僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 西暦2050年、この世界は突如、魔界の浸食を受けた。
 不意を突かれた人類はたった三日で、地表の半分と全人口の80%を失った。
 人類は滅亡すると誰もが思った。
 だが四日目、魔族の侵攻はピタリと止まった。
 魔族はネガティブな存在ゆえ、協力体制を維持するのが不可能だったのである。
 魔族は人類から奪い取った領地をめぐり、種族毎に戦争を始めた。
 その、百年後。
 往時おうじの科学技術を取り戻した人類は、魔族の支配領域へ精鋭部隊を送り出した。
 人類とは正反対に魔族はこの百年で、勢力を大幅に減退させていた。
 精鋭部隊は魔族の砦を次々攻略し、人類に数多あまたの英雄が誕生する。
 これは、その英雄達の物語―――
 
 イントロの途中だが、ここで選手達だけに見える指向性2D画面が眼前に現れた。
『回れ右をして観客に正対し、右拳を掲げて鬨を上げてください。タイミングはここに表示します』 
 回れ右まで残り四秒、鬨を上げるまで残り六秒、のカウントダウンに合わせ、僕らは一斉に観客へ正対し、右拳を天に突き上げた。そして、
「「「オオ――ッッ!!」」」
 全員で声を合わせ勝鬨を上げた。一瞬の静寂の後、
「「「ウオオオ―――ッッッ!!!」」」
 空気を震わす大音声が、観客席から放たれたのだった。

 最初の学校が戦闘を開始する八時までの僅かな時間を使い、先輩方は僕に幾つかのことを明かしてくれた。
 新忍道関係者の総称である新忍道界はとても小さいので、秋葉原に現れた謎の剣士の噂は、当日の夕方には先輩方全員の耳に入っていた事。
 その日の夜、北斗と京馬から真相を聴いた先輩方は、自分達も二人に協力すると言ってくれた事。
 新忍道を見学に来る湖校生達にも事態のあらましを伝え、協力を仰いだ事。
 その甲斐あって秘密は守られてきたが、入場行進の待機場が最も危険と判断した先輩方は、待機場へ最後に入るべく計画を練っていた事。
 計画どおり最後に入るも、それでも僕の面が割れてしまった事。
 面が割れたことは本部も把握しているので便宜を図ってくれるはずだが、煩わしい人達が現れたら遠慮せずただちに報告する事。
 これらのことを、先輩方は僕に話してくれた。天候と同じく、僕の両目も梅雨に入る寸前だった。しかしただでさえ他校生の視線を集めていたし、離れた場所から心配そうに僕を見つめる美鈴を安心させてあげねばならなかったので、両目の梅雨入りは断固阻止した。北斗と京馬はそんな僕をくすぐりまくり、先輩方もすぐさまそれに同調して、湖校にいつもの雰囲気が戻った。美鈴も笑顔を浮かべていたから、僕は大満足でくすぐられまくっていた。北斗と京馬以外の夕食会メンバーがここに一人もいなかったのは、少し寂しかったけどね。
 夕食会メンバーはその大部分が運動系部活に所属しており、当然ながら皆も全中予選の真っ最中だった。運動系部員ではないが芹沢さんも撫子全国大会の関東代表を決める予選の只中にいたし、新聞部を兼ねる文芸部の香取さんも試合観戦と記事の執筆に大忙しだった。という次第でこの競技場に足を運んでくれたのは、妹の美鈴だけだったのである。
 けどそれは仕方ないことだし、それに何より美鈴が応援に駆けつけてくれたというだけで、
「よっしゃあ、美鈴ちゃんが笑ってくれたぞ!」
「うお~、テンション爆上げ~!」
「皆、全力を尽くすぞ!」
「「「オオ――ッッ!!」」」
 てな具合に湖校新忍道部はエネルギー充填100%になるから、兄としても部員の一人としても僕は嬉しくて堪らなかった。なんてアレコレをしているうち、
「ただいまより、武州高校の戦闘を開始します」
 のアナウンスが、競技場に響いたのだった。

 この補助競技場は、せり出し式の屋根を観客席の上に設けている。よって小雨程度なら、観客は雨に濡れる心配をしなくてよかった。
 そしてそのような場合、人は大抵、自分が快適な場所にいることを忘れる。選手達が雨に煙る屋外に現れて初めて人は、自分が快適な場所にいることを思い出すのだ。
 しかし、今回は違った。
 フィールドに出現した砦が、快適とは呼べない感情を観客に芽生えさせていた。
 それは、恐怖。
 人類の建築物ではないことが一目でわかる、巨大な悪意を秘めた砦が、フィールドに突如出現したのである。
 その砦へ、戦闘服に身を包む若者が、身をかがめて慎重に近づいてゆく。
 僕は心の中で呟いた。
「フィールドに現れた最初の選手を誰もが食い入るように見つめているのに、観客席がこれほど静まり返っているスポーツって、他にあるのかな」と。

 
 先週の、部室。
 普段の戦闘と大会の戦闘の相違点に関する、講義の冒頭。
「皆さんが練習で臨む3DGと、埼玉県予選で臨む3DGは、異なる点が二つあります」 
 新忍道部の公式AIはそう前置きし、皆の注意力を最大にしてから話し始めた。
「皆さんは普段、練習場に現れた砦を右回転させることで、砦への侵入ルートと作戦を決定しています。しかし予選大会では、それを室内で行います。室内待機場に映し出された縮小サイズの砦を回転させることで、ルートと作戦を決定するのです」
 公式AIによるとそれは、観客をより3DGへ引き込むための措置らしい。言われてみると確かにそうで、選手の指示に合わせて巨大な砦がグルグル回ったり、砦の前で悠々と装備を変更したりしたら、「所詮ただのゲームだ」という嘲りが観客の心に生じてしまうだろう。それでは興ざめだし、またそれは選手にとっても不利な環境と言えた。なぜなら嘲りの想いで溢れかえった観客席を背に、モンスターと生きるか死ぬかの戦いを繰り広げるというのは、酷く困難なことだからである。
 という納得顔を部員全員が浮かべたのを確認し、公式AIは講義を再開した。
「異なる点の二つ目を説明します。皆さんは普段、一度ひとたび作戦を開始したら、よほどの事情がない限りそれを中断させられる事はありません。しかし大会では運営上の理由により、強制的に作戦を中断させられる場面が一か所あります。それは選手全員が、壁越えを完了させた場面です」
 普段の戦闘なら、見学者が見学を中断している間も、選手は作戦を継続している。例えば真田さん達の三巨頭チームが壁越えを完了させると、三巨頭全員が壁の向こうに消えてしまうため、見学者は見学の一時中断を余儀なくされる。それは見学者のみの中断でしかなく、三巨頭は作戦継続中なのだけど、大会では強制的に中断させられるそうなのだ。公式AIはその理由を、こう説明した。
「観客を3DGに引き込むためには、砦に近づいてゆく若者の背中を見せる必要があります。若者が人類の先頭に立ち、人類の命運を背負って戦っているのを印象付ける最善の部位は、背中だからです」
 その途端、拳を握りしめる音と奥歯を噛みしめる音が部室を支配した。突進して来る巨大モンスターに怯まず、戦いを挑めるのは、この背中に人類の命運が掛かっているからなのだと誰もが再確認したのだ。
「よって3DGの大会は、長方形のフィールドの短い方を奥行きとして使います。そして若者達が壁の向こうへ消えたら、砦自体を観客席に近づけ、次いで壁の立体映像を消し、内部の様子を露わにしてからゲームを再開する。これが、作戦を一時中断せねばならない理由です」
 マイナースポーツの3DGが、フィールドの四方に観客席のある巨大競技場で大会を行うのは、米国くらいしかない。それ以外はインターハイ埼玉予選会場のように、一方向だけに観客席のある競技場を使うのが普通と言える。よって出場する全チームは、その「移動する壁」に慣れねばならぬと公式AIは説いた。
「予選会場の壁は、10メートル四方の巨大自走車の上に設けられています。自走車の周囲に段差はありませんから、つまずく事はありません。しかしそこから緩やかな傾斜が続き、壁の直下は厚さ30センチになっています。走行機能と落下吸収エアバッグ装備のための30センチに、正メンバー三人と補助メンバー二人は、週末に行われる合同受け身試験で慣れておいてください」
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