僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

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 僕ら二人は幼稚園以来ずっと、しっかり者の姉と不出来な弟という、明確な上下のある付き合いをしてきた。よってそれだけに着目するなら、僕らは対等な存在ではないのだろう。だが、実情は違う。昴は僕の選択を無視したことが、いまだかつて一度もないのだ。昴は僕の選択を常に尊重し、優しく温かな眼差しで見守り続けてくれた。これがどれほど奇特なことなのかは、僕と美鈴の関係を例に挙げるのが一番理解しやすいだろう。
 僕と美鈴はこれまでずっと、ダメダメな兄と素晴らしすぎる妹という、上下があべこべの兄妹だった。よって僕は、美鈴の選択を無視したことがない。美鈴は僕とは比較にならぬほど優れているのだから、僕にできるのは美鈴の選択を尊重し、それを全力で助ける事だけなのである。といった感じに、劣っている方が優れている方の判断を尊重するのは至極普通なのだけど、昴はこれを僕に対し、必ず双方向で使う。僕が昴の選択を尊重するように、昴も僕の選択を必ず尊重する。残念脳味噌と優柔不断性格を併せ持つ僕が、判断を下せずイジイジくよくよしていても、昴は根気よく待ってくれる。間違った選択をしても、自分でそれを選んだことが最も重要なのよと、僕を温かく見守ってくれる。僕は昴から、ずっとそう接してもらってきたのだ。然るに雲の上の存在だろうと二人の間に隔絶した差があろうと、それを認めた上で、僕は昴を対等な幼馴染として認識してきた。その根幹を成すのが、「選択を無視せず自発性を尊重すること」なのだから、自分で考えてみるという自発的な未来を、僕は選び取ったのである。
 とはいうものの、僕はまだまだ未熟者。
「あのさあ昴」
「なあに、眠留」
「もうすぐ、神社に着いちゃうね」
「ええそうね、もうすぐ着くわね」
 神社自慢の大石段を視界に捉えるや、自分で考えず昴に尋ねてみたいという気持ちが爆発的に膨れ上がってしまった。そうなった原因は間違いなく、別々の家に帰らねばならないという、四千年で初めての環境にあるのだろう。
 僕らはこの四千年間、子供時代の多感な時期を姉弟として過ごしてきた。よって外出中に感じた二人の絆を、帰宅後に再び味わい、深め合うことができた。けれども今回の人生では、それができない。強烈無比な絆を結んでいることを外出中に実感しても、今生の僕と昴は、別々の家に帰るしかないのである。
 改めて振り返ると、幼稚園時代の昴が僕との結婚をああも望んでいたのは、結婚すれば同じ家に帰れるからなのだろう。僕は家族が大好きだったしそれは昴も同じだったが、それでも大好きな家族の中に互いが含まれていないことを僕らはとても奇異に、かつ寂しく感じていた。然るにそれらを一蹴してくれる結婚を、昴は強く望んでいたのだ。
 といったふうに、思春期を迎えた僕と昴が二人の絆について考えると、赤面必至の結論にいつも決まって落ち着いてしまう。視界の端で頬を赤らめる昴を助ける意味も兼ね、爆発的に膨れ上がった気持ちを僕はそのまま口にした。
「一つだけ、教えてもらっていいかな」
 これぞまさに、自分で考えるという先程の決意はどこへやら、の好例なのだろう。でもまあ昴のことだから僕がその選択をしたら、
「もちろんいいわ」
 と、当然のように頷いてくれるんだけどね。
 会話の時間を稼ぐべく、歩行速度を少し引き下げた。百分の一秒の誤差もなく歩調を合わせる幼馴染のありがたさを味わいつつ、語り掛ける。
「明日は、湖校の入学式だ。今年も大勢の新一年生が騎士会を訪れ、見習い騎士になるだろう。その子達と一緒に僕は四月と五月の二か月間、週に一度の割合で座学を受ける。藤堂さんの座学を希望している僕がその子達と机を並べるのは、来週の木曜。今日は木曜だから、丁度一週間後になるね。その一週間、僕はもう一歩踏み込んで、ざわめきの理由を考えてみたい。詰所に入るとき、昴がなぜ満ち足りた気持ちになっていたかを、僕は自分なりに考えてみたいんだよ。でも、それでは遅すぎると昴が思うなら、はっきりそう言って欲しい。ねえ昴、それじゃあ遅いとか、間に合わないなんてこと、ある?」
 もし今日、藤堂さんに出会っていなかったら、昴から吹いてきた風を僕は取り違えていたかもしれない。心地よいことこの上ないこの風は、狭山丘陵の森と湖によって清められた、芳しき春風なのかな、と。
「来年の今日までに答が出なくても遅すぎないわ。再来年の今日は、さすがにキツイけどね」
「そっか、了解」
 石段に到着した僕は、両手を上げ伸びをした。そしてそのまま腕をグルグル振り、首や足首を回して関節をほぐし、眼前にそそり立つ石段を見あげて、さあ登るぞと身を屈める。そうでもしないと昴から吹いてきた風の、そのあまりの心地よさに、喜び転げまわる豆柴になること必定だったからだ。
 いや正直いうと、既に豆柴化していたんだけどね。
 だがそこは、さすが昴。
「むむ、私も負けないよ!」
 豆柴化した僕を茶化していい時とダメな時をしっかり区別できる昴は、肩に掛けたバッグを背負い直し、関節をほぐして、自分も石段を駆け上がる素振りをした。そうそれは素振りにすぎず、負けないと言っている割に、昴は勝利への情熱を持っていなかった。それゆえ「二人並んで石段を駆け上がる余興がたまにはあっても良いかな」などと、僕は余裕綽々に考えていた。いかに全国レベルの身体能力を有していようと、持久力タイプの昴が瞬発力特化型の僕に石段駆け上がりで勝てる見込みは、ほぼ無いのが現実。然るに、二人で過ごしたこの時間を締めくくる楽しい余興として、僕は昴の発言を捉えた。いや、
 ――捉えてしまった
 のだ。なぜなら昴が勝利にこだわっていないように見えたのは、陽動でしかなかったのである。昴の作戦は、目元を赤くしてこう打ち明けることから始まった。
「スパッツを掃いていても恥ずかしいから、下から見あげず、ちゃんと私を追い抜いて行ってね」
 これだけでも息を詰まらせずにはいられなかったのに、これに合わせてスカートの後ろ裾を両手で押さえたとくれば、僕の心と体は金剛石のごとく硬直して当然。それを確認したのち、
「お先!」
 と叫び、昴は一人でスタートを切ったのである。しかもその速度の、なんと速かったことか。我に返り昴を追いかけた時には両者の差は既に1メートル以上開いていて、それは極短の徒競走における決定的な差と言うほか無かったから、脳裏に諦めの気持ちが生じたのを僕ははっきり感じた。のだけど、
 スパ―――ンッ
 空中へ放たれた矢となって昴は跳躍し、
 タ―ンタ―ンタ―ンッ
 若鹿そのものの美しさと軽やかさで石段を駆け上がり始めたから、たまったものではない。闘志を燃え上がらせた僕は諦念を蹴散らし、正真正銘の本気モードで昴を追い抜きにかかった。のだけど、
 ヒラリ
 先をゆく昴のスカートの裾がヒラリとまくれ、胴体より10センチ以上も長い美脚を露わにしたものだから、正真正銘の本気モードすら僕は蹴散らしてしまった。脳裏に先程の、昴の言葉が煌めく。
 
  下から見あげず、
  ちゃんと私を
  追い抜いて行ってね。
 
 その願いを叶えるためだけの存在となった僕は、人生を共に過ごしてきた石段を、歴代一位の気迫でもって駆け上がったのだった。
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