうか安心して」
 これは確固たる事実だった事もあり、僕はこの言葉を機に別の話題へ移るつもりでいた。けれどもそれは、とんだ見当違いだった。「たまたまペアになっただけ」までは柔和な笑みを浮かべていたのに、続く「それ以上はホント何もない」で、輝夜さんはまたもや俯いてしまったのである。切り揃えた前髪がひさしになり、顔の上半分が陰で覆われ輝夜さんの気持ちをまったく察せられなくなった僕は、半ばパニックに陥る。すると丁度そのタイミングで、
「五分プレゼン」
 輝夜さんは俯いた姿勢のまま呟いた。しかもそれはいつもの銀鈴の声ではない、厳めしい黒鉄くろがねの銅鑼を彷彿とさせる声だったため、僕は悲鳴を上げそうになった。その寸前、
「私の五分プレゼンの相談には全然乗ってくれなかったのに白鳥さんのプレゼンは積極的に助けていたじゃない!」
 銀鈴の声に戻った輝夜さんは顔を上げ一気にまくしたてた。その、初めて目にする駄々っ子の輝夜さんに、僕の何もかもが一変した。目じりを下げた極上のにこにこ顔を、輝夜さんに向けたのである。それに釣られ顔をほころばせた自分に、きっと腹を立てたのだろう。
「もう知らない!」
 駄々っ子に戻った輝夜さんはそう宣言し、そっぽを向いてしまった。けどその程度の演技じゃ、今の僕は騙されやしない。
「はいはい」
 と鷹揚に応え立ち上がり、こういう場面にうってつけの激辛オカキを、僕は茶箪笥から取り出したのだった。

 
 後期の選択授業も家庭料理教室を揃って取った僕と輝夜さんはしかし、パートナーになることを諦めていた。料理ごころのある人と料理の苦手な人を組み合わせることを先生は基本にしていたので、前期を一位と二位で終えた僕と輝夜さんがペアになるのは先ずないと考えたのである。そしてそれは、僕と白鳥さんにも当てはまった。はっきり言って当初白鳥さんは、料理教室の最後尾にいた。けど一か月半後の五月末、ハムエッグ朝食に及第してからは上達著しく、夏休みの特訓の成果もあり、九段階評価の丁度中間にあたる5の成績を白鳥さんは獲得していた。「初日は評価にならない落第の0通告だって思ってたけど、猫将軍君とペアになったお蔭で5の評価をもらえた。でもそれがペア解消の理由になるなんて、世の中うまくいかないものね」 前期最終日の放課後、白鳥さんから受け取ったメールには、そう書かれていた。
 しかし予想を覆し、僕らは再びペアになった。前回のような抗議こそ浮かんでこなかったが、前期残留組の中でペアを継続したのは二割しかいなかった事もあり、それを疑問視する生徒は大勢いるようだった。僕のパートナーもその一人だったらしくスクッと手を挙げ、
「なぜ私は猫将軍君とまたペアになれたのですか」
 白鳥さんは先生に直接尋ねた。ペア選考の詳細を知れば意中の人とパートナーになる確率を高められると考えたのだろう、少なくない生徒が疑問視を改め、関心みなぎる視線を教壇に向けた。先生はそれをヒラリと躱し、自分に直接尋ねた者のみが理解しうる返答をした。
「ある生徒の研究に触発され閃いた白鳥の研究テーマには、その方が好都合なのではないかな」
 白鳥さんは立ち上がり、先生へ粛々と腰を折った。ゴージャス美少女が魅せた淑やかさに気圧され生徒達は絶句するも、そこはさすが人生の先輩なのだろう。パンパンと小気味よく手を叩き、先生は授業を始めた。
 後期の家庭料理教室は、前期に増して楽しかった。早起きして家族の朝食を作っているの、と照れながら明かした白鳥さんの成長ぶりはまさしく瞠目の見本で、そんなパートナーと心を一つにして料理を完成させてゆくことは、幾つもの貴重な気づきを僕に与えてくれた。その中からあえて一つ挙げるなら何かなと水晶に問われたら、僕は胸を張りこう答えるだろう。
『空間は、人の成長が大好きなのだと思います』 
 好きだから、助けてくれる。
 ありとあらゆるものを内包し知覚し把握している空間は、僕らの成長を何より願い、手を差し伸べてくれている。
 それを、自分の急成長ぶりが嬉しくてたまらない白鳥さんから教えて貰った僕は、敷庭での自主練中、ふと夜空を仰ぎこう問いかけるようになった。
「水晶や祖父母や豊川先生のような、優れた人ほど人の成長を喜ぶ気がします。それは宇宙の創造主であるあなたと、関係があるのですか?」
 空間は微笑むだけで、まだ返事をしてくれていない。
 でもその微笑みを感じられるだけで、僕は幸せに満たされるのだった。
 そして今年。
 年が改まり、初めての家庭料理教室。
 実習室に足を踏み入れるなり白鳥さんが駆けて来て、僕に両手を合わせた。
「猫将軍君、五分プレゼンを助けて!」
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