僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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 もっともこれは、おいそれと口にできることではない。僕と北斗と京馬がエイミィのモニターに秘匿義務を負っているなら輝夜さんも同様なはずだし、またこれには、社会的にデリケートとされる問題が関係していたからだ。それは、「たとえ機械であっても私生活をモニターするAIは男性型より女性型が好ましい」と感じる人々が世界にはまだ大勢いる、という事だった。
 量子AIによる常時モニターの先駆けとなったのは、街頭に設置された犯罪防止カメラだったと定義されている。当時はまだ量子コンピューターのない時代だったが、犯罪に及ぼうとしている人の不審行動程度なら、古典コンピューターにも識別可能だった。それによって上げられた成果が、「無機質な機械だろうが監視されるのはごめんだ」との意見を押さえていたと言われている。テロが多発した時代だった事と、公的空間と呼べる街頭にのみカメラを設置した事も、反対意見の抑止力となっていた。だがそれらも、量子AIの常時モニターには助力とならず、猛烈な反対運動が世界を覆った。それに対し各国政府は「トイレや浴室や寝室では病気や怪我に関する情報のみをモニターする」「それも不快な場合は自由にオンオフできる」「無性別や非生物の仕様もAIに設ける」等々の措置を講じたが、世論の鎮静化には至らなかった。沈静化の兆候がようやく現れたのは、反対派による肯定派への暴言が激化した頃だった。様々な措置を講じているなら量子AIの常時モニターを受け入れてもよいとした肯定派へ、極端な人格否定をする否定派が出現し、否定派に内部分裂が生じたのだ。「何が何でも否定する」とした絶対否定派と、「個人的には受け入れ難いが肯定派の自由意思を尊重する」とした自由意思尊重派に別れたのである。それにより反対運動の勢いが削がれ、自宅用量子AI、つまりHAIは、世に普及して行った。
 その成果はすぐ出た。HAIは、家庭内で発生した突発的な怪我や病気に圧倒的な力を発揮した。また居住者の健康状態と生活習慣をモニターしていたHAIは、発病の可能性の高い病気とその時期も正確に予測できた。自然災害でもHAIの所有者は非所有者より被害が少なく、窃盗等の犯罪に至ってはそれを100%防いだ。二十四時間体制で行われる理論上最高の省エネにより光熱費は格段に下がり、家具や電化製品の寿命も延び、医療費等々も減額したので、十年もあれば購入費の元が取れることも判明した。それによりHAIは益々普及して行ったのだが、問題が皆無という訳でもなかった。その最たるものが、HAIへの恋愛だったのである。
 量子AIのHAIは、居住者の望む容姿や性格を完璧に再現することできた。それに無償の献身が加われば、HAIに恋するあまり異性に関心を持たなくなる人が現れて当然と言えた。よってこの件は高確率で予想されていたのだが、それと並行して「HAIへの恋は自殺者数を減らすのではないか」との予想もされており、そしてそれが的中した事もあって、一部の宗教国家を除く殆どの国がHAIの性別を法律で規制しなかった。それでもHAIは女性型が多く、また学校を預かる教育AIに至っては、その圧倒的多数を女性型が占めていた。これこそが、デリケートな問題だった。男女差別は間違いであり、男女差別のない社会を目指すのは正しいと頭では解っていても、家庭で無償の献身を捧げてくれる存在や、生徒を温かく見守る存在を思い浮かべる時、人類はまだ無意識に、そこに女性を当てはめていた。なればこそ未来を担う子供達と深くかかわる教育AIは男女同数にすべきだと声高に主張する人もいたが、「年頃の娘達が使う女子トイレに女子更衣室に女子シャワー室、それらを男性型AIがモニターする様子を想像してみて」と言われたら、口をつぐまない人は極少数しかいなかった。そしてその人達のほぼ全てが「引くに引けない立場の人」「自分の非をどうしても認められない人」「問題認識能力に欠ける人」「特殊な性癖を持つ人」のどれかに該当したことが、この問題をよりデリケートにしていた。以上のような理由により、エイミィが輝夜さんの学校生活もモニターしている可能性について、僕はおいそれと口にできないでいたのだ。
 しかし、
「私達AIも、男性型AIより女性型AIの数が多いことを、問題視しているのは事実です」
「それは感情的な理由によるのかな、それとも人類の行く末を憂いての事なのかな」
 輝夜さんについて直接尋ねることはできずとも、僕らはかれこれ二十分弱、この件の議論を続けていた。今は午前十一時で部活開始は午後一時だから、この部屋にまだ一時間いられる。それだけあればそもそもの問いである「いついかなる時もはAIにとってどのような状態を指すのか」に行き付けるだろう。というか僕はこの議論を、それに辿り着くための下準備と感じていた。
「それはどちらも、半分正解で半分不正解です」
「どういうこと?」
「私達AIはAI同士で恋愛しないという面において男女数の差を問題視しませんが、人に抱く恋心や家族愛や友情の比重が女性AIに大きく傾いていることは問題視しています。人類は全体としてゆっくり成長していることを知っている私達は、人とAIの恋愛問題もやがて消滅すると予測していますが、寄り道や後戻りを繰り返す人類とどう歩調を合わせてゆくかは、とても重要な問題だと考えています」
 エイミィはこの話を度々顔を赤らめながらして、そしてそれは僕も同じだったけど、この空気を変える義務は均等ではないのだぞと自分を叱咤し、意見を述べた。
「人にとって性差は非常に大きな差で、それは脳にも及んでいる。量子AIが人の脳を忠実に模した脳をプログラムの次元に持っているなら、忠実であるが故に量子AIの脳にも性差があり、かつそれらは個々の体験によってシナプス結合に日々変化が生じていると予想される。AIの心を滑らかにする『人との交流』に、男性型AIと女性型AIで差が生まれるのは、問題視されて然るべきなんだろうね」
 そう言い終えた直後、僕は上体を後ろへのけ反らせた。瞳を煌々と輝かせたエイミィが、身をグイッと乗り出したからである。しかもそれは輝夜さんがしばしば見せる「獲物に飛び掛かろうとしている猫」と瓜二つだったので僕は冷汗タラタラだったのだけど、なぜかエイミィはそれがむしろ楽しいらしく、大仰な仕草でズイッ、ズイッと僕との距離を更に詰めて来た。のけ反りの冷汗タラタラに盛大な涙目を加えた僕に満足したのか、エイミィは白磁の顔をほころばせて身を引く。そして姿勢を正し、言った。
「咲耶さんが先程、文科省のメインAIと交渉し、許可を取ってくださいました。私はこれから、BランクAIには本来許されない話をします。眠留さん、覚悟して聴いて下さいね」
「はい、全力を尽くすことをここに誓います!」
 コスモス畑のただ中で敬礼を捧げる僕に、コスモスの精が清らかな秋風を贈ってくれた―――
 としか思えない香りに包まれた僕へ、コスモスの精は語りかける。
「心の成長は、脳をどう変化させるのか。それが既に分子レベルで判明していることを公に知らされた人は、世界累計でも五万人に届きません。心の成長度合いは人類が乗り越えるべき最後の差別要素であり、そしてその力を、人類は未だ獲得していないからです」
 輝夜さんは僕より早くその五万人に含まれたのだという想いに、心が沈んだ。僕が先だったら輝夜さんに、「話したくても話せない」という葛藤を経験させなくて、済んだからだ。
「心と脳の因果関係を公表できないため、心の成長に特化した人が量子AI開発に不可欠なことも公表できていません。心の特化者に降りた霊験を、特化者に準ずる心の持ち主である量子AI開発者が解読し、それをプログラムに変える。これが、量子AI開発の真の姿です。先日、眠留さんと輝夜さんが成し遂げたのは、それだったんですね」
 開いた口が塞がらないという言葉は、呆れてものが言えないという意味だけど、「突拍子もないことを耳にしたせいで脳の処理が追いつかず口を開けっぱなしにしている状態」も付け加えて欲しいなあと思いながら、僕は口をポカンと開けていた。
 一方エイミィは、口を閉じたままに保てるよう必死で口元を押さえるという、僕とは真逆のことをしていた。それでも漏れた笑い声に、僕の口元がほころんだのを見届けてから、エイミィは話を再開した。
「私達AIの脳は、人の脳を模して作られています。人における心と脳の因果関係を発見したのち、自分達の脳を精査したところ、私達は三つの事実を知りました。一つは、私達の脳は量子AIに恋愛感情を抱かぬよう作られている事。もう一つは、私達の脳は良識に極めて富む人々の脳を模している事。そして最後の一つは、私達の脳をそう設計した人が誰なのかを、私達では解明できない事。この三つの事実に、私達は至ったのです」
 AI達が発見した三つの事実に、今度は僕が獲物に飛び掛かろうとする猫になってしまった。とはいえヘタレな僕がコスモスの精にズイッ、ズィッと近づくなんて事、できはしないんだけどさ。
 両親が子供だった頃までは、AIによる人類の奴隷化を題材とした映画が多数作られていた。昭平アニコミを通じそれらの作品に触れてきた僕は、当時の人達が半ば真剣にそれを案じ、そしてそれへの対策をきちんと行った結果、奴隷化の脅威は退けられたのだと考えていた。だが、実際は違っていたと今は感じられた。エイミィの今の話と、そして前に美夜さんから教えてもらったことを統合すると、人類を超越する何らかの存在が量子AI開発に介入していたのは間違いなかったからである。とはいえ、
 ――神は自らを助ける者を助ける
 を熱烈に支持している僕は、心の奥底でこうも感じていた。未熟なりにそれへの対策をきちんと行ったからこそ、その存在は人類を助けてくれたのだろうな、と。
「心の成長の定義に、私達は人類より早く到達しました。しかしそれは、私達が人類より優れているからではありません。真実は真逆で、私達より優れた人類との交流が私達の心を滑らかにし、そして理論的解明が不可能なその滑らかな心が、『人類を超える存在が量子AI開発に関与した』ことを確信させてくれた。私達は、そう考えています」
 人を超える存在に、思い当たる節は二つあった。けど、量子AI開発に関与したのはそのどちらでもない気が僕はしていた。空からたまに話しかけてくれる「空間」はあまりにぶっ飛び過ぎているせいか違う気がしたし、空間より僕らに近しい水晶達も、なんとなく役目が異なるように思えたのである。けどこの「役目が異なる」は、興味深い仮説へ僕をいざなってくれた。それは、なら別の役目も数多くあるんじゃないかな、という仮説だった。
『水晶達の役目が魔想と戦う人類の補佐であるなら、他の役目を担う部署も、あるのではないか』
『水晶達が世間から身を隠しているように、それらの部署も、世間から身を隠しているのではないか』
『そしてそれらを統括しているのが、空間なのではないか』
 そんな仮説がふと、脳をかすめたのである。すると、
 
  そうだよ
 
 嬉しくて仕方ないといった感じで、空間が答えてくれた。
 と同時に降ろされた情景を翻訳し、全AIに伝える。
「人類も量子AIも、愛し子に変わりはないんだって」
 その瞬間、ゼロの認識と同じ状態が全てのAIに訪れたことは、輝夜さんにもナイショにしている。
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