僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

二つの違い、1

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 その日の午後から、香取さんは運動系の選択授業を次々試して行った。小学校の体育の授業が唯一の運動経験という香取さんのような人にとって、それはやはり、体力と精神力の双方を大量消費する行為だったのだろう。日に日に疲労をにじませてゆく香取さんを、僕らは大層心配した。それでも香取さんは、選択授業めぐりを決して止めなかった。香取さんにとって心と体に蓄積されてゆく疲労は、友人達を侮辱してしまった償いでもあったからである。それを知っていた僕らは、全力で香取さんをサポートした。それに応え香取さんも、常に増して前向きな態度で選択授業に励んでいた。そして翌々週火曜の四限目、香取さんが有言実行の人となった丁度二週間後、それは実ることとなる。香取さんは心中、直感的に「これだっ」と叫んだそうだ。それは本人はもちろん僕らの誰もが想像していなかった、剣道の選択授業中の出来事だった。
 香取さんは初期、中期、後期で、性質の異なる運動を選んでいった。かつて運動音痴だった僕には、香取さんの気持ちが痛いほど解った。初期に選んだ陸上や水泳は、同じ授業を受ける生徒達に、迷惑をかける場面が極力少ないスポーツ。それに対し中期に選んだ球技は、迷惑をかける場面が多いスポーツ。そして後期の格闘技は、迷惑うんぬんのレベルではない、相手を打ち負かそうとする気持ちをむき出しにする競技だ。小学校の体育が唯一の運動経験で、体力的にも精神的にも自信を持てなかった香取さんは、一人で黙々と行えるスポーツを初期の選択授業に選んだ。それを四日間続け、香取さんは結論付ける。将来はどうか分からないが少なくとも今の自分にとって、皆に迷惑をかけないという理由で個人競技を選ぶのは、間違っているのだと。
 運動をしている友人達から体力回復のコツを教えてもらい、土日を心身の回復に充て、香取さんは翌月曜から球技に臨んだ。それは、重い決断をしたうえでの行為だった。球技未経験の自分がいるせいで周囲の人達に迷惑をかけてしまうことは、クラスメイトが楽しい学校生活を送れるよう心を砕いてきた香取さんにとって、とても心苦しい事だったのだ。しかしそれは、甚だしい勘違いだった。とんでもない体育教師がゴマンといた祖父母の時代ならいざ知らず、教育AIが目を光らせている研究学校に、基礎体力のついていない球技未経験者へ試合参加を強制する指導者など、いるはず無かったのである。香取さんは胸をなでおろし、未経験者用の練習メニューを黙々とこなして行った。作家の卵として培った集中力が活き、週の終わり頃になると、香取さんは没我状態でメニューをこなせるようになった。するとそれが、朧気に教えてくれた。個人競技より球技の方が選ぶべき授業に近いが、それでも球技は、近いだけでしかないという事を。
 有言実行の人となって迎えた、二回目の土日。香取さんはその二日をまるまる使い、ある決断をした。それは月曜から、格闘技を試してみようという決断だった。根っからの文系人間の香取さんにとって、格闘技は未知の世界だった。例えば陸上競技者が「より速く走りたい」や「より高く飛びたい」という願いを持つのは、文系の香取さんにも容易く理解できた。球技もチームプレーという面を介せば、シュートが決まって浮かれ騒ぐ選手達の気持ちに共鳴できた。だが、格闘技は違った。手足や道具を使い相手の体を打ちのめし敗北を味わわせる格闘技は、香取さんから余りに遠かったのである。けれども最後は、試みる決意をした。その根幹をなしたのは、
 ――友人達を侮辱してしまった
 という慙愧ざんきだった。香取さんは己を罰するつもりで月曜の二限、合気道の選択授業に臨んだ。そしてその授業中、香取さんは再度知ることとなる。自分は格闘技を、侮辱していたのだと。
 道という名を与えられた、日本の武道が合っていたのかもしれない。指導者に恵まれたのかもしれないし、同じ授業に臨む生徒達と相性が良かったのかもしれない。考えられる理由は幾つもあり、そのどれが正しいか判らないが、とにもかくにも香取さんは人生初の格闘技の授業を、楽しいと感じた。礼節をもって技を磨き、相手への敬意を忘れず試合をする。香取さんはそれを、素晴らしいと思った。もちろん香取さんが試合をする事はなかったが、それでも先生や先輩方とする型の稽古を通じて日本武道の精神を体感した香取さんは、知った。自分は格闘技を、そしてこの人達を、侮辱していたのだと。
 その慙愧を、「私は格闘技について何も知らないのだから他の授業も受けてみるべき」という自戒へ昇華させ、四限は柔道の選択授業に充てた。そこで自戒をさらに強め、翌火曜の二限に空手の授業を、そして四限に剣道の授業を受けてみた香取さんは、とうとう天啓を得る。脳の中心からほとばしる電気を感じ、香取さんは心中叫んだそうだ。「私がこれから磨いてゆくのは、これだっっ!!」 
 そして、今。
 香取さんが剣道の選択授業を取った日の、お昼休み。
 刀術を学ぶものとして意見を求められた僕は、重要事項の一つ目を尋ねた。
「その電気放電がやって来たのは、何をしている最中だった?」
 以前よりほんの少し姿勢の良くなった香取さんは、同じく以前よりほんの少し彩度の増した声でハキハキ答えた。
「竹刀を上下に動かす、最も基本的な素振りをしている最中だった」
 ふむ、と考え込む僕を気づかい、女子二人が小声で言葉を交わしてゆく。
「頭の中心から電気が流れたなんて、やっぱり変なのかなあ」
「結、思い出して。猫将軍君は、結から聞いた電気を、電気放電って言い変えているの。さあ考えてみて。電気を電気放電に変えたら、結の感覚から離れてしまう?」
「わっ、考えるまでもないよ。というか電気放電の方が、適切な表現だって思えるよ!」
「そういう事。猫将軍君は結と同じ経験をしているから、より適切な表現ができたの。つまり、変だなんて思ってないって事ね」
「ああ良かった」「良かったね」
 春の日差しを浴びながら素の笑顔を振りまく女の子たちを、頬を緩めていつまでも見守っていたかったが、意見を求められた者にそれは許されない。よって目尻を下げまくる役目は、もとい温かく見守る役目は智樹に任せることとし、僕は重要事項の二つ目を尋ねた。
「磨いてゆくって表現を香取さんはしていたけど、それは作家として培った語彙力に由来するのかな。それとも、電気放電を翻訳した結果なのかな」
 すると斜向はすむかいの香取さんではなく、右隣の人物が僕の鼓膜を震わせた。
「電気放電を翻訳、か・・・」
 目尻の下がったデレデレ顔を改め、智樹は納得顔でしきりと頷いている。お昼休みを共に過ごす仲間となり、約三週間。こういう場面でこういう呟きをした智樹が一聴に値する発言をする事を知っていた僕らは、静かにその時を待った。智樹は、気心の知れた会話を習得済みの仲間として口を開いた。
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