僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

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 自由意志の尊重が、心の成長度合いを測る基準の一つであることは、人類全体を長期的に俯瞰すれば明白と言える。その好例として、社会における子供の立場が挙げられるだろう。例えば産業革命時の英国では、子供の方が賃金を安くできるという理由のためだけに、子供が日に十四時間も働かされ英国の平均寿命を大幅に下げたと伝えられている。同時代のパリでもゴミ収集日の朝は、ゴミとして捨てられた子供の死骸がゴミ置き場で度々見かけられたそうだ。それは日本も例外ではなく、第二次世界大戦に負けるまでは、親が娘を遊郭に売っても犯罪ではなかった。このような時代に子供の自由意思が尊重されるはずもなく、結婚や就労等の人生の重大事を親が決めるのは、至極普通の事とされていた。人権思想の歴史は十三世紀まで遡れても、子供の人権となると、遡れるのは二十世紀初頭がせいぜいなのである。
 よって昭和時代や平成時代のアニメや漫画には、子供の自由意思を無視する親や大人達が頻繁に登場する。しかしその一事だけで作品の優劣を決めるのは間違いであり、そして昭平アニコミマニアは、その先頭を走る人達と言えるだろう。したがって北斗が昭和や平成の作品を公平に扱うのは当然でも、登場人物達がおせっかいなほど互いの人生に介入しあう愛を描いた作品を特に好むとなると、僕はそこに北斗の生い立ちを重ねずにはいられなかった。北斗の両親は善良な人達で、子供の自由意思を尊重するという現代的感覚も持っていたが、幼い北斗はどうしてもそこに、愛の欠如を感じていた。僕には、そう思えてならなかったのである。
 けど僕は、それを北斗に伝えたことがない。たとえ親友であっても、あらゆる事柄を度外視し何でも話して良いという事はなく、かけがえのない親友だからこそ、それを伝える最適の状況を見極めなければならないと僕は考えてきたのだ。
 そしてその最適の状況は、今に思えた。僕らは湖校生としてこの一年間、友情を日々深めてきた。加えて、初めて後輩を得た今日は、先輩として一層成長せねばならないことを痛感した日でもあった。然るに、「今日は珍しく両親が家にいるから」と北斗が苦笑したこの瞬間こそがまさにその時なのだと、僕には思えたのである。
 だから僕は話した。若葉色の木漏れ日が降りそそぐ石段の隅に二人で腰を下ろし、爽やかな葉擦れの音に助けられながら、八歳の四月に気づいたことを十三歳の四月になって、僕はようやく明かしたのである。
 なのに、
「何の話かと思えば、その程度のことか」
 北斗はさも気抜けしたとばかりに肩で大きく息を吐いた。その仕草に微塵の嘘も含まれていないことを、共に過ごした満五年の歳月が見抜いたとくれば、たやすく引き下がる訳にはいかない。
「いやいや、北斗はその程度って言うけどさ、一般通念に照らし合わせれば、それはその程度じゃないと思うよ」
 僕も負けじと、今の自分を素直に晒した。そんな僕に向き直り、北斗は右手の人差し指をビシッと立てた。
「一つ。誰も気づかなかった俺の深層心理を眠留だけが気づくことに、何の不思議がある」
 そのとき僕の心の大半を占めていたのは、北斗の人差し指に視線を向けていて良かった、という思いだった。こんな事を目と目を合わせた状態で打ち明けられたら、僕と北斗の仲でも、恥ずかしくて仕方なかったのである。
 とここで、ある推測が脳裏をよぎった。目と目を合わせていなかったことを僕は安堵したけど、北斗はどうだったのかな? ひょっとすると北斗も恥ずかしかったから、視線が指に集まるよう、僕を誘導したんじゃ・・・
「二つ! 変えられた過去と変えられなかった過去は、区別せねばならない。両親の子供として俺が生まれ、その両親のもとで過ごした三年間は、俺には変えられなかった過去だ。そこに俺の判断ミスや努力の欠如は含まれず、かつその三年間への対処を完遂している俺にとって、それはその程度の話でしかない。俺が重きを置くのは、怠慢のせいで変えようと努めなかった、過去についてだけだ。その最たるものはアイツだから、言及しないでくれ」
 指を見つめるよう仕向けたのは誘導だったのではないかと気づくなり二本目の指をビシッと立て、そしてこうも早口にまくし立てたのだから、北斗も恥ずかしかったと考えて間違いないだろう。ならば北斗の願いを無視し昴の話題を取り上げるなんて悪ふざけは避け、有意義な会話をせねば男が廃るというもの。僕は集中すべく体を正面に向け目を閉じ、北斗が二つ目として挙げた言葉の一つ一つを吟味してゆく。そして瞑目したまま北斗に請うた。
「二つ目の中に、その三年間への対処を完遂しているって箇所があったよね。それについて教えてくれる?」
 北斗から安堵の気配が伝わってきた。出会った当時の、いや小学校時代の北斗ならそれを隠しただろうに今は隠さなかったことから、完遂した対処の片鱗を、僕はチラリと見た気がした。
「愛は一つではない。他者の自由意思を尊重する愛もあれば、他者の自由意思に介入する愛も、この世にはあるんだ。その前者のみを経験してきた俺にとって、後者の愛は昭平アニコミから得た単なる知識でしかなかったことを、誰かさんが俺に教えてくれた。しかもそいつはそれを言葉ではなく、身をもって示してくれた。だから俺はそいつから学び続け、そしてこの一年間で、それが身に付いたことを知った。湖校で俺はそいつ以外の、幾人もの真の友を持ち、素晴らしい先輩方と深い絆を結ぶことができた。生まれてからの三年間への対処を完遂したと言ったのは、そういう意味だな」
 さっきは目と目を合わせていなかった事を感謝したが、今回はそれどころではなかった。まったくコイツはどうしてこうも、僕を恥ずかしがらせるのが得意なのだろうか。ならばここはさっきとは異なり、一矢報いなければ男が廃るというもの。僕は目蓋を開け、北斗の座る右側へ体を向ける振りをした。すると北斗は僕らの頭上を覆う新緑の眩しい紅葉もみじを素早く見上げ、
「真っ赤に染まったモミジ越しに見上げる秋の空も良いが、萌黄色のモミジの向こうの淡く霞んだ春の空も、よいものだな」
 などと、やたら文学的なことを宣い始めた。ちなみに祖父母の時代にあった「を重ねられるのは二つまで」という決まりは十年ほど前に一部改訂され、今は「文学的表現に限ってのみこれを免除する」という但し書きが添えられるようになっている。僕はその境界を判断できないが、文系と理系を併せ持つ北斗にとってはお茶の子さいさいらしく、しばしばその実例を示してくれる。実際こうして、友と並んで春の空を見上げていたら、後付けの決まりによって自由な表現を制限していた昔の日本の的外れぶりを実感できた。そう呟くと、
「眠留と出会うまで、知恵に勝るものはないと考えていた俺は、その的外れを笑えんな」
 北斗は空を見上げたまま応えた。風にそよいだ梢が僕の代わりに頷き、先を促す。
「人を動かすのは知恵と思い定め、俺は生きていた。自室で昭和時代のアニメや漫画に心を揺さぶられても、ひとたび部屋を出れば、巧みな話術の土台となる知恵こそが人の心を揺さぶるのだと俺は考えていた。だが眠留は違った。眠留は俺に素直な自分を晒し、しかもその結果を求めなかった。他者を俺の望む心理状態にするという結果を得るため、あれやこれやの策を弄していた俺とは、二重の意味で真逆だったヤツ。それが、眠留なんだよ」
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